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妻の涙 中編

 その後、鉱山の技術者らとリベラが新技術導入について検討を重ねた結果、無理なく投資資金を回収できるだろうという試算が出たため、役人を含めて打ち合わせを行うことになった。

 実際に予算を付けないといけないし、試験機を導入するにしても規模が大きいため、土地の調整が必要になる可能性があるためだ。


 打ち合わせはオーウェンの屋敷からほど近い、領地の役所で行われることになった。

 その日は季節外れの暖かさで室内は蒸し暑く、役人に説明をするリベラは汗を拭いながら資料を示していた。

 オーウェンはあらかじめ話を聞いていたので特に口を挟むことはないが、役人はほとんどが専門知識のない素人だ。リベラの話に置いて行かれないよう、たまに技術者が補足説明をする。


 オーウェンは話の内容よりも、ステファニーが言っていた彼の髪の方が気になっていた。言われてみれば確かに不自然にふさふさなのだ。

 初めに会ったときに気にならなくて良かった。もし気付いていたら全然話に集中できない。

 オーウェンは出来るだけリベラの頭が視界に入らないよう、資料に目を落としたままにしていた。



 しかし、びっくりすることが起こった。話が一段落したところで、休憩のため水が配られたときのことだ。

 リベラが「暑い、暑い」と言いながら、急に頭のカツラをぱかりと外し、その下の禿げ頭を布で拭ったのだ。

 これにはその場にいた全員が固まった。

 はたして笑っていいのかどうか分からない。かといって、カツラだったんですねと口に出せる雰囲気でもない。あまりにもリベラが普通にしているからだ。


 皆の視線を感じ、リベラは悪戯をした子どものような顔で笑って、皆を見回した。


「あはは、皆さん、笑ってくださって結構ですよ。これは性能テストをしているんです」


 彼が語ったところによると、同じ大学でカツラの研究をしているグループに協力し、試験としてカツラを被っているという。


「暑かったり寒かったり、あとは付け心地について評価するんです。まあ私の場合は本当に禿げているので実益を兼ねていますけどね。カツラだって皆さん、気付きませんでしたか?」

「突っ込んでいいのかどうか迷いましたよ。バレバレです」


 技術者の一人がそう言うと、部屋の皆からはははと笑い声が上がった。

 どうやら皆、気付いていたらしい。初見で気付けなかったのはオーウェンだけだったようだ。


 少し和やかな雰囲気となったところで打ち合わせが再開した。

 役人も話を聞き、一度持ち帰って他部署を交え、設備導入に向けて検討することになった。

 一方、鉱山の技術者はリベラの研究室を一度訪ね、研究所レベルの小型試験機を視察しに行くという。オーウェンもそれに誘われたので、都合がつけば同行したいと述べた。



 打ち合わせを終えて屋敷に帰ると、もう夕食の時間だった。ステファニーはすでに席に着いていたが、目をこすりながら欠伸をしている。


「どうした、ステファニー。もう眠いのか?」

「今日は昼寝がうまくできなかったもので。大丈夫です」


 最近ステファニーは欠伸ばかりしているなと思ったところで、オーウェンはリベラの髪について思い出した。


「そうだ、リベラ男爵は確かにカツラだったぞ。ただ、頭を隠すためだけではなく、カツラの研究に協力しているそうだ」

「えっ、どういうことですか?」

「気温による不快感だったり、付け心地などについてテストして、カツラの評価をするんだそうだ。しかしステファニーが彼がカツラだというものだから、髪が気になってしまって全然集中できなかった……って、どうした」


 話していたオーウェンはぎょっとしてステファニーを見つめた。

 ステファニーがぽろぽろと涙をこぼしていたのだ。


 彼女が泣いているのをオーウェンは見たことがない。嫁いできてから、一度も泣いていたことはなかった。

 喜怒哀楽のはっきりしたステファニーではあるが、基本的には朗らかに笑っていることが多く、悲しんでいるようなところを見た記憶はない。


 オーウェンは大いにうろたえ、席を立ってステファニーの側に回り、背中をさすった。


「すまない、なにか気にさわることを言ったか」

「……違うのです。男爵がそんなに崇高な目的のためにカツラを被っていらしたのに、私はからかい半分で馬鹿にするようなことを思ってしまい……、大変申し訳なく、情けないことを……」


 てっきり笑い飛ばしてくれると思ったのに、真逆のステファニーの反応に、オーウェンはどうすれば良いのか分からずおろおろと彼女の背を撫でさすった。

 まさか、どうでもいいカツラの話で初めて妻の涙を見ることになるなんて。一体どうしたというのだ。


「そんな、気にするな、ステファニー。彼は今日、笑い話にしていたぞ。それで会議の雰囲気が和んだんだ。泣くな」

「しかし、私はなんて頭の悪い馬鹿な女なのかと……、うっ、うっ」


 しばらくしくしく泣いていたステファニーだが、ひとしきり泣いて落ち着いたのか、少しだけ夕食を食べてすぐに寝室へ入って行った。


 オーウェンはステファニーの様子を非常に心配したが、本人が大丈夫と頑なだったため、それ以上は追及しなかった。



 ♢



 オーウェンは予定通りリベラの大学へ研究の視察に行くことにした。大学が遠いため、およそ二週間の不在だ。

 長期間不在にすることをオーウェンは心配した。先日の「カツラ涙事件」のためだ。自分の知らないところでなにかあったのかもしれないとステファニーや屋敷の者にも聞いたが、何もないという。

 視察をやめようかと思っていると、ステファニーから、自分は大丈夫だから行けと、半ば怒り口調で言われたため、視察に出ることにした。しかし何かあったらすぐに知らせを寄こすようにと屋敷の者には伝えている。



 その頃にはステファニーの変化に侍女のアンナもさすがに気付いた。


「ステファニー様、お医者さまをお呼びしましょう」

「そうね……」


 妊娠に気付いて以降、特に体調に変わりがないように思っていたステファニーだが、やはり少しずつ変わっているようだ。

 とにかく毎日眠いし、まさか自分がどうでもいいカツラのことで泣き出すとは思わなかった。あの時は感情がコントロールできなかったのだ。

 

 診察した侍医は、自然な表情で「ご懐妊です」と述べた。

 しかし側に控えていたアンナがとても嬉しそうな顔でいるのに対し、浮かない顔のステファニーを見て、侍医はおや、と思い訊ねた。


「奥様、お望みではない結果ですか?」

「いえ、嬉しいのですけど、それは、とても。ただ、思っていたよりも情緒不安定で、自分が大丈夫なのかどうかと……」


 侍医は頬を綻ばせると、大きく頷いた。


「そういうものですよ。大丈夫です。出産は大仕事ですから、しばらくのんびりお過ごしください」


 医者から大丈夫と言われたことで、ステファニーは少し気が楽になった。

 確かに人間を体の中で創造しているのだ。普通でいられるはずがない。


「そうよね、そうします」


 ステファニーはまだ真っ平の自分の腹を撫で、ほっと息をついた。



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