発熱と悪夢
オーウェンは悪夢の中にいた。
あの鉱山の避難壕で、試掘メンバーと一緒に膝を抱えて救助を待っている。
外がどうなっているのかわからない。暗い。錆びた臭いが鼻をつく。
岩が崩れるような音が聞こえる気がするが、幻聴かもしれない。頭が痺れてよく分からない。
「――おい、なにか、地面が濡れてきてないか?」
暗くて姿形は分からないが、シンの声だ。皆が座っている尻の下を撫でる様子が分かった。
他のメンバーが口々に、本当だ、水だ、と声を上げる。
「どこからか水が入ってきている!」
そんなはずはない。近くに水源はない、はずだ。
しかしオーウェンの考えに反して、突如、ざあざあと水の音がし始めた。急に靴に水が染み込んできた。冷たい。
なぜだ、どこから? と思うが、暗くて分からない。考える間もなく、水嵩が一気に増し、膝丈の高さになった。
訳のわからぬまま、手探りで岩を登れないか試みる。だが、狭い避難壕だ。足をかけられる場所もない。
あっという間に胸まで水に浸かる。
手で水をかき、もがく。息が苦しくなってきた。
はあはあと空気を取り込もうとする。
ざあざあという水の音は絶え間なく続き、いよいよ喉元まで水が上がってきて――――
「――オーウェン様、オーウェン様!」
ステファニーが呼ぶ声で目が覚めた。
はあはあと聞こえた音は自分の息遣いだ。オーウェンは息が出来ることに気付き、大きく息を吸った。
「大丈夫ですか? うなされていましたよ」
自分が汗びっしょりになっていることに気付いたオーウェンは、首元を手のひらで撫で、濡れたそれを寝衣で拭った。
「恐ろしい夢を……、気持ちが悪い」
ステファニーが水差しからグラスに注いで手渡してきたので、オーウェンはそれを受け取って一気に飲み干した。
鉱山の悪夢を見たのは久しぶりだ。採掘記念式典から帰って、悪夢を見ないようになっていたのに。
ただ、原因は分かっていた。オーウェンは久々に風邪をひき、昨夜から熱が出ていたのだ。子どもの頃から、熱が出ると悪夢を見る。
「鉱山の避難壕で水が入ってくる夢だった。溺れそうになって……怖かった……」
「あらまあ」
ステファニーはおもむろに布団をまくり、オーウェンの体を見た。急に布団を剥ぎ取られたので寒くなり、膝を抱える。
「な、なんだ」
「水の夢を見たっておっしゃったので、漏らされたのではないかと。大丈夫そうですね」
「なっ!!」
水に関わる夢を見て布団を濡らす子どもがいることはオーウェンも知っているが、しかし自分は成人男性だ。
慌ててステファニーの手から勢いよく布団を奪い取り、がばりと包まる。
「そんなわけないだろう! 子どもじゃないんだから」
「別に恥ずかしいことでは」
「だから……、ごほっごほ」
反論しようとしたら咳が出て、背中を丸めた。その背中をステファニーが撫でる。
「まだ少し熱がありそうですね。もう少し寝た方が良いですよ」
「……いやだ」
「眠くないんですか? 寝ないと良くなりませんよ」
「寝ると恐ろしい夢を」
「子どもじゃないですか」
ステファニーは心から呆れた顔でオーウェンを見つめる。
子どもじみた言い訳をしていることは自覚していたので、オーウェンは黙った。しかしそれほどまでに怖かったのだ。
「オーウェン様が夢を見ている間って、夢だということは分かるのですか?」
「分かる時と分からない時があるが、分かる時の方が多いように思う」
「夢って頭の中の出来事じゃないですか、それって自分でコントロール出来ないんですかね?」
「う、うーん……、やろうとしたこともないが……」
夢の中にいる時に夢だと分かっていても、恐ろしい結末からは逃れられないように思う。夢が早く終わってくれと願うことは多いのだが。
「夢をコントロールするのが難しいのは、自分の思考の範囲内だからかもしれませんよ。第三者の介入なら自分ではどうしようもないから、夢を終わらせられるかも」
「どういうことだ?」
「悪夢を終わらせる第三者が夢に入ってくるように、強く念じてみるんです。オーウェン様が辛い時に助けを呼びたい、最強だと思う人物や物はなんですか?」
ステファニーから問われて、オーウェンは考え込んだ。
強いとはなんだろう。腕力の強さなら騎士だろうか。いや、鉱山の同僚も強い。だが、彼らはいつも夢の中では自分と同じ立場で、第三者ではない。
自分が子どもなら父母か兄に助けを求めるが、皆もういないし、祖父やダンは頼りにしているが最強かというとピンと来ない。
――そうすると……、
オーウェンは目の前の人物をじっと見つめた。
目の前にいる自分の妻は、体は強く健康だし、些細なことではへこたれない。本人にその気はなかったとしても、トラウマに悩むオーウェンの気持ちが軽くなるよう助けてくれた人物だ。
すなわち、最強ではなかろうか。
「……ステファニー……」
オーウェンがそう名指しすると、ステファニーは一瞬きょとんとしてから、意味を理解したようでぱっと微笑んだ。
「まあ、ありがとうございます!」
その様子になんだか恥ずかしくなったオーウェンは布団に潜り込もうとした。ステファニーがそれを手伝い、オーウェンの肩まで布団をかける。
「では、怖い夢の時には私が助けに行きますからね。寝てください」
「そんなばかな」
「私は元修道女ですから、夢の中に助けに行くのなんて朝飯前です。いいですか、強く念じるんですよ」
それから彼女に促されて「ステファニーが助けに来てくれる」と呪文を三回唱えさせられてから、オーウェンは眠りについた。
♢
オーウェンは悪夢の中にいた。
あの鉱山の避難壕で、試掘メンバーと一緒に膝を抱えて救助を待っている。
岩が崩れるような音がする。小石がパラパラと降ってきてヘルメットに当たり、高い音を立てた。
「なんとか中から掘って脱出できないか!?」
慌てたシンの声が響く。じきにここも崩れるかもしれない、と皆が立ち上がろうとする。
オーウェンは、これが夢であることに気付いていた。それから、頭の片隅に残っていたヒントを思い出そうとする。
そうだ、いつも一緒にいる、あの、明るい彼女が、助けてくれると言っていた、はずだ。
――助けてくれる、助けてくれる、助けてくれる――
すると、膝を抱えて座っていたオーウェンの足元の岩がぼこりと盛り上がり、固いヘルメットをかぶった人物が地面からにこやかに顔を出した。
「ほら、私が助けに行くと申し上げたでしょう!」
そうだ、ステファニーだ。
ステファニーが助けに来てくれた――
はっと気付いて、オーウェンは目を開いた。
それからよいしょ、とベッドに体を起こす。また汗はかいているが、熱は下がったようだ。体が軽い。
もう夜のようで、窓の外は暗く、すぐ隣には当のステファニーがすやすやと寝ていた。
頬にかかる髪を払ってやっていると、夢の中で地面から顔を出したステファニーを思い出して思わず笑みがこぼれた。
三回も呪文を唱えたためか、本当にステファニーが助けに来て、夢を終わらせてくれた。
元修道女だからって夢に入れるような特別な能力があるはずないのは分かっている。それなのに、ステファニーが言うとなんだか本当のように思えてしまうし、暗示にかかってしまうのだから不思議だ。
寝返りを打ったステファニーに布団をかけ直してやる。
すると彼女は寝ながら、ふふふと笑いだした。自分と違って面白い夢を見ているのだろうか。
うーんと伸びをしたオーウェンはステファニーの頭を撫でてから、もう一度寝ようと布団に潜り込んだ。
《 おしまい 》




