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2、不眠

 自分が夢の中にいるのは分かっている。


 岩を掘る大きな音、肌寒く、頬を撫でる風、錆びたようなにおい。


 ――あの一瞬が、また始まる。



 緊急警報が鳴り響き、外の明かりを見る。中からは轟音が聞こえ、周りの皆と一気に駆け出す。


 間に合わないことに気付き、大声を張り上げる。

 だが外の明かりは急に入らなくなり、大きな岩が目の前を塞ぐ。


 悲鳴が聞こえて――――



 はっ、と気付いて、オーウェンは目を覚ました。


 汗がびっしょりと服を濡らしている。荒い息を整えて壁にかかる時計を見ると、うつらうつらし始めてから三時間も経っていない。

 心臓がバクバクと音を立てている。口の中がカラカラだ。

 今夜はもう寝られない。いつもと同じ。


 オーウェンは水を飲みに行こうと、痛む体をゆっくりと起こした。



 ♢



 あれからやはり眠れず、結局、執務室で仕事を始めた。陽が昇り、屋敷の者が動き出す様子が分かってしばらくしてから、執務室に執事のダンが入ってきた。


「オーウェン様、ご気分はいかがですか」

「いいように見えるか?」


 ダンが悲しげに目を伏せたのを見て、オーウェンは心苦しくなって俯いた。


「……ごめん」


 ダンは亡くなった父と兄にずっと仕えてくれていたうちの一人だ。自分のことはただの次男坊としか見ていなかったはずである。

 兄は幼い頃から領地経営とはなんたるか、教育を受けてきた。しかし自分はやりたいことを学んできたので、領地経営はさっぱりである。急に家を継ぐことになってしまい、ダンに頼りきりだ。


 屋敷の皆も、領地の皆も、偉大な領主と後継の死去からまだ完全には立ち直っていない。

 そんな中でも仕事をこなさなければならない。オーウェンは自分の不甲斐なさに苛つきながらも、なんとか毎日を過ごしていた。


「……姫君さまが数日内には到着されるようです。王都を出発したとの連絡がありました」


 まだまだ落ち着かず屋敷内のことすらままならないというのに、褒賞で自分の娘を降嫁させるという知らせが国王から届いたのはほんの三週間前のことである。

 しかも公務に出てくる姫たちではなく、ずっと病気療養していた姫だという。王妃の娘ではないのだろう。そんな姫がいたことすら知らなかった。


 自分だって病人みたいなものなのに妻まで病弱とは、この家の将来は暗いぞとオーウェンは自嘲した。


「部屋は整っているか? 失礼のないようにな」

「はい。領地の境で馬車の乗り換えをする必要があります。お迎えに行かれますか?」


 一瞬考える。

 一応誠意を見せるために迎えに行った方が良いだろう。だが、馬車は無理だ。


「……私には馬を用意してくれ」

「かしこまりました」


 老齢の執事はよく分かってくれている。

 その気遣いに応えるためにも自分がもっとしっかりしなければいけないのに、頭がぼんやりして働かない。

 オーウェンは自分の不甲斐なさに大きくため息をついた。



 ♢



 オーウェンは大学で工学を専攻しており、卒業後は領地の鉱山採掘のチームに加わっていた。数年前に領地の山で銀や銅、鉛の鉱脈があることが分かり、大規模な採掘調査が始まっていたのだ。


 事故が起きたのは、採掘した石を処理する各種設備が整い、いよいよ掘削を開始しようという時期だ。


 オーウェンは試掘チームのリーダーで、山の入口付近で試掘してきた鉱石を複数人の作業者とともに見ていた。すると頭上からパラパラと小石が落ち、地鳴りのような音が聞こえた。

 すぐに緊急警報が鳴り出した。

 崩れるかもしれない。

 オーウェンたちは急いで外へと走り出した。


 しかし山の奥の方ですでに崩れ始めているようで、大きな衝撃音が響く。頭上から落ちる小石も量を増し、砂埃で視界が悪くなってくる。

 外にたどり着くのが間に合わないと判断したオーウェンは、大声を出して、作業員を緊急避難用の壕に誘導した。


 壕に逃げ込んだ途端、崩れ落ちて闇に包まれた。

 狭い壕の中で点呼を取ると、運良くチーム全員いた。

 そこから五時間、救助が来るまでの間、永遠とも思える長い時間だった。

 オーウェンはよく覚えていない。



 突然の崩落事故だったが、奇跡的に死傷者は出なかった。その時作業していたメンバー全員が壕に逃げ込めたためだ。

 幸い事故は小規模だったのですぐに復旧することができ、予定を少し遅れて掘削作業が始まった。そして予定よりもずっと多い鉱石が採れ始めたのだ。


 オーウェンは崩落事故の際に壕へと導いた判断を讃えられた。

 しかし、事故の後から眠れなくなった。



 あの時、もしも緊急警報が鳴らなかったら。もしも判断がほんのわずか遅れていたら。自分の声が届かないメンバーがいたら。

 本当に運が良かっただけで、誰かが、または自分が死んでいたかもしれないのだ。


 そもそも、鉱石の確認など、外でやれば良かった。もっと早く気付いて判断できなかっただろうか?

 自分の判断は間違っていなかったか?

 自分の判断の誤りで皆をあんな怖い目に遭わせてしまったのではないか?


 そう考えるとオーウェンは寝付けず、寝ても悪夢で目が覚める日が続いた。


 憔悴するオーウェンを皆が気遣い、しばらく休むことにした。

 そうしたら、父と兄の訃報が届いたのだ。



 父と兄は視察先での馬車の事故だった。母は幼少期に死別し、兄との二人兄弟だった。

 オーウェンは試掘リーダーから一気に領主になってしまった。



 幸い、伯爵家関係者も領民も、この悲しい出来事を皆で乗り越えようと一致団結していた。

 鉱山からの収入で財源は潤っている。鉱山の労働者も増え、領地は活気付いていた。


 領主になっておよそ半年。鬱々と暗い気分なのは自分だけなのかもしれない。

 崩落事故のトラウマから不眠に加えて閉所が苦手になり、全く経験したことのない仕事に四苦八苦している。

 しかし領民の生活がかかっている重要な仕事なのだ。自分がしっかりしなければならない。



 ♢



 仕事を終えたオーウェンは、湯を使ってから寝室へ入った。寝台をちらりと見たが、入れない。寝台に入ると、寝なければならないという強迫観念に駆られ、ますます寝られなくなるのだ。

 オーウェンはいつも通り、寝室の長椅子に横になった。


 病弱だという姫は明日到着する。どんな姫なのだろう。こんな田舎に来るのをきっと嫌がっているはずだ。

 自分は不眠で体が怠いし、姫も病弱なら夫婦生活は難しいだろう。三年間、白い結婚であれば離縁を申請できる。そうしよう。三年我慢してもらえれば王宮に帰れると告げるのだ。


 ちっとも眠くないが、少しでも体を休めるためにオーウェンはまぶたを閉じた。



 次の日、朝から屋敷は大騒ぎだった。伯爵家に姫が降嫁するということで皆、張り切って準備していた。

 やはり数時間しか寝られなかったオーウェンは、ぼんやりと朝食の席についた。ダンが心配そうに声をかける。


「オーウェン様、お疲れの状態で馬に乗って大丈夫ですか? 馬車の方が……」

「……馬で大丈夫だ」


 馬車の中でパニックになるところを見られたくはない。普段乗る馬は大人しいため、振り落とされることはないだろう。


 今日は姫を領地の境に迎えに行き、屋敷に戻って神父を呼んでそのまま婚礼の予定だ。

 急なので招待客もほぼいない。そんなことでいいのだろうかと不安に思うが、しかしそれ以上のことをする時間的余裕がない。



 オーウェンは周りからなされるまま身支度し、馬にまたがった。

 前後を騎士が乗った馬が囲んでくれている。急に具合が悪くなった時のことを懸念して、誰かが配慮してくれたのだろう。

 馬車は空の状態で出発した。


 幸い天気は良く、風も穏やかだ。領民たちも今日が若い領主の元に花嫁が来る日だと知っており、口々に祝いの言葉をかけてくる。オーウェンは手を振り、出来るだけにこやかに見られるように努めた。



 待ち合わせの場所でしばらく待っていると、王家の紋章を施した馬車がゆっくりとやってきた。前後を騎士が固めているが、姫の降嫁というわりに人数は少ない。

 従者とダンが型通りの挨拶を交わす。馬から降りたオーウェンは、王家の紋章の馬車の扉を開け、手を差し出した。


 すると、中から手を握り返され、大きな目をした女性が現れた。

 化粧の可能性はあるが、頬は色付き、唇も薄紅色だ。握られた手も強く、想像していたよりもふっくらとした女性らしい体つきをしている。

 なんというか、とても病弱そうには見えない。


「ステファニーと申します。よろしくお願いします」


 まっすぐ見つめられ、凛とした声で挨拶されて、オーウェンも慌てて返事をした。


「オーウェン・バートンです。長旅お疲れ様でした。こちらの馬車へどうぞ」


 礼を言った姫はひらりと馬車を降り、オーウェンの手を離して馬車を乗り換えた。

 その足取りは軽やかで、思わずオーウェンはダンと顔を見合わせた。


 ――なんだか、聞いていた話と違うぞ?



 ♦︎



 ステファニーは初めて見た伯爵に驚いていた。

 目は窪み、隈でくすんでいて顔色も悪い。同じ年ごろだと聞いていたが、ずいぶん老け込んで見える。彼は病人ではないのだろうか?


 オーウェンに促されて馬車を乗り換えたものの、彼は乗らず、馬車の中はステファニー一人のままで出発した。

 王都からは侍女もつけられず、降嫁に伴い準備してくれると聞いていたものは本当に最低限だった。一人の方が気が楽で良いが、所持品は足りない。落ち着いたら修道院に連絡して、残りの荷物を送ってもらわなくては。


 馬車はしばらく進むと、人通りの多い街に入った。道では多くの人々が自分たちを見守っており、手を振ってくれている。

 ステファニーが恐る恐る窓から手を振ると、歓声が上がったため驚いた。ずっと修道女暮らしだったので初めての経験だ。どうやら歓迎されているようでありがたいことだと、ステファニーの緊張は少しほどけた。


 屋敷玄関の前にも大勢の人が並んでいた。修道女のように地味ではないが、皆揃いの服装。どうやら屋敷の従業員のようだ。

 オーウェンに促されて馬車を降りると、端から順に自己紹介が始まった。ステファニーは集中して彼らの名前を頭の中で繰り返した。


 新しい伯爵夫人には若い侍女を一人つけてくれるという。


「アンナと申します」

「ステファニーよ、よろしくね」


 それからアンナに連れられて自室に案内された。そこは過度な華やかさはなく、落ち着いた調度品で整えられており、ステファニーは思わず感嘆の声を漏らした。


「お好みが分からなかったのであまり飾りつけませんでした。これからご自由にお申し付けください」

「充分よ、ありがとう」


 ひと息つく暇もなく花嫁衣装に着替えさせられた。時間がなかったので、父王から持たされたのは簡素な既製品だ。

 慣れないコルセットをきつく締められ思わず声を漏らすと、アンナが謝って少し緩めてくれた。

 そういえば病弱設定だった。それなのに肌も髪もほどほどに焼け、仕事をして荒れた手をしている。あっという間に露呈するのではないだろうかとステファニーは思った。


 修道院ではほとんどしなかった化粧だがアンナの手により薄く施され、花嫁姿となったステファニーは部屋を出た。


 屋敷の広間の入口に、新郎姿のオーウェンが立っていた。

 隣に並ぶと、自分よりもずいぶん背が高く、がっしりした体つきであることに気付いた。しかし先ほどと変わらず顔色が悪い。

 オーウェンに促されて腕を回す。成人男性にこんなに接近した記憶はなく、緊張する。


 広間に入ると、列席者は屋敷の従業員と地元の有力者のようだった。

 結婚式の手作り感が非常に強いが、どこも花で飾られており、一生懸命準備してくれた様子が伝わってきた。

 国王から押し付けられた花嫁なのに、時間のない中、出来る限りの対応をしてくれようとする気持ちが分かってありがたく感じる。


 ステファニーはなんだか嬉しくなり、笑みがこぼれた。ほんの十日前までは一生結婚しないつもりで修道院で野菜を収穫していたのに、今は伯爵夫人になってしまったのだ。



 神父に促され誓いの言葉を述べると、同じ言葉をオーウェンも弱々しい声で同じように述べた。

 修道女になるときに神に嫁ぐ誓いを立てたが、あっけなく破ってしまった。別に全然構わないのだけれど。


 繊細な刺繍を施されたベールを上げられる。夫となる人と目が合った。

 外ではよく分からなかったが、色の暗い緑の瞳をしている。しかし充血しているし、広間に入る光によってさらに顔色は悪く見える。


 ついさっき初めて会った人から頬にキスを受けた。肩に触れる手が震えている。



 ――この人、本当に病人なんじゃないかしら?



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