夜の抜け出し
公立公園の隣に位置するその野外講堂は通常、音楽公演や地域の式典などが行われるときに使われている。半円状の広いステージを囲むように客席が設置されており、かなりの人数を収容することが可能だ。
そこで月末に行われる公演のチラシを見たステファニーは、迷っていた。
チラシには派手なギターの絵。それは血塗られたような表現で真っ赤に染められている。
「うーん……」
そのグループはステファニーの好きなバンドだった。雷の夜にオーウェンに弾いてやった、激しく、不埒で、俗っぽい曲のあれだ。
そのバンドが公演にやってくるという。
「行きたい……」
実はステファニーは過去にこのバンドの公演に行ったことがある。修道院にいたころ、同じように近くに野外講堂があったのだ。
様々な楽団が修道院に慰問で来ることはあったのだが、ステファニーら修道女がそれ以外の世の音楽に触れる機会はあまりなかった。そして慰問にやってくる楽団のほとんどは、残念なことに修道女らにとってあまりにも退屈だった。
そこでステファニーは時間と手持ちの金に余裕が出ると、同僚と一緒にこっそり抜け出し、ジャンル問わず、野外講堂で行われる公演を聞きに行っていた。そんな中、彼らを知ったのだ。
彼らはこれまで聞いてきた音楽からあまりにもかけ離れていて、ステファニーは衝撃を受けた。そして一気にはまった。
しかし普段修道院で暮らしていると情報を得ることができない。唯一、保護した女性の中に詳しい人がいたため、彼女を質問攻めにして、曲を繰り返し歌ってもらって覚えた。
その後、街で楽譜を購入することができたため、ギターも練習して弾けるようになったのである。
その憧れのバンドが近くに来るという。絶対に行きたい。
しかしはたして貴族夫人がこういった俗っぽいバンドの公演に行っていいものかどうか判断ができない。別にステファニーは他人からの評価を気にしないが、オーウェンか屋敷の誰かに反対されそうな気がする。
仮に行っても良いとなったとしても、不特定多数の集団の場所へ行くのだ。おそらく誰かと同伴になるだろう。騎士か、あるいは侍女が付く可能性があるが、それではなんだか楽しめない気がする。
オーウェンに頼もうかとも一瞬思ったが、そもそも彼は人混みが苦手だ。無理だろう。それに領主がこういった音楽を聴くことはイメージ的にまずいかもしれない。
「なんとかこっそり行くしかないか……」
このチャンスを逃すと、もう一生聴けないかもしれない。
諦めるわけにはいかない、とステファニーは計画を練り始めた。
♦
その日、ステファニーは昼間からそわそわしていた。抜け出す段取りを最終確認するため、家のあちこちを見て回る。自室のベランダからロープを垂らして外へ出ようと目論んだステファニーは、ベランダ、庭、正門などを確認した。
暗くなったらよく見えなくなるかもしれないので今のうちにきちんと覚えておかなければならない。それから抜け出すための準備も自室に隠しておいた。
「どうしたんだ、ステファニー?」
庭の辺りでうろうろしていると、来客を見送った後のオーウェンが怪しんで声をかけてきた。彼には知られるとまずい。止められてしまうだろう。
「え、いえ、なんでもありません」
ステファニーはオーウェンの視線から逃げ、その場からそそくさと去った。
開演時間は普段の夕食後の時間だ。夕食を急いで食べて、家を抜け出さなければならない。
いつも通り夕食の席についたステファニーは「いただきます!」といつも通り大きな声で挨拶し、勢いよく食べ始めた。話をする暇もない。
「どうした、腹が減っていたのか」
無言で食べ続けるステファニーをオーウェンは怪訝な顔で見つめたが、ステファニーは一言「そうです」とだけ告げて食事を続ける。
オーウェンがまだ食べている最中だが、大急ぎで食事を済ませ、ぱん、と手を合わせた。
「ごちそうさまでした! あー、いたた。勢いよく食べ過ぎてお腹が痛くなってきました! 私は先に休ませて頂きますね、おやすみなさい!」
そう言うと一目散に自室へ戻った。呆気にとられたオーウェンやアンナたちの顔が見えたが、取り繕っていられない。時間がないのだ。
ステファニーはバタンと自室の扉を閉めると、外出着に着替え始めた。
野外講堂は寒いかもしれないので上着を羽織る。肩掛けの鞄が邪魔にならないように紐を短くし、ロープを持ってベランダへ出た。
「よし」
「なにが、よし、なんだ?」
「!!」
間近で突然声をかけられて思わず悲鳴を上げたが、ベランダの影から飛び出してきた人物に口を押さえられ、悲鳴はくぐもって消えた。
「ステファニー、私だ」
オーウェンだった。
ステファニーは驚きと、ばれてしまった失望からへなへなとその場にへたり込んだ。すぐ隣にオーウェンもしゃがみ込む。
「ああ、驚きました。変質者かと」
「どっちが」
「……なぜ家を抜け出すと分かったのです?」
「あまりにも様子がおかしいから、ステファニーが食堂を出た後すぐに私も出て、張っていた。腹が痛いと言っていたのにどこへ? 逢引、駆け落ち、家出?」
「……公演です」
「は?」
ステファニーは観念して、バンドの公演のことを説明した。
「ああ、私もチラシを見た。なんだ、行きたいなら言ってくれたらよかったのに。ちょっと来て。着替えてくる」
オーウェンはそう言うとステファニーを引っ張って、ベランダで続いている自室に連れて入った。先ほどはオーウェンも自室からこっそりベランダに出ていたのだろう。
それから手早く着替え、上着を羽織る。
「ちょ、オーウェン様。一緒に行ってくれるのですか? 結構な人混みですよ?」
「屋外だろ? 大丈夫だよ」
そのままステファニーの手を引っ張って普通に室内の扉から廊下に出て玄関に向かう。
途中、外出着の二人を見て目を丸くしたダンに、オーウェンは声をかけた。
「ダン、少し出かけてくるから。門は開けておいてくれ」
「かしこまりました。馬車は必要ですか?」
「いや、大丈夫。三時間くらいで戻る」
玄関を出た二人は足早に野外講堂を目指した。
もう夜も更けたというのに、様々な格好の人たちが同じ方向に歩いている。皆、公演へ向かうようだ。
「オーウェン様、大丈夫なのですか?」
「なにが?」
「その、領主様が不道徳なバンドのライブにお忍びで行ってしまって。誰も付けず……」
不安そうなステファニーをチラリと見遣り、オーウェンはふふふと笑った。
「領主が不道徳なバンドのライブに行っちゃいけないって誰が決めたんだ? 野外講堂には警備もいるし、問題ない」
いつも自分が言う言葉を横取りされて、ステファニーはほっと息をついた。絶対反対されると思ったのに。それなら正直に始めから話しておけば良かったとステファニーは反省した。
二人は大勢の観客に混ざり、公演を楽しんだ。
♦
帰り道で二人は並んで家を目指していた。オーウェンが宣言したよりも早めに帰れそうだ。
ステファニーは素晴らしい公演に興奮して疲れ、頭の中がふわふわしていた。
最高だった。聞いたことのない新曲も演奏してくれたし、やはり本物を聞くことができるというのは良い。早いところ新曲の楽譜を手に入れて、ギターの練習をしなければ。
特段変装していたわけではないが、観客はバンドに夢中で誰も領主夫妻に気付かなかった。
それに人は多かったがもみくちゃという状態ではなかったので、オーウェンも気分が悪くなることはなかったようだ。楽しんでいるように見えた。
ステファニーは隣を歩くオーウェンを見上げた。
昼間から自分の様子がおかしかったことに気付いていたのだろう。勝手に家を抜け出そうとしたにも関わらず、それを詰ることもなく、希望を汲んで一緒に付いてきてくれた。
野外講堂に人が多いことは分かっていたはずだ。普段だったらきっと避ける状況だろう。
誰か別の人を同行させるという手もあったはずだが、それを妻が望んでいないことを配慮し、自らが付いていく判断をしたのだと思う。ありがたいことだ。
オーウェンの親切とそれを感じさせない気遣いに、ステファニーは何とも言えない愛しさが込み上げてきて、隣を歩くオーウェンの手をぎゅっと握った。
「オーウェン様、大好きですよ!」
「な、なんだ急に。なにを企んでいる」
急に強く手を握りこまれて告白を受けたオーウェンは、うろたえてステファニーを見下ろした。
暗いのでよく分からないが、きっと顔が赤くなっているであろうことをステファニーは知っている。たまに愛情表現をすると、彼はすぐに照れるのだ。
「せっかく妻が愛の告白をしたというのに」
「ステファニーの日頃の行いが良くないんだぞ」
あはははとステファニーが笑うと、オーウェンもつられて笑った。
「楽しかったな」
「はい。ついてきてくださってありがとうございました」
「新曲を弾けるようになったら聴かせてくれ」
ステファニーは笑って頷き、オーウェンの腕に自分の腕を絡めた。
《 おしまい 》




