おまじない
時間のある時には修道院や養護施設への慰問を続けているステファニーは、今日は施設の子どもたちと公立公園に遊びに来ていた。
オーウェンが乗れなかった、ボートで遊べる池のある公園だ。
今日は小さい子どももいるので池には近付かず、少し小高い丘になっている広場で遊ぶことにした。
天気が良く、風が穏やかで気持ちがいい。ステファニーたち大人は芝生に敷物を広げ、そこにまだよちよち歩きの幼児たちを座らせた。
幼児たちを数人の大人が日向ぼっこさせている間に、元気な子どもたちと一緒に雑木林の方に散策に行くことにする。ステファニーもそちらに付いていった。
「あっ、虫の抜け殻だ」
「あら、本当だわ」
子どもたちが木の幹から、親指ほどの大きさの虫の抜け殻を取っている。ステファニーもそれをつまんで眺めた。
修道院にいたころも、こうして子どもたちと公園や森林に行き、草花を調べたり、同じように虫の抜け殻を集めたりした。
抜け殻を大事そうに集める子どもたちを見て、興味を持つものは皆同じなんだなと微笑ましく思う。ステファニーも抜け殻を一つだけポケットにそっと入れた。
少し開けた場所に出ると黄色い花が一面に咲いており、それを見た少女たちが歓声を上げた。
「ココイスの花だわ!」
「こら、取りすぎてはだめですよ」
黄色い花に走って近付く子どもたちを、職員の一人がたしなめる。皆、控えめながらも嬉しそうに花弁を取り、そっと手の中にしまっていく。
なにか理由があるのかと思い、ステファニーは職員に訊ねた。
「特別な花なのですか?」
「ああ、王都の方には咲いていないかもしれないのですが、これはココイスという花でして」
「花びらを枕元に置いておくと願い事が叶うんだよ!」
花を取っていた子どもが代わりに答えてくれる。
確かに、ステファニーは見たことのない花だった。
「へえ……」
「奥様もやってみたら? はい、どうぞ」
黄色く美しい花びらを渡され、ステファニーはそれを撫でた。すべすべとして気持ちが良い。
願い事が叶うというが、なにか願い事があるだろうかと考える。今の生活は自由で、満たされていて、恵まれている。特に不満はない。
オーウェンはどうだろう。
技術者になりたかったと言っていた。もう領主になってしまったので、それを今から叶えるのは難しいかもしれないが。そうだ、なにか新しい事業がないかをいつも気にしている。
自分よりはオーウェンの方が願い事がありそうだ。
ステファニーはさらに黄色い花弁を数枚取り、大切にハンカチに包んだ。
♢
仕事を終えたオーウェンは湯を浴びて寝衣姿で寝室へ入った。ステファニーはまだいない。部屋でなにかしているのだろうか。
寝台に入り体を横たえると、頭の下でくしゃ、と枯れ葉を踏んだような音がした。
「…………?」
なにかと思い、枕を上げて下を見ると、手のひらに乗るくらいの小さな袋が置かれていた。可愛らしい黄色い袋で、一辺が水色のリボンで結ばれている。
匂い袋のようにも見えるが、なんだろう。
オーウェンはリボンを解いて中身を見た。
そして、悲鳴を上げた。
「――うわあっ!!」
驚きのあまり、袋を放り投げてしまった。中身は散らばらず、袋のまま布団の上にぽとりと落ちる。
――虫が入っていたような気がする。
オーウェンは親指と人差し指で恐る恐る袋をつまむと、体から離した状態でゆっくり中を覗き見た。
動いてはいないようだったので少し近付けると、中に入っていたのは虫の抜け殻だった。
虫の抜け殻が、黄色い花びら数枚と一緒に入っているのだ。
実物の虫でなくてほっとした。
頭を下ろした時に枯れ葉を踏んだような音がしたのはこのためだろう。抜け殻がくしゃりと潰れている。
一体これはなんなのだ。
まるで呪いの儀式のようだが、虫の抜け殻を黄色い花びらで弔っているようにも見える。しかし、悼むのであれば、虫本体であるべきではないのだろうか。いや、本体が入っていたらもっとホラーなのだけれども。
そしてなぜこれが枕の下に置かれているのだろう。誰か、従業員からの嫌がらせだろうか。そんなに嫌われるようなことをしただろうか。
まだ動悸の治まらぬオーウェンが困惑しながら袋を覗いていると、ステファニーが寝室に入ってきた。
「あら、開けてしまわれたのですか?」
「ステファニーの仕業か!!」
明るい表情のステファニーにオーウェンは脱力した。とりあえず嫌がらせではなさそうだ。
「おまじないを教えてもらったんですよ。この黄色い花びらを枕元に置いておくと願い事が叶うそうです」
「明らかに余計なものが混ざっているが」
「抜け殻ですか? 公園で取ったので一緒にと思って」
「心臓が止まるかと」
ステファニーはけらけらと笑うと、オーウェンから袋を受け取ってそのままリボンを結んだ。虫の抜け殻は入ったままだ。
「男の子は抜け殻が好きだと思ったんですけどね。オーウェン様はなにか願い事は?」
男の子という言葉に反論しようとしたが、ステファニーが自分の願い事が叶いますようにと思ってくれたという嬉しさに負けた。
なにか願い事があっただろうかと考えこむ。
「新しい事業をお考えだったり、ほら以前、技術者になりたいと仰っていたことも」
「そうだな……」
領主ではなく技術者になりたかったが、もう過去のことだ。領主の仕事は大変だが、嫌ではない。
新しい事業は仕事の話で、願い事というには現実的すぎる。
いまは元気だし、眠れているし、周りには恵まれているし、取り立てて不満がないように思うが――
「――あ、」
「なんですか?」
「……なんでもない」
「えっ? 言えないような願い事が? なんですか?」
ステファニーに口を開くよう詰め寄られ、オーウェンは目を逸らして小さな声で願い事を口にした。
「……新しい家族が、欲しい」
ステファニーがきょとんと目を丸くしたので、慌てて取り繕う。
「いや、叶わない場合もあるし、それならそれで今も楽しいから全く構わないんだ。少しの願望なだけで」
「ああ、なるほど」
意味を理解したステファニーはにっこりと微笑んでオーウェンに身を寄せると、その首の後ろに両手を回した。
「それは重要な願い事ですね。まさしく、神頼みの案件です」
急に抱きつかれる形になったオーウェンはどきりとして固まった。
それからステファニーの背に手を回して引き寄せると、あとはもうなにも考えられなくなる。
だが夢中になる直前、痺れる頭の隅でおまじないのことを思い出した。
手探りで黄色い袋を探したオーウェンは、それを枕の下に突っ込んだ。
《 おしまい 》




