15、お迎え
二人を乗せた王家の馬車は、ごとごととゆっくり進んでいた。馬車に乗り込んでから、ステファニーは一言も発していない。
もちろん、天井のない特注馬車ではない。密室で二人きり。
重い空気に耐えかねたスコットは、おずおずと口を開いた。
「……今回の件、お怒りですか?」
「どの件ですか」
ステファニーはスコットをじろりと睨みつけた。お怒りかと問われれば怒っているし、この男の何もかもが気に入らない。
「修道女であったことをバラしてしまった件です」
「……あれはわざとですね?」
スコットは悪戯が見つかった子どものように笑った。
「すみません。修道女だったと言ったら、伯爵はこの褒賞のやり直しをすんなり了承されると思ったのです」
「……何がしたいのですか」
「どうしてもあなたを妻にしたくて。幼いころからの初恋なのです」
もじもじと告白してくるスコットに嫌気が差し、ステファニーは小さく舌打ちして視線を逸らした。舌打ちは馬車の音に紛れた。
「褒賞のやり直しというのは、本当に新しい陛下がお考えになったことなのですか」
「そうですよ。陛下は領地の拡大を提案されました。ただ私からは、伯爵と姫さまの婚姻が強引になされ、ご両者とも乗り気でなかったことをお伝えしたのです。そうしたら降嫁の取り消しの検討も項目に加えられました」
乗り気でなかったのは当然だろう。何もかも勝手に進められたのだから。穏やかに修道院で暮らしていたところを攫うように連れて行かれて。
しかし、それでも受け入れて、オーウェンとお互い良い関係を築いてきたのに。
しかも現状を確認もせず、降嫁が取り消しになるよう勧めるなど、この男の私的な感情の入ったエゴである。
「余計なお世話です」
「新しい国王になって王都は大きく変わりました。私の屋敷もきっと気に入って頂けるはずです」
話の通じぬスコットに、ステファニーはうんざりしてアンナから渡された軽食を食べ始めた。スコットからねだられたが、絶対に分けてやるものかと思い、拒否した。
食べ終わった後は無視して目をつむった。
王都までは長旅だ。体力を温存しておかないといけない。
♦︎
王都までは伯爵領から一週間かかる。
道中、ほとんどステファニーは口を開かず、スコットが一人で喋っていた。今回はそれなりの旅賃を準備してくれたようで、修道院から向かった時と比べると豪華な食事をとることができた。
しかし何を食べても美味しくない。
同乗しているスコットは、紳士的な態度ではある。背も高く、顔の整った騎士だ。
初めて会ったときは男性の美醜に疎くてよく分からなかったが、還俗した現在のステファニーが見ても、確かに美しい男性だと思う。
だが、どうしても好きになれないし気持ちが悪い。侯爵家の夜会で会った、あの役者の男と同じ雰囲気がするのだ。軽薄で胡散臭い。
こんな男に嫁ぐなんてまっぴらごめんだ。
馬車に揺られながら、ステファニーはぼんやりと、伯爵領の皆のことを考えていた。
慰問した修道院で依頼されたこともそのままにしてきてしまったし、鶏を問題なく誰か世話してくれるだろうか心配だ。
なにより、オーウェンはどう思っているだろうか。寝る前におしゃべりしないとすんなり寝付けないのに、ちゃんと眠れているだろうか――。
♦
伯爵領を出て四日が経ち、馬車はある大きな街に差し掛かった。スコットが馬車から外を見やる。
「もうすぐこのあたりの中心部の街に着きます。姫さまのいらした修道院が近いですね」
ステファニーは修道院にいた頃、この街に来たことがあった。皆で作った刺繍を売りに来たり、大きな買い物をするときにはこの街まで出てくる必要があったのだ。
懐かしい景色を眺めながら、呟く。
「……スコット様は修道女が妻になることについて嫌ではないのですか」
久々に口を開いたステファニーに、スコットは身を乗り出して嬉々として話し始めた。
「普通はね、嫌だと思いますよ。修道女なんて日陰者ですし、あそこは監獄みたいなものだから。伯爵も真実を知って嫌だと感じたと思います。でも私はね、姫さまが好きですから。修道女だったとしても気にしません。大丈夫ですよ」
そう言って、懐の深さを見せつけるように仰々しく頷く。
「……本当にそうお思いなのですか」
「え?」
ステファニーは、スコットを強く睨みつけた。
「修道院は監獄ではないし、私たちは日陰者ではありません。それにオーウェン様は私が修道女であったことを知っても、軽蔑したりはなさらないはずです」
それまでだんまりだったのに急に怒り出したステファニーを、彼はぽかんと見つめた。
「いいことを教えてあげます。前国王は、私が『さっさとくたばれ』と呪いをかけたから追放になったのですよ。私は修道女ですからね。スコット様も聞いていたでしょう? あの、謁見の間で」
その時のことを思い出したのか、スコットは顔色を変えた。ステファニーはにやりと笑い、スコットを指差す。
「ついでにスコット様のことも呪って差し上げます。あなたはもう絶対に出世できませんし、好きな女を妻にすることはできません。いいですか、絶対にです。私は修道女ですからね」
あたかも修道女が魔女であるかのように告げてしまったが、もうどうでもいい。
出来る限り嫌な印象を植え付けてやりたい。一生、嫌いになって欲しい。
「それが嫌ならこれからは人の気持ちを考えて生きることです。私はあなたの妻にはなりません」
呆然としているスコットを放っておき、馬車の窓を開けてステファニーは大声を出した。
「馬車を止めて!」
驚いた従者は何事かと馬車を止めた。
ステファニーは馬車から降り、荷物鞄をガタガタと下ろす。スコットが慌てた声を出した。
「姫さま、陛下のご意向に反するおつもりですか」
「そんなこと、知ったことではありません。もう関わらないでください。私がどこに行くかは自分で決めます」
ステファニーは従者が止めるのを無視し、その場を去った。
スコットは追いかけてこなかった。
荷物鞄を抱えてよろよろと街に入る。ステファニーは飲み物を購入して公園の一角で休憩した。それから修道院にいた頃にたまに行っていた菓子屋で焼き菓子を購入し、辻馬車を探す。
辻馬車に座ると、ステファニーはようやく一息ついた。
とりあえずスコットの屋敷に連れて行かれるという最悪の状況は回避した。しかしもうバートン伯爵領には帰れない。新国王に従った形にしなければならないからだ。
あとはまた修道院に入れてもらえるといいのだが。
一度還俗した後に再度修道女になるというのが可能かどうかが分からない。無理だったら、少しだけ休ませてもらって、街に働きに出よう。幸い針仕事なら得意だ。
見慣れた街並みに安心したら急に眠くなってしまい、ステファニーはまぶたを閉じた。
♦︎
ステファニーが修道院に着いた頃には、もう辺りは暗くなり始めていた。日が暮れる前に着いて良かったとほっとする。
懐かしい修道院の門を開いて敷地に入る。約半年ぶりだが、ほとんど変わっていない。
だが、敷地内の庭の方が何だか騒がしいことに気付いた。子どもたちの歓声が聞こえる。
久々に子どもたちに会える、と心が浮付いたステファニーは、建物の前に一度荷物を置くと、そのまま庭に回ってみた。
すると子どもたちが誰かを追いかけてはしゃいでいる。
暗くなってきていてよく見えず、目を凝らす。
背の高い、男性のように見える――
「えっ!? オーウェン様!?」
ステファニーが驚愕して固まっていると、走っていた子どもたちがステファニーに気付いた。
「ステファニーだ!」
「本当に帰ってきた!」
子どもたちが一目散に走ってきて抱きついてきたため、ステファニーはそれを受け止めた。よろめきながらも、呆然として彼を見つめる。
「ステファニー! 遅いぞ!」
息を切らしたオーウェンはよろよろと歩いてきた。
「ああ、もう疲れた」
ステファニーの前にしゃがみこんだオーウェンは汗びっしょりだ。その背中に子どもたちが飛び乗り、ぐえっと声が漏れた。
「……なぜここに?」
恐る恐る訊ねたステファニーに、オーウェンはあっさり答える。
「ここに戻ってくるだろうと思って。荷物これだけ? 中に入ろう」
オーウェンは荷物鞄を持ち上げると、子どもたちを引き連れて建物の中に入っていく。
ステファニーもそれに続くと、中から院長や同僚の修道女が出てきて一斉に抱きしめられた。
「ステファニーおかえり!」
「……ただいま」
そうだ、と思い出して街で買った焼き菓子を渡す。すぐにきゃあきゃあと取り合いが始まった。懐かしい、いつもの風景だ。
オーウェンは応接室に入ったため、それに続いてステファニーも入った。
「男子禁制でこの応接室より奥は入っちゃダメって言われたからさ、昨日から近くに宿とって来てたんだよ」
すると同僚の修道女が「お茶よー」と入ってきて、二人分のお茶を置いて出て行った。応接室には二人だけになった。
なぜこんなに自然なのだろう。皆、ステファニーが帰ってくることをあらかじめ知っていたようだ。
「……なぜここにいるのですか? 私が来るのがなぜわかったのですか。この場所はどうやって? なぜ私より早く着いているのですか?」
「ステファニーは混乱すると質問攻めにするよな」
動揺しているステファニーを見て、オーウェンはくすくすと笑った。
「ステファニーは絶対にあの騎士のところには行かないだろうなと思って」
「……それは」
「侯爵家の夜会で役者に声をかけられてたろ、あの時の役者に対する目と同じ目で騎士を見ていた」
スコットに対しての嫌悪が顔に出ていただろうか。オーウェンは暑い暑いと言いながら汗を拭き、お茶を飲んでいる。なぜこんなに平然としているのだ。
「……オーウェン様はこの修道院のことはご存知なかったはずです」
「騎士のところに行かないなら、必ず元の修道院に戻るだろうなと思ったんだ。それで修道院を探した」
「なぜここだと?」
「前に、魚捕るのが好きだって言ってたろ。亀を捕ることも出来ていた。それから子どもたちにギターを弾いていたり、刺繍を教えたりしていた」
ステファニーは頷いた。確かにそんな話をした気もする。
「だから河川の近くで保護施設としての役割も持つ女子修道院だ。それでステファニーが出発するより先に屋敷を出て、条件に合致する修道院を探したんだ。条件に合うところがそんなになくて、ここで聞いたらステファニーは少し前までいたって言うから、待ってた」
よくそんなこと覚えていたな、と感心するとともに、なかなか執念深いオーウェンの一面を見た。
「……それで、私が出発するときにはいらっしゃらなかったんですね」
「先回りしないと捕まえられないと思って。良かった」
話を終え、大きく息をついてうつむく。オーウェンは迎えに来てくれたと考えていいのだろうか。ステファニーは困惑していた。
オーウェンのためを思って、騎士に従うことにした。でも騎士のところには行きたくなくて、逃げ出したのだ。バートン家には帰れないと思っていた。でも、オーウェンが望んでくれるというのなら?
「ステファニー」
少しだけ顔を上げる。視線が絡み合う。
結婚式の時に気付いた、深い緑色の瞳だ。
「ステファニーがおしゃべりしてくれないと夜寝られないし、狭いところも怖いし、歌ってくれないと雷も怖くて困る。なにより一緒にいて欲しいから、うちに帰ってきてくれ」
ステファニーは視線を離して、またうつむいた。
「……でも、陛下のご意向に背くかたちになりますよ。領地の拡大は反故になるかも」
「もう今の仕事で手一杯だからいいよ。必要ない」
「私は修道女だったんですよ。いいんですか」
「元修道女を妻にしてはいけないって誰が決めたんだ? 妻が元修道女でも、別に問題ない」
その言葉に、顔を上げた。自分がずっと言ってきたことを、いま、オーウェンはなぞったのだ。
ステファニーはじわりと胸が熱くなった。
「というか、変なお姫様が来たなあと思ってたから、元修道女だと知って納得した」
やっぱり、オーウェンは修道女であったことを知っても嫌だと思わないでくれた。自分自身の判断で、妻にと望んでくれている。
ステファニーも自分の心に従うことにした。ゆっくりと、口を開く。
「……私も一緒にいたいです。帰りたいです」
「良かった」
オーウェンはほっとした様子で微笑むと、ステファニーの手をぎゅっと握った。