14、露呈
鶏小屋や侯爵家の夜会の一件以来、ステファニーはオーウェンのことを異性として意識しつつも、心地よく穏やかな関係に安心していた。
この結婚話を修道院で受けた際、結婚相手と良好な関係を築けるといいなとは思っていたが、今のように満ち足りた気持ちになれるとまでは考えていなかった。
強制的に結婚させられた相手なのに非常に運がよかったと、ステファニーはその点だけは王都の父王と王妃に感謝している。
一方、その王都では大きな変化が生じていた。
王宮における国王夫妻や周辺貴族らのそれまでの数々の不正を弾劾すべく、王弟が決起したのである。
国の財政難の原因は主に国王夫妻の浪費が原因だと思われていた。しかしそれだけではなく、国王周辺の貴族による税金の私的流用や贈収賄など、複数の財務不正が行われていたらしい。
王弟および反体制派の貴族は不正の証拠を集め、それらを一気に明るみにした。
結果、王都は大騒ぎになっていた。
バートン伯爵領は王都から距離もあり、王都周辺の情報には明るくない。
王都で起きたことを領民たちはどこか別の国で起きた出来事のように捉えており、基本的にはあまり変わりなく生活している。
ステファニーはというと、最後に父王に会ったときの『さっさとくたばれ』が効いたな、というあっさりとした感想だった。
父王たちの浪費問題はずっと挙がっていたし、国民の不満は溜まっていた。一応は自分の父だが、ずっと離れて暮らしていたし、特段、ステファニーに王家の一員としての罪悪感はない。
だが、オーウェンは彼女を気遣った。
「陛下が心配なようだったら王都に行くか?」
ステファニーは首を横に振った。
「不正は弾劾されるべきですし、私はもう嫁いだ身ですから」
しばらくして国王は退位し、王弟が次期国王になることになった。
不正を行った貴族らは捕縛され、裁判を待つ。国王や王妃らはそれらの責任を取って退位し、王家の所有する離宮へ隠居するということになった。実質的には追放だ。
武力行使ではなく、国民の声に押されて父王自らが退位を選んだという体にはなっていたが、実際のところは分からない。
「国王が変わると、伯爵領ではなにか変わることがあるのですか?」
父王が糾弾される新聞記事を読みながらステファニーが問うと、オーウェンもよく分からないようで首を捻った。
「私も初めてのことだからよく分からないけど……、新しい国王が改革派だから税率は下がるかもな」
「そのうち王都に行く必要もあるのですか?」
「即位式には行かなきゃならないかもしれない」
そう予想していたオーウェンだが、新しい国王はあっさりと即位式を終えてしまった。遠くから貴族を集めるのはこの財政難の状況では困難だという、非常に合理的な理由であった。
かくしてステファニーの父王は退位し、新しい国王が即位したが、オーウェンとステファニーの生活に大きな変化はなかった。
♦︎
国王の交代があってしばらくしてから、ステファニーは孤児院に慰問に行っていた。
一緒に畑仕事をし、勉強を教え、食事をともにする。大人の手はいくらあっても足りない。また時間が出来たらオーウェンにも同行してもらおうとステファニーは考えていた。
数時間滞在してから馬車で帰ってくると、家の入口にダンが立っていた。珍しくそわそわした様子で、帰ってきた馬車を見つけると寄ってきた。
「ステファニー様、」
「なにか急ぎの用事ですか?」
「王都から使者だという騎士がお見えで、オーウェン様とステファニー様が揃うのをお待ちになっています」
「なんですって」
嫌な予感がする。
基本的に、自分にやってくる来客なんてほぼない。あったとしても先触れがあるし、個人的に付き合いのある人物は限られている。
ステファニーはひらりと馬車から降り、早足で応接室を目指した。
「失礼します」
返事を待ってから応接室に入ると、オーウェンが男と向かい合って座っていた。
見覚えのある騎士服。男はステファニーを見つけると顔を輝かせ、立ち上がった。
「姫さま」
その男を見た瞬間、ステファニーは血の気が引いた。
修道院に迎えにきた、あの愚鈍な騎士だったからだ。しかし名前を全く思い出せない。
「騎士さま、お待たせして申し訳ございません。出かけておりました」
「……スコットです。姫さま」
そうだ、スコットといった。ステファニーは弱々しく頷き、オーウェンの隣の席に腰掛けた。
心臓がどきどきしている。この男は自分が修道院にいたことを知っているのだ。まさか、すでにオーウェンに明かしてしまっただろうかと隣のオーウェンをちらりと見るが、彼はいつも通りに見えた。
ステファニーの不安に気付かず、スコットは瞳をキラキラさせながら彼女を見つめ、口を開いた。
「姫さま、突然の来訪申し訳ございません。あの頃は前国王の側に仕えていたのですが、実はいまの陛下に協力して不正を集めていました。近々、その功績で私に爵位を授けられる予定です」
「はあ……」
スコットが突然自分の話を始め、ステファニーは意味が分からず心がざわついた。『あの頃』という過去に何かがあったことを匂わす言葉に、気分が悪くなる。
微笑む表情は相変わらず美麗だが、それが道化師の仮面を被っているように無機質に見えて、ステファニーは視線から逃げるようにうつむいた。
「姫さまはお変わりありませんか? 今日は孤児院に慰問に行かれていたそうですね?」
「え、ええ……」
帰ってくるまでの間にオーウェンが話したらしい。ステファニーが顔を上げると、にっこり笑ったスコットと目が合った。
そして、彼は言った。
「やはり元修道女だと、勝手も分かって互いにやりやすいでしょうね」
「…………っ!」
絶対に、わざとだ。
言葉を失い、強く睨みつける。しかしスコットはその視線を躱し、反応を窺うようにオーウェンに顔を向けた。
「……修道女?」
「あれ、伯爵はご存知なかったですか? 姫さまは修道女で、結婚に際して還俗されたのですよ」
「…………え?」
オーウェンの疑問の声を聞いて、ステファニーは唇を噛んだ。
知られてしまった。
とてもではないが、いまオーウェンを直視できない。どんな表情をしているのか見たくない。
一方、朗らかに秘密を漏らしたスコットに対し、怒りがこみ上げてくる。父王への謁見の際、修道女であったことが露呈しないよう念押しされていたのを、この男も聞いていたはずなのに。
この男、何をしに来たのだ。
「……スコット様、今日は何の御用でしょう」
自分でもびっくりするほど低い声が出た。しかしスコットはステファニーの機微には気付かないのか、明るい声で話す。
「ああ、今日は伯爵への褒賞のやり直しを、陛下から仰せつかってきました」
そう言って懐から手紙を取り出す。
「こちら、陛下からです。前国王の時には財政難でまともに褒賞を行えず、伯爵のご意向を考慮せずに強引に降嫁となってしまいました。陛下は、それはモラルに欠けると仰っています。どうぞ」
促され、オーウェンは手紙を広げてざっと読んだ。ステファニーは浅い呼吸を繰り返しながら、じっと待っていた。
少しして、オーウェンがかさりと音を立てて手紙を折り畳む。
「……勅命ではないな」
「ええ。褒賞のやり直しの『ご相談』ですね。具体的にはバートン伯爵領の領地の拡大です。それから降嫁の取り消し」
「それは、ステファニーと離縁せよということか?」
オーウェンが硬い声で問う。スコットは頷いた。
「まだご結婚されて半年ちょっとですよね。姫さまは元修道女ですし、伯爵はご自身の望む女性を娶られたらどうか、と。降嫁の取り消しであれば、婚姻歴はつかぬよう調整できます」
「ステファニーはどうなる?」
「姫さまは還俗してしまっているので、私の屋敷にお越し頂ければと」
黙ったまま聞いていたステファニーは、その内容に頭がぐらぐらした。
褒賞のやり直し。それはバートン伯爵家に対する厚意の印であろう。バートン伯爵家は国庫に非常に貢献している。財政難で褒賞が十分ではなかったことへの詫びと、きっと今後の期待も込めたものだ。
だが、振り回されるこちらの身にもなってほしい。国王は良かれと思って降嫁の取り消しを指示したのかもしれないが、余計なお世話である。それに、こんな男に嫁ぐなんて絶対嫌だ。
一方で、これも断れない話なのかもしれないとステファニーは思った。
新国王からの直々の話である。断ってしまうとオーウェンの立場が危なくなるのではないか。ただでさえオーウェンはまだ若く、今後もある。新国王の為人がよく分からない現状で、無理に逆らわない方が良いのでは。
優しい彼はひょっとすると離縁しないと言い出すかもしれない。しかし、自分のせいで伯爵家の立場が揺らぐのは絶対に避けたい。
それに、実際にはきちんと育てられた姫ではなく、修道女であったことを隠し、周りの皆を騙していたのだ。罪悪感が募った。
「私は……」
「かしこまりました」
オーウェンを遮って、ステファニーは了承の意を伝えた。
「ステファニー、私は」
「オーウェン様にとっても不本意な結婚だったはずです。陛下のご厚意に感謝します」
その返事を聞いたスコットは、ぱっと明るい表情で微笑んだ。
「よかったです。すみませんが仕事が山積みなのと往復に時間がかかるもので、数時間後には出発できるようお願いします。お荷物は後から」
それからスコットはオーウェンに顔を向けた。
「伯爵、陛下は伯爵領の鉱山事業に非常に感謝しています。引き続き王家をよく支えてほしいと仰っています。よろしくお願いします」
鉱山由来の税収を指していることが明らかな口ぶりだ。スコットはそれだけ言うと、予定の時間まで街を散策してくる、と言って部屋を出て行った。
部屋にはオーウェンとステファニーの二人だけが残された。
時計の針の音だけが響く。
無言の重苦しい空気に耐えきれず、ステファニーは口を開いた。
「……騙していて申し訳ございません」
修道女だったことがバレても別に良いと思っていたステファニーだが、実際に直面すると頭が真っ白になった。全然、現実を想像できていなかった。
この優しくて優秀な人が自分に好意を抱いてくれたのに、自分は騙していた。
父王から修道女だったことを漏らすなと言われていたとはいえ、自分から早い段階で正直に話すべきだったのだ。
周りの皆もとても良くしてくれたのに、こんな結果になるなんて、最低だ。
「ステファニー」
「お気付きかと思いますが、病気療養は嘘です。前国王の娘であることは確かですが、幼い頃からずっと修道院で暮らしていました」
「ステファニー、これは勅命ではない。断れる」
やはり彼は断ろうとしてくれている。そのことをステファニーは嬉しく感じた。
「新しい陛下がどのような方かまだよく分かりません。これを断ることでお立場が悪くなる可能性があります。それは私には耐えられません」
オーウェンの顔を直視できない。
「大変お世話になりました」
最後にオーウェンに深々と頭を下げて、ステファニーは逃げるように応接室を出た。
♦︎
急いで部屋に戻ったステファニーは、ここに来た時と同じ衣装鞄を引っ張り出し、ここに来た時に持ってきた服を詰め込んだ。伯爵領に来てから新たに準備してもらったものは持っていくわけにはいかない。
出来るだけ何も考えないようにして黙々と荷物を詰める。
途中で部屋に入ってきたアンナは、荷造りをしているステファニーをみてぎょっとした。
「どうなさったのですか、急にご旅行でも?」
「……先ほど王都からお客様がいらして、ちょっと急に王都に行かなければいけなくなったの。悪いのだけれど、後の仕事はよろしくね」
「まあ、急ですね。オーウェン様もですか?」
本当のことを言わなくても、後でオーウェンが説明してくれるだろう。
伯爵夫人としての仕事は義祖母もいるから問題ないだろうし、それに、すぐに新しい伯爵夫人が来る可能性もある。
「いいえ、私一人よ」
「それは大変ですね、長旅ですから。いつご出発ですか?」
数時間後と聞いたアンナは驚いて、軽食を作ってもらってくると料理人の元へ向かった。
ステファニーは引き続き荷造りをしていたが、ふと、鉱山でオーウェンに贈ってもらった耳飾りを手にした。申し訳ないけれど、これだけはもらっていこう。ステファニーは耳飾りを大事にくるんでそっと荷物にしまった。
出発の時間になって玄関に降りると、アンナが大きな籠を渡してくれた。オーウェンはいない。
「軽食です。道中で召し上がってくださいね。それから、王都に行かれるのであればなにかお土産をお願いします」
朗らかに笑うアンナに対し、ステファニーは礼を言って曖昧に笑った。
「ステファニー様……」
ダンが心配そうに声をかける。
オーウェンがダンには何でも話しているのを知っている。ひょっとすると今回のことももう話しているのかもしれない。
ステファニーはダンに近付き、小さな声で告げた。
「大変お世話になりました。なにもかもそのままにしてしまって申し訳ありませんが、後をよろしくお願いします」
オーウェンはいないので最後の挨拶は出来ないが、その方が良いだろう。
ステファニーはスコットに促されて王家の紋章の施された馬車に乗り込んだ。




