12、気持ち
ある日、ステファニーは、公立公園の池が整備されたので散歩がてら見に行こうとオーウェンに誘われた。仕事ではなく、私的な外出だ。
天気もよかったので馬車ではなく、二人は歩いて行くことにした。
領主であるオーウェンだが、わりと自由に出歩いている。鉱山の記念式典前にも二人だけでぶらぶらした。
普通、領主には従者や、場合によっては騎士が付き添うだろうが、オーウェンはふらふらと一人で出かけることも多い。
一人で大丈夫なのかステファニーが一度訊いてみたら、オーウェンはきょとんと目を丸くした。
自由に生きてきた次男坊は、仕事ならともかく、私的な用事に誰かがついてくるという発想がなかったようだ。
自分はあまり顔を知られていないし、知られていたとしても皆、親切だから大丈夫だとオーウェンは言った。ステファニーはアンナと二人で行動することが多いが、確かに女二人で歩いていても怖い目に遭ったことはない。ここは安全な街だ。
公立公園までの道をのんびりと二人で並んで歩く。周囲は人が行き交っているが、誰も自分たちに気付かない。
街路樹の葉が風になびいて音を立て、時折、乾いた葉が落ちてくる。それを踏みながら歩いていると、オーウェンが自分に速度に合わせて歩いてくれていることに気付いた。
ステファニーは、ふと隣のオーウェンを見上げた。
初めに会った時は、顔色が悪く、全体にやつれていて、怠そうで具合が悪いであろうことが明確だった。
今は、背筋も伸び、顔色も戻って年相応に健康そうだ。視線が上がり、結婚式の時に気付いた濃い緑色の瞳と合うことも増えた。
修道院にいた頃よりは美醜の判断が出来ていると思うが、その上で見てもオーウェンは整った、すっきりした顔をしているのではないかと思う。
自分よりずいぶん背が高いし、がっしりした体つきをしている。性格は責任感が強く、真面目だ。むしろ生真面目すぎるだろう。
こんな人が自分に好意を向けているなんて有り得ないようにも思えるが、本当のところはどうなのか気になる。すごく、気になる。
以前オーウェンから、自分をどんな人間と思うかを問われて、ひよこだろうかと返事したことがある。今はどうだろう――?
「なに、なんかついているか?」
ステファニーがぼんやり歩きながらオーウェンを見つめていると、それに気付いたオーウェンが視線を向けた。
目が合った瞬間、ステファニーは自分でも驚くほど心臓が跳ねて、ぱっと目を逸らした。
「すみません、なんでもありません」
上手く取り繕えていないのは分かっているが、それ以上なにも言えずにステファニーは下を向いた。
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公立公園は古くからある公園だが、一番奥にある広い池は長い間整備されず、最低限の安全対策しか出来ずにいたので役人たちも気にしていた。それを鉱山の収益で財源ができたため整備することにしたのだ。
広大な池のあちこちには水鳥が羽を休めることのできる岩場が設置され、奥まった場所では魚たちが姿を隠すことが出来るよう、水草が整えられている。池の浄化も行われたので水質はよく、小魚が泳いでいるのが見えた。
「綺麗ですね」
「そうだな、見違えるようだ。整備できて良かった」
立ち入りできるエリアでは、男性たちが魚捕りに興じていたり、家族連れが足を水に浸して歓声を上げたりしている。何艇かのボートも出ており、男女が楽しそうに漕いでいた。
「ボートが出てますが、乗りますか?」
ステファニーがボート乗り場を指差すと、オーウェンは池を見つめて考え始めた。
彼にはこういったことが多い。実際にその場に立った時のことを正確に想像し、大丈夫かどうか、周りに迷惑をかけないかどうかを考えているのだ。今も、ボートで池に出た時のことを想像しているのだろう。
しばし考えたオーウェンは、渋い顔で口を開いた。
「……やめておく」
「分かりました」
彼の想像の中では、水に囲まれた場合には苦しくなってダメだったようだ。
本当は領主としてボートに乗るべきだと考えているはずである。でも、そのように無理な時には無理と判断できるのは良いことだとステファニーは思う。
一方で、思い切ってやってみて、ダメならダメでなんとかなるし、自分がなんとかするのにな、とも思う。まあ慎重なところはオーウェンの美点だろう。
二人は池から離れて、大きな芝生広場に敷物を広げた。並んで座り、ステファニーは水筒からお茶を器に注いでオーウェンに渡した。
「風が気持ちいいな」
芝生広場では子どもたちが遊んだり、カップルが同じように日向ぼっこをしたりしている。
「オーウェン様には過去にこういったところで一緒に日向ぼっこをする女性はいらっしゃらなかったのですか?」
質問を聞いたオーウェンは自嘲気味に笑って答えた。
「いるもんか。ずっと異性のいない環境で過ごしたんだ。ステファニーだってそうだろう。療養していたんだから」
「もちろんそうですよ」
そう答えたステファニーだが、半分本当で、半分嘘だ。
年の近い異性の知り合いはいなかったが、修道院の子どもたちを連れて公園に遊びに行くくらいのことはしていたのだから。
「まあいいよ。いまステファニーと一緒だし」
いまの言葉の真意を探ろうと、ステファニーはオーウェンの顔を覗き込んだ。すると、オーウェンは少しだけ照れたような表情で横を向く。
これは『好意』と受け取っていいのだろうかと考えたが、よく分からない。
「オーウェン様が私のことを女性として見てくださっていることが分かって安心しました」
ステファニーがからかうように言うと、オーウェンは眉を寄せた。
「なに言ってるんだ。少なくとも私は、ステファニーのことをぼさぼさのひよこだとは思っていないぞ」
「それなんですけど、今だったらひよこじゃなくて何かなあと考えているんです」
「なんだ」
前のめりになったオーウェンに、ステファニーはどきりとして思わず身を引いた。
「うーん……、鹿ですかね」
注意深く穏やかで立派な角を持つそれを頭の中で思い浮かべたステファニーだが、オーウェンは遠い目をして空を見つめた。想像しているようだ。
「オーウェン様は慎重ですからね」
「……鹿……」
そう呟いて考え込んでしまう。気に食わなかったのだろうか。ステファニーは彼を見つめた。
「……ひよこよりはましだろうか……」
うん、うんとオーウェンは自分を納得させたようだった。
二人はしばらく談笑してから、屋敷に帰った。
♦︎
追悼式からしばらく経って、義兄の婚約者だったというキャシーがオーウェンを訪ねてきた。ステファニーは同席する必要がないというので、庭の畑で作業をしていた。
ここに来た当初は周りから渋られていた畑仕事も、もう咎められることはない。むしろ、通いで来てくれている庭師がアドバイスをくれたり、収穫した野菜を料理人が喜んで調理してくれたりと、それなりに受け入れられている。
土を準備していたステファニーが休憩しようかと「よいしょ」と立ち上がると、屋敷からオーウェンとキャシーの二人が出てくるのが見えた。話を終えたらしい。
キャシーはすらりとした色白の美しい女性だ。追悼式では黒いベールでよく分からなかったが、いまは太陽に照らされて輝くような金髪をなびかせている。
二人は何を話しているのか、穏やかに笑いながら庭に出てきた。
ステファニーは自分の服を慌てて見下ろした。庭仕事用の簡易なドレス姿。とても人前に出られる格好ではない。見つからないように木の後ろに隠れた。密会を覗き見するように、木の陰からそっと見やる。
金髪の美しい令嬢と、若き伯爵。花々に囲まれた二人は、絵になるような美しさだ。
――なんだかもやもやする。
ステファニーは先日から名前のつけられないもやもやした気持ちを抱えていたが、表面上は変わりないように振る舞っていた。
しかしいま感じているもやもやは、これまでとは種類の違うものだ。ステファニーはこれが間違いなく嫉妬であろうことが分かった。
それと同時に、オーウェンが自分に好意を持っているのではないかというのは、自分の自意識過剰か勘違いかも、と愕然とした。
なぜなら、オーウェンはキャシーをとても優しい目で見つめ、穏やかに微笑んでいるからだ。
自分は、愛玩動物を愛でるようなあんな優しい視線を向けられたことがあるだろうか。
いや、ない気がする。
彼から向けられる視線の多くは、困惑か呆れ、はたまた驚きのどれかである。
「なあんだ……」
別に、好かれているわけではなかった。
自分の自意識過剰でこんなにもやもやしてたのかと思うと、どっと疲れが出てステファニーは脱力した。
オーウェンから好意を持たれているわけじゃないのだと思うと、なんだかとても悲しいというか、残念な気持ちになった。
彼が思わせぶりな態度をとったせいだ。腹が立つ。
ステファニーは花をつついている二人を見やった。本当にお似合いの二人だ。オーウェンはキャシーを好きなのだろうか。
兄の婚約者だったとしても、もともと家族ぐるみの付き合いがあったと聞いている。接点が多かったはずだ。
そこまで考えて、ステファニーははっと気付いた。
この状況は本で読んだことがあるので知っている。想い合う二人の間には障害があり、そのことは二人の愛を燃え上がらせるのだ。今回の場合、その障害は自分だ。
そんな邪魔者を演じるのは本望ではない。オーウェンがキャシーを好きなら、三年を待たずに離縁するべきである。
「離縁……」
でももし本当に離縁するということになったら結構ショックかも。
ステファニーは木にもたれたまま、大きくため息をついた。




