寝る間が極楽、だが寝れない

本編

10、好きなもの

　鉱山の運営状況の報告に、元同僚のシンが屋敷を訪れた。会うのは記念式典以来。

　元同僚たちと泥酔したのが最後だったので、オーウェンは若干恥じながらもシンを出迎えた。

「あのときは泥酔してしまって悪かった」

「いや、楽しかった」

「うん、誘ってくれてありがとう」

　記念式典の反応は上々だったようだ。安定した運営と、事故を経験した上での保安上の対策などが評価され、出席した関係者や事業者らから新たな仕事の話も挙がっているという。「いつか鉱山内部も見に行きたい」とオーウェンがぼやくと、シンは「無理すんな」と肩を叩いた。

　しばらく仕事の話をしてから一息つくと、シンはステファニーのことを訊ねてきた。

「今日はお姫さまは？」

「さあ……、家の仕事をしてるかな。分からない」

　今朝、どこかに外出するとは言っていなかったので、家のどこかにいるだろう。

　ステファニーのことを思い出したオーウェンは、なんだか急に最近の自分の気持ちをシンに相談したくなってきた。もう自分一人で悶々と悩むのが面倒になってきたのだ。

「シンはさ、独身だろ」

「ああ、悲しいことに」

「その……、将来的に別れなければいけない相手に惹かれてしまった場合、どう気持ちに折り合いをつければいい？」

「はあ？」

　シンは意味が分からない、というように眉を寄せた。

「なんだそれ、とんち？」

「いや……」

　訝しむシンに、オーウェンは歯切れ悪くも事情を説明した。

「ステファニーは鉱山の褒賞でうちに来たし……、色々面倒かけたから、将来王宮に帰してやりたいんだけど、ただなんというか最近、ステファニーが気になって仕方ないんだ」

「えっ、帰っちゃうのか？」

「いや、決まっているわけではないが、帰すのが誠実な対応かなと俺が思ってるだけで」

　シンはまだ話がうまく飲み込めていない。

「帰すべきだけど、帰したくなくなっちゃったってこと？」

「そうだな」

「帰さなきゃいいじゃないか」

「本人に始めに、帰すと言ってしまっている」

　そうだ、始めにあんなこと言わなければよかったのだ。オーウェンは後悔した。

「お姫さまは帰りたがってるのか？」

「……分からない……」

「聞けばいいだろ」

「……聞けない……」

　オーウェンは頭を抱えた。

　何度か「帰りたいなんて言ってない」と言っていたように思うが、社交辞令かもしれない。

　もしも離縁する三年後を指折り数えているようだったら、ショックで立ち直れない気がする。

「なにをぐずぐず言ってるんだ。それなら簡単なことだろ。お姫さまに帰りたくないなと思わせるように好きになってもらえばいいんだ」

　その言葉に、オーウェンは勢いよく顔を上げた。

　確かにシンの言う通りだ。ステファニーに自分を、この家を好きになってもらえば万事解決である。なぜ気付かなかったのだろう。

「お前、お姫さまに嫌われているわけじゃないんだろ。仲良さそうだったじゃないか」

「う、うーん……」

　ステファニーに嫌われてはいないと思うが、しかし、男として意識されていないことをオーウェンは思い出した。

　なんていったって、彼女は自分のことを『毛並みが少しぼさぼさのひよこちゃん』と称したのだ。眠れるようになったので、毛並みは多少改善されたかもしれないが、しかしひよこちゃんだ。人間の男には程遠い。

「あー、だめだ。ステファニーは俺のことを男として見ていない」

　シンは心底呆れた表情でオーウェンを見つめた。『なに言ってんだこいつ』という目である。

　一瞬怯んだオーウェンだが、しかし他に相談できる相手はいない。前のめりになって友人に助言を求める。

「シン、自分を男として意識していない相手に意識してもらうようになるのってどうすればいい？」

「えっ……」

　黙り込んでしまったシンが口を開くのを待っていたオーウェンだが、彼はそのまま固まってしまった。

　よく考えたら、シンも自分も、大学では工学を専攻し、卒業後は鉱山にいた。極端に女性の少ない環境だったのである。

　色恋沙汰はとんとご無沙汰で、そんな二人が考えたところで答えが出ないのは火を見るより明らかだとオーウェンは悟った。

「……なんのアドバイスもできないが、頑張れ」

「うん、ありがとう」

　ふわっとした励ましに礼を言い、進展があったら報告することを約束して、シンは帰っていった。

　♢

「なにか欲しいものはないか」

　突然のオーウェンの発言に、ステファニーは目を瞬いた。

　オーウェンは、女性の気を引くには贈り物をすれば良いという浅い知識で、欲しいものを直接彼女に訊くことにしたのだ。なお、欲しいものをこっそり調査検討することは不可能だと判断した。

　急に問われたステファニーは、怪訝な顔でオーウェンを見つめた。

「……最近、なにかお礼してもらえるようなことしましたっけ？」

「いや……、なにかの見返りではなく。普通になにか欲しいものはないかと思って」

　わずかな間、首を捻っていたステファニーは「あっ」と閃いた。

「オーウェン様の時間を二時間ください」

「えっ？」

「少し付き合って頂きたいところがあります」

　それがどこだか教えてくれなかったが、オーウェンは了承して日程調整をした。

　約束した日、行きましょうと促されて二人は特注馬車に乗った。

　実はオーウェンはもう短時間ならば普通の馬車に乗れるようになっていたが、天気が良ければ特注馬車に乗ることが多かった。風が通り抜けて気持ちが良いし、すでにこの馬車に愛着が湧いている。

「どこに行くんだ？」

「すぐ着きますよ」

　しばらく走ると、着いたのは街にある養護施設だった。ここでは親のいない子どもや、経済的に自立準備をしている女性たちが暮らしている。

　怪しげな場所に連れて行かれるのではないかと身構えていたオーウェンは拍子抜けした。

「なんだ、言ってくれれば普通に仕事に入れたのに」

「仕事にしてしまったら先触れを出さなければいけないでしょう？　そのうちオーウェン様を連れてくると皆に言っていたので、今日はサプライズです」

　ステファニーは時間ができたときに、修道院やこういった養護施設に慰問に行くようになっていた。時には祖母も一緒のこともあるようだ。

　大きな籠を持ったステファニーは施設に入ると、迷うことなく一室に入っていった。

　オーウェンがその後に続くと、広い部屋で女性たちが裁縫仕事をしている。部屋の隅では子どもたちが大人しく本を読んだり勉強したりしていた。

「こんにちは」

　顔を上げた女性たちは、後ろのオーウェンに気付くと、きゃあと声を上げた。

「約束通り連れてきましたよ」

　籠の中身はアップルパイだった。それを年配の女性に渡し、自分も裁縫の輪に加わる。

　オーウェンもそれを見学しようとして近寄ると、部屋の隅にいた子どもたちが、わっと集まってきた。

「領主さま！　本読んで！」

「勉強見てよ！」

　うろたえるオーウェンにお構いなしに、子どもたちは部屋の隅に引っ張っていった。

　そのうちの一人、短髪の少年がオーウェンを座らせ、手元の本を引き寄せる。それは使い込まれた教科書で、開いていたページにはずらりと数字が並んでいた。ざっと見た限り、子どもが学ぶには高度な内容のように思えた。

「こんなことを学んでいるのか、すごいな。これは学校で？」

　少年は首を横に振った。

「ううん、昼間は働いていて学校には行ってないって言ったらステファニー様がこれで学べって。それで、ここが分からない」

　示された問題を見て、オーウェンは解き方を教えてやった。それから子どもたちに請われるまま、本を読んだり遊んだりしてやった。

　そういえば過去にも父に連れられて慰問したことがあったなとオーウェンは思い出した。その時も子どもたちの勉強を見てやった。彼らは学校で学んでいるものの、学外では働いていることが多いため、自習するには十分な時間がないのだ。

　子どもたちの相手をしながらステファニーに目をやると、彼女は女性らと談笑しながら裁縫をしていた。

　しばらくして時間が来ると「帰りましょうか」とオーウェンの元へやってきた。

　滞在時間は長くはなかったが、皆からまたきてねと見送られて、二人は手を振って帰りの馬車に乗り込んだ。

「普段はステファニーが勉強を見ているのか？」

「ええ。やはり家庭環境が落ち着かなくて学校に行けない子もいるので、そういった子にはせめて読み書きと数字だけはと。それが出来ればとりあえず食いっぱぐれることはありませんからね」

「そうだな」

「ただ、今日オーウェン様が教えていた子は数字が得意で、どんどん難しい問題を解いていっているんです。私では教えるのが難しくなってきているので、オーウェン様が教えてくださって良かったです」

「ああ、そうだったのか」

　道理で、年のわりに難しい問題を解いていると思った。

　オーウェンも数字を扱うことが得意な子どもだった。生まれや環境に関わらず、勉強の得意な子どもはいるものだ。

　全ての子どもが生活の心配することなく得意なことを伸ばせるような仕組みを作れたらとは思うが、それは今後の課題でもある。

「また時間ができたら行こう。声をかけてくれ」

「お忙しいんじゃありませんか？」

「いや、父と違って私の周りには仕事を分担してくれる人たちがたくさんいるからな。父に比べたら暇だ」

　業務の棚卸しをした時には、余裕ができたら仕事をまた自分の手元に戻そうと考えていた。しかし今はもうこのままでいいか、思い始めている。すべてを自分一人で背負いこむ必要はない。

　それに手が空けば新しい仕事を検討することもできるし、領主にしかできないことがきっともっとあるはずだ。

　♢

　ステファニーの気を引くために欲しいものがないかを問うたのに、結局当初の目的を果たせていないことにオーウェンは帰ってから気付いた。

　欲しいものや好きなものを本人に聞いてもなかなか良い答えが得られない。

　そう思ったオーウェンは、彼女についている侍女のアンナを捕まえた。

「ステファニーの好きなものを教えてくれ」

「えっ……」

　突然主に呼び止められたアンナは困惑しながらも、少し考えて答えた。

「……そういえば、お酒がお好きだそうです。ここに来るまであまり飲む機会がなかったけれど、今はたまに飲めるので嬉しいと」

「何の酒が好きなんだ？」

「ワインのようですよ」

　いいことを聞いた。

　しかし、さすがにまだ地下のワイン蔵に行く勇気はない。その上、ワインに詳しくもない。仕方ないのでオーウェンはダンに頼み、適当に何本か持ってきてもらった。

　その日の夜、寝室にワインとグラス、それに少しの食べ物を持ち込んだ。

「ステファニー、よかったら少し飲まないか」

「まあ、ぜひ」

　丸テーブルに一人掛けの椅子で向かい合う。

　オーウェンがワインを勧めると、ステファニーはにこにこしながら香りを確かめた。

　ワインが好きだというのは本当のようだ。だが、いつもはあまり飲んでいる印象がない。夜会や会食に行った時も、ステファニーの飲酒は控えめである。

「普段はあまり飲まないように思うが、酒が好きなのか？」

「そうですね。でも伯爵夫人が会食などでたくさん飲んでたりしたらおかしいですよね？　なので控えています」

「いや別にいいけど……。酒が好きなのは昔から？」

「うーん、好きでしたけど、以前は飲む機会が少なかったですからね」

「まあ、病気療養だもんな」

　オーウェンがそう言うと、ステファニーはなにを思い出したのか、にやにやと笑っていた。

　それからステファニーは鶏や庭の畑の話、屋敷の従業員の話などをオーウェンに聞かせた。その間も酒をどんどん飲んでいる。ペースが速い。

　一つのエピソードを話す間にグラスが空き、さらに注ぐ。また話しつつも、ペースを落とさずグラスを傾けているのだ。

　彼女につられて飲んでいるうちに、オーウェンは自分に酔いが回ってきていることに気付いた。

　酒が入ることでステファニーはいつもよりもさらに饒舌になり、ぺらぺらと喋り続けている。しかし酔ったオーウェンの頭には内容が入ってこない。

　だんだん生返事になるオーウェンの肩を、ステファニーが「聞いてますか？」と揺さぶる。ぼんやりしながら頷くが、「聞いてませんよね？　寝ないでください」と叱咤。無茶苦茶だ。

　よくそんなに話すことがあるものだ。結婚した頃のようだな、それにしてもすごい勢いよく飲んでいる――と思って以降、オーウェンは記憶がない。

　次の日の朝、オーウェンは寝室で目が覚めた。夜中のうちに自室に戻ろうと思っていたのに、潰れてそのまま寝てしまったようだ。

　ステファニーはいなかった。オーウェンが痛む頭を押さえて自室に戻ると、もう朝食をとろうかという時間である。

　着替えて食堂に降りると、ステファニーはすでに席に着いていた。

「おはようございます、オーウェン様、お加減いかがですか？」

「……おはよう。あなたの方はどうなんだ」

「元気です。昨夜はありがとうございました。とても美味しいワインでした」

　相当量を飲んだはずなのに、ステファニーはいつもと変わらず溌溂としている。「いただきます！」といつもと同じ大きな声がガンガンと頭に響き、オーウェンはうなだれた。

　なんだってこんなに酒が強いんだ。もう同じペースでは絶対に飲まないとオーウェンは誓った。

　今回、男として見てもらうという点ではマイナスだったかもしれない。ただ、本人は楽しかったようなので、まあいいか、と思った。

　そういった楽しいことが積み重なって、離縁までの三年の間にだんだん仲良くなれば、三年後王宮には帰らないと言ってくれるかもしれない。

　それにステファニーは優しいから、いざとなれば「帰らないで」と泣きついてしまおう。ひょっとすると同情して留まってくれるかも。

　オーウェンはぼんやりした頭で後ろ向きなことを考えていた。