1、修道女の還俗
東方の地方貴族が鉱山を当て、多額の税金を納めたのは昨年のことだ。
開山したのは年度途中なのに、昨年納めたその金額は国の年間予算の二割にあたり、財政難だった王宮は朗報に沸いた。
その地方貴族は古くからある伯爵家で、少し前に領主とそれを継ぐはずだった息子が事故で亡くなるという不幸があったばかりだった。
代わりに継いだのは若い次男で、鉱山の発掘業務に携わっていたという。採掘が始まった途端に家に呼び戻され、採掘業務の代わりに領地運営をさせられることになったようだ。
いずれにせよ、功労者であることに変わりはない。なんらかの褒賞をしなければならないと王宮の誰もが考えた。しかし、いかんせん金がない。
そんな中、財政難の元凶となった王妃が提案した。
「あの娘を呼び寄せて嫁がせれば良いではありませんか、修道院の」
王妃がその修道女を嫌っていることを皆が知っていた。修道女は国王の庶子で、母親は一般市民だった。娘は一応姫にあたるが、王妃は引き取りを拒否した。
庶子の娘は母親が死去すると同時に王宮を去り、修道院に入れられていた。
「一応、姫ですもの。そのために生かして修道院にやっていたのでしょう?」
正直なところ、国王は修道院へやった娘のことをすっかり忘れていた。王宮から出て行ったのが六歳の頃で、今はもう二十歳をとうに超えているだろう。顔も覚えていなかった。
ただ、王妃の提案は非常に名案だと感じた。金はかからないし、褒賞として相応しい。なんといっても姫を伯爵家に降嫁させるのだ。伯爵家も文句を言わないだろう。
早速、その修道女を呼び寄せることにした。
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その修道院は王都から馬車で三日はかかる遠方にあった。
そこは通常の修道院としてだけでなく、訳ありの女性やその子どもを保護する避難所としての役割を担っている。そのため施設内は常に子どもの声で賑やかで、皆、和気あいあいと暮らしていた。
王都からの使者が来たとき、ステファニーは畑で野菜を収穫しているところだった。
修道院では寄付だけではなく、裁縫や軽作業で収入を得ており、施設内で多くの野菜を育てている。もちろん贅沢はできないが、飢えるようなこともなく、皆健康だ。
「ステファニー、なんか院長があなたを呼んでる。お客さんですって」
同世代の修道女から声をかけられて、ステファニーは土を掘っていた手を止め、顔を上げた。
客など来たことがない。自分が国王の庶子であることは認識していたが、修道院に来てからは音沙汰がなかった。母も身寄りがなかったため、修道院以外に個人的な知り合いはいない。
「なにかしら……」
ステファニーはよっこらしょと立ち上がり、腕の中の野菜を抱え直して施設に入った。
野菜を調理室に届けて、そのままの格好で応接室に向かった。
扉を二回ノックする。「どうぞ」という院長の声を待ち、入室した。
「失礼します」
部屋には院長と、騎士服の男が立っていた。
この修道院は男子禁制である。街で騎士を見かけることはあるが、それでも若い成人男性と話すのは久しぶりだ。
ステファニーが部屋に入ると、騎士が目を細めて見つめてきた。
「ご無沙汰しております、姫さま」
ご無沙汰のようだが、全く記憶にない。ステファニーが怪訝な顔をしていると、院長が口を開いた。
「王都のスコット様です。陛下からの勅令を持っていらしたそうよ」
「はあ」
スコットと紹介された騎士は頭を下げ、「では早速」と懐から仰々しく紙を取り出した。そしてそれをばさりと広げ、朗々と読み上げた。
「申し上げます。――修道女ステファニー、還俗の上、オーウェン・バートン伯爵への降嫁を命ずる」
「…………えっ?」
――還俗? 還俗と言った?
思いがけない話に思考が停止したステファニーは、騎士の隣に立つ院長に目をやった。しかし院長は口を噤んだまま目を逸らし、俯く。なるほど、断れないらしい。
スコットの方はと言うと、感慨深そうに目を潤ませている。意味が分からない。
「長年のご苦労、お察しいたします。この吉報をお伝えする役目を賜り光栄です。お祝い申し上げます」
だが、念のためステファニーは確認した。
「このお話をお断りすることは?」
すると彼は意味が分からないという表情で瞠目した。意味が分からないのはこちらなのだが。
「……急な話で驚かれたとは思いますし、還俗してすぐにご結婚というのは大変でしょうが……、すぐに慣れると思いますよ」
やはり断れないようである。
スコットはすぐにステファニーを連れて王都に戻るよう言われているようで、半日で準備して出発すると告げた。いくらなんでも急すぎやしないだろうか。
ステファニーは混乱したまま、騎士を中に残して院長と部屋を出た。院長はステファニーに体を寄せて囁いた。
「王妃様の差し金のようよ。あなたが褒賞ですって」
「……やっぱり」
修道院といえど、訳ありの女性などの保護も多いし街に出ることもあるため、情報に疎いわけではない。王宮の様子も耳にすることがある。
現王妃の散財で王家が財政難であることはこの田舎にも伝わっていた。報奨金を出せないので、自分の急な還俗と降嫁で代用しようということだろう。
王妃も、修道院に送った義理の娘などよく思い出したものだ。一生忘れてもらってて良かったのに。ステファニーは心の中で舌打ちした。
「どうする? あなたを逃してもいいけど」
「大丈夫です。ここの他のみんなに影響があるとまずいですから。従います」
「……急にこんなことになって悔しいわ」
悔しげに俯く院長と手を取り合う。
六歳でここへ来てから、修道院の外で生活をしたことはない。
炊事をして、刺繍をして、畑を耕して、みんなの子どもを育てた。神に祈っていたのはほんの少しだけだ。生活で忙しかった。
大変だったけれど、とても楽しかった。女ばかりで恋愛小説を回し読みしたり、街で見かけた男の噂話をしたり、将来の夢を語り合ったりした。
修道女にあらぬ俗っぽさであることは皆認識していたが、それなりに規律を守って暮らしてきた。
一生をここで終えるつもりだったのに、残念だ。
話を終えたステファニーが部屋に戻ると、同室の修道女が集まってきた。
「すごく立派な騎士様が来てたけどなんなの? ステファニー」
スコットは修道院に入る際に彼女たちから見かけられていたようで、早速噂になっていたようだ。女の園では、男は注目の的だ。
「なんかよく分からないけど、急に実家に帰ることになっちゃった」
ステファニーが国王の庶子であることは院長しか知らない。
出入りの激しい修道院ではあるが、ここにいる中で一、ニを争うベテランの彼女がいなくなることに、修道女たちは驚いた。
「うそでしょ!?」
「実家ってどこなの?」
次々に質問してくる同僚たちに答えつつ、ステファニーは簡単に荷物をまとめた。
「みんな、長い間お世話になって本当にありがとうね。急でよく分からないから、落ち着いたらすぐに手紙を書くわ」
持ち物が多い方ではないが、それでも長年暮らしていると色々荷物はある。急ぎ必要なものだけをまとめ、残りは住まいが落ち着いたら送ってもらうことにした。
子どもたちには挨拶をしないことにした。きっと皆泣くし、自分も泣いてしまう。
最後に自分の仕事の担当分について同年代の修道女に引き継ぎを行って、ステファニーはスコットの待つ部屋に戻った。
「準備はお済みですか。荷物が少ないですね」
「後から送ってもらうことにしました。暮らしていた期間が長いもので、全ては無理ですので」
微笑を浮かべたスコットは、その言葉に哀れむような目で頷いた。
その視線から逃れるように、ステファニーは顔を背け俯く。
男を見る機会が少なかったため美醜の判断に自信はないが、彼は背も高く整った顔をしているように思う。人気があるだろう。勅命を持ってくるくらいなのだから、仕事もできるのかもしれない。
それなのに目の前の人物の機微にも気付かない、この愚鈍さはなんなのだ。
彼はまるで、監獄にいる死刑囚に恩赦を与えるような気でいるようだ。
実際にはここは監獄ではなく女の楽園だし、自分たちは死刑囚ではなく麗しき乙女だ。勘違い甚だしい。出世しないぞ、と心の中で毒づいた。
それからステファニーは院長だけに見送られて、スコットとともに簡素な馬車に乗り込んだ。修道院の窓からは皆がこちらを見ているのが分かった。
見たら泣いてしまう。ステファニーは喉の奥に力を入れて、涙が出ないように耐えた。
馬車が走り出してすぐ、スコットが話しかけてきた。
「昔、まだ姫さまが幼い頃に王宮で遊んだことがあるのです。覚えていらっしゃいませんか」
「……あいにく、幼かったため覚えておりません」
ステファニーの返事に彼は少しだけがっかりしたようだ。
「……そうですよね。あなたはとても可愛らしかった。叶うなら私の元に降嫁して頂きたいと思っていたくらいなのですが……」
ステファニーは返事をせずに曖昧に笑った。こんな男に嫁ぐなんてごめんだ。
一方、これから嫁ぐ伯爵家について何も知らないことにその時気が付いた。一応、何者なのか聞いておきたい。
「あの、嫁ぎ先の伯爵はどのようなお方なのですか」
「領主と跡取りが少し前に急に事故で亡くなって、予定外に継いだ次男だそうで、実は皆、まだよく分からないのです。年ごろは姫さまとほとんど同じだったと思いますが」
「そんな、不幸があったばかりなのに、嫁ぐことについて伯爵はご了承なさったのですか?」
「ええ、まあ……」
歯切れの悪いスコットに、ステファニーは成り行きを察した。
先方に強引に納得させたのだろう。不幸があったばかりなのに、さらに訳の分からない姫を押し付けられて、その伯爵はなんて気の毒なことだろう。
小さくため息をついて背をもたれる。
馬車から見える街並みは見たことのない景色ばかりだったが、ステファニーはくたびれて目をつむった。
♦︎
王都までの三日間、馬車の中でスコットとステファニーはほとんど会話を交わさず、時折休憩を挟みながら、王都を目指した。
馬車内は若干気まずげな雰囲気ではあったものの、ステファニーにとって外の様子は興味深いものだった。
揺れにも慣れて外を眺めると、人々の服装の鮮やかさ、食べ物の種類の豊富さ、立派な建物。見るものが新鮮だ。
皆に話したい、と思ったが、その皆にはもう二度と会えないかもしれない。ホームシックで心が潰れそうになる。いつか修道院に帰れたら、今日のことを皆に報告しなければとステファニーは思った。
三日間の旅はあっという間に終わり、王宮に着いたステファニーはすぐに国王に謁見することになった。
謁見の間に向かう絢爛な廊下で、ステファニーは周囲を見回した。昔住んでいた頃はこんなだっただろうか。建物は過剰に大きく、装飾品は豪勢で煌めいている。
長い廊下を抜け、繊細な彫刻の施された大きな扉を抜けた謁見の間で待たされた。
騎士の合図で国王と王妃が現れると、隣のスコットとともに頭を下げた。
「久しいな、変わりないか」
十数年ぶりに聞く父の声は全く馴染みがなかった。顔を見てもそうだ。ほとんど他人なんだな、と冷めた頭でステファニーは考える。少し間を置いて、口を開いた。
「おかげさまでつつがなく暮らしておりました。陛下もご健勝のこととお喜び申し上げます」
「うむ。こたびの件、聞いていると思うが、準備出来次第、すぐに発つように」
さらに国王の隣の王妃が言った。
「あなたのような日陰者が還俗して結婚できるなど、ありがたいと感謝なさい。くれぐれも恥を晒さないようにね」
「お前は体が弱くてずっと療養していたことにしてある。修道院にいたことは絶対に口外するでない。露呈した場合には相応の責任を自分で取るように」
ステファニーは首を捻った。
修道女であったことがばれたときには死ねという意味なのだろうか? そんなに重罪だろうか。
疑問に感じたものの、とりあえずステファニーは、かしこまりましたと了承した。
「最後になにか述べたいことはあるか?」
久しぶりに会った娘への一応の優しさなのだろうか。希望を訊ねる仕舞いの言葉。だが別になにも言うべきことはない。
ステファニーは頭を下げたまま、口の中で小さく「さっさとくたばれ」と呟くと、すぐ隣でスコットがぎょっとした。どうやら彼には聞こえてしまったようだが、国王夫妻までは届かなかったようだ。
「……陛下の温情に感謝申し上げます。王家の益々のご繁栄をお祈り申し上げます」
ステファニーは思ってもいないことを口にして、その場を辞した。
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「姫さま、もしかして還俗はお望みでない……?」
謁見の間を出てすぐスコットが恐る恐る話しかけてきたので、ステファニーはにっこりと笑った。
「長旅、お疲れ様でした」
それだけ言い残すと、割り当てられた部屋にさっさと移動した。
王宮には三日間だけ滞在し、降嫁するのに最低限の荷物を準備してくれるという。
伯爵領は王都から一週間はかかるのだそうだ。また長旅。こんなことなら修道院から直接伯爵領に連れて行ってくれたら良かったのに。
夫になる伯爵とはどのような人なんだろう。人生なるようにしかならないが、できれば良好な関係を築けるような人だと嬉しい。
ステファニーは上質なシーツがかけられた寝台の上でうーんと伸びをし、そのまま眠った。