青のまま死ね
『文部科学省によると、全国の小中学校と高校から報告があった2017年度(2017年4月1日から2018年3月31日)の児童・生徒の自殺者数は250人だった。自殺した児童・生徒は前の年度より5人増え、1986年以降で最多となった。(中略)子供の自殺率は相対的に高止まりしており、若者の死因は「自殺」が最も多い。文科省は最新統計について、児童・生徒の自殺数が高止まっているのは問題で、対策が必要だと語った。』
──BBC NEWS JAPAN
「日本の児童・生徒の自殺、過去30年で最多に」
(2018年11月6日)https://www.bbc.com/japanese/46106033
「本件公訴事実は、当公判廷において取り調べ済みの関係各証拠により、証明十分であります。ところで──」
言葉を切り、検察官は論告要旨の書面から顔を上げた。毛筆で引かれた線のような切れ長のまぶたの奥で、鋭い眼差しが証言台を捉えている。居並ぶ裁判員たちの口元が、音もないのにきりりと締まる。それを待ったように検察官はふたたび「被告人は」と切り出した。
「当公判廷において『殺害は被害少年Aをはじめとする本件被害者が自殺の手助けを願い出たことによるものである』などと主張し、弁護人もそれに沿って被告人の殺意を否定し、嘱託殺人罪の成立を主張するので、以下、検察官の意見を述べます」
証言台に立つ男は背筋を伸ばしていた。長い拘置所暮らしの中で痩せ、灰のごとく色あせた頬には、およそ感情の一片さえも感じ取る余地がない。検察官による論告要旨の朗読が始まっても、直立不動の姿勢のまま身じろぎもしない。与えられた運命に抗うことを選ばず、ただ天災のように淡々と受け入れようとするかのような諦念を嗅ぎ取ったのか、廷内に座る人々の多くは不快げに顔をしかめていた。
平手大輔、二十七歳。
人定質問の場を除けば、この法廷で被告人の名前が呼ばれることはない。
けれども法廷の内外を問わず、誰もが彼の名前を知っていた。半年前に彼が事件を起こして以来、マスメディアの論壇に彼の名前が上らない日は皆無といってよかった。それだけの社会的影響を与えうる大事件を、平手大輔という男は引き起こしてのけたのだ。
十代の少年少女五名を「自殺の手伝い」と称して手にかけた殺人の罪。それが彼の背負うことになるであろう十字架の名前だった。
検察官の読み上げは朗々と続いた。証拠調べ手続きが終了し、判決に向けて検察官が最後の主張を行うことを「論告」と呼ぶ。この数日間、世論の処罰感情を味方につけて徹底的に被告人を糾弾し続けた彼の顔は、どこか晴れやかでもあり、いささかくたびれているようにも見えた。
「第三、求刑」
凛と張った声が法廷を揺るがす。証言台の前の男だけが、微動だにしない。
「諸般の事情を考慮し、相当法条適用の上、被告人を死刑に処するのを相当と思料します」
殺人罪の最高刑は死刑である。当初からこの求刑は予想されていただけに、どよめきの起きることもなかった。
ぐっと息を呑む裁判員たちを横目で気遣いつつ、裁判長は弁護人に「最終弁論をどうぞ」と促した。検察官と同様、弁護人にも最後の主張を行う最終弁論という手続きが与えられている。しかし著しい形勢不利を理解している彼の気迫は、脂汗の下ではひどく弱々しかった。
「えー……。まずは皆さん、少しばかりで構いません。冷静になっていただきたい」
背中を丸めて切り出しながら、すがるように弁護人は平手を仰ぎ見た。
「検察官の主張は要するに『嘱託の証拠がない』という部分の一点張りです。ですが、被害者の方々が人間関係を苦にして自殺の意思を抱いていたことは、当公判廷で我々が立証したとおりであります。自殺というのは大変痛ましく、それだけ実行に勇気の要ることだ。ひとりで死ぬのが恐ろしい、誰かの手にかかった方が心持ちも楽になる……そんな考え方を誰が否定できますか。特に皆さんもご存知の通り、平手さんはその道のプロ。青少年の自殺問題にかかわり続けてきた『自殺対策専門官』だ」
平手は弁護人を見ようとしなかった。相変わらず、意思の読み取れない立ち姿で、裁きを下さんと並ぶ裁判官や裁判員たちのもとに頭を垂れている。負けじと弁護人も声を大きくした。
「厚生労働省所管の自殺対策専門官は、既存の児童相談所や自殺防止ホットラインといったセーフティガードの網目からこぼれ落ちてしまった子供たちを救うべく、日夜さまざまな事件と向き合っています。その一員であった彼が、自殺を志している子供たちの心情を理解しないはずはないのです。自殺を防ぐためのゲートキーパーが自殺の手助けなんて言語道断──それももっともな批判でありましょう。だが、視点を変えることはできませんか。子供たちを苦しみから解き放ちたいという平手さんの優しさが、今回の事件では裏目に出てしまったのではないかと……」
およそ半年前のことだった。東京都西部の檜原村にある山中で、十代前半と思われる子供五名の焼死体が地面に埋められているのを、山菜取りに訪れた地元住民が発見した。
捜査の結果、全員が自殺願望を持つインターネット上の知人同士であったことが判明した。彼らが都内在住の男とコンタクトを取り、自殺の意思を伝えていたことも判明し、現場からは男の犯行の痕跡も発見された。かくして警察の縄にかかった平手大輔は、今、東京地裁立川支部の法廷に縄をつながれたまま立たされ、みずからの行方を占う審理を受けている。
世間を驚かせたのは、平手が自殺対策の最前線で活動する国家公務員であったことだった。青少年の自殺者増加が社会問題化して久しいなか、従来の受動的な対策にとどまらない有効打をうつための布石とするべく、政府は約十年前に自殺対策専門官──通称『ゲートキーパー』を厚労省内に設置した。ここ二年ほどのうちに社会的な認知も進み、ようやく活動が認められるようになってきた矢先、平手の事件は起こった。政府やゲートキーパーの面子を丸つぶれにするほどの大失態であり、庇おうとする者など当初から誰もいなかった。あてがわれた国選弁護人さえも平手の無罪を訴えようとはせず、殺人罪よりも刑の軽い嘱託殺人罪に切り替えさせることで、かろうじて自らの義務を果たそうとする有様だった。
大都会から忘れ去られたような蒼の深い山裾に抱かれ、わずかな観光業や林業で生計を立てる村の片隅で、果たして平手は何を思い、悩む青少年たちを手にかけたのか。日本中の誰もが本人の弁を望み、声を望んでいる。けれども公判が始まってからというもの、彼は検察官や弁護人の質問の大半を黙秘し、頑なに口を閉ざしていた。直立不動で証言台に立つ姿は今日ばかりのものではない。どれだけ世間になじられても、裁判員たちの冷たい目を浴びても、平手は決してみずからを守ろうとしないのだ。
「──どうか裁判所におかれましては、みずから死を望んだ憐れな子供たちの希望も慮っていただき、嘱託殺人罪の判決を下していただきたい。私からは以上です」
締めの一言を発した弁護人は、くずおれるように椅子へ腰かけた。迂闊に肩入れすることで自身の仕事に影響が出るとでも感じていたのか、彼の発言は終始、どこか及び腰だった。
この世のすべてに見放された平手は、それでも直立不動のまま、突き刺さる視線の攻撃を黙って受け止めている。不気味な沈黙が法廷を覆うなか、ひとり裁判長だけは、他の人々とは違う色の瞳を平手に向けていた。
「被告人。最後に何か言っておきたいことはありますか」
裁判長は静かに問いかけた。
「あなたは自己弁護を含め、この法廷でほとんど言葉を発していない。これが最後のチャンスですから、なにか思うところがあれば存分に話してください。あなたの素直な心境が沈黙の底に埋もれることを、我々は良しとは思いません」
そこで初めて平手は裁判長に目線の焦点を合わせた。くらげのように漂うばかりだった意思が一瞬にして実像を描き始めたのを、廷内の人々は一様に理解した。
「なんでもいいんですね」
平手は念を押した。「ええ」と裁判長が応じるや、それまで頑固に崩さなかった肩の緊張を平手はほぐし、深呼吸を一つ挟んだ。
「どう裁かれようが俺は構いません。死刑にでも何にでもすればいい」
たちまち傍聴席に衝撃が走ったが、平手は背後の喧騒など一顧だにしなかった。
「人が死ぬことの何たるか、自殺の何たるかも知らない連中が、俺を十字架にかけることで溜飲を下げるっていうなら、それはそれで構いませんよ。俺には俺の理屈があって、正義があって、あの子たちに手をかけた自負があります。だから俺は今回の事件を起こしたことを微塵も後悔していません。……そんな話を長々としようと思えばできますが、いいんですかね」
「静粛に!」
裁判長は平手の問いには答えず、代わりに傍聴席を一喝した。弁護人も、検察官も、誰もが驚きと当惑の混じった眼差しで平手を取り巻いている。あえて空気を読まないことを自覚するかのように咳払いをひとつしてから、裁判長は小さくうなずいて、平手に先を促した。廷内で彼に優しさを示したのは、後にも先にも裁判長のこの言動だけだった。
「ありがとうございます」
平手の表情にはいつしか色が戻っていた。
肩の力を抜き、瞳を閉じて開いて、彼はまっすぐに裁判長を見上げた。嘘のように饒舌になった彼は、居並ぶ威圧をものともせず、淡々と自らの言葉を紡ぎ始めた。
「……正直、自殺を試みんとする人の気持ちは俺には分かりません。自殺はよくない、してはならないことだと声高に論じる連中の多くも、俺と同じように当事者の心情など理解してはいないでしょう。宗教観とか法律論とかを持ち出して、自殺の意義を否定する理屈を並べ立てることは簡単です。かつては俺も、そうやって並べ立てた賢しげな理屈を偉そうに開陳しては、自殺しようとする子供たちのことを押しとどめていました。
事件を起こした檜原の山奥は、俺自身が二〇年以上前に生まれ育った場所です。人定質問で述べた本籍の通り、あの村が俺の出身地です。俺の家族は両親と、俺と、それから三つ年下の妹がひとりの四人構成だった。それが不意の出来事で三人構成になったのは、たしか高校二年の夏頃のことだったと思います。
いなくなったのは妹の美鈴でした。自分の部屋に鍵をかけて閉じこもり、ロープで首を吊っていました。中学で陰湿ないじめを受けていた、もう耐え切れないのだと遺書には綴られていて、そこで初めて俺たち家族はいじめのことを知りました。なにぶん檜原は林業と採石業とわずかな観光を生業にしている、人口規模の小さな村です。多少なりとも閉鎖的な空気の中で、肩身が狭くなることもある。でも、妹には俺たち家族がいつも寄り添っていたし、あいつは決して独りぼっちじゃないはずだった。どうして妹が俺や周囲を頼らず、ひとり静かに滅んでゆく道を選んだのか、当時の俺には少しも理解できなかった。いくら遺書を読み返しても理解できなかった。葬式の日には家族の中で誰よりも号泣したのを覚えています。俺はそんなに役立たずな兄貴だったのか、美鈴の頼りになってやれる存在になれなかったのかって。まるですべての生き甲斐を失ったような気持ちになって、途方に暮れながらやり過ごす日々が続きました。
自殺対策専門官という仕事を知ったのは、それから間もなくのことです。子供たちが自殺に至る原因を分析・調査して、具体的な対策を立案し、その陣頭指揮を執る。運命的なほど自分の身に合った仕事だと思いましたよ。妹の自殺に少しも納得を覚えていなかった俺は、二度と妹のような子を生み出してはいけない、そのために出来ることがあるなら何でもやってやろうという気持ちで、それはもう必死に勉強を続けました。大学でも教育心理学を履修して、カウンセラーのボランティアも経験して、満を持して厚労省の門戸を叩きました。晴れて自殺対策専門官の肩書きを手に入れた時の高揚感ったらなかったですね。判事さんも検事さんも法曹の資格を手に入れた時は喜ばれたでしょうが、俺の喜びはそんなもんじゃなかったですよ。だって文字通り、生き甲斐と直結してるんですからね。
仕事に慣れるのは大変でした。ゲートキーパーの仕事はデスクワークだけじゃありません。時には警察の捜査に同行して、自殺の現場で調査を行うことだってあります。遺書を確認したり遺族の話を聞いたり、あるいは現場の様子を調べることも、自殺対策研究の一環として必要ですから。でも俺の関知している限り、現場調査はゲートキーパーの間では圧倒的に不人気な仕事でした。首吊り程度で済めばいい方で、もっと悲惨な死に方をしてる現場も無数にあります。初めて派遣された現場のことは忘れられないですよ。八王子市内の踏切で、遺体は十二両編成の貨物列車に轢かれて粉々だった。旅客列車よりも両数が長くて重たい分、貨物列車に轢かれた時の死に方はいっそう痛ましいんだそうです。新幹線の場合はもっと凄惨で、吹き飛ばされた遺体は霧になって全く原形を留めない。肉片を集めている警察の姿を後方で眺めながら、霧になるのと肉片になるのと、どちらが彼にとって幸いの道だったんだろうと思いました。霧や肉片になることを誰が望んだだろう、誰も彼を止める者はいなかったんだろうか、って。
子供の知能ってのは侮れないもんで、それこそ彼らは無数の死に方を編み出しますよ。空き家に鍵をかけて閉じこもって、どこで調達したのか分からん練炭を焚いて集団自殺したり……。担当の医師を上手く丸め込んで大量の睡眠薬を入手して、そいつを一気に服薬してODで死んだ子もいました。台風の翌日に警察から捜査情報が回されてきて何事かと思ったら、増水した川に子供が入水して死んだこともありました。裁判員の方々は水死体なんて見たことないでしょう? 腹にガスが溜まって丸々と太って、それはもう酷い刺激臭を発して……。こんな無残な土左衛門になってまでも死にたかったのかと思うと、見てるこっちもやりきれない。嘘みたいな話でしょうが、これは現実の話だ。
いちど死ぬ覚悟を決めたら最後、確実に死ぬことに彼らは最善を尽くす。まるでそれが生き甲斐みたいにです。だから自殺に着手されてしまえば、いくら周囲が努力を払っても防げない。俺たちゲートキーパーにできるのは、彼らが死を選んだ理由を分析して、同じ理由でふたたび命が失われるのを防ぐことだけです。
死を選ぶ理由ってのは、なにも遺書だけから読み取れるもんでもありません。生きている子供だってSOSの声を上げてきます。そのSOSを拾い上げるのも俺たちの仕事です。児童相談所と連携して自殺願望のある子と面会したり、ホットラインに連絡してきた子供に事情聴取を行うこともあります。この仕事がまた大変でした。なにしろ向こうの口にする『死にたい』にはずいぶん濃淡がありますからね。なんとなく希死念慮を募らせているだけのように見えて、よくよく聞き出してみればすでにリストカットに着手していたり、首吊り用のロープを調達していたりする。ひとつ話の運び方を間違えれば、彼らは明日にでも本当に自殺するかもしれません。面会はプレッシャーの塊でしたし、当然、大半のゲートキーパーから嫌われる仕事でした。当時の俺に言わせれば、嫌う理由など少しも分かりませんでしたけどね。
俺たちは捜査員であるのと同時に、最前線で自殺を防ぐ命の門番です。それこそ面会なんて絶好の機会だ。なんとしても死を防がなきゃならない、誰かを悲しませる結末を招いてはならないと願って、徹底的な理論武装をして面会には望んでいました。君が死んだところで何になる? 悲しまれたくない人に悲しまれ、悲しまれたい人を喜ばせるだけじゃないのか? ──そう問うたときの子供たちの反応は様々でしたよ。黙って俺から目を背けてしまう子もいれば、泣き出してしまう子もいた。けれども最後には『分かった』と頷いて、納得したまま面会を終えてくれる子がほとんどだったように思います。
いつか自殺した美鈴にも、同じ文句で問いかけてみたかった。俺たち家族のように大切な人ばかりが悲しみを抱え込んで、憎たらしい奴らが得をする、そんな歪んだ世界になってはいけない。美鈴は聡明な妹だったので、俺の説明も理解してくれたはずだと思ったんです。今にして思えば、面会の場で相対する子供たちの顔が、俺の目にはぜんぶ美鈴に見えていたのかもしれない。
でもね、判事さん。結局はみんな本当に美鈴だったんですよ。
俺の面会した子が自殺したと聞かされたのは、たぶん仕事を始めて三か月も経った頃のことだったと思います。初めて単独で面会を受け持った女の子でした。家庭の不和で寂しさを募らせていて、それが希死念慮に結びついているというので、どこか家庭の外に居場所を持つようアドバイスして、笑顔になった彼女を送り出したつもりだったんです。それなのに翌日、彼女は自宅マンションの二十階から飛び降りました。発見された遺書には【お父さん大好き お母さん大好き】と狂ったように殴り書きされていた。あとになって判明したことですが、彼女の両親は双方ともが浮気をしていたために離婚調停中で、邪魔な娘の親権を互いに押し付け合っている状態だったそうです。両親からの愛情など望むべくもないと分かり切っていたのに、彼女は俺のアドバイスなんて歯牙にもかけないまま、最期まで両親に愛されることを願い続けて死んでいったんです。
彼女に限ったことじゃない。俺が面会を担当した子の多くは、説得もむなしく自殺を企てて死んでゆきました。本人の望みで連絡先を交換したら、毎日のように【死にたい】と連絡を寄越してきたうえ、しまいには実行の報告を残して、俺へ見せつけるように自殺した子もいました。毎日やり取りをしていたのに自殺を防げなかったのはどういうことかと両親に絞られた時は、さすがの俺でも泣きましたよ。一体どうすればよかったと思ってるんだ、何も分かってないくせに──って。
あのとき同僚たちにはずいぶん慰められたもんです。
色々な言葉をかけられましたが、どれも論調は一致していました。
子供の心境なんて大人には推し量りきれない。そもそも子供と大人では、生きる世界の広さが違い過ぎる。大人の目には逃げ場が残っているように見えても、当の子供にとってはそう見えていないことが大半だ。しょせんゲートキーパーの助言や諌言など現実的に捉えてはもらえないのだから、考えすぎる必要はないのだと。
もちろんそんなもの、俺には理解も承服もできませんでしたよ。同僚や先輩とは何度もケンカを経験しました。でも、似たような事例を何度も経験する中で、俺の中でも少しずつ、同僚たちの口にすることの方に筋が通っているように思えてきましてね。人間って不思議なもんです。繰り返し経験して心や身体が順応してしまうと、初めに覚えた違和感なんて跡形もなく消え去るもんです。
今にして考えると、昔から同僚たちの間には徹底した諦観が共有されていたように思います。いくら面会を重ねてみたところで、子供たちは死ぬときには死ぬ。自殺の要因がいじめや虐待、家庭内不和、生活苦のような個別的問題ばかりである以上、結局のところゲートキーパーは問題の外側から助言をしてやることしかできない。先生に成り代わってクラスメートの連中を指導してやることもできないし、両親の収入を増やしてやることもできない。問題そのものを取り除かなければ自殺は防げないのに、その権限も能力もゲートキーパーは持ち合わせていない。さして意味もないのに手間ばかりかかる仕事だからこそ、面会や現場調査は同僚たちの間で嫌われていたんでしょう。
だったら俺たちゲートキーパーって、いったい何のためにいるんだと思います?
政府の自殺対策やホットラインや児童相談所は何のためにあるんだと思います?
むごたらしい死の姿を目の当たりにするたび、湧き起こった疑問はどんどん濁りを深めてゆきました。いつしか俺は面会よりも現場調査の方を優先するようになっていきました。自殺した子の遺族や関係者を渡り歩いて、何が彼らを自殺に駆り立てたのか徹底的に調べようとした。ゲートキーパーにできることは本当に何もなかったのか、知らないことには引き下がれないと思ったんです。
でも結局、当たり前の事実が改めて浮き彫りになっただけで、俺の努力はみんな徒労に終わりました。要するに、子供たちが自殺を企てる背景には、いつだって誰かの無関心がある。学校はいじめ対策を放棄し、地域住民は見守りを放棄し、両親や家族は心のケアを放棄している。子供たちの上げた悲痛なSOSは放棄された視線の合間に流れ落ちて、誰の手にも拾い上げられない。谷底でゲートキーパーが声を拾い上げる頃には、もう何もかもが手遅れなんです。
誰からも救いの手が差し伸べられなかったら、子供たちはどうすると思います?
自分で救いの手を差し伸べるしかないでしょう?
みずからの努力で生存の道を切り開ける子供なんざ、ほんの一握りのレアケースに過ぎない。多くの子供たちは大人の『放棄』を見習って、生きること自体を放棄する。自殺というのは目の前の苦痛を永遠に免れる、きわめて簡易で合理的なソリューションです。その意味では大人の自殺だって何も変わりません。どうしようもない現実から逃れたければ、現世そのものから逃避するしかない。『自殺は逃げ』なんてのは勝者の発想なんですよ。
自殺はかつて俺の思っていたような、絶対悪な選択肢なんかじゃなかった。そしておそらく妹は……美鈴は、高校や大学で勉強を重ねていたはずの俺よりも遥かに早く、その結論へ辿り着いていたんじゃないかと思います。
要するにね。妹の悲鳴に気づくことのできなかった俺たち家族は、妹から失望されていたんです。SOSを出したら応えてくれる、命や心を預けられるだけの存在だと思われていなかったんです。そしてそれはもしかすると、俺が苦労してゲートキーパーになった今も、まったく変わっていなかったのかもしれません。
そんなのは嫌です。他の連中がどうかは知りませんが、少なくとも俺は──俺だけは、命や心を預けられる存在になりたい。そのつもりでゲートキーパーを目指したんです。けれども夢物語は夢物語でしかなかった。学校がいじめ対策の防波堤になれないのなら、それは学校教育の制度的な問題だ。家庭の経済的な困窮が育児放棄や虐待、家庭内不和を引き起こしているのなら、それは経済の問題だ。結局、ゲートキーパーのできることにはどうしようもない限界があります。その限界も認知しないまま、声高に「自殺はよくないことだ」と訴えて回る俺の姿は、きっと子供たちの目にはいじめっ子や暴力を働く親と同質の存在に映っていたことでしょう。
このまま今の仕事を続けていて、果たして何か意味があるだろうか。同僚にも言えない悩みを心のうちに隠したまま、やがて俺は惰性で仕事をするようになりました。雑居ビルの屋上から落ちて潰れた頭を見ても、涙のにじんだ跡にまみれた手記を見ても、生気の感じられない顔で相談を持ち掛けられても、むなしく無力感がにじむばかりだった。
そんなとき、面会して連絡先を交換した一人の男の子から、集団自殺の話を持ち掛けられました。道具は何もかも調達しているが実行の勇気が持てない、だから背中を押してくれと懇願されました。自殺対策専門官の俺にそんな話をしたところで、鼻で笑って追い返されることは彼も分かり切っていたと思います。それでもね、彼は勇気を出して俺に声をかけてきた。他に頼れる大人はいないんだと、涙交じりの声で説得された。皮肉なもんですね。奴ら、生きるためには俺を頼ってくれないくせに、死のうとするときだけ都合よく俺を頼るんですよ。
自殺する子供は意気地が足りないなんて、そんなのは実態を何も知らない大人の戯言だ。誰だって死ぬのは怖いんです。死ぬ気満々で準備をしておきながらも子供たちがホットラインや児童相談所や俺たちを頼りに来るのは、自殺を思いとどまりたいからじゃない。最後の一押しを欲しているからです。意気地なしなんてとんでもない。せいいっぱいの希望を来世に懸けて、灰色の現世にわずかに残した未練を断ち切って、自分を奮い立たせながら子供たちは死んでゆくんだ。その膨大な誠意を前にして、彼らの実態を知る俺は──大人は、子供たちに何をしてやるべきだったんだと思いますか。彼らの振り絞った勇気に殉じるためには、何をすればよかったんだと思いますか?
俺の出した結論は、彼らの言うとおりに自殺を幇助することでした。
生まれ育った檜原村の山麓を現場に選んだのは、ひとけに乏しいからじゃありません。たぶん俺は、死にゆく子供たちを妹に重ねて見ていたんだと思います。この世の穢れに翻弄された挙句、死ぬ以外の道に活路を見出せなくなって憐れにも死んでゆく子供たちを、せめてこの都会の中でいちばん空気のきれいな場所で死なせてやりたかった。今日まで頑張って生き続けてきた君たちは偉いんだ、すごいんだ、立派だったんだって、星空の下で褒めてやりたかった。かつて妹にしてやりたかったことをしたかった。それができる場所は東京都内には多くない。故郷の顔に泥を塗るのは分かっていましたが、その故郷にしたって、俺や俺の家族にしたって、十年前に妹を見殺しにしたんだから泥を塗られて当然です。
あとは起訴状の通りですよ。集まった子供たちに睡眠薬を飲ませて、意識がなくなったところでガソリンをかぶせて火をつけました。それぞれに死ぬべき理由を持った、どうしようもなく純粋で優しい子ばかりでした。俺に話を聞いてもらえただけでも救われた、もう思い残すことはないと言って、みんな泣きながら笑っていた。
内心では生きたいと願っていたのかもしれません。死人に口なしです。真っ黒こげになった口は永遠に開きません。その口が開いて俺を非難しない限り、俺は誰に何を言われようとも、どんな刑罰に処せられようとも、あの子たちを手にかけたことを後悔はしたくないと思っています」
判事も、検事も、弁護人も、誰もが言葉を失っていた。不気味な緊張の満ちた法廷を見渡して、平手は静かに締めの一言を置いた。
「彼らを殺したことは、自殺対策専門官としての俺の誇りです」
我慢ならなくなったのか、傍聴席から「ふざけるな!」と怒号が弾けた。一触即発の空気は彼の怒号に破られ、いっせいに非難の野次が平手へと殺到した。
「偽善者め!」
「どんな理由があろうとも自殺の肯定なんて許されないことだ!」
「極刑にしろ!」
「この場で殺せ!」
静粛を求める裁判長の声など歯牙にもかけられない。冷静さを欠いた傍聴者たちは、今にも柵を越えて証言台の前へ押しかけようとさえしている。殺気にあふれて大混乱に陥った法廷の真ん中で、平手はキッと背後を振り向いた。
どん、と激しい音が法廷にこだました。平手が握った左手の拳で証言台を殴りつけたのだった。
「うるせえぞ」
蛇に睨まれた蛙のごとく、傍聴席は沈黙の水を打った。
「お前らは見たことがあんのか。ぐしゃぐしゃに潰れて性別さえ分からない、血と肉の塊みたいになった転落遺体の顔を。娘や息子の死を悼むでも悲しむでもなく、肩の荷を下ろしたみたいに笑っていやがる遺族の顔を。児相の面会室で死んだようにうずくまってる子供の顔を。死んだ子の書き残した日記に描かれてた、両親や友達と幸せそうに笑い合ってる空想の顔を!」
誰も、何も言わない。二人の刑務官も身を乗り出しかけた姿勢のまま、取り押さえるべき平手の暴挙を凍り付いた眼で眺めている。
「俺は全部この目で見てきた。誰もが見ないふりをしてきた社会の暗部を、俺たち自殺対策専門官はお前らに代わって毎日のように覗いてきたんだ。気を病んで辞めていった同僚だってたくさんいる。その実態を知りもしないくせに、知ったような顔で偉そうに人の死を語るんじゃねぇぞ!」
「被告人! 法廷ですよ、言葉に気をつけてください」
「あんたも同じなんですよ判事さん」
返す刀にひるんだのか、裁判長は制止の言葉を継がなかった。いまや平手は傍聴席の血走った眼差しになど目も向けず、淡々と証言台の正面を見つめていた。
「これ以上、優しくて純粋な子供たちの未来を汚らしく染めようとするな。その子の未来に何の責任も持てないくせに『死んだらいけない』なんて二度と口にするな。……なんて俺がこの場でいくら叫んだところで、どうせ誰の耳にも入らないでしょう。それでも俺は言い続けますよ。子供たちが悩んで、悩んで、それでも自殺の道を選ぶと決めたのなら、どんな手を使ってでも俺はその挑戦を支えてやるってな。彼らは大人たちの悪賢さや汚らしさを嫌というほど身に染みて理解してる。苦労して生き延びるような価値なんてないと分かってるはずだ。歯を食い縛ってまでも汚ぇ灰色の世界にしがみついて、子供のひとりも満足に守れねぇ醜悪な大人になることを、あの子たちは選ばなかったんです」
挑発的な“一言”の時間はようやく終わりを告げようとしている。その事実を確認するように、平手は一拍の間をおいて息を吸ってから、
「穢れを知らない青色のまま、みんな死ねばいいんですよ。俺の大事な妹みたいに……」
最後は途方に暮れたような声で発言を終えた。
彼の言葉を真面目に受け取ったものがいるのか、傍目には少しも分からない。法廷は白けた沈黙に隅々まで凍り付いていた。我に返った裁判長がおもむろにかぶりを振り、判決言い渡しの日程を確認するまで、そこには誰の叫び声も、悲鳴も、はたまた亡霊の泣き声も聞こえてはこないのだった。
<相談したい時は>
電話やSNSなどで相談を受け付ける窓口を検索できる厚労省の専用サイトはこちら。
「まもろうよ こころ」
https://www.mhlw.go.jp/mamorouyokokoro/
【電話相談】
●いのちの電話(一般社団法人 日本いのちの電話連盟)
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