第七十六話 一髪千鈞を引く
《不穏な空気》
「ふむ、確かにそれはおかしいな」
「はい、そうなんですよね」
ステンドグラスから差し込む色とりどりの光に彩られた二人が会話している。
ここは異端審問所である。元々は教会の一部機関だったのだが、悪魔と魔女の反乱後に失墜した教会を何とか存続させた立役者だ。信徒の数も極端に減らさずにやって来た過程で完全にパワーバランスが逆転してしまった。
今や、教会を束ねる存在である。
「一度、正式な調査をされた方がよろしいと思います」
「そうは言ってもだな。そなたの属するシャハティッピ組は社会的信用がな……バリュコデュノの下部組織との噂も広がっておるからの。果たしてその証言を信用しても良いものか。悩ましいな」
異端審問所所長はニヤリと笑って見せた。もう一方の男もニヤリと笑て返した。その男はウェリジュアだった。
「ええ、所長様のご心配も尤もかと存じます。これは我がボスからでございます」
「ふむ」
ウェリジュアは皮袋を所長の前に差し出した。遠慮もなく所長は中身を数え始める。そして満足そうに頷いた。
「主はその広い御心で全ての者を等しく扱います。私も主の信徒として全ての者を等しく扱わねばなりません。私にその事を思い出させてくれた事に感謝いたしますよ」
「それでは?」
ウェジュリアはこの茶番劇に辟易していたが、そんな事はお首にも出さずに相手に合わせていく。
「審問隊に調査を始めさせます」
「おお、主の慈悲の御心に感謝いたします」
審問隊とは異端審問所の私兵で表向きは武力を持たない教会で隠密の様な存在である。その様な者が動くのだ、とにかくこれで色々なシノギを邪魔しているあの孤児院を排除出来る。ウェジュリア延いてはシャハティッピ組が直接手を出すわけでは無いから、あの男から報復される事も無いだろう。
彼は軽い足取りで異端審問所を後にするのだった。
▽▼▽
「これはもう駄目ですな」
プトルは意識のないキーベを無念そうに見つめた。
「そうか、せめて一思いにやってやるのがキーベの為か」
「ウォー様、我がやろう」
メジマーは篝火で炙っていた剣をその手に取る。
「そうだな。頼む」
「承知」
メジマーは剣を構えるとキーベに向かい剣を振り下ろす。
辺りに鮮血が飛び散った。
『じゅぅぅぅ』
ウォザディーは篝火で熱していた別の剣の腹を、キーベの太腿の切り落とされた傷口に当てた。
肉が焼かれる臭いが漂う。極力鼻で息をしないようにしながら当て続ける。
暫くすると焼け爛れたが、血は止まった。
予め摘んでおき、すり潰してペースト状にしておいた薬草をキーベの傷口に塗りたくって包帯代わりに布を割いて巻き付けた。
「流石はウォー様ですね。かなりの手際だと思います」
「ああ。昔、師匠に様々な事を嫌というほど学ばされたからな。しかしここでは、薬も看病の手も足りないな。悪いが、メジマーが孤児院に連れ帰ってくれないか」
メジマーもここまでしておいて、むざむざキーベを死なせるのは寝覚めが悪い。ウォザディーの判断は納得出来るものだし、行動に移せるのはメジマーしかいないのも事実なのだ。
「分かりました。その役目謹んでお受け致します。ただ、充分に注意してください。ウォー様の現状は普通の人間に毛が生えた程度の力しか無いのですから」
「ああ、それは嫌という程感じている所だ」
メジマーはキーベを抱えると羽を広げて飛び立って行った。
「よし。プトルも少し休んでくれ。夜明け前には出発するぞ」
ウォザディーも木に背を預けると座ったまま眠りに就いたのだった。
空が白んできた頃にウォザディー達は行動を開始した。千人以上いた領軍も今は二百人に満たなくなっていた。
それも皆ボロボロで心身ともに疲弊している状態だ。
陽がだいぶ高くなって来た頃に、遠目に防壁が見えた。
「領主様、あの旗は陛下の軍の物です」
「皆、もう少しだ」
ようやく見えて来た街には、都市の旗に並べられて国王直属軍の旗が翻っていたのだった。




