第十話 いざ出発
《イコルニアツ孤児院》
平民街の解放区にある北部教会の敷地内に建っていて、王都に現存する唯一の孤児院である。
昔は教会に孤児院が併設されているのが当たり前で、教会からの出資や貴族の寄付等で資金は潤沢だった。ウォザディーも孤児院時代に食べる物や着るものに困った記憶は無く、高価な本等も教会と共用の図書館があって学ぶにも困らなかった。
ただし、30年前の反乱時に教会の幹部らが魔女に洗脳された事もあって、戦後も風評被害で貴族は離れていった。信者達も大半が自らで信仰を続け教会にお金を落さなくなってしまい、苦しい経営状態で次々と孤児院は無くなってしまった。
15年前に北の孤児院を買い取ったソイベの父のササツィ男爵が改名して存続させ、父の死後ソイベが後を継ぎ教会からの僅かな出資と元シスターの彼女が教会の手伝いをして稼ぐ幾ばくかの給金で何とか存続させている状況だ。
▽▼▽
朝食も済ませて身支度も整ったというのにルニムネは必死に帰るのを先延ばしにしていた。
「もういい加減にしろよな。朝一でディアトキアに行く筈がもう少しで昼になっちまうじゃないか」
「…………」
ウォザディーの言葉にもルニムネは俯いたまま唇を噛み締めて頭を僅かに横に振るだけだった。
「一体どうしたんだ。早く戻らないと。その何とか先生は、ずっとお前の心配をしているんだぞ」
「……ソイベ……」
ルニムネはボソッと小声で答えた。
「おっ、やっと喋ったな! こんにゃろうめ」
「にゃにしゅるんでしゅか!」
ウォザディーはルニムネの両頬を親指と人差し指で摘んでタコの口にした。ルニムネはその状態で非難の声を上げた。
「あのな、思った事は言わないと伝わらないんだぞ。どうして帰るのを拒んでいるんだ?」
「……その……えっと……服が……」
ルニムネは何とか勇気を振り絞って口にしたが、それだけ言うのが精一杯だった。
「服? その服が気に入らなかったか?」
「うう……ううん、ちがっ、ちがうの。この服は好き。本当にお気に入り」
ルニムネは一瞬嬉しそうな表情を浮かべたが、直ぐに沈んだ顔に戻ってしまった。
「その……みんなが……」
「何だ、そんな事か。心配するな、着なくなった服はまだまだ沢山有るからな。俺にはこいつが有れば充分だ」
ウォザディーは着ているローブを摘んでみせた。白い布地は高級感のあるしっとりとした光沢で、光の加減によって様々な表情を見せる。仕立てもとても丁寧で縁取りに銀糸の刺繍が施されていて、ひと目で高級品と分かる物である。
「よし、分かった様だな。さあ行くぞ」
「うん」
ウォザディーが左手を差し出すとルニムネはおずおずと右手伸ばして手を繋いだ。次の瞬間『ぐにゃり』と世界が歪んだ感覚に、彼女は咄嗟に左手も加えて両手でしっかりと彼の手を握った。
「孤児院に直接行けば早いのだがな。手続きはきちんとしないと後で問題になるからな」
ウォザディーの言葉に恐る恐る目を開けたルニムネは見慣れた景色にホッとするのであった。街への門はいつも通り開かれていて脇に小さな建物がある。そこが出入りの際の手続所となっているのだ。
「身分証を提示して下さい……って! 随分と古い物だな」
「これだと問題あるのか?」
ウォザディーが係の者に出したのは10歳の時の身分証である。特別な事がない限り10年毎に新しくしていくので30年森に引き篭もっていた彼にはこれしか無い。
正確に言うと叙爵の時に新しくなった身分証も有るが、そちらだと面倒事に巻き込まれそうなので止めておいた。
「まて、お前は!」
その時一人の警備兵が血相を変えて走り寄って来たのだった。




