南東の国の王は変人という噂
南東の国の王は変人らしい。
南東の国はこの大陸で三番目の広さの国土を持ち、近隣の大陸との貿易で主に栄えている。
国民性は陽気で人が良く、知らぬ他人でも気安く声をかけるほど快活としている。その反面向上心が強く、裏を返せば貪欲とも強欲ともなるため、平民はともかく貴族の内情は野心が溢れている。
変人の王という噂は少なくともこの大陸で知らぬ国はないほど有名な噂だ。
いわく、頭でも足でもましてや口でもなく手から生まれた。
いわく、齢一つで会話をした。
いわく、初めて立ち上がるなり宰相の脛を蹴り上げた。
いわく、初等部入学の歳で高等部を卒業した。
いわく、どこからともなく地方に現れては不正を暴いた。
いわく、王都でも神出鬼没で不正を暴いた。
いわく、人前で食事をしない。
いわく、護衛を自ら打ち倒し一人で出歩く。
いわく、貴族のご令嬢を蹴り飛ばした。
いわく、公爵のご老人も蹴飛ばした。
いわく、成人の歳に出歩くのを止めた。
いわく、病の王が死にゆく目の前で王妃を罵倒し首をはねた。
いわく、部屋にこもったまま王位を継いだ。
いわく、夜な夜な玉座に釘を打っている。
いわく、王冠を庭の鳥の巣にした。
いわく、いつの間にか妃を娶っていた。
いわく、人前に出ず指示は全て妃を通している。
いわく、姿を見せて欲しいと大臣が懇願すると姿見を出した。
いわく、いつからか部屋の前に行くと罠があるようになった。
いわく、時折部屋を飛び出しては各部署を荒らして行く。
いわく、それで生存確認と本人確認ができている。
いわく、何故か仕事は完璧。
いわく、何故か国中貴賎老若男女問わず人気がある。
いわく、それ故に廃位も言い出せない。
噂が尾ひれ背びれ胸びれを付けて独り歩きする事も、真っ赤な嘘が我が物顔で往来を往く事もよくある事だが、全てを否定出来ないほど同じ噂が各国を出歩いている。
仮に噂が事実だとして、南東の国の王は天才なのか凶暴なのか誠人なのか悪人なのか正気なのか狂っているのか有益なのか害悪なのか、誰も決められない。
故に変人。
変わった人。変な人。
数々の噂話はそう締めくくられる。
その真意は誰にも解けない。無理に解かずとも国は成っている。国交も成っている。ならば当面問題はない。
それが各国上位の認識だ。
変人の王。
もっともその実情がどうあれ、耳に入らぬはずのない噂を放置し、弁明する事もなく、その行動を隠す事もしないだけで、十分変人であるとも言えた。
そんな王の元へ今回訪問する事が決まったのがこの俺。
国交担当局窓際職員カーティス·ヘッセン。局内で当てられた仕事は掃除お茶汲み換気配達。完っ全に馬鹿にされ、カースト底辺に置かれた憐れな男だ。
今回の事だって当然押し付けられただけ。
誰だって蹴られるかもしれない変人の元へなんて行きたくはない。正直会えるかも怪しい。
だからって、雑用係にされたせいで実戦経験皆無の俺に他国の王に会いに行けって言うのは間違っている。絶対に。
恐れ多くも自国の陛下からもお言葉いただいてしまうし、本当に不相応だとしか思えない。
それでも仕事だ。それも念願の国交だ。
首ではなく腹をくくってやって来た南東の国。
自国では見られない活気に面食らいながら王城へ辿り着くと、そこで俺を待っていたのは、高い位置でひとまとめにした金髪が真っ直ぐに背まで降り、つり上がった目尻と唇に紅をさし、フリルやリボンのないシックなドレスを身にまとった女性だった。
「ようこそ我が国へ。私は陛下の妃のイヴと申します」
この人が噂の王の妃。真っ直ぐな立ち姿に気後れもなくハキハキと声を出す様子からも、芯の強い女性なのだと思われた。
「申し訳ございませんが陛下はお会いになりません。代わりと言ってはなんですが、こちらにいらっしゃる間は私が貴方のお相手を努めさせていただきます」
出会って一分でハッキリと会わないと言われた。しかも妃に相手をさせるとは、やはり、変人は本当なのかもしれない。
「こちらには七日ほど滞在させていただきたいと思います。その間に王とお会いできるよう努めさせていただきます」
「陛下はお会いになりません」
「会えなければ私が困ります」
妃は怒った様子ではなく、淡々と会話をしていた。それが逆に怖く思え、ひとまずこの話は止める事にする。
「お相手して下さるという事ですが、具体的にはどのように?」
「城を案内しましょう。道すがら人に会えばご紹介もして差し上げます」
恐れ多すぎる。本物の妃なのかはさて置き、それだけの為に妃を寄越すとは、やっぱり変な王だ。
「身に余る光栄です」
生憎と断れる身分でもないのでそのまま受け取る事になった。
下の階から順に明かせる範囲で案内を受ける。他に何もない長い回廊では歴史の説明を受け、質問をすれば丁寧に返してくれた。
南東の国の王城ガイド付きツアーに来た気分だった。
一日目は昼過ぎに着いたのもあり、広い一階だけで案内が終わった。
**
二日目に案内された二階では多くの貴族が働いていた。説明を受けながら、どことも似たようなものだし大変だなと思った。
何度か紹介も受けた。その中で王についても尋ねてみた。
「陛下はどのような方なのですか?」
「陛下ですか?まぁ噂通りの人ですな」
「噂と言うと···」
「皆様がよくご存知の噂ですよ」
大体は噂通りだと言った。
しかし、中には違う事を言う人もいた。
「無礼を無礼と思わぬ人だ」
「行動力が有り余っている人ですよ」
「臆病者だ」
「使用人にも優しい人です」
「すぐに剣を振り回す」
「こないだ庭で昼寝をしてましたね」
「嵐のような人だ」
「字がとても綺麗なんですよ」
「センスのない服を着ている」
「何でも出来るすごい人です」
聞けば聞くほど同一人物か分からなくなり、もはや病気か幾人もいるのではないかと思えてきた。
今日の最後に妃にも聞いてみた。
「貴女様にとって王とはどのような方ですか?」
「···王は、必死な人ですよ」
とても寂しそうに微笑んでいた。
***
三日目。駄目元で王の部屋へ行きたいと言ったら、すんなり連れて来てもらえた。いいのか、おい。
「陛下、三つ隣の国から参りましたカーティス·ヘッセンと申します。我が君より陛下のお顔を拝するよう言われて来ました。 どうか姿をお見せいただけないでしょうか」
「却下」
即答で返事が来た。別に引きこもっていても黙りな訳ではないのか。じゃあ妃を通さなくてもドア越しに下知すればよいのでは?
「なにとぞお願い致します。このままでは私は国に帰れません」
「帰ればいい。誰も君を咎めない」
そんな訳あるか。と思ったが、変人なのは周知の事実だし、確かにとも思ってしまった。
「また伺わさせていただきます」
「来ても扉は開かない」
硬い扉は、思っていたよりは饒舌だった。
****
四日目。妃が是非にと言うので最上階付近を案内していただいた。ここにあるのは謁見の間や玉座の間など、王族の威光を示すための豪奢な部屋ばかりで、廊下ですら十分に目が眩んだ。
また、その分見回りや警備の騎士が多く、ここでは彼らの紹介を受けた。
同じように聞けば、また違った話が出て来た。
「夜な夜な、出るんですよ」
「陛下は立派な方です」
「ぼ、僕、いや、自分、みみ、見てしまって···」
「あの強さ、憧れます!」
「夜中に、暗闇にぃぃ!」
「陛下は我々にも隔てなく接してくれます」
「カーン、カーンって、響いているんですよ」
「弱い自分でも必要だって言ってくれたんです」
「玉座の間だけはっ、どうか、お許しをっ」
「痛みを知る人ですよ、陛下は」
なんだか半分はお化け屋敷かのような反応であった。
玉座の間といえば、噂の玉座しかないだろうがしかし。
「ご覧になられますか?」
え、いいんですか?
これまたあっさりと通された玉座の間。豪華絢爛な部屋は見上げるような高い天井と、遮る物の何もない広い空間。扉から真っ直ぐに伸びる赤い絨毯の先を行き、十段ほどの階段を二つ越えたその先にあるのはたった一つの椅子、玉座。
王の座す椅子。
高い窓から指す光が唯一照らすその椅子は、誰にも座れないほどに、釘が打たれていた。
「これは王自ら打たれました」
歪。その一言に尽きるそれは、遠目でも分かるほどに異様だった。
「騎士達には少々申し訳ありませんが、夜中にしか王はここへ来ません」
背から足までを流れる滑らかな赤い天鵞絨には容赦なく鉛色が突き立っている。繊細な彫刻の黄金の枠や肘置きも例外ではない。
「陛下が王位を継いでから一度もここは使われておりません」
釘は大小不揃いで、根元まで刺さらずとも折れていようとも気にされていない。乱雑に打たれ、散らばっている。
「陛下は、何故、このような事を···?」
人が座る事を拒絶する椅子。座る事を拒絶する王。
どちらも理解が及ばない。
「針の筵という言葉が貴国ではあるそうですね」
まさか、そんな。物理的に?
「別に陛下は王である事は忌んではおられません。責任を持ち果たしております。ですが、その道は正しく針の筵です」
あらゆる組織の末端ですら場合によっては病む事もある。それが王ともなればその苦しみは、計り知れないのかもしれない。
「陛下は自らを語りません。代わりにこの玉座を通してだけ語っているのです。王は孤独であると。お前たちが王を刺したのだと。玉座の赤は王が流した血の色だと。王の痛みがこの椅子だと」
「陛下に何があったというのですか?ここまで思い詰めるだけの、一体何が」
呆然と呟けば、妃は瞬いた後わずかに首を傾げた。
「頭がおかしいとはお思いになられないのですか?」
「人は原因がなければ結果を出しません。この玉座が結果なら、必ず何か原因があるはずです。例え、人並み外れていたとしても」
「そうですか」
妃の返事は素っ気なかった。
*****
五日目。今日は王の部屋は静かだった。
「陛下は気まぐれですから」
「でももし何かあったらどうされるんですか」
不安になって扉に手をかけようとしたら、襟首を掴んで強く引かれた。
「触れぬ方が身の為ですよ」
王妃がチラッと扉の取っ手を見た。
そろっと取っ手の裏を見れば、小さな針がびっしりついていた。
「噂通りでしょう?」
これが罠ですか。そうですか。毒はない事を祈ります。
「今日は三階を案内致しましょう」
ちなみに王の部屋がある王族の私室の階は四階かつ普通の行き方では辿り着けないようになっているらしい。玉座の間は五階だ。
三階は重要な部署が多いらしく、紹介されるのも恐れ多い方々ばかりだった。
今日は噂の話が多かった。
「前任の宰相は先代の王妃の父親でそれを笠に着る嫌な奴でしたよ」
「陛下はとっても賢くてなぁ、教育なんぞいらなんだ」
「陛下はまるで未来を見るかのように先手を打って不正を暴くのです」
「二本の足で立ったその日から陛下は鍛錬を欠かしません」
「陛下に毒を盛ろうとした令嬢を蹴り飛ばした事もありましたなぁ」
「陛下は凶刃から守る為に儂を蹴飛ばしよったわ、かっかっか」
「先代は不治の病だと思われていたが、実は王妃が毒を盛っていたのだよ」
「父王の死を悼み、裏切り者の王妃の死をも悼む優しい人だ」
「陛下の嵐の抜き打ち検査は厳しいでの、おかげで不正のふの字もないわい」
噂が事実である事を知った。
尾ひれも背びれも胸びれもくっついていない事が分かった。
ただ、骨が抜けていた事が分かった。
「陛下はわざと噂を流しているのですか?」
「いいえ。噂とは勝手に人の口から歩き出すものです」
妃は今日の夕食はタコだと言った。
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六日目。今日は王の部屋から返事があった。
「陛下におかれましては、ご機嫌麗しく」
「口上はいらん。帰れ」
「まだ一日残っております故」
「社会科見学は済んだだろう。帰れ」
「いえいえ、まだ大事な用事が残っております」
「知らん。帰れ」
「我が国には質の良い釘がございます。ご覧になられますか?」
「頭がおかしいようだな。帰れ、うつすな」
「うつりませんよ」
ちょっとしたジョークが通じなかった。残念。
しかし、焦りを覚えている事も事実。このままでは体の良いクビの口実ができてしまう。無職は嫌だ。
「陛下は変人と言われているそうですね」
「事実だ」
「私はそうは思いません。現に会話が成り立っております」
「それとこれが同じとは限らない」
「陛下は変人と呼ばれる事が嫌ではないのですか?」
返事が途絶えた。
無言の中、妃がぽつりと呟いた。
「悪人と呼ばれるよりはマシでしょう?」
「···確かに」
納得した。
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七日目。最終日だ。
俺は妃にもう一度玉座の間に行きたいと願った。やっぱりさっくり叶った。
三日前と同じく玉座はあった。赤と金と鉛色を輝かせて。
「噂は本当だったのですね」
「ええ」
「ならば、王冠の噂の真意は?」
「単純に、その時壊れた巣の代わりとなる丁度よい器が王冠だっただけです」
王様の器がでかい。
「一人でとる食事は寂しくないですか?」
「毒を盛られるよりマシでしょう?」
ロイヤル界隈怖い。
「普通成人してからの方が外に出るのでは?」
「成人したからこそ狙われるものでしょう?」
確かに。
「やっぱり陛下は変人ではありませんね」
「何故?」
「変人の元となった結果に原因があるからですよ」
決して原因があるから変人ではないという訳ではないが、今は黙っておく。
「貴女様は何に必死なのですか?」
彼女の目を見て、言った。
沈黙は長かった。
彼女も俺も目を逸らさない。
目が乾きそうな時間を経て、彼女はようやく口を開いた。
「必死なのは私ではありません。陛下です」
「ええ、だから陛下に問うております。貴方様こそが陛下でしょう?」
何故、とは問われなかった。
彼女は玉座に向かって歩き、その手前の階段に腰を下ろした。
「私は正真正銘女です」
「はい」
え、そこ?とは言えなかった。
「王とは普通男児継承です」
「存じております」
「なら、私は王ではありませんね」
「『普通』とは『可能であれば』という事でしょう?例外があってもおかしくはありません」
膝に頬杖をついてこちらを見下ろす彼女は、階段とはいえ地べたに座っているにも関わらず、気品に溢れていた。
「誰も女王だとは言っていないはずですが?」
「男だとも聞いた事がありません」
思い返せば、王の奇行の噂は数あれど王そのものに関する噂は一つもなかった。
それこそ不自然な程に。
「昨日も王の部屋で話したではないですか」
「代役の方だったのでは?あらかじめ聞かれる事の予測が出来ればカンペが書けます。王の顔も知らぬ私が王の声を知るはずがありませんから、王と年齢さえ近しいならば声だけで気づく事もないでしょう」
思うに、性別も含め王の正体については限られた人しか知らないのではないだろうか。例えば、三階の方々とか。
「それでは私が王である理屈もありませんね」
「王の下知を伝えるにはそれなりに王に親しく近しく信の置ける人物でなければ誰も信じないでしょう。だから、王の妃を名乗ったのでは?」
出自不明の妃が信用に足るかは分からないが、それこそどうにでもしたのだろう。
「王の正体を知って何を望むのです?」
初めて言葉に詰まる。
図々しいのは承知の上だが、口にするには勇気がいった。
「釘の玉座に座す貴方様の、力になりたいと思いました 」
自分よりも若いこの王が、どれだけの苦しみと痛みと悲しみを抱えているのかと思うと、辛くて仕方がなかった。
図々しい上に厚かましい。お前に何ができると言われて当然だ。それでも、何かしたかった。
この七日間、一緒に城中を周り、会話をした。
そこで分かったのは彼女が噂通りでも、変人ではない、一人の人間だという事だった。
きっと今まで沢山努力した。
恐らく沢山傷ついた。
それでも一人で歩いて来た。
あの釘の一つ一つに彼女の苦痛と涙が込められているのかと、想像するほど、手を伸ばしたくなった。
「カーティス」
名前を呼ばれた事に動揺する。
けれども彼女は、まるでずっとそう呼んでいたかのように自然に、馴染んでいるかのように、名を呼んだ。
「貴方はいつもそうね。優しくってお人好しで、正しく物事を見極める」
「え?」
まるで普通の女の子のように話す。何故か俺をよく知っている口ぶりで。
「真っ直ぐで少し気が弱くて。でも大事な事は逃げない。本当に、貴方は変わらない···いえ、同じなのね」
「え?」
失敗したような笑顔は様々な感情を含んでいて、この七日間の淡々とした様子が嘘のようだった。
「ねぇカーティス、貴方のお使いの内容は『王から聞くように』よね?」
「あ、はい」
それが今回の俺の国の王からの仕事。内容も分からないし、聞けるかも怪しいのに果たして来いとか、本当に酷い命令だ。
「貴方のお使いは『私と結婚する事』よ」
「は?」
「これからよろしくね、旦那様?」
これで怒られもしないしクビになっても無職でもないでしょ?なんて言葉は頭まで届かない。
え?俺が彼女と結婚?え?女王の婿?嘘だよな?
「これでまた噂が一つ増えるわね。冴えない男を伴侶にした女王かしら」
冴えないのに結婚するの?俺、冴えないよ?本当に冴えてないよ?
「驚くと声になってない所も変わらないわね。ふふふ、ずっと会いたかったわ」
何で知ってんの?!俺は本当に知らないって!七日前が初対面!のはず!
「結婚した後に話してあげる。大丈夫、貴方は正常よ?」
変人なのは私だからと、コロコロと笑う彼女を見て思う。
噂は所詮噂。嘘だろうと事実だろうと関係ない。本質は何も映せちゃいない。
釘の玉座を背にして笑う彼女が、ちゃんとその椅子に座れるように力になろう。
できる事からコツコツと。それが俺のモットーだ。
だから。
南東の国の王は恋人になりました。
お読みいただきありがとうございました。
真実の解答は王視点でちゃんとしたのを書きたかったので、最後までぼやぼやふわふわした感じで本当すいません。
変人かもしれない人を書きたかっただけなので、国の仕組みやらの細かい事はお目こぼしお願いします。
後、ちょいちょいしょうもないボケを挟んですいませんでした。ヒレがなくて骨もないのとタコをかけてみたりとか···出来心でしたすいません。ちょっとクスッが欲しかったんです。クスッとしていただけたなら、ガッツポーズをして喜びます。