060/000/000.悪魔の象徴
「アイラを助けて下さり、ありがとうございました」
宿泊街から少し離れた閑散とした路地に建つ一軒の小さな教会、その食堂にミミズは居た。
腰が抜けてしまい立ち上がる事がままならなかった少女―――名前はアイラというらしい―――、を安全な場所だと言うので肩を貸し、今この場に案内された。
ミミズの前に座る二人の人影。
アイラという少女と、桃色の白髪の混じる赤髪をオールバックにした中年の男。
男はこの教会の主であり、アイラを育てた親のような存在らしい。
「…ありがとうございました」
アイラが気まずそうに俯きながら続いて感謝の言葉を口にした。
モップのようにくしゃくしゃの紫に塗られた髪に、埃で汚れた赤い制服。
眼には自信の言葉が欠けているように見える。
ミミズは二人を観察しながら、食堂の内装をキョロキョロとしていた。
食堂、ごはん、食べる、場所。
その時、地鳴りのような音が響く。
ミミズの腹の虫が暴れている音だった。
腹が背中に張り付いてしまうほど限界である。
男が笑いながらアイラに食事の用意を促し、アイラが退出した。
どうやらご馳走を作ってくれるそうだ。
嬉しい。
「旅人さん、どうやらお腹が空いているようですね。口に合うか解りませんが、お礼も兼ねて是非食べていってくださいな」
にこやかな笑みをミミズに贈り、そう言葉を掛けた。
その後、息を一つ吐き、ミミズを見つめる。
「アイラはね、この国では悪魔の子と呼ばれているんです。ご存知ですか?」
「悪魔の子?」
悪魔の子、聞き慣れないワードだ。
そういった難しい話はいつもメテルに任せている。
メテルが隣に居ない事に少し心細さを感じはじめる。
「知らないのも無理はありません。失礼な話、旅人さんが知らなくてよかった、そう思ってしまいます」
もし知っていたなら助けてくれなかったかも知れません、と寂しそうにテーブルの上に握った両手を見つめながら呟いた。
「どゆこと?」
ミミズは首を傾げながら話の続きを促した。
「…どうか、アイラを嫌な目で見ないでやって下さい」
そう言って食堂の厨房があるであろう、アイラの出ていったドアをちらりと確認した後、話し始める。
「この国の物々の色が別の色と認識できるようになり暫く経った頃、とある家庭に二人の赤子が産み落とされました。可愛い双子の女の子だったそうです。顔もよく似ていて、しかし、ある一点が大きく異なっていました。それは色です、一人の赤子は、美しく燃え盛る炎のように真っ赤に染まった髪。そして、もう一人の赤子は――――」
赤のみを映すこの国で、悪魔の子を象徴とされた紫色の髪でした、そう言った。
紫の色がどうして悪魔の子の象徴なのか。
「紫の色は、この国に呪いを掛けた魔女の使い魔の色から由来するようです。紫色の悪魔、その血が流れているのだと。そうして悪魔の子と呼ばれるようになってしまった」
魔女の使い魔。
なるほど、そういう事か。
この国だけでなく、世界が魔女を敵にしている。
魔女の悪戯は壮大な暴挙であり、天災では済まされない程。
それはまるで、世界の摂理に関わる程の事だ。
言わば〝魔女〟は、この世界では禁忌にも等しい。
そんな魔女の使い魔と同じ色をしていると言うのだ。
まるで、歩く禁忌と言ったところだろうか。
しかし、ミミズは一つ違いを指摘する。
「紫の色は、悪魔の血なんて混じってないよ」
その言葉に、男は驚いたかのように目を見開き、微笑む。
「…旅人さんはとてもお優しい、皆がそう言って下されば、アイラも傷付く事はないのですが…。ちなみに、どうして悪魔の血が流れていないと思うのですか?」
すんなりと受け入れる人は珍しいのだろう、男は、肯定派の意見を聞くためかミミズに問う。
「えーっと、アイラちゃん?って混血によるものだよね?」
どう説明すればいいのか、語呂力がないミミズには宇宙の法則を答える程に難題だ。
しかし、男にはしっかりと伝わったらしく、再び驚きの表情を見せる。
「流石です、旅人さんは博識ですね」
混血。悪魔の血の事ではない。
ミミズの言いたい事は、親の繋がりである。
アイラの両親はどちらも人間であるが、異なりがある。
それは。
「アイラの母親は赤の国の者です。アイラの母親はある男性に出会い恋に落ちました。しかし、恋に落ちた相手、その男性は赤の国の者ではなく、青の国の者だったのです」
赤の国と青の国の混血である。
空や地、草木、水すら全てが夕焼けに当たったかのような赤の国とは裏腹に、青の国は全てが青空の色に澄んだ、まるで水の中にいるかのように真っ青な国。
赤と青は交わり、紫の色を孕む。
その法則性を理解する者は極少である。
何故ならば、赤の国と青の国は過去より長い間争っている。
その為、赤の国と青の国同士の恋は禁忌の行為である。
互いに互いを忌み嫌い、その禁忌に触れるものは誰一人居なかった。
しかし、その禁忌を犯した男と女がいたのだ。
誰にも悟らせぬように、こっそりと会っては愛情を育む禁断の愛。
そうして産まれた赤子こそが、悪魔の子と迫害を受ける少女、アイラだった。
そこでミミズはふと思い出した。
「あれ、双子って言ってたけど、もう一人の子は紫色じゃないの?」
男が言っていた言葉を思い出す。
確か、真っ赤な髪と言っていたが、混血であれば単色に偏ることはまず無い。
魔女の呪いは色濃く現れてしまう筈だ。
その質問に対し、男は気まずそうな顔になった。
「…その女性には、夫が居たんです」
耳豆の質問の解答は、不倫という答えだった。
今も争う国同士間の禁忌の恋に、不倫と来たものだ。ミミズは何も言えばいいのか分からなくなってしまい、から笑いをして誤魔化す。
片方だけの混血ってあるものなんだ、それは知らなかった。
「お恥ずかしい話をすみません、実はその女性の夫と言うのが私の古くからの友人なんです」
何故ここまで詳しいのだろうとは思ったが、道理で詳しい筈である。
その時、食堂に匂いが充満する。
焼いた肉と香草のいい香りだ。
「旅人さん、先程話した事はアイラには話さないで下さい。アイラはまだ子供、心が強くなり、自ら尋ねてくる時までは隠しておきたいのです」
オトナって大変だなぁ。
ミミズも難しい話は自ら持ち出さない主義だ、説明しようにも忘れているかもしれない。
男の言葉に軽く相槌を打ったところで、アイラが戻ってきた。
アイラの両手には木製のお椀に入った豆と野菜のスープと香草を巻いて焼いた肉のステーキの乗ったトレーが握られている。
「お待たせしました、口に合えば良いのですけど…」
そうしてミミズの前に置かれる。
これはたまらない。
ミミズのお腹も既に限界を来している。
軽く早口で祈りを捧げた後、ミミズは獲物を喰らい始めた。