050/000/000.陽気な獣人
「…何だテメェ」
俺の前に立っていたのは白い獣人だった。
でっかい耳に煙のようにうねる尻尾。
マントで覆っていて身体のラインはわからない。
クソッ、人通りの少ねェ道なのにこういう時に限って来やがる。
「あははー、しがない旅人ですぅー。このあたりに美味しいご飯出してるお店ってないかなぁー?もうお腹ぺこぺこで―――」
何だコイツは。
現状を理解していないのか?
そのふざけた態度の獣人に、俺は更に苛立つ。
「テメェ…、殺されたくなきゃ失せろ」
持っていたナイフを獣人に向け、ビビらせて去るように促した。
生憎、虫の居所が悪いんだ、さっさとどっかに行け。
「ひゃあ刃物!!ご飯を食べようとしていたのに、私が食べられちゃうのぉー!?」
すると獣人は両腕で自身の肩を抱き、身体をくねらせ始めた。
「…ッ!テメェ!!」
コイツは俺を馬鹿にしている。
許さねぇ、傷一つでも付けてやる。
俺は走って獣人に近付き、ナイフを振り翳した。
俺は帝国戦士候補生の中でもトップクラス。
一瞬の合間に繰り出された剣技を避けられる筈がない。
薙いだナイフに感触を掴んだ。
これでコイツも逃げる筈―――。
「ざぁんねーん!ハッズレー!!」
「…あ?」
気付くと獣人は背後にいた。
馬鹿な、一瞬で攻撃したんだぞ?
感触だってあったはずなのに。
「…ッ馬鹿にしてんじゃねぇぞッ!!」
振り向く動作を力に再びナイフを操り、突きを繰り出す。
そのナイフは獣人の腹部に柄まで到達し、刃が見えない程に深く刺さった。
「ぐわー!やーらーれーたーぁー!!」
ナイフの柄から手が滑り落ち、獣人はその柄と腹部を抑えながら後ずさる。
…おかしい。あのふざけた態度に刺したナイフ。
刺した筈なのに感触が伝わらなかった。
その時、獣人がケロっとした顔で姿勢を戻し、柄を引き抜いた。
「あれれー?死んだと思ったら刃が無かったぞぉー?」
そのナイフの柄には刃が無かった。
何故だ?さっきまであった筈の刃が、何故―――。
思わず後ずさりした時、足元で金属音がした。
地面を見てみると、桃色の何かが光った。
ナイフの、刃―――?
「種明かしをするとねー、最初の一撃で折っちった。てへっ!」
さっきの感触は、肉を抉る感触ではなく、ナイフの刃が折られた感触…?
何だ、その速さは。
全く見えなかった。
さっきもそうだ、気付いたら背後に居た。
気持ち悪ぃ。
…何なんだ。
「何なんだテメェはよォッ!!!」
無意識に俺は魔法を使用していた。
身体は火に包まれ、紅蓮の炎が燃え盛る。
母を殺した魔法。
抱き上げてくれた母に使用してしまった殺人の魔法。
火の粉を散らす拳で獣人に殴りかかりにいく。
振った拳が獣人に当たる時、獣人は初めて真顔となった気がした。
突き殴った拳が避けられ空を切った時、耳元で言葉を聞いた。
「―――赤の色は人を憤怒に染める、君が掛かっているのは魔女の呪いだよ」
瞬間、首に鈍痛が走り、視界が暗転した。
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「ふー、びっくりしたー」
何が起こったのか。
あっという間の出来事に少女は混乱する。
先程まで少女を恐怖に陥れていた男性は地に伏せ、しがない旅人を自称する謎の白い獣人は伸びをしていた。
助けてくれたのだろうか。
いや、まだわからない。
私は異端者。
これ程までにとは言わないが今までも何度か同じ目にあってきた。
この人も、私に酷いことをするかもしれない。
今のうちに、逃げなきゃ。
そう思い、ゆっくり立ち上がろうとしたが、腰が抜けて上手く立ち上がることが出来ない。
物音で気付いたのか、獣人は少女の方を向き、目が合う。
その目には敵意が無く、獣人はニッと笑い話し掛けてきた。
「このあたりに美味しいご飯があるお店無いかなぁ?」