フランドールの初仕事:6
「いやぁ~、妹様の人形劇なんて楽しみですね。レミリアお嬢様」
「しっ! 劇が始まるわ。ちょっと静かにしていなさい!」
楽しそうに話し掛けてきた美鈴をお姉様は一喝して黙らせる。
セットの裏からちろっと覗いて見たけど、お姉様の目線は舞台の中央に一点集中。
片時も目を離さない。
そ、そこまで楽しみにしてるんだね、お姉様。
私を連れ帰らずにただ劇を見に来てくれたのは、いつもの単なる気まぐれだと思ってたのに。
でも、おかげで再び空間を静寂が支配する。
お姉様が無言の圧力を出しているのか、誰一人なにも口にしない。
そのせいで緊張感は出て来たんだけど、なんだか、ちょっと。
私とアリスは再び舞台に上がって、劇の続きの準備をしている。
準備といっても特になんにもないから、流れの確認をしていたんだけど、それも終わったから、後は私達のタイミングで始めるだけ。
でもね、なんというか、紅魔戦隊五レンジャー襲来っていう突然の出来事に私の頭は完全に演劇モードから離れてしまって、その後の極限の緊張状態からの解放とアホな空気のせいで今一気が乗らないんだよ。
緊張はしてるけど、集中出来てないっていうのかな。
これではまずい。
なんとか集中力を取り戻さなければ。
「ふぅ…」
深い深呼吸を二度三度と行い、先程と同じように頬をぴしゃんと叩く。
気合いだー! 気合いだー! 気合いだー!
よ~し、気合いが出てっ! …こにゃい。
こ、このままだとあかん。
よ、よーし、じ、じゃあちょっと怖いけど私の秘策をば。
分身出して、顎を前におもっきし出させて。
さぁ、覚悟は出来た。
やってちょうだいフランA――っ!!
元気があればなんでも出来る!
準備はいいかーっ!!
いくぞーっ!!
気合いだーっ!!
フランAは顎をにょいーんって突出させたまま、五指を開いた手のひらをこれでもかと振り上げる。
あ、あわわわわ。
や、やっぱり待って、イノフラン!
「フラン、ちょっといい?」
「ひゃえ!?」
なんとか命を掛けて集中しようとしていた私をアリスが手招きして呼ぶ。
あ、危なかった。
もう少しでフランAにピチューンされるところだったよ。
ナイスタイミングだよアリス。
君は命の恩人だ。
そんな恩人様は近付いてきた私の耳元に顔を寄せ、ひそひそと言う。
「これ、あなたのお姉さんに認めてもらういいチャンスだと思わない? 」
「え、どういうこと?」
真剣な面持ちのアリスだが、私はその意味が分からず首をかしげた。
お姉様に、チャンス?
一体なんの?
「分かんないの? 紅魔館を出る許可をもらうチャンスよ」
「あ、あー。で、でもお姉様は劇を邪魔しないみたいだし」
「あのレミリアがそう簡単に自分の考えを変えると思う? 見逃されたのは劇が終わるまでかもしれないじゃない。終わったら連れていかれる可能性だってある」
あー、あり得る。それとこれとは別よ! みたいな。
アリスってお姉様の事良く知ってるんだね。
確かに、お姉様は頑固でわがままで、一度言った事はなかなか変えない。そんな人だ。
今は何もしてこないし劇を楽しみにしてるようだから油断していたけれど、終わったらどうなるかは分からない。
確かに、さっき私は覚悟した。
子供達を危険な目に合わせる位なら、紅魔館に帰ろうと。
だけど、やっぱり、一度決めた事は最後までやり遂げたい。
出来る事なら自分の力で生きてみたい。
人里での誤解を解きたい。
そして、アリスのような友達を、もっともっと作りたい。
一度は諦め掛けたけど、本当はやりたい事が山ほどあるんだ。
「私、どうやったら認めてもらえるかな」
今日で、許可をもらわずに家を出るのは不可能だと思い知った。
結局お姉様は暴れたりとかしていないけど、もししていたらどうなってたか。
周りが巻き込まれると思った時は怖かった。
やっぱり、色々考えたけど、お姉様を、そして紅魔館の皆を説得する以外に道はないんだ。
「この劇を大成功させて、めちゃくちゃ面白いものにして、感動させてやりましょう。そうすればきっと、貴方がレミリアを思っているって事も伝わるわ。そして、劇が終わったら、貴方の考えてる事を包み隠さずちゃんと伝えて、話し合いなさい」
「うん、分かった」
真剣に答えてくれるアリスに、私も真剣な面持ちで返す。
私、アリスの言う事を信じるよ。
この劇を最高のものにして、それで、私のお姉様への思いを――
思いを… 思いを。おもい、を?
い、いやいやいやいや!!
「さ、行くわよ」
アリスは私の背中を軽く叩くと先に舞台へと出て行ってしまう。
い、行かないで!
ちょっと待って、アリス!
お姉様に認めてもらうとか、私の頭はそれどころじゃなくなって――っ!
私はアリスを止めようと手を伸ばしたけど、あぁ、行ってしまった…
仕方ないから私も続くように追い掛け舞台に上がる。
あー、心の準備が整う前に舞台に出てきちゃった!
ちょっと待って!
今回のお話は完全にオリジナルの物語で、私をイメージしたフーとお姉様をイメージしたレミュが助け合いながら色々な障害を乗り越えて絆を深めていく冒険もののお話なんだけど、これをやるの!? お姉様達の前で!?
いや、いやいやいやいや!
慧音や子供達はともかく、ほ、本人のいる前でやるのは恥ずかしいって!
ど、どどどどんな無茶振り!?
だ、だだだだってだってだってっ!
はぁはぁ。
い、息が――
いいかい、皆、だってだよ?
この話には、「フー、大好きよ」「うん、私もお姉ちゃん大好き」みたいな台詞まであって!
ぐ、ぐはー。
吐血するわー。
私の思いを伝えますどころじゃねぇし。
お姉様の気持ちまで勝手な想像で代弁しちゃってるし。
は、恥ずかしさMAX!
な、なんでこんな話にしちまったんだー。
無難に普通の童話にすれば良かったよー!
200X年に地球がキュッとしてドカーンになってモヒカン男達がバイクに乗りながらボウガンとか持ってラリラリしてるような、マッチョな主人公が指先一本で無双するような、そんな普通のお話にすれば良かったよー!
ちょっと、こうなったらフーの手を挙げ、アリスに向かって嵐を呼ぶお助けてけすた――
「では、これより人形劇の続きを再開します」
ア、アリス待ってー。
あぁーもう!
わ、分かったよ!
やればいいんでしょ、やれば!
いや、やっぱりちょっとだけ待って!
ふざけてならいいんだ。
大好きだろうが愛してるだろうが言えるんだよ。
だ、だけど、これは結構ガチじゃんか!
い・や・だー!
「次のお話は、エカルラート・シスターズ。フー・エカルラートと、レミュ・エカルラートという仲のいい姉妹が繰り広げる、深い絆のお話です。それでは、ご期待下さい」
は、始まっちまったー。
くぁ~、分かったよ!
やったるわ!
笑うんじゃないよお姉様!
ふう、深呼吸してー。
平常心、平常心…
「昔昔、自然が綺麗な田舎の村に、フー・エカルラートと、レミュ・エカルラートという仲の良い姉妹がいました。姉のレミュは妹のフーに言いました」
語り手は私。
私は自分の人形、フーとレミュを操りお話を開始する。
恥ずかしさは顔には出さないようにしようとするが、意識するとより恥ずかしくなる。き、気まずくてお姉様に顔を向けられないわ。えーい、気にしない! 集中! とにかく劇に、集中、集中!
人形操作や、語り口調。アリスに教わった、観客を物語に引き込むコツを、昨日ずっと練習してきたことを、今私が出来る全力で、ただ行う。無駄な考えは頭から追い出す。
人形は宙にふよふよ浮いてる感じだ。
でも、本物みたいに見せる為、歩き方や身振り手振りなど、細部に至るまでこだわっている。
「レミュお姉ちゃん、私、面白い噂話を聞いたの。だから、お外に出てちょっと冒険に行きたいの」
「ダメよフー。お外は危険なことがいっぱいあるの」
身を乗り出してお願いするフー。
だけど、レミュは首を振って却下する。
語り手である私と、フー、レミュ、それぞれの声質を使い分け、私は物語を進めていく。
語り手は普通の私の声に抑揚を付ける感じで、フーは子供らしく可愛い声、レミュは、少しトーンを落とし、お姉様を真似て口調も大人らしく。
これは、吸血鬼とは全く無関係なごく普通の人間の姉妹の物語。
でも、二人の関係性は少しだけ私達、私とお姉様に似ているかもしれない。
妹のフーはある面白い噂を聞いて、冒険に行きたくなった。
レミュはフーを止めるけど、フーはどうしてもその噂を確かめたくて、夜の内に家を抜け出し、置き手紙を残して冒険に向かう。
『夜になると、迷いの森で可愛らしい妖精が出るみたいなの。私、確かめに行ってきます』
朝になって置き手紙に気付いたレミュは大変慌てて、すぐに家を飛び出し、フーを探しに大慌てで森へと向かう。迷いの森には、フーの知らない危険なことがあるからだ。
始まりはだいたいこんな感じだ。
今は森に入ったレミュが必死にフーを探してる。気づいて、レミュ。フーはそこ、すぐそこにいるんだよ!
「フー? フー! どこに行ったの!? 出てきなさーい!」
「ここよ、お姉ちゃん! 崖から滑り落ちて、足を挫いてしまったの!」
森の中を彷徨い歩き、レミュはやっとフーを見つける。
レミュの見下ろす先には、座り込んで動けなくなっているフーの姿が。
今行くわ!
レミュは慎重に崖を降り、やっと姉妹は再開を果たす。再開を喜び合う二人。でも、めでたしめでたしでは終わらない。この森には、怖い怖い人喰いの巨人さんが住んでいたのです。
「うーぃ、 なんかこの辺りで人間のガキの声がしたような… 気のせいかいのぅ~」
「あ、あれは人喰いの巨人! 隠れるわよ、フー!」
アリスが操る、フーやレミュの二倍以上はあろう一つ目の巨人がのっしのっしと近付いてくる。巨人の存在を知っていたレミュは、フーを引っ張り、慌てて草むらに姿を隠す。二人は身を縮こませつつも、静かに息を潜めた。二人の恐怖と緊張は観客にも伝わっているようで、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。
そ、それにしてもアリス、昨日と随分巨人の声質が違わない? よくそんな飲んだくれの酔っ払ったおっさんみたいな掠れた低い声が出せるよね。
一つ目の巨人は辺りを疑い深く探っている。頭を左右にゆっくりと振って、木の裏や茂みをくまなく、しつこく確認して回る。
怖いよう、お姉ちゃん。
大丈夫よ、フー。私が守ってあげるから。
身を寄せて、一つ目の巨人が去るまでひたすら恐怖と戦いながら身を隠すフーとレミュ。
お願い、早く立ち去って!
「うーぃ、おかしいな。なんもいない。気のせいだったんかいのー。昨日は朝までしこたま飲んじまったからかいのー」
あれ、いつの間にか本当に飲んだくれって設定になっていたのね!
そんな設定聞いてない! 悪ふざけのアドリブが過ぎるよアリス!
一つ目の巨人は身を翻し、フーとレミュが隠れる草むらからのっしのっしと歩き去る。
だけどっ!
「――っちゅんっ!!」
あぁ、なんてお約束な!
緊張が緩んでしまったのか、なんと、フーはくしゃみをしてしまったのです!
「んー? ふぇふぇふぇ! そうか、そこらに隠れてたんかい」
嫌らしい笑い方をしながら巨人は振り返る。
そして、
「おら~、隠れても無駄だっ!! 出て来たらんかいっ!!」
こ、怖いっ!!
そ、そんな本物のゴロツキみたいな叫び方昨日はしていなかったのに!
その後も巨人は茂みや木を蹴飛ばしながら、ドスの聞いた脅し文句を叫び続ける。まるで悪質業者の取り立て屋だ。捕まったらきっと骨までしゃぶり尽くされてしまうだろう。人食いだから、そのままの意味で。
あぁ、フーもレミュもこんなに怯えて!!
「お姉ちゃん、怖い!」
「大丈夫。いい? フー、良く聞きなさい。私に何があっても、草むらに身を隠しているのよ」
「え? お姉ちゃん、何を言って…」
そしてレミュは草むらから顔を出し、
「おらー、この腐れ巨人! このエカルラート・レミュが相手してやる! かかって来んかーい!」
や、やっちまったー!
本当は草むらから小鳥が飛び出して危機一髪ってシナリオだったはずなのに、アドリブにアドリブを返したくなったというか、のりでついついというか!
「お~ん? なんじゃいワレコラ。やっと出てきた思ったらえっらい威勢がいいのぉドチビ。ガチで潰すぞ糞ガキがぁ」
ア、アリスも私のアドリブに乗ってくる。
ってかアリスの声、本当ドスが効いててマジこえー。
本職の方ではないですよね?
でも、段々緊張ほぐれて、なんか楽しくなってきた…
「黙れっつーのよよっぷ。あんたみたいな酔いどれ親父私がけっちょんけちょんに負かしてあげるわ!」
「上等じゃワレ。口ん中に指ー突っ込んで奥歯ガタガタ言わすぞコラ!」
大きな腕を振り上げて殴り掛かってくる巨人。
レミュ、大ピーンチ!
「せい!」
レミュは絶妙なタイミングで腕の下をくぐり抜ける。
巨人がバランスを崩している内に背後に回り、コマンド選択。
アビリティ、挑発。
「やーい、のろまー! 本当見掛け倒しね。あなた本当に人喰いかしら。今まで食べてたのは人間ではなくてインゲンだったんじゃないの?」
巨人を指差し、嘲笑の言葉をこれでもかと並び立てるレミュ。
巨人は更に怒り浸透で襲いかかるが、ことごとくレミュはそれを回避する。
「人喰巨人の主食が実は豆類だったなんて笑えるわー!」
「じゃかぁしぃこのボケがぁ~!!」
巨人の繰り出したアッパーを、レミュはくるりと回って回避する。
次第に、レミュが巨人の攻撃をかわす度に客席からは歓声や笑い声が聞こえるようになる。
やばい。
アリスを見てみると、彼女は満面の笑みで演技している。
私ももうおかしくておかしくて、ノリノリになり過ぎて、ここまで来たらもう劇の本筋への修正は不可能だ。
本当は、巨人が気が付いてない内に逃げ出す。途中見つかって追い回される。道が塞がってたり、転んだりなどの無数のアクシデントをなんとか力を合わせ切り抜けていくが、結局捕まり、巨人の住処の洞窟へ運ばれる。私達もうだめかも!? さ、さ、最後を覚悟し、告白し合う!『大好き! レ、レミュー! 』『フ、フー!』的な。 しかし思いを確認し合った二人は諦めず、巨人の隙を付き、機転をきかせ脱出! それでも追ってくる巨人! つり橋の上、捕まりそうになるも、協力し合って橋から落とす! 危うく二人も一緒に落ちそうになるも無事生還! ハッピーエンド! わーパチパチ!
的な。
そんな感じになるはずだった。特に二人の告白のシーンは、結構色々、力を込めて練習してた、今回の劇の一番の感動シーン。なんだけど、まぁここまでやったらしょうがない。もうなるようにしかならんよ。
えーいっ、この勢いのままやったれーい!
「お、お姉ちゃんが頑張ってるのに、私だけが逃げる訳にはいかないわ」
草むらに隠れていたフーは、低い姿勢のまま、巨人にばれないように静かに移動を開始する。いよいよ始動する、秘密兵器フー!
「お姉ちゃんが引きつけてるうちに、あの巨人でも落とせてしまう落とし穴を作るのよ!」
えっさほいさと穴を掘るジェスチャーを始めるフー。
穴掘る道具?
ないけどいいじゃん。
そんな簡単に落とし穴って出来るもの?
知りません。
なんでばれないの?
なんでもいいじゃん。
その間もレミュは巨人の猛攻を避け続ける。
その間に、ついに落とし穴が完成するも、疲労のたまったレミュは捕まってしまう。
「て、手間取らせやがってこのガキ! 」
「は、離せ! 離しなさい!」
レミュは巨人に抱えられジタバタ暴れる。
ダメ、このままじゃレミュが!
フー! お姉ちゃんを助けなきゃ!
「お姉ちゃん! このー!」
フーは巨人の背後からダッシュして、大ジャンプ!
そのまま巨人の後頭部に飛び蹴りをかます。
「ヒデブ!」
蹴られた巨人はレミュを離す。
お姉ちゃん、こっち!
そのままレミュの手を引き、落とし穴の所まで走るフー。
あ、そういやフーは足挫いてる設定だっけ。
まぁいいや。
「待てやコラ~っ!!」
追ってくる巨人。
逃げる姉妹。
巨人の手が二人を捉えようとする。
しかし、寸前の所で巨人は落とし穴に落下して、地面に埋まる。
まぁ、実際は浮かせた高度をちょっぴり低くして、それに身振り手振りでそう見せているだけなんだけど。
「な、なんじゃこりゃ~!!」
叫び声を上げる巨人。
その後も私とアリスのアドリブの劇は続いて行く。
あぁ、なんか本当に無茶苦茶だ。
でもね、そんな無茶苦茶な劇でも、皆楽しそうに笑ってくれているんだ。
私達の劇を見て、アリスも私も、慧音や子供達も、それに紅魔館の皆や、あのお姉様まで、腹を抱えて面白おかしく笑ってくれていた。
あぁ、そう言えば、当初の予定では私の気持ちをお姉様に伝えるとか、あったっけ。
でもね、やっぱりそれはなんぞ恥ずかしいんだよ。
それに、どうせ伝えるなら… ね。
いつか、きっと、ちゃんと。
結局ストーリーはめちゃくちゃになっているけど、おふざけが過ぎてるけど、私は全力で頑張った。
それで、皆の、お姉様の笑った顔が見られた。
それが、私には最高に嬉しかったんだ。
最後までめちゃくちゃな劇が終わる。
私とアリスが挨拶をしてそれを観客に知らせ、そんな私達を皆が笑顔と拍手で迎えてくれる。
そんな騒がしくなった部屋の中、お姉様はさも当然のように椅子から立ち上がると、悠然と私達に、いや、私に向かって近寄ってきた。
「お姉様?」
私が覚悟する間も無く、お姉様は目と鼻の先に来る。
つい怖くて肩が縮こまっってしまう。
私は恐る恐るお姉様の顔色を伺う。
さっきまで笑っていたはずなのに、もうその目は笑ってなくて、どこか不機嫌そうな顔をしている。
どうしたんだろう。
まだこの後もアリスの劇が続いているのに。
やっぱり、私はこれで紅魔館に連れ戻されてしまうのだろうか。
「フラン、左手、出しなさい」
「え?」
「いいから」
「う、うん」
なにがなんだか分からずに、私はおずおずと左腕をお姉様に伸ばす。すると、お姉様は私の指からレミュを操る指輪を抜き取り、自分の指に装着した。
「な、なにするの!?」
驚く私を尻目に、お姉様はいとも簡単にレミュを操ってしまう。フヨフヨと浮き上がったレミュは私のことを覗き込んだ。
「ふん、思ったより簡単じゃない。さて… フー」
「え?」
お姉様の操るレミュが、私、ではなく、フーを指差す。
最初、私はお姉様が何をしてるのか、なにがしたいのか分からなかった。
でも、次の行動で、私は全て理解した。
「なんであなたは私の言うことを聞かずに迷いの森に行ったのかしら? お外には怖いことがあるって言ったはずよ」
それは、なにも知らない人から見たら劇の続きのようで、でも、私には分かる。
これは、フーだけでなく、私に向けられている言葉でもあるんだ。
お姉様は、私と話し合いたいんだ。
私の考えを、ちゃんと話して欲しいんだ。
視界の端にアリスが映る。
彼女は無言で頷いてくれた。
うん、分かってる。
私、お姉様とちゃんと話してみるよ。
「レミュお姉ちゃん。私が出て行ったこと、怒ってる?」
「えぇ、当たり前よ」
お姉様は目を瞑ると深く頷き、
「怒ってる。凄い、怒ってる」
胸に手を当て、自分の感情を確かめるように、ゆっくりと自分の言葉を繰り返す。私はごめん、と言いかけようとする。それを、お姉様は「でも!」と叫び、制する。そして、続ける。
「 …それ以上に、心配した」
「お、お姉様…」
「あなたの身に、もしもなにかあったらって、不安で、怖くて、気が気ではなかった。本当に… 本当に、心配だった! 無事だって分かった時は、本当に嬉しかった! あなたにまでなにかあったら、私は! 私はいったい、どうしたら!」
そう言うお姉様は人前であるにも関わらず今にも泣き出してしまいそうな表情で、威厳溢れる紅魔館の主の姿とは、まるで違っていた。こんなお姉様の顔は、今まで一度も見たことがなかった。“あの日”でさえも。
私はそんなお姉様を見て、私がいかに心配をかけてしまったかを思い知り、胸が張り裂けそうになる。なにも知らない人からしたら、たかが一日いなくなっただけでと大袈裟に思うかもしれない。
でも、他ならない私は、分かってる。そんなことを思う資格なんてない。お姉様は、いつでも私の味方で、いつも私を守ってくれた。能力に振り回された時だって、それに“あの日”だって、そうだった。そして、その後も、ずっと。
それこそ、私が能力を完全に制御出来るようになったのは本当にここ数年の話だ。周囲のものをいたずらに傷つけ壊してしまう私なんかの危険物を、何十年、何百年と、ずっとずっと見捨てたりせず守ってくれた。
きっと、毎日毎日心をすり減らしたてきたことだろう。
それなのに、私に文句の一つも言わず、ずっと優しいお姉様でいてくれた。
お姉様がいなかったら、私はどうなっていたか分からない。
心が壊死して廃人になっていたか、自殺してたか。
だったらまだいい。
絶望して悲観して壊れ尽くして、能力と衝動に任せ、最悪の行動を起こしていた可能性だって否定できない。私はそんな穢れた自分が、嫌いだ。
だから、お姉様が私の能力を、そして、私の外出を危険とするのは凄い分かるんだ。そりゃそうだって、思うよ、誰でも。私でも。
「ごめんなさい。心配をかけて。それに、ありがとう。レミュお姉ちゃん。探しにきてくれて、凄い嬉しかったよ」
私の代わりに、フーが頭を下げて謝る。
私も、本当にごめんなさいって思ってる。
たくさん心配させてしまって。
もっとね、ちゃんと話し合ったら良かたって、後悔してる。
でもね…
「でもね、私、やっぱり家を出てみたい。お願いだから、分かって欲しいんだ」
「それは、なぜ? ちゃんと理由を説明しなさい。お外には怖い事がいっぱいある。今回でそれはあなたも分かったでしょう?」
それは、観客からしたら人食い巨人の事を言ってるように見えるだろう。
けど、そうではない。
これは、フー・エカルラートではなく、フランドール・スカーレットに向けられた言葉。
だとしたら、危険とは、私を恐れ、影で悪口を言う人里の人達のことだろうか。
それは、確かに辛かった。
また、あんな風に蔑まれるかと思うと、怖くて怖くて仕方ない。
いや、それだけではないのだろう。
お姉様が心配していることは、もっとたくさんあるのだろう。
例えば、私の能力の暴走だとか。
噂や悪口、嘲笑に負け、精神が不安定になった私が、再び能力のコントロールを失ってしまう。そんなことはないと言いたい。けど、絶対ないとは断言できない。
それに、これだってあくまで私の想像だ。もしかしたら、お姉様が私を出さないことには、それ以上の理由があるかもしれない。いや、きっと、あるのだろう。
お姉様の方が私よりずっとしっかりしてるし、知識も多く、幻想郷にも詳しく、頭も働く。それに、“運命を見通す能力”だって持っている。だから、私には分からない、知る由も無い、お姉様の考え、事情がきっとある。
分かってる。
それは、私にだって分かってる。
でも、でもね!?
「確かに、お外には怖い事がいっぱいあった。でも、私はそれを、私の力で乗り越えたい」
「どうしてわざわざ。傷付くのはあなたよ。お家にいれば、私が守る。危険はないわ」
「だから、だよ」
「え?」
「だから、私は家を出た。出たいと思った」
「どういう…」
「私は… 私はもう… もうこれ以上、お姉様の重荷になりたくないんだよ!」
それを聞いたお姉様は、一瞬だけ、愕然と固まり、そして、
「ば、馬鹿! 馬鹿フラン! 私はあなたを重荷だなんて、一度も思ったことはない!」
怒ったような、泣き出しそうな、そんな表情を浮かべながらも、それを堪えるように歯を必死に食いしばり、正面から私と向き合う。
いつの間にか、私達は演技を忘れ、フーとレミュではなく、フランドールとレミリアとして互いの感情をぶつけ合っていた。
「…お姉様は優しいから、そう言ってくれるのも分かってたよ。でもね、私、もう500歳だよ? もうすぐ501歳になる。いつまでも、お姉様や、紅魔館の皆におんぶや抱っこはされていたくないの」
「なんで… 急に…」
「怖くなったの」
「え?」
「幻想郷に来てから、皆、変わった。皆だけ先に進んで、私だけ置いて行かれてる感じがしてた」
だから、私はこのままでいるのが嫌になった。いや、違う。それは、昔から、嫌だった。だけど、皆がいるから、皆一緒に止まっているからと、誤魔化して、甘えていた。だけど、この幻想郷に来て、色々変わった。皆は変わっていった。
私は、皆が先に進んで、私だけが止まったままになるのが怖かった。皆だけどんどん進んで、前に行って、私だけ置き去りになるのが嫌だった。怖かった。不安だった。情けなくて、心、苦しかった。
皆が敷いてくれたレールの上しか歩けない、そんな自分がすごい嫌で、ずっとそのままかと思うと不甲斐ないし、凄い怖い。
「そんな、そんなこと」
「あるって言える?」
「……」
「ごめん。悪いのは私なのに、意地悪な言い方をした」
「いえ。でも、だからこそ、あなたは紅魔館のお手伝いを始めたんでしょ?」
「…うん、そうだよ」
「だったら、もう、それでいいじゃない。 もう、十分じゃない」
「ううん。十分じゃぁ、ない」
「…なぜ?」
「家にいると、さ。やっぱり、皆優しくて、居心地が良すぎて、どうしても甘えてしまうから」
「家族なんだから、当たり前じゃない。家族なんだから、甘えてくれたって、いいじゃない」
「…そうかもしれない。だけど、さ。このまま甘えちゃってたら、いつまで経っても、私、お姉様みたいに、強く、なれない」
お姉様は最初目を見開き固まった。でも、何を思ったのか、悔しそうに、苦しそうに、呻くように、手を強く握り締める。
「強さなんて、下らない。そんなものを持つ必要は、ない」
その言い分には、流石の私もおかしくて、ついつい笑ってしまった。まったくこの人は、一体全体、どの口で言う。
「私は、お姉様の強さに助けられてきたよ。お姉様の強さがなかったら、私はきっと壊れてた。壊してた。そんな私をずっと側で守ってくれたお姉様の強さに、私はずっとずっと、憧れてきた」
私は知ってる。お姉様は、私を守るため、強くなった。最初から強かったけど、より強くなるよう、努力した。そんなお姉様を見てた私は、憧れる。お姉様の強さに。私を愛し、守ってくれる、その優しいあり方に。
「……」
「でも、それももう、終わりにしたい。憧れるだけは終わりにして、私もお姉様みたいな立派な吸血鬼になりたいから!」
「フラン…」
「こんな私が危なっかしくて、心配になるのは分かる。確かに私は弱いし、情けない。そんな私が外で出て生きていくのは、確かに危険があるかもしれない。それに、私の能力、確かに私は今でもそれが怖くなる時がある。昔の私がしたことは、私が一番覚えているから」
そうだ。本当は気が触れていると言われても仕方がないんだ。
皆が私を怖がるのを誤解なんて言って、自分で自分を誤魔化してきた。だけど、そんなのただの現実逃避だ。
私は壊した。
たくさんの物を。
人形も、布団も、家具も、部屋の壁や、扉なんかも。
それに、私にとって、いや、私達にとって、凄い凄い大切な――
分かってる!
忘れるなんて出来るはずはない!
今ではこうして普通にしていられるからって、本当は私は昔自分がした事を忘れてなんかいけないんだ! 忘れるなんて、許されないんだ!
「だけど、今みたいに逃げ続けた先にはなにあるの!? なにもない! なにも変わらない! 皆だけ前に進んで、私は立ち止まって、皆がいなければ、私はなにもできなくて。私はそんな吸血鬼になりたくない! なにもしないことは可能性から逃げること。そう、アリスが、けいねが、子供達が、皆が私に教えてくれた!」
そう、そうだよね!? アリス!
だから、私はもう逃げない!
どんに嫌なことが合っても立ち向かう!
「私だって、お父様とお母様の血を引くスカーレットの血族だ! だから、なにがあっても乗り切ってみせるから! だから、私を信じて欲しい!」
「……」
「私は、外の世界に出て、たった一日だけど、色々な人に触れた! その中には私を怖がる人だっていたけど、それ以上に優しくしてくれた人がいた! 私、今なら変われる! いや、変わるなら今しかないの! また逃げ出したら、今度こそ、本当に変われなくなると思う! だからっ――! いたっ!」
私の必死の叫びは、途中でお姉様のチョップに阻まれた。
な、なぜ?
私はおでこを抑えて、お姉様を見る。
お姉様は暫く静かに私の瞳を見つめていたが、やがて深くため息を付くと、
「面白かったわ、人形劇」
「え、あ、ありがとう」
「でも、本来やるべきストーリーとだいぶかけ離れていたようだけど」
「え!?」
な、なんでお姉様そんな事を知ってるの!?
お姉様は、私はあれが見たかったのに、と文句を言い出す。
「だから、罰として、その内ちゃんと帰ってきて、今日やるはずだった劇をやりなさい。もちろん、あんたも悪ふざけした内の一人だから、その時はちゃんと付き合うのよ」
そう言って、お姉様はアリスに顔を向けた。
「はいはい、これはこれで良かったと思うんだけど、仕方ないわね」
アリスはやれやれと肩を竦めながらも、微笑を浮かべる。
え? その内帰れって、紅魔館にってことだよね。
その内、って事は、私は…
いいの? 本当にいいの!?
「お姉様、じゃあ、私は、許してもらえるの? 紅魔館を出てもいいの!?」
「えぇ、たまには戻ってきてくれるんでしょ? その代わり、約束を一つさせてもらうわ」
「や、約束? 何かな」
「無茶はしないでね! 絶対、元気で暮らすのよ!」
その言葉を聞いた私は、何も考えられなかった。
何かを考える前に、私は、
「フ、ラン?」
お姉様に飛び付き、抱き付いていた。
「ありがとう、お姉様。本当にありがとう。私、元気で暮らすから。それで、たくさん成長して、お姉様を驚かせるよ」
「…えぇ、楽しみにしているわ」
嬉しかった。
認めてもらえた事も、お姉様に掛けてもらった優しい言葉も、なにもかも。
そんな私の背中にお姉様はそっと手を回し、私を強く抱きしめ返した。
すると、何故か会場から、ここにいる皆から拍手が送られる。
な、なんで拍手?
は、恥ずかしい。
私達は顔を赤らめながら、離れ合う。
「ちょと、まだこれから浦島太郎が残ってるんだからね!? 勝手に終わりの雰囲気にしないでよ!」
アリスが壇上から文句を言うと、客席からは、えー? という非難の声が。
それにアリスはえーじゃない! と反発する。
ご、ごめん、アリス。こんな家庭のごたごたに巻き込んで。
「フラン、浦島太郎のお話は知ってる?」
「あ、うん、読んだことはあるよ」
うん、だいぶ前に咲夜に読んでもらったし、パチュリーの図書館にも置いてあるのを見たこともある。
「じゃあ、次も一緒にやりましょう!」
「えぇ! でも、詳しくは覚えてないよ!?」
またまた突然だよ、アリス!
「大丈夫よ。さっきもアドリブでなんとかなったじゃない!」
いや、確かに、さっきはアドリブでなんとかなったけどさー。
でも、やっぱり問題も色々あるんじゃないかな?
私はどうにかして断る理由を考える。
しかし、意外な人物からもそれを勧める声が。
「いいじゃないフラン。アリスだけの劇なんて私は退屈だし、一緒にやってあげなさいよ」
しれっと酷いことを言うお姉様。
ってか、人ごとだと思って。
しかし、そんなお姉様にアリスは反撃の一言。
「そこまで言うなら、あんたも参加しなさいよ」
「は!? なんで私が!?」
まさか自分にまで話が振られるとは思わす、当然のようにお姉様は驚く。
「だってあなたも人形操れるみたいだし。私の劇を退屈って言うなら、面白い劇の見本を見せてよ」
お姉様は険悪な顔をアリスに向けるが、えーい、せっかくだ。どうせならお姉様も巻き込んでしまえ!
「え、お姉様も参加するの? やったー!! 」
「ちょ、フラン! 私はまだ一言も!」
「いいじゃないレミィ。浦島太郎、竜宮城、か。じゃあせっかくだから私も魔法で盛り上げてあげるわ」
「ちょ、パチェ! あんたなに勝手に話を…」
いつの間にかパチュリーまで私達に加わっている。
ナイス、パチュリー!
ふふん、もう逃げられないよ。
まだ逃げようってんなら、駄目押しするよ!
「お姉様、じゃあ、私と一緒にやってくれないの?」
「うっ…」
私は悲しそうな表情を作り、上目遣いで覗き込む。
これぞ、シャンハイより授かりし、魅惑の魔法!
私の瞳にたじろぎ、後ずさりするお姉様。
しかしまだ首を縦に振ろうとしない。
くっ、しぶとい!
しかし――
「皆もレミリアお姉さんの演技見たいよねー? 見たい人は手を挙げてー!」
「「はーいっ!!」」
「こ、この人形遣い! あーもう! 分かったわよ、仕方ないわね! 覚えときなさいよ!」
最後にアリスが子供達まで巻き込んで、ようやくお姉様が折れる。
流石アリス!
「やったー! 頑張ろうね、お姉様!」
「え、えぇ」
――そして浦島太郎が始まった。
それは、予想通り、いや、予想以上にハチャメチャで、知ってるお話とはとことんかけ離れていた。
亀を虐めてた子供達なんか浦島太郎が助ける前にお姉様が操る亀に逆襲されてたし、私が操る浦島太郎は浦島太郎で亀に襲われて竜宮城へ逃げ込むし。
竜宮城のシーンは絶景で、パチュリーの生み出した水属性の魔法が宙を踊り、水の中に佇む美しい宮殿を具現化させる。
でも、その水滴がお姉様にかかってしまい、流水が苦手なお姉様は大絶叫。
そしてお怒り浸透状態に。
逃げるパチェを追いかけるお姉様に慌てて私や咲夜、美鈴が止めに入り、舞台は騒然。大混乱だ。酷いったらありゃしない。
でも、あはは。
本当にハチャメチャで馬鹿らしくって、でも、こんなに笑ったのはいつ以来かな。
お姉様、やっぱり私、外に出て良かったよ。
だって、あの時行動していなかったら、結局皆とこんな楽しい時間を過ごすことができなかったんだもん。