フランドールの初仕事:4
紅魔館を出て翌日の朝を迎えた。
アリスは七時半頃起こしに来るって言ってたけど、私はそれよりも一時間早めに起きてリビングに向かう。
昨日は結局夜遅くまで劇の練習をしていたから、まだ眠いといえば眠い。
とはいえ、アリスに会わなければ今頃はどこぞで野宿をしてたかもしれないのだ。それと考えると、感謝してもしきれない。だから今日の劇を頑張って、昨日の練習の成果を見せないと。
今日の人形劇での私の出番は、当初私が思ってたよりは結構多い。最初はそんなにたくさんの出番はない予定だったんだけど、真剣に取り組んでたら、物覚えがいいからと乗せられ、少しずつ延長していき、なんと私が操る人形がメインのお話をやるまでに至ってしまった。
アリスが先ず最初に昨日見せてもらった赤ずきんの劇をして、次に特別ゲストである私が操るフーとレミュがメインのオリジナルの劇をアリスと一緒に一本行う。それが終わったらまたアリスがまた違う有名な童話のお話を一つか二つやって、それで発表会は終わり。
私が出る劇の公演時間は、おおよそ30分程度。アリスが行う他の劇の半分以下の時間しかない。とはいえ、昨日アリスと話し合って即興で作った劇で私の感性もおおいに含まれているので、どう評価されるか少し不安だ。それに、短い時間とはいえ、私がまさかの主役担当をやることになるとは思わなかった。
アリスの役に比べれば簡単かもしれないが、とても重要な大役を任されてしまった気がする。初めてのことだしやる前から緊張で、とても不安で、それに例えおまけでもやるからには絶対に成功させたくて、だから私は一つのシーンをとってみても、何度も何度も練習した。
そんな私に、アリスは嫌な顔一つせずに最後まで付き合ってくれた。
自分の練習そっちのけで、人形を生き生きと見せるこつとか、台詞の言い回しや感情の伝え方とか、たくさんの事を優しく、だけど真剣に私に教えてくれた。
夕飯だって振舞ってくれたし。私も多少手伝ったとはいえ、作ったのはほとんどアリスだ。
だから、今日早めに起きたのは、ちょっとした恩返し。
もしかしたらアリスの方が先に起きてるかもと思ったが、杞憂な心配でほっとしている。
「イメージだけど、アリスの朝は洋食って感じだよね」
食材の場所は昨日既にチェック済み。
材料は、卵に、ベーコン、後は野菜と、こんなもんね。
勝手に使うのは悪い気もするけど、私が出来る事なんてこれ位しか思いつかなかったから、ごめんねアリス。
でも、必ず貴方の舌を唸らせてみせるわ。
咲夜の元で修行を積んだ成果、見るがいい!
「鬼人化っ!!」
某巨大生物に立ち向かう狩人宜しく、全身に赤いオーラを纏い(気のせいかも)、両手に握った包丁を高々と頭上に掲げる。
目の前にあるのは、ベーコン、トマト、玉ねぎ、パプリカ、その他色とりどりの野菜類。
では、有難く頂く事を食材達に感謝して――
先ずは、ベーコンっ!!
「殺っ!!」
包丁の先でひょいとベーコンを宙に浮かせ、そこに一閃。
適度な大きさにぶった切られたベーコンは、既に熱してあるフライパンの中へと落ちていく。
卵を構え、暫し待たれい。
ベーコンの油が自然と出て来るからね。
3、2、1、今だっ!
放たれた卵がフライパンの上を踊る。
うおい、いい音!
次は綺麗な綺麗な野菜達、 お前らの色は何色だ!
私の繰り出す斬撃が、パプリカを含めた色とりどりの野菜を綺麗に切り裂いていく。
もちろん種を取る事も忘れていない。
お次はトマト!
お前に明日を生きる資格はねぇっ!
びしゅしゅしゅっとね。
はい、スライストマトの完成です。
我ながら見事な切り口。
惚れ惚れするぜ。
ラストは私の必殺技の一つ、 決めるよっ!!
はぁ〜、鬼人化乱舞っ!
て〜りゃりゃりゃりゃりゃぁ〜!
空中を飛翔した玉ねぎが、私が振るう包丁に削り取られ瞬く間に薄切りになっていく。
その薄さはもはやマイクロレベル!
ピーラーなんて目じゃないぜ!
そして、それらを丁寧にお皿に盛り付け――
「ふぃー、これでサラダの盛り付けは完成っと。後はベーコンエッグの焼き上がりを待って、その間にドレッシング作りね。後はコーヒー沸かして、パンの用意もして、余った野菜はどうしようかな…」
「あら、フラン。もう起きてるの?」
私が他に何か準備しようか考えてたら、アリスが目をこすりながらキッチンに入ってきた。
もー、 起きるの早いよ〜!
せっかくの私のドッキリ計画が!
まだマヨちゅっちゅもしていないのに!
仕方ないからおっはーだけでも言っておくかな。
それから、アリスは私が早く起きてご飯の準備をしていた事を知り、驚き、そしてありがとうって言ってくれた。
取りあえず食材勝手に使ったことはいいみたい。
喜んでくれてとても嬉しい。
こちらこそありがとう。
それと、どういたしまして。
そして、結局アリスも一緒に料理に加わり、残った食材を使ってもう一品作ってみることにした。当初私が予定していたラインナップに、余った野菜で作ったミネストローネも加わってちょっぴり贅沢な朝ご飯になる。
うん、美味しい。
アリスも美味しいって喜んでくれる。
頑張って早起きして良かったよ。
そして、私たちは向かい合って席に着き、一緒に朝食にありついた。
「――なんて事があったのよー。全く、“霊夢”も、“魔理沙”も、私をなんだと思ってるのか」
ご飯を食べながら何気無い話しをして談笑する私達。
今はアリスが霊夢という紅白の巫女やら、魔理沙という白黒の魔法使いに振り回されて災難な目に遭ったお話の最中だ。その二人は私も聞いたことがる。博麗 霊夢と霧雨 魔理沙。お姉様達が話す話題にも良く出てくる。
とりわけその霊夢っていう巫女は、この幻想郷においてかなりの有名人っぽい。人の間でも妖怪の間でも知らない人はいない位らしい。私達の故郷にもエクソシストとか、ヴァンパイアハンターとかがいたけど、そういった部類の人のようだ。
しかも驚くことに、その紅白の巫女と白黒の魔女は、なんでも一度、二人で紅魔館に殴り込みに来てお姉様達をやっつけたとか。新聞の情報とかだけなら眉唾だけど、お姉様本人からも聞かされたし、皆も同じこと言ってるし、どうも間違いないっぽい。とはいえ本気で命のやり取りをしたというよりも、どうやら幻想郷に住む妖怪達を中心とした、一部の実力者達の間で流行ってる“ルールの中での決闘”で勝敗をつけたようだけど、それでも凄い。普通ではない。私もその決闘ルールは知ってるが、勝敗はちゃんと当人の実力がしっかり作用する内容となっている。まかり間違っても二流の実力の者ではお姉様達に太刀打ちできない。
美鈴、パチュリー、咲夜、お姉様、誰一人とって半端な実力の持ち主なんかいない。下手すりゃ神様にだって喧嘩を売るようなあの人達に、いくらルールの上といえ、たった二人で喧嘩挑んで負かしちゃうとか、一体どんな人達なのか。ちょっと怖いが、私も会って、見てみたい。
一方その時私が何してたかといえば、寝てた。そりゃあもう、安眠の中の安眠でしたとも。後日談として聞かされるまで、まさかうちでそんな激しいバトルがあったなんて知りもしなかった。家族の危機になにしてたのかと落ち込んだが、とりあえず皆無事だったようでなにより。
それにどうも、お姉様のやらかしが発端で巫女とやらが来たようだし。あの人がやったことを簡単に説明すると、日光が煩わしいから、幻想郷全体を魔力で発生させた赤い霧で包み込んだ。しかも、人間には有毒なものを。まったく、暗かったから蝋燭に火を灯してみたよ! みたいな軽いノリでとんでもないことをやらかすもんだ。迷惑きわまりないこの事件は、“紅霧異変”という名で幻想郷に伝えられた。
どうもこの幻想郷では人知の及ばない事件を異変と呼び、その解決にはだいたい巫女が動くことになっているようだ。お姉様も承知していたらしいのだが。
流石にこれはなにかあっても自業自得だ。いや、本心からそう思ってる訳ではない。私がお姉様や皆のことをどうこう言う資格はこれっぽっちもない。ただ、心配だから、無茶だけはやめて欲しい。私が知らない所ならなおさら。気付かなかった私も悪いとは思ってる。だから、私がお姉様達に言いたいのはそれだけだ。
しかし、その人達がアリスとお友達ということは、アリスと一緒にいたらいずれ会えるのかな? 会いたいような、会いたくないような。興味はあるけど、お姉様の妹ということで誤って退治されないか不安。まぁ、妖怪だったら誰彼構わず退治するって訳ではないみたいだし、なんでもその後お姉様とも宜しくやっている変わり者らしいから大丈夫だと思うけど。
しかし、アリスが皆に振り回される姿はなんとなく想像が出来きてしまう。
アリスはお人好しだから。
「あはは、それは災難だったね」
「でしょでしょ? 本当、あの二人には困っちゃうのよ」
「きっとアリスは優しいからだよ」
「え?」
「皆アリスの優しさに甘えたくなっちゃうんじゃないかな。私もそうだし」
「ふふふ。そんな風に思ってくれているんだ。ありがとう」
「い、いやいや。あ、あのさ…」
「なに?」
アリスとの話は面白いから、もっとずっと話してたい。
だったら、変わったことをしなくても、なにも言わなくても、このままでもいいのかもしれない。
だけど私は、話を一度止めることにした。
人里で劇をする前に、どうしてもアリスに言っておきたかったことがある。
それは、とても恥ずかしくって勇気がいること。
それに、もしかしたら、なに言ってるんだとか引かれてしまうかもしれない。
そう思ってしまうのは、もしかしたら私が臆病なだけなのかもしれないし、アリスのことを信用していないということなのかもしれない。
だけど、それでも、伝えたい。
私の気持ちを聞いて欲しい。
「あの、私、アリスには本当に感謝してるんだ」
「どうしたの? 急に改まって」
「いや、うん。言いたい事があるから、伝えたいっていうか、聞いて欲しいっていうか」
「うん、聞くわ」
アリスは静かに、優しく微笑んでくれる。
「ありがとう。あの、昨日は助けられたし、泊めてももらえて、今日は人里にも案内してくれるっていうし、仕事の事も相談に乗ってくれて、一緒に劇やろうって言ってくれて、本当に、アリスには感謝してもし足りないと思ってる」
「大袈裟ね」
「そんな事ない。でも、それなのにこんな事いうのは図々しいって分かってる。だけど、私、これからアリスの手伝いをしに人里に行くんだよね? いや、アリスが私のために考えてくれた事だし、人形劇なんて三流どころか素人だし、手伝いなんておこがましいかもしれない。だけど、形としてはそういう事だよね?」
「うん、そうね。でも、形だけだなんて思ってもいない。私はとても嬉しいし、感謝してるわ」
「ありがとう。それで、あの、こんな事言うと嫌われるかもしれないけど、仕事っていうのは、報酬もらえるものなんだよね?」
「あぁ、成る程。そうね、フラン、これから一人暮らし始めるんだもんね」
アリスは納得したようにポンと手を叩くと、お財布の準備をし始めてしまう。
ち、違う!
私はそんな事が言いたいんじゃなくて!
「いや、お金なんていらないんだよ!? 」
慌てて制止した私に、アリスはきょとんとした目を向け首を傾げる。
あぁ、もう! 私のバカ! 切り出し方が悪過ぎる!
こんな言い方じゃ誤解されて当然だ!
アリスはボランティアでやってることで、それに私はど素人。
私を思ってのお誘いなのに、お金なんて受け取れない。
ここまでしてもらって、そんな図々しいこと思わない。
むしろ、ここまでしてもらった私の方こそ、いつかちゃんとした形で返したい。
「ただ…」
「ただ?」
我ながら不器用だと思う。
もっとうまい切り出し方は出来なかったのかと飽きれてしまう。
でも仕方が無いじゃないか。
こんな時、なんて言えばいいか私には分からないんだから。
けれど、ここまできたんだ。
もう最後まで言うしかない。
えーい、頑張れ、私っ!
「ただ、今日の人形劇が終わったら、私がちゃんと劇を成功させたら、私と友達になって欲しいんだっ!!」
「え?」
つ、ついに言ってしまった。
は、恥ずかしーよー。
気まずくてアリスと視線が合わせられなくて、自然と目を伏せてしまう。
自分で分かる。
顔が熱い。
火照ってる。
きっと今の私はゆでダコ状態。
ホクホクどころか、かじりつけば火傷する位の熱々だ。
アリスの反応が気になり、上目遣いでちらりと覗くと、アリスは目をパチクリさせてる。
なに、そのなんとも形容し難い反応はー!
う〜。き、気まずいよー。
こんなことを自分から人に言ったのは、もしかしたら生まれて始めて。
ダメなの?
オッケー?
早く答えて!
「馬鹿ね、フラン」
ば、馬鹿。
それってつまり、ノーサンキュー?
あんたとなんか友達にはなれないよって?
うぅ、私だって、私なんかじゃアリスの友達に相応しくないとは思ってたけど…
「私達、もう友達でしょ?」
「え?」
一瞬、アリスが言った言葉の意味が分からなかった。
いや、分かったんだけど、信じられなくて。
どうしても自分の耳や、アリスの言葉を疑ってしまう。
え? 友達なの?
私とアリスが? もう?
「ん〜、少なくとも、私はそう思っていたわよ。でも、貴方が違うっていうのなら、私の勘違いだったのかもね。どうなの、フラン? 私と貴方は友達かしら」
そう言って笑うアリスの顔は、例えるなら、いたずらをして面白がってる子供みたいで。
う、うぅ〜、ひどいよアリス。
「と、友達で、いいの?」
「もちろん。さっき言ったじゃない。もう友達だと思ってたって。貴方はどうなの? 貴方は私の友達で、いいのかしら」
「いい。いいに決まってる。う、嬉しい。私、凄い嬉しい」
「え? な、泣いてるの?」
アリスは戸惑った声で私の顔を覗き込む。
ぼろぼろと涙が溢れ出てくる。
顔がくしゃくしゃになる。
ぅうー、なんで涙が出てくるの。
自分でも驚いてるし、信じられないけど、止めようと思っても止まらない。
アリスは最初驚いていたけど、やがてハンカチで優しく拭ってくれる。
そうなると、余計に感情が溢れ出て止まらなくって、余計に涙が溢れてくる。
恥ずかしい。
抑えないとって思っても、思えば思うほど、抑えられない。
あぁ、私、こんな涙もろかったんだ。
私の涙なんて、流し尽くしたと思っていたのに。
時間が止まったような長い長い日々の中で、そんなものとっくに枯れ果てていたと思っていたのに。
私がこの幻想郷に来て、紅魔館の外に出て出来た初めての友達。
それは、本当に優しい、誰にでも自慢出来る、最高の人。
私にも、また友達を作る事が出来るんだ。
それを実感できるのが、本当に嬉しい。
たかが友達が出来た位で泣くなんて、大袈裟かもしれない。
でも、私にはとても大きいことなんだ。
こんな人と友達になれた私は、凄い、幸せだ…
――5分後。
「落ち着いた?」
「うん、びっくりさせちゃってごめん」
ようやく私の涙が止まる。
目はまだ赤いかも。
鼻もぐしゅぐしゅしてる。
テイッシュテイッシュ。
「そう、良かった。じゃぁ、そろそろ人里に行く準備をしましょうか。時間はまだあるし、ゆっくりでいいわよ。でもその前に、フランに洋服返さなくっちゃね」
あ、シャンハイが私のお気に入りの服を抱えてきてくれる。
そうだ、汚れちゃってたから、洗濯してもらってたんだ。
「ありがとう。シャンハイ。アリス! あ、あれ? 穴が、ない」
「ふふ。言ったじゃない。綺麗にしてあげるって。裁縫は得意だから、これ位は朝飯前よ」
あぁ、そんなさらっと、かっこいい。
女子力高過ぎるよアリス。
それに、朝飯前っていうけれど、時間的に縫い始めたのは多分、昨日夜私に付きっ切りで劇の練習に付き合ってくれた、あの後だ。
昨日は何時に寝たんだろ。
もうありがとうは言い過ぎた。
でも本当に、感謝してもしきれない。
だから、私は、別の言葉を用意する。
「アリス、私、今日頑張るよ!」
「うん、一緒に頑張りましょう」
これがきっと、アリスが一番喜んでくれる言葉だと思うから。
でも、最後に、心の中だけどもう一回。
何度もしつこいようだけど、ありがとう、アリス。
それから身支度を整え、私はいよいよアリスと家を出て決戦(人形劇)の舞台である人里へと向かう事になる。
アリスが一緒にいてくれるからか、魔法の森の風景も私の中でだいぶ不気味さを薄めさせていた。
深い緑とたまに差し込む日差しのコントラストは綺麗だし、沢山のキノコやお化けみたいに見える木も今ではもうご愛嬌。
アリスのおかげで道に迷う事なく、私達の前に人里が見えてきた。
妖怪や害獣対策だと思われる人の背丈の倍以上はあろう塀の向こう、沢山の木造住宅が並んで見える。私も咲夜とのお買い物でここ最近何回かは人里に来たが、まだ指で数える程なのでテンションが上がる。
私は両手の指に付けた指輪に魔力を注ぎ込む。すると、本日の劇で使用する頼もしい相棒二人が元気にふよふよと浮き上がった。
「今日は頑張ろうね! フー、レミュ! …うん、私精一杯頑張るよ! …えぇ、一緒に頑張りましょう。フー、フラン」
うん、フーも、レミュも頑張ってくれるって言っているし、やったるぞー!
そんな一人人形芝居でテンション上げ上げ状態になっている私を見て、アリスはくすりと微笑む。
「フランも人形操作にだいぶ慣れてきたみたいね」
「そりゃぁね。昨日アリスに色々教えてもらったし。それに、これ位出来ないと、本番の劇を成功なんてさせられないよ」
「ふふ、案外緊張していなさそうね」
「あはは、そう言われれば。確かに朝まではちょっと緊張してたけど、さっき泣き疲れたからかな。なんかもう吹っ飛んじゃったよ」
なるほどね、とアリスが笑う。うん、そう思えば、今朝のことも割り切れる。うん、人前であんなみっともない姿を晒したんだ。もうなにも怖くない!
門を通って人里に入り、寺小屋っていう場所に向かって暫く歩く。
うわぁー、人里ってこんなに人で賑わってたんだぁ。
咲夜とも来た事あるけど、だいたいは里の外れにある人外が経営してる、妖怪も行き着けのお店だから、こんな風に中まで入って歩き回るような事は今までなかった。
どの通りを歩いても、どこを向いても、必ず人が視界に入る。
こんな経験は初めてだ。
たくさんの人々に囲まれて、とても新鮮。
でも、なぜだろう。
皆が私を見てる気がする。
それに、何かをひそひそ言ってる。
少し嫌な予感はする。
だけど、予想が当たるとは限らない。確かめてみないことには分からないよね。
だから、怖いけど逃げないで、耳を済ませて聞いてみよう。
「おい、なんか見たことねぇ妖怪がいるっぺよ」
「あの歪な羽の妖怪、もしかして」
「あの、前に天狗の新聞に掲載されてた悪魔の妹じゃねぇか?」
「おぅ。俺は前にちらっと見たことあるから間違いねぇ。紅魔館の吸血鬼の妹だ。ちょっと前にも紅魔館の従者と来てたぞ」
「あの気が触れてるって言われてる? 真昼間からおっかねぇなぁ。ったく、なにしに来たんだ」
「なんでもかんでも壊すんだってな。なにかやらかすつもりかね。 怖くてたまんねぇ」
あぁ、やっぱりか。
でも、大丈夫。
これも覚悟の上だから。
誤解され、怖がられている、ただそれだけ。
だから、これから頑張って、早く誤解を――
「早く消えてくれればいいのになぁ」
「あっ――」
その後も、ひそひそ声での罵倒が続く。
恐らく私に聞こえていないと思って言っているのだろうが、吸血鬼の聴覚は伊達ではない。しかし、良すぎるというのも考えものだ。知らぬが仏とはこのことだ。こんな声、聴きたくなかった。
吸血鬼が人里に我が物顏で出入りしてなに様だとか、もし暴れたりしたら巫女を呼ぼうとか、吸血鬼なんて、この世にいなければいいのにとか、あいつは、どうも姉より厄介で、分別がないらしい、とか。本当、色々。
確かに、予想はしていた。
だけど、実際皆が私を見たことなんてないのだし、アリスの例だってある。だから、意外と大したことないはないのでは。私を見ても案外普通にしてくれる人が多いのでは、なんて少し甘い期待があったのも事実で。
だから、私の姿を見ただけでここまでなるなんて、予想を遥かに超えていた。
「気に食わない連中ね。フラン、大丈夫?」
アリスの声に苛立ちが混じる。
アリス、私なんかの為に、怒ってくれるんだ。
「平気、と言いたいけど、予想以上に堪えるかも。お姉様が私を外に出さない理由も、少しは分かった」
「フラン…」
お姉様は、私に忠告をした。
人に理解されず、嫌われ、蔑まれ、そして傷付くと。
本当にその通り。
流石は“運命を読む”吸血鬼。
全部、言った通りだ。
そしてしまいには。
「隣の女も、あんな吸血鬼と一緒にいて、なに考えてんだ?」
皆の不満、怒り、蔑みの声は、隣にいるアリスにまで飛び火した。
「あいつも吸血鬼の仲間か?」
「知ってる知ってる。魔法の森に住んでる人形使いだ」
「本当か? 結構人にも友好的って話だろ?」
「いやいや。所詮化け物、俺らと本質的には違うってことだろ。なんだかんだ言って妖怪側なんだよ。あんな吸血鬼と一緒にいるなんて、きっとほんとはろくでもないやつだぜ」
私のせいで、全く関係のないアリスの名誉にまで傷が付く。それは駄目だ。絶対に間違っている。だから、言い返してやりたくなる。せめて、アリスの分だけでも。なんであんた達は自分のあまり知らない人ことを、まるで知ってるかのように話すんだ、って。あんたら、アリスのことを本当に知っているのかって。けど、ここで口論なんか起こしたら、私はもちろん、アリスの立場まで余計に悪くなるだろう。それくらいは私も分かる。
だから我慢するしかない。でも、アリスを巻き添えにもしたくない。だったら、私が取るべき行動は決まっている。
「ねぇ、アリス。私なんかと一緒に歩いていたら、アリスまで嫌われちゃうよ。だから、やっぱり今日の劇は… むぐっ!?」
途中まで言いかけた私の口が突如塞がれる。アリスが操るシャンハイだ。彼女が、まるで抱きつくかのように私の口元を覆ってきた。
私が落ち着いたのを確認し、シャンハイはすぐに私から離れる。そして、アリスは真剣な眼差しで私と向き合った。
「フラン、あなたは私の友達だって言ったでしょ? 私は友達を裏切ったりはしない」
「で、でも…」
「気にする必要なんかない。例え紅魔館の外であっても、あなたはもう一人じゃない。これだけは分かって。皆が皆敵ではないから。少なくとも、私は最後まであなたの味方でいるつもり」
「ア、アリス」
「ごめんね。人はね、自分が知らないものを恐れるの。だから、知らない妖怪を恐れるのは仕方のないことなの。彼らを庇う訳ではないけど、それは分かって欲しい。それに、あなたの場合、ひどい噂まで出回っている」
アリスはなにも悪くない。なのにそんな人に謝られて、申し訳なくなる。加えて、アリスの言葉で、私の決意が、私が人里で暮らし、皆に認めてもらうことがいかに難しいことかを思い知らされた。それで、この先の未来がとても不安になっていく。けど…
「だけど、本当のあなたは良い子だから、それは、私が保証するから。だから、こんな噂、きっとすぐに吹き飛ぶわ」
アリスは言ってくれた。「だから、負けないで」…って。
「ほ、本当に、私、誤解を解くこと出来るかな? 里の人間達にも、いつか認めてもらえるかな?」
「それは、あなたの行動次第。ただ、はっきり言えるのは、逃げ続ける限りそれは不可だ能っていうこと」
「…うん」
「だから、ね? 先ずは、あの子達と仲良くなりましょう?」
アリスは私の背後に指を指す。
そこにいたのは…
「話は聞かせてもらったよ」
十歳にも満たないだろう、たくさんの子供達。そして、今声をかけてきた、子供達の中心にいる、背の高い大人の女性。
銀髪に、青のメッシュが混ざった腰まで届く長髪が美しい。頭には小さく四角い帽子を被っている。服装や帽子も柔らかな青を基調としているからか、あるいは表情や佇まいからか、どことなく落ち着いた雰囲気を持っている。長身で、体格は美鈴と同じくらいある。
彼女は引き連れている私よりも小さな子供達となるべく視線を合わせるように膝に手をついて腰を落とし、全体に目配りをして言った。
「皆、今日はアリスお姉ちゃん以外にも、新しいお姉ちゃんが来てくれたみたいだ。それじゃあいつも通り、元気に挨拶出来るかな?」
「「は〜いっ!!」」
「では皆気を付けをしようか」
青髪の女性の声で、子供達は背筋を伸ばす。
「こんにちは!」
「「こんにちは〜!!」」
子供達の、元気で明るい声が私の耳に響く。
ただでさえ理解出来ていないのに、余計思考が追いつかなくなる。
「こんにちは皆! 元気にしてたかなー?」
混乱する私を尻目にアリスも明るく挨拶しながら両手を前に伸ばす。
「は〜い!」
「元気にしてたよー!」
「久しぶり! アリスお姉ちゃん!」
子供達は嬉しそうにこっちに駆け寄ってくる。
アリスだけでなく、私の所にも。
アリスだけならともかく、なんで私の所にも。
私は、気が触れてるって有名で、嫌われ者の、危険な吸血鬼なのに。
「ど、どうして…」
あの女の人は分かる。
一見普通の女性だけれど、相当な強さを秘めている。
種族までは分からないけど、人間ではなさそうだ。
でも、なんでこの子達は怖がらないの?
大人だって私のことを怖がった。
この子達は大人よりずっと弱いはず。
そこの女性とも違って特別な力だって感じない、本当に普通の子供達なのに、なのに、どうして…
「お姉ちゃん。人に会ったら挨拶しないといけないんだよー?」
「え? あ、うん。そ、そうだね。ごめんね。こんにちは」
長い黒髪が良く似合う可愛らしい女の子に声をかけられ、私はたじろぎながら挨拶を返す。戸惑う私とは裏腹に、女の子は嬉しそうに笑う。それどころか私を見て、「お姉ちゃん、綺麗だね!」とか、声を掛けてくるのだ。
どうして、吸血鬼の私に、この子達はこんなに普通に接してくれるの? 一体どうして…
「子供達は好奇心が強いからな。君を見て、優しそうだと感じた。だから、素直にその直感通りに接しているんだろう」
不思議に思う私の心を見透かすように、青髪の女性が話し掛けてくる。
「あの、あなたは?」
「私は上白沢 慧音。ここ人里の寺小屋で教師をやっている者だ。今日はよろしくな」
けいねと名乗る女性は私に右手を差し出してきた。
「あ、うん。よろしく」
毒気のない態度に呆気に取られながらも、私はその手を握り返す。
「君が今日来るのは知ってたよ」
「え、どうして?」
「昨日アリスの人形が手紙を届けてくれたからね」
ま、まじか。
アリスの根回しの良さと仕事の早さに私は脱帽する。え、なに。アリスは昨日、晩御飯作って、私の劇の練習に付き合って、服を洗って乾かして裁縫をして、更には手紙を書いて人形使って宅配までしてたの? 一体いつ寝たのだろうか。魔法使いだからあんま寝ないとか、そういうの?
「それで、寺小屋で君たちが来るのを待ってたら、上海が、子供達と広場に来てなんて書かれた手紙を持ってきたから、一体なにごとかと思ったよ。君がフランドール・スカーレットだね? 噂は耳にしているよ」
「噂って、きっとよくない噂だよね」
「まぁそうだな。ただ、君を見て分かったが、それは誤まっている嘘の“歴史”だ。歴史の真実を知り、後世に残すのが私の役目。だから、もっと教えてくれないか、フランドール。本当の、紅魔館の吸血鬼の姿を」
歴史云々、彼女が何を言いたいのかは分からなかった。
ただ、けいねと名乗ったこの人の言葉で、そして、子供達の態度で、私は勇気付けられる。
あぁ、本当、なんで落ち込んでたんだろう。
なんで、逃げ出そうと思ったんだろう。
確かに、私は罵倒された。
けど、人里の皆が私を評価した訳でもなんでもないのに、なんかそんな気がしてた。勝手に被害妄想抱いて可哀想な自分に浸って悲観的になって、それを理由にせっかくのアリスとの約束を破って逃げようとして。
本当に私は、どうしようもない弱虫で、卑怯で、臆病者だ。
私は、そんな自分の情けない所を変えていきたい。
私は決意を新たに、青髪の女性と向き合う。
「臆病で、卑怯で、弱虫。それくらいしか、私も本当の私を知らないです。でも、きっと変えるから、その為にも、今日は頑張るから、だから、よろしくお願いします」
私は気持ちを込めて頭を下げる。
アリスの言った通りだ。
私は、一人じゃない。
こうやって、私に普通に接してくれる人がこんなにもいてくれるんだ。
だから、諦めないで精一杯頑張れば、きっと分かってくれる人もいるはずだ。
増えてくはずだ。
そうなるよう、努力するんだ。
諦めたら終わっちゃう。
でも、私が強い意思で頑張れば、それはきっと無駄にはならない。
きっと皆に伝わるはずだ。
だから、私、精一杯頑張るよ。