紅霧異変:3
眼前で、本棚に背中をもたれ掛からせるようにして、あの七曜の魔法使いがへたり込んでいる。魔力の大部分を使い果たしたからか、息も絶え絶えとしており、苦しそうに呻いている。あれをくらって意識をまだ保てているのだから大したものだが、これではもう反撃する力も残されていないだろう。
魔法使い、パチュリー ・ノーレッジ。確かに強敵だった。
私は周囲を見渡す。戦闘を終えるまでは気が付かなかったが、あれだけの戦闘だったにも関わらず、周囲の図書には傷一つない。こいつは、あれだけの膨大な魔術をただ私達を倒すためだけに放っていると思わせておきながらも、周りの図書には被害が出ないよう計算し、そして恐らくは防壁などを張って守りながら戦っていたのだ。その能力もだが、戦いの最中でも大切なものを守る姿勢、敵ながら感嘆に値するわ。
ともかく、この魔女はそんな強敵だったのだ。魔理沙が来なければどうなっていたか。私一人でも全力を出せば勝つ事が出来たかもしれない。だが、仮に出来ていたとして、より消耗していたことは間違いない。
「魔理沙、ありがとう」
「おぉ、だが、礼を言うのはまだ早いぜ。この異変を解決した時に、改めて、な」
「そうね。その通りだわ」
私は「さて」と魔女に向き直る。魔女は苦々しい表情で私を見上げてきた。
「流石、ね。博麗の巫女。その歳にして博麗を引き継ぐだけの事はある。それと、白黒の魔法使い。あなたも立派な魔法使いよ。私の敗けだわ。二人とも、名前を教えてくれないかしら」
「博麗霊夢よ」
「霧雨魔理沙だ」
「…そう。ありがとう。博麗霊夢と霧雨魔理沙、ね。さぁ、私はもう呪文の一つも唱えられない。煮るなり焼くなり好きにしなさい」
「そう。それじゃ…」
私は観念したように目を閉じる魔女の元まで歩み寄り、
「大人しく、私達にここの秘密を教えなさい」
魔女は首を傾げる。そして暫し考えてから、「…秘密って何かしら」と聞いてきた。
「すっ惚けないで。この地下で、あなたが隠しているもの、よ」
私の言葉に、魔女は深くため息を付く。
「まだそんな事を言っているの? さっき、この地下にはこの図書館の他には何もないと言ったはずだけど」
「あなたこそ、まだそんな嘘をつくのね。まぁ、そっちがその気なら構わないわ。勝手に捜させてもらうから」
「あら、私はこのままでいいの? お優しいのね」
私だって、自分がこんな甘い行動を取るなんて、異変に向かう前までは思ってもいなかった。だが、最初にこちらにそういう甘々なムカつく態度で接してきたのは、この魔女や、それにあの門番だ。
だというのに、もう負けを認めている動けない奴を相手に、これ以上私がどうこう出来るはずがない。だからこれは…
「ただのお返しよ」
「お返し?」
「先に見逃すとか言って、余裕丸出しの舐めた態度をとったあんたへのね。私が同じような態度をやり返してやることで、私の感じた屈辱を味わってもらおうってことよ」
魔女はきょとんと目を丸くしたあと、やがて呆れ顔で「はいはい。まぁ、私にはどうせもうあなた達を止める力もないから、勝手にしなさい。」と言って微笑んだ。
だが、魔女は直ぐに真剣な顔で、「ただ」と付け加えた。
「忠告はさせてもらう。これ以上時間を無駄にしない方がいいわ。もう夜まで一刻の時間もない。確かに貴方達は強かった。それに、博麗の巫女、貴方の方は、まだ温存している手札がいくつかあるようね。ただ、それを踏まえて言わせてもらう。貴方達が二人掛りで挑んだとして、夜のレミィには絶対に敵わない。いえ、例え昼間だったとしても、今の貴方達とレミィとの実力では、大人と子供程の差があるわ。レミィがどういうつもりで異変を起こしたかは私とて分からない。けど、本気でレミィと相対する気なら、それ相応の覚悟をしておいた方が良い。吸血鬼の力を… いえ、レミリア・スカーレットの力を、甘くみない方がいいわ」
「…一応、忠告は聞かせてもらうわ」
これだけの実力を持つ魔女が言うのだから、きっと身内びいきなどではなく、やはりこの館の主である吸血鬼はかなり力を持った危険な奴なのだろう。日中でもこの魔女を超える力があるとしたら、確かに厄介この上ない。であればやはり、可能な限り急ぐべきなのだろう。
個人的には、昼だろうが夜だろうが、相手が万全であろうがなんであろうが関係ないと言いたい。元より、吸血鬼の恐ろしさは二年前から知っている。肌で感じた訳でも、目で見た訳でも、ましてや直接相対した訳でもないが、話に聞くだけでも十分だ。なにしろ、あの先代が死を覚悟したのだ。その事実だけで、相手がどれだけ危険な奴かってことはある程度理解出来る。
だが、それでも私は乗り越えなければならない。何故なら今後も、どんな異変が起ころうと私は私の力で乗り越えていかなければいけないのだ。一度異変を解決されている奴なんかに負けてはいられない。先代の代わりを、今後は私が一人で務めていかなければならないのだから。
だが、今回は私一人の問題ではない。魔理沙も巻き込んでしまってる。まぁ、私が巻き込んだ訳ではないし魔理沙の勝手ではあるのだが、それでも、この今一緊張感に欠ける能天気なアホタレを危険な目に合わせてしまうことには変わらない。
しかし、私の直感が言っている。この地下には、なにかここに住む吸血鬼か、あるいはこの館にとっての重大な秘密があると。それを知ることが、吸血鬼の、そしてこの館の連中の考えを知ることになるのではないかと感じるのだ。
魔女の元から離れた私は魔理沙に「どう思う」と尋ねた。我ながら漠然とし過ぎた問いだったが、魔理沙は特に考える様子もなく応えてくれた。
「そうだな。私もあの魔女と同意見で夜になるのは危険と思うが、霊夢の考えも分かる。そこで提案なんだが、実は私が霊夢とあの魔女の戦いに割り込む前に、怪しい場所見つけたんだ。そこだけ見てから吸血鬼の所に行くってのはどうだ?」
「怪しい場所、ね」
確かに、それは気になる。そこに本当にお目当のものがあるかは分からないが、一先ずそこに賭けましょうか。
「分かったは。それでいきましょう」
私は魔理沙に案内され、図書館を出た。薄暗い廊下。二手の分かれ道を左に。どこか見覚えあると思ったら、反対側には光が薄っすら差し込んでいるのが見える。ここは、あれか。私がこの図書館に来る前の分かれ道の反対側か。で、どうやらどちらの道も結局大図書館に繋がっているようだ。だが、こちらの通路には奥がある。そうかと思えば進んだ先には結局行き止まり、ただの壁があるだけ、か? 不自然な作りね。
いや待て。そうか、なるほど。これは、地下を隠していたのと同じ幻術魔法か。
私は躊躇わず破魔の札を壁に押し当てる。すると瞬く間に壁が消え、目の前には重圧な鉄扉が現れた。重々しい雰囲気に私はゴクリと唾を飲む。
「やっぱりな。怪しいと思ってたんだ」
「けど、開かないわ」
今度は魔法でなく、物理的な問題だ。単純に、鍵がかけられている。厳重ね。それだけ、隠したいものがあるって証拠だわ。
「それなら私にお任せあれだ!」
魔理沙は懐から針金のように細い鉄棒の束を取り出すと、鍵穴に差し込みガチャガチャし始めた。なにそれ、ピッキング道具?
「ちょっと、そんなんで開くわけ…」
「開いたぜ!」
「うそ!?」
はやっ!
「以外と簡単だったな」
「いや、手慣れ過ぎでしょ。あんた、職業を自称魔法使いから盗賊に改名したら?」
「おっ、それもいいな。恋の盗み人、的な?」
「どっから恋が出てきたの? 意味不明よ」
「ダメか?」
「ダメよ」
「じゃぁ、恋の魔法使いだな!」
「だから恋が余計なんだっての! っと、いけないいけない。こいつに付き合ってたら時間がなくなる」
「私のお陰で扉が開いたんだけどな」
「いいから、行くわよ」
私達は扉を押して解放する。
部屋の中から漂うは血生臭い死臭と、解体机の上、ミンチ状にされた人肉の塊。転がる手足。この部屋は、吸血鬼の食料補給の為の、残酷で凄惨な食肉工場。
…そんなおどろおどろしい想像を膨らませながら、私は中を覗き見るが…
「なに、ここ…」
そこに広がっていた光景に、私は絶句する。想像のような人肉工場とは違っていたが、怪しい部屋だ。
そこには、大小様々な道具の数々が無造作に置かれていた。禍々しく、…は見えないけど、拷問器具に見え、…なくはない、かもしれない。見ようと思えば、見えるような、もしそうだったら、この館や、この地下の雰囲気ととても合っているんだけど、どうなのかしら。なんだか違うような。
具体的には、1とか2とか、いくつかの数字(多分重さの単位)が書かれた可愛らしい色とサイズの小さな鉄塊だったり、ぷよぷよした両手で抱える位の大きなボールがあったり、床に固定され動きそうにない自転車のようなものがあったり、なんか人が一人乗れるかどうか程度のベルトコンベアのようなものがあったり。他にも何やら色々置かれているけど。
なに、ここ。怪しいといえば怪しいんだけど。
私と魔理沙の知人の、“未知の道具でもその名称と用途が分かる”という微妙な特殊能力を持つ男を今すぐ呼んで一つ一つ鑑定してもらいたい所だ。まぁ、鑑定しなくとも用途は分かる気がするが、私の考えが間違いであって欲しい。
「おい、霊夢。こっちに来てみろよ」
「なに? 怪しいものでも見つけたかしら?」
「んー、怪しく、はないな」
魔理沙に案内された場所にあったのは、机と本棚。机はいくつかの紙で散らかっている。
その内のいくつかは記録用紙のようだ。手書きで日付けと、何やらカタカナので文字やら数字が書かれているものが何枚か。
えー、プッシュアップ8回×2セット。右矢印(→)があって、1セットで断念。次回こそは目指せ2セット? で次が、スクワット、2キロダンベル2つで25回×2セット。1セットで膝が限界で断念。次はダンベルなしで? …これは、何かの怪しい実験結果?
他にもそれぞれの道具と同じ形状の図が描かれているものもある。こっちは道具の説明書かしら? なになに。
「魔理沙、大変よ。あのベルトコンベアは、人を乗せて、延々と走らせるものらしいわ。やはりこれらは、拷問器具よ」
「いや、単なる運動器具だろ」
「…よね」
魔理沙は続いて本棚から数冊の本を私に見せる。どうやらこれらの本や道具は外の世界のもののようで、『初めてのダイエット』とか、『正しい健康的な運動方法』とか、『一日10分、身体引き締めトレーニング』とか書いてある。
そして、さっきの一見実験の記録用紙にも見える紙には、“パチュリー ・ノーレッジ”と表記されてる。そして、日々の体重の記録も。そして、壁には、『目標、目指せ、一ヶ月でマイナス5キロ!』とかデカデカ貼ってある。
つまりこれって、単なる…
「見てしまったわね」
部屋の外から、殺気の篭った声が聞こえてきた。振り返ると、そこには、先程まで確かに疲労困憊で動けなかったはずの魔女が立っていた。その目には先程までの眠たそうな感じは全くなく、これでもかと大きく見開かれている。気のせいでなければ、その暗く淀んだ瞳孔は殺意で満ち溢れ、こちらを見据えている。
こいつ、一体何にそんなキレているんだ? って、そんなの分かりきってるんだけど、分かりたくないというか。
「…誰にも内緒にしていた、私の、秘密の、隠し部屋を…」
先程まで確かに力を使い果たし動けなかったはずの魔女が、ふらふら、ゆらゆらと、ゆっくり、だが、確実に、こちらに向かって歩いてくる。
「だからあれ程、早く解決に向かいなさいって忠告したのに…」
「いや、その前に、確か勝手にしなさいとも言っていたけど…」
「本当に異変解決そっちのけで家捜し続けるとか思ってなかったのよ!」
魔女は急にクワッと叫ぶ。その言動と血走った瞳に先程の戦闘時よりも遥かな身の危険を感じるものの、同時に残念で残念で仕方がない気持ちも芽生える。なので私は、恐れ知らずかもしれないが、それを疑問にしてぶつけてみる。
「あの、貴方が嘘を付いてまで隠したかったこの地下の秘密って、もしかしてこれだけ?」
できれば勘違いであって欲しかったのだが、
「だったら何が悪い」
残念ながら、勘違いではないようね。
「偉そうにしていて、実はこいつ、こんな貧弱な身体なのかって笑ったな?」
「わ、笑ってないわ。うん、人には向き不向きがあるし、あれだけの魔術が使えるんだから、多少もやしっ子でも」
「もやしっ子言うな! それに、最近の私はもやしっ子じゃない! 主に、お腹が、ふっくらと… って、なにを言わせる!」
「いや! 私は何も言ってないし!」
な、なんで自分で自分の傷口に塩を塗って勝手に一人キレてんのよこの魔女は! さっきまでのクールなキャラはどこいった!? ちょっと情処不安定過ぎでしょ!
「それに、お前ら、私の体重まで見たな? 重いと思ったか? 細そうに見えて、もやしに見えて、実はこんなに身体に余分な肉が付いているのかと呆れたか? もやしに見せた大根だとか思って内心大笑いしてたんでしょ?」
「思ってない! 思ってないから、落ち着きなさい!」
「これが落ち着いていられるか!」
「ひっ!」
こ、怖っ! 見開かれた目も、覚束ないようでこちらを逃す気のない歩き方も、声も、言ってることも、なにもかも、まったくもって怖すぎる! さっきまでのダメージはどこいった!? こいつ、やはり吸血鬼よりよっぽど危険な存在なんじゃないか!?
「私だって、これでも女。体重やスタイルとかだって、気にはする。でも、仕方がないじゃない。私はアクティブが嫌い。自ら積極的に動くのが嫌い。出来ることなら、ずっと座って静かに読書に耽ていたい。それじゃぁ身体に良くないってことは分かってた。分かってたけど、染み付いた生活習慣は変えられなかった。その結果が、これよ」
魔女は服越しにお腹を摘まんだ。直じゃないからそんな見えないが、確かに、柔らかいものが幾らか乗っていそうだ。触ったら気持ち良さそう。
「今までも、段々たるんできている気はしてた。けど、気のせいだろうと現実逃避をしてきたわ。けど、残酷にも、この体重計の数字ではっきり示されてしまったわ。軽度肥満、ってね。笑うといいわ。笑いなさいよ」
笑いたいが、笑えない。笑ったら本気で命が危うい。そう本能が直感している。
「お、落ち着いて。大丈夫。ぱっと見る限り、そんな太ってるようには見えないから、大丈夫よ」
「黙れ。この部屋、私の密事、私の体重、肥満という私の身体の事情を知ってしまったからには、ただではおかない」
「最後は主に自分の口からから言った気がするけど!?」
「煩い! もう自棄になったのよ! それもこれもあんたらのせいだ! 私のまだ見せていなかった最後の属性、魔を内包した月の明かりを受け、悶え苦しめ! そして出来るなら記憶からこの部屋のことを抹消しろ! サイレントセレナ!」
「あ、危な!」
魔女の頭上の魔方陣が出現し、そこから無数の青い光の光線が照射される。
こいつ、弱ってるんじゃなかったのか!? 私はなんとか自分と魔理沙の周囲に結界を展開して防ぐが、先程の戦闘時となんら変わらない、否、下手したらそれ以上の力を秘めた魔力の前に押し込まれる。なんとか魔法を防ぐことに特価させた防御結界で防げているが… ま、まずい。長くは持ちそうにない。
こ、これがこの魔女の本当の実力か… って、こんな下らない事でなに実力を発揮してんのよ!
そんな、反撃もできず結界を受け固まる私に(そもそも理由が理由なので反撃する気が沸いてこない)、魔女はあろうことか飛翔すると、手に持った本を振り下ろして来た。
魔力で身体能力を向上させているのだろう。とてももやしっ子やダイエットに勤しんでいる運動不足な奴とは思えない身軽な動きで、魔女は私の脳天目掛け正確に本を振り下ろしてくる。
私は横っ飛びでそれを避けるが、当たってたら確かに記憶がポロッと何処かにいきそうだ。だが、お陰で魔女の魔法の攻撃は多少緩む。
「こ、こいつ! 大人しくしてろ!」
それを察した魔理沙は魔女に向かって星型の弾幕を放つ。
「ふぎゅっ!」
攻撃にしか頭がいってないのか、予想外にも弾幕は魔女に直撃、魔女はこれまた予想外な可愛らしい悲鳴をあげる。
さっきの戦いならこれ位余裕で防いだはずだが、防御を全て攻撃の意思に回しているのだろうか。だが、魔女の戦意は衰えない。身体中からより凶悪な魔力を発する。
「もう完全に頭にきたわ! この部屋をついでにお前らごと消しとばし、全ての証拠を消し去ってやる!」
「い、いやいや、いくらなんでも自暴自棄になり過ぎでしょ!」
「お、おぉ落ち着け! そんなことしてもなにも解決しないぜ!」
もはやこいつが消し去りたいのは私達なのかこの部屋なのかすら分からないんだけど!? もやしなのは身体じゃなくってメンタルでしょ!
焦る私達とは裏腹に、魔女の魔力の高まりは先程の戦闘を優に超え、最高潮に達する。そして、
「燃え盛る太陽の灼熱を受け、灰燼と化せ! ロイヤルフレ… げふぉ!」
ロイヤルフレゲフォ?
「ロ、ロイ、げふ! ロイヤ… げふげふっ!」
魔女は急に咳き込み始める。そういえば、さっきの戦いの最中でも、大声出した時にこんな感じでむせ始めていたわよね。こいつ、喘息持ち? あんま声出すと咳き込むから、だから大きな声を避けてたの? クールなイメージは、実はただの体質のせい?
私にそんな悲しい予想を立てられる魔女に、魔理沙はまた弾幕をぶつけた。今度は「むきゅっ!」とまたしても小動物のような可愛い悲鳴が聞こえた。
「今の隙に逃げるぞ霊夢!」
不覚にも魔女に対し憐れみの目を向け固まってしまう私の手を魔理沙は引っ張り、出口に向かって走り出す。
た、確かに、これ以上時間は無駄に出来ないわね。怪しいと思ってたこの地下の実態がこんな下らない部屋だったことは残念極まりないけど。
「ま、待ちな、げふごふ。待ちなさい! こ、紅白! 白黒! げふん!」
「あんま興奮しない方がいいわよ〜」
「ちょっと落ち着け〜 血圧の上昇は身体にあんま良くないぜ〜」
「だ、誰のせいだと! げふごふ! こ、この部屋で見たことは、げふっ!ぜ、絶対忘れること! 絶対、他の奴らには言うんじゃ… げふんげふん!」
「言われなくても、こんなことで異変解決を先延ばしにして、時間と体力を無駄にしたことなんて忘れたいわよ」
「だな」
私と魔理沙は駆け足で走りつつ互いに意見が同意したのを確認すると、ため息を着いて出口を目指した。どうやら魔女は追ってくるのを諦めたらしい。
一階に出る。光が眩しい。色々な意味で地下は疲れた。その割に大した収穫もなかったし。
「もう二度と地下には行きたくないわ」
「そうか? 私はまた行きたいけどな」
「…それは特殊な感性をお持ちで」
これだけ苦労して得た成果が、あの魔女の体重だとか、流石に虚しい。私的にはもう二度と行きたくないのだが…
「いやいや、あの地下の大図書館にある本の数々は本当に面白そうだぜ!」
「それに対しては同意だけど、またあの残念な魔女が襲ってくるわよ」
「そん時ゃそん時だな」
それはそれは、強靭なメンタルをお持ちだこと。
私達は危機感のない会話をしながら、二階、三階と登っていく。地下では酷い目にあったが、その後の館は不自然な程静かで、私たちの行く手を邪魔するものは現れない。
そして四階に到着し、主の間がある最上階まであと一階という所まで差し掛かった。
「吸血鬼、レミリア・スカーレット。一体どんな奴だと思う?」
「さぁね。ただ、危険な奴って事は間違いないわ」
幻想郷中を紅の霧で包むなど、普通の妖怪では真似出来ない。一体どれだけの膨大な魔力が必要なのか。それに、二年前の吸血鬼異変。幻想郷に突然乗り込んできたと思ったら好き勝手暴れ回り、従わない妖怪を滅ぼして回ったと伝えられるそのあり方は普通ではない。
だが、
「まぁそうだが、なんかこの館の連中を見てたら、そのレミリアって奴も、実はそんな悪い奴じゃないんじゃないかって気がしてきたぜ」
魔理沙はそんな甘い考えを口にしてきた。
「そんな訳ないでしょ。じゃぁなんでこんな異変を起こすのよ」
私はそう口にするが、その気持ちも分からなくもない。この館の連中は、確かに一癖も二癖もある奴もいたが、そういう奴らに限り、ちょっと特殊というか、変わってこそいるが、悪い奴とは言えない奴らな気がする。私でさえそんな甘い考えを抱いてしまっているのだ。
「まぁそうかもだが、先ずは話をしてみようじゃないか。相手の目的や考えが分かったら、案外話し合いで解決できるかもしれないぜ」
「…そうね。考えておくわ」
私的には、吸血鬼がそんな話の分かる奴だとは思えない。だが、それも試してみないことには分からない。
私一人であれば、とてもそんな考えには至らなかっただろう。二年前のことや、私個人の意地もある。だが、そんな私個人の意地に魔理沙を巻き込む訳にはいかない。
私だって、そんな意地は異変を解決する上で不要だということは分かってる。だから、今回魔理沙が来てくれて、本当に助かったと思う。
「でも、油断はしないようにね。相手の思惑がなんにしろ、危険な相手であることは間違いないんだから。相手に対話の気がなかったり、戦いになったら甘い考えは捨てるのよ」
「おぉ、分かってるぜ。よし、最上階だな」
私と魔理沙は長い階段を登り切り、いよいよ最上階へと足を踏み出した。
「…え?」
私たちは、気が付いたら階段の踊り場に立っていた。
“最上段へと足を踏み入れたはずが、気が付いたら、最上段のずっと下にいた”のだ。
勘違い? 話に夢中になり過ぎて、最上段と踊り場を間違えていた?
いや、そんなバカな話は絶対にない。
理解出来ない出来後に私は困惑する。それはどうやら魔理沙も同様のようで、魔理沙も、「おい、どうなってるんだ?」と私に尋ねてきた。
だが、私に聞かれても応えられる訳がない。
幻覚? 先程と同じ幻術魔法? そうだとしたら今起こった事も説明出来るが、そんな気配や不自然な魔力の流れは何も感じなかった。
何がなんだか分からない、狐につままれたかのような感覚。それ以上に、ひょっとしたら、今この瞬間、命を落としていたのではという理解不能な恐ろしを感じ、身の毛がよだつ。これは、もしかしたら、
「これは、吸血鬼の仕業?」
「違うわ。お嬢様は主の間で貴方達が来るのをお待ちかねよ」
いつの間に現れたのか、階段の最上段に女が一人。人の気配などまるで感じなかったのに。
冷たい氷を連想させる銀髪に青い瞳。年齢は私とそう変わらない顔立ちのようにも見えるが、背は高く、眼光は鋭い。
服装は青と白を基調としたメイド服。ってことはこいつもメイドか。だが、地下の図書館で戦った妖精メイド達とは訳が違いそうだ。立ち振る舞いからもこいつが只者ではないということが分かる。
あの魔女と、門番、どちらにも似ていて、どちらとも違う、得体の知れない危うさを感じる。油断したら一瞬で首を掻っ切られるような、視線を合わせているだけで、常に首筋に刃を向けられているような、そんな感覚。気配から察するに種族的には私や魔理沙と同じ人間のようだが、こいつ、一体何者だ?
「あなたは何者?」
「はじめまして、ね。博麗の巫女。私の名前は十六夜 咲夜。ただの、ここでメイド長として働かせてもらっている、この館唯一の人間よ」
戯言を。ただの人間にこんな威圧感が出せるものか。
私はこの惚けた女を睨むが、魔理沙は私を制するように前に出た。
「それで、その人間のメイド長さんが一体私達になんの用だ? 私達を、そのお待ちかねのお嬢様の元までエスコートしてくれるのか?」
「それはあなた達次第」
魔理沙が「つまり?」と聞く。
「貴方達に、お嬢様がわざわざ会う価値があるかどうかを私が試してあげる」
今度は私が「どうやって?」と尋ねた。
「簡単よ」
女は腰に下げた銀色の懐中時計を握ると、それを私達に見せてきた。
「日が沈むまで、あと三十分もない。それがリミット」
「リミット?」
「それまでにこの階段を登り切れたら、貴方達を認めてあげる」
気軽に、「登るだけ? 簡単そうだな」と答える魔理沙。対し、銀髪の女は「えぇ、そうね。登るだけだもの。とても簡単」と同意をすると、おもむろに懐に手を入れた。
そこから取り出されたものを見て、魔理沙は「げっ!?」と上体を仰け反らせる。
女が取り出したのは四本のナイフ。それが、だらんと垂れ下がった女の腕の、細長い指と指の間に握られている。物騒な凶器の鋭利な刃筋が光を反射し不気味に光る。
「なるほど。で、それを邪魔するのがあなたって訳ね。上等よ」
「思っていたより話が早いようで助かるわ」
「それはどうも。で、時間までに登りきれなかったら?」
「その程度のことも出来ない愚図には、お嬢様に会う資格などないと判断して、この館からご退場頂くわ。どの道そんな簡単なことも出来ない人達には、お嬢様の前に立った所で何も出来やしないのだから、その方があなたたちの身の為でしょう?」
こいつ、ここを通す気なんかさらさらなさそうね。まるで、私達はそんな簡単なことさえできないと言いたげだわ。まさか、本気で一人で私達二人を通さない気かしら。もしそうだとしたら…
「いいわ。その舐めた態度、後悔させてあげる」
「勇ましいわね。けどあまり期待はしないでおくわ。さっき程度の軽い挨拶でおたおたしている所を見ると、とてもじゃないけど、ね」
「言ってくれるじゃない」
やはり、さっきのはこいつが私達になにかしてきたって訳か。それの正体が分からない間は、下手な事はしない方が良さそうね。見る限り、あいつの得物はあのナイフ。それ自体がフェイクの可能性も勿論あるが、用心するに越したことはないわね。物理の結界を張っておくか。
「へぇ、冷静ね。けど、守りを固めるだけではここは突破出来ない、わよ!?」
女は手に持ったナイフをなんの躊躇いもなく投げ付けてきた。
そのナイフは弓矢でさえ苦もなく弾く私の結界をいとも容易く切り裂いた。私は横っ飛びで躱すと、私が立っていた場所にナイフは深々突き刺さる。その鋭さたるや、さっきの魔女の水圧のレーザーと同等か、それ以上だ。それでも速度は緩むので意味なくはないが、あまり結界は頼りにならない。
であれば防御結界は意味をなさない? それより攻撃に重きをおくべきか? 否、私の感覚が告げている。この女を相手に結界を解くのはあまりに危険、と。保険はかけておくべきだ。少なくとも、私達が体験したあの不可解な事象。恐らく女の能力によるものと思われるが、それを解くまでは。
だが、こいつ、悠長に考える暇を与えるつもりもないようだ。
女はナイフを投げ付け様、こちらに向かって飛び降りてきていた。
その手には、既に別のナイフが握られている。振り下ろされるナイフの斬撃を今度は後ろっ飛びで下の段に飛び降り回避。
「どうしたの。ゴールは上の階よ?」
女は床に刺さったナイフを回収しつつ悠然と立ち上がると、息を吐きかけ、汚れを落としている。余裕丸出しか。まったくもって腹立たしい態度ね。
「霊夢、攻めるぞ!」
「えぇ! 分かっているわ!」
魔理沙は飛翔し弾幕を放つ。確かに相手の手の内を把握したいが、攻めずにはそれも叶わないだろう。それに、ここは多少強引にでも行かせてもらう!
空中射撃は魔理沙に任せた。私は地上から。こいつはどちらかというと近接戦闘が得意なタイプに見える。実際の腕前がどの程度のものか、見せてもらおうじゃない。
私は霊符を放ちながら階段を駆け上がり、女へと接近を試みるが。
「あら、あなたも近接戦闘がお好みかしら?」
私は女の動きにゾッとする。眼を見張るなんてものではない。前方から私の霊符が迫り、上空からの魔理沙の弾幕が降り注ぐ中を、こいつは悠然とこちらに歩み寄ってくるのだ。避ける必要がないと思った弾幕は無視し、防ぐ必要があると判断した最低限のものはナイフの投擲や斬撃でかき消し、残りは触れるか触れないか、紙一重で見切る。
私は接近し幣を振るうが、こいつはそれさえ最低限の動きでかわし、いなし、隙間を縫うように反撃に出てくる。僅か数回の立会いで、私は霊符を放ちつつ距離を離した。いや、離さざるを得なかった。
私が近接に出るとなると、大雑把な魔理沙では弾幕の援護も難しくなる。なので、数の利は活かせず、実質一対一となる。だが、私は体術も得意なので、同じ人間であればそう簡単に遅れは取らないと踏んでいた。だが、悔しいが、近距離戦では相手に分がある。今の僅かな攻防にしても、防御結果を張っていなければ、恐らく一撃以上確実にもらっていた。
無駄を一切切り捨てたこいつの動きは、まるでこいつ自身が鋭く研ぎ澄まされてナイフのようだ。私も紙一重での攻防を得意としているが、こいつは異常だ。魔理沙の弾幕や、私の幣、霊符、いずれも生身の人間であれば一撃もらえば致命者となる攻撃だというのに、まるで動じる気配がない。恐怖とか、そういった感情を一切切り捨てているかのようだ。
「あら、近接はもうお終わり? けど、逃がさないわよ」
「ちっ!」
私は女に向かって結界を放つが、ナイフの一閃で切り裂かれる。女はそのまま滑るように私の懐へ。再び一閃。なんとか幣で防ぎ、こちらも返す。が、すり抜けるように女は背後へ。完全に死角を取られた。次いで殺気。死角で動きは見えないが、女の一撃が私の首元へ振り下ろされているのを感じる。私も勘を頼りに幣を振るうが、確実に女の一撃の方が早いだろう。
「私もいるのを忘れてもらっちゃ困るぜ!?」
そこへタイミング良く魔理沙が突っ込んできた。ミニ八卦炉をブースターにし、まるで流星のようなスピードで。危うく私も躱さなければ轢き殺されかけていたが、さしものあの女もこれには距離を大きく離す。お陰でなんとか間合いを離せた。
「霊夢、突っ込み過ぎだ!」
「そうね、助かったわ」
本当、魔理沙には助けられっぱなしだ。それに、ここの館の連中には、一々自信を挫かれる。妖怪ならともかく、吸血鬼ならともかく、まさか同じ人間にここまで圧倒されるとは。
「お仲間に感謝することね。もし助けがなかったら、今頃意識はなかったわ」
「うるさい。生きてたんだからオッケーよ」
様子見はもう十分だ。こいつの強さは良く分かった。温存しているのか、まだあの不可解な能力も使っていないし、未知な部分も多い。だが悠長にそれを解き明かすまで待っているのはかえって危険。時間もない。であれば短期決戦に持ち込もう。こいつの動き、予測を上回る攻撃で一気に圧倒するべきだ。人間であるこいつに、威力は必要ない。一撃当てるだけで良い。であれば、確実に捉えることを重視するべき。例えば、密度と速度の両方を兼ね備えた攻撃だとか。
「魔理沙!」
「アイアイサー!」
私は大量の札と結界をばら撒く。合わせ、魔理沙も上空から弾幕の数を増やす。
「何処を狙っているのかしら」
女は私達の放つ膨大な弾幕に囲まれる。だが、その只中にいるというのに、女にはまるで当たらない。ナイフを舞わせ、踊るような華麗な足捌きで弾幕をかわし、いなす。一見当たりそうだというのに、まるで当たる気配がないという、矛盾した感覚。はなからこの程度でこいつを捕まえられないことは分かっていたが、やはりこいつも相当な化物だ。
「次は逃がさないわ」
そして、女は私を目掛け、再び疾走する。
私の結界さえ切り裂く斬撃といい、豹のような身体能力といい、そして何より、この弾幕の雨を掻い潜る、無駄のない見切る力。こいつはもう、十分人間をやめている。だが、実際の身体はあくまで人間のそれであろう。そして、あの魔女にも言えることだが、これだけの力を持っているのだ。こいつは最初から、全力で私達を潰しにくるべきだった。
無駄を廃し、最小限の動きで相手を追い込むその戦術の形は確かに恐ろしい。だが、その無駄のなさは、一度動きを読まれれば、返ってその動きや立ち回りを相手に分かりやすくもさせるもの。
「なっ!?」
女は私の眼前で慌てて急ブレーキを掛けた。急に目の前に巨大な結界壁が立ちはだかったのだから、当然だろう。もう少し反応が遅れていたら頭から結界へと無様に突っ込む姿を拝めたのだが、まぁ良い。既に女の周囲は五角形の結界に囲まれ、逃げ場は上空にしかないのだから。
「何故?」
恐らく、私が取り分け強い霊力を発することもなく結界を展開したことに驚いているのだろう。女は結界を壊すべくナイフを振るうが、いくら切り裂いても無駄だ。それは差し詰め水を切るようなもの。この結界はいくら切っても瞬く間に再生をする。
「…っ! そういうことか!」
女は周囲を見渡し、ようやく気付く。結界を織り成す五角形の頂点。そこに張られた護符の存在に。
さっきの私の攻撃はあくまで布石。攻撃用の霊符に混ぜ、単品では全く力を持たないが、正しい配置によって初めて力を発揮する術式を織り交ぜた護符を混ぜていたのだ。
逃げ場は上空のみ。女もそれに気付き上を見上げるが、そこには既に魔理沙がいる。魔理沙は手に持つ魔高炉に、エネルギーを注ぎ込み、既に準備は万端だ。
「チェックメイトよ」
「くらえ! マスタースパーク!」
膨大な熱量が走る。それは、結界と共に、女の身体を飲み込んだ。




