紅霧異変:2
紅 美鈴に見送られながら、私は門を通り、広い庭園を抜けて真っ直ぐ進み、本館と思わしき館に向かう。
しかし本当にあのまま私を通すとは。しかも敵である筈の私に、笑顔で手まで振って見送るなんて。一体あいつどういうつもりなのかしら。
あの、なんとも緊張感のない脱力しきった笑顔を思い出し、私はなんとも複雑な心境になる。
短いやり取りしかしてないが、あの門番も、別に主の吸血鬼を見限って私を通すという訳ではないようだ。となると、どうせ私では主を害せないと舐めているのか、それとも主を信頼してるのか、あるいは妖怪特有の気紛れか。なんであれ不愉快だ。けど、そう思う一方で、あの妖怪のあまりに無邪気過ぎるあり方に、どこか憎めずにいてしまう。
全く、これが本当にかつて幻想郷を震え上がらせたあの吸血鬼の側近なのかしら。まぁ、二年前の門番とは別人という可能性もある。とりあえず今は一度忘れて、異変の解決に集中しましょう。
歩きながら赤い霧の支配する空を見上げる。赤い霧に覆われよく見えはしないが、明るさから考え、まだ日は登っているようだ。だが、心なしか神社を出てきた時より薄っすら暗くなり始めているようにも見える。なんだかんだ、あの門番に時間を稼がれてしまったということかしら。夜は吸血鬼が最も本領を発揮する時間だ。それでも負けるつもりはないが、念には念を入れた方がいいわよね。少し、解決を急いだ方が良いかしら。
気を引き締め直し、紅魔館を見上げる。しっかしながら本当に圧巻な建物ね。煉瓦のような素材を思わせる、嫌でも目につくような真っ赤な外壁も凄いけど、何より驚くべきはその大きさだ。本当に馬鹿でかい。うちの神社、一体いくつ入るのかしら。例え霧が晴れたとしても、これ位まで近くに来るととてもその全貌は見えなさそうね。
僅かに取り付けられている窓から考察すると、どうやら四階建てと、五階建ての構造が組み合わさっているように見えるが、一層一層がとても高い。人里の建物と比べると、同じ階の階建の倍の高さに相当しそうね。その中でもひときわ高い離れに見える怪しげな塔なんかは、霧で覆われ天辺が見えない。紅魔館、いかにも悪の親玉の根城、といった風貌ね。
確か紅 美鈴女は、首謀者と思わしき例の吸血鬼が主の間とやらにいるような事を言ってかしら。その情報提供は有り難いけど、これだけでかいとその場所を探すにしたって苦労しそうだ。
とりあえず最上階まで飛んでいこうかしら。御誂え向きに開いてる窓もあるし。いや、目的地が分からない以上は何処から飛び込んでも同じことか。なら、ここは正々堂々と正門らしき所から乗り込むか。
眼前にそびえる巨大でいかにも重圧そうな鉄扉に蹴りをくらわす。ゴーン、と鈍い音を響かせ勢いよく扉を蹴破った私は、すぐ何が出てきてもいいように身構えるが… 意外と静か、どころか、なにも現れない。直ぐに吸血鬼の手先が現れると思ったのだが。お留守、なんてことは無いわよね。
代わりに現れたのは、巨大な階段のある、だだっ広いエントランスホールだ。流石に紅魔館の中にまではあの濃霧が広がっているということは無く、その様子をありありと確認できるのだが、この館、外観だけじゃなく、中までこんな真っ赤な色をしてるのか。絨毯も赤、壁も赤。慣れるまでとても目と精神に悪そうだ。赤い霧に赤い内装、主の趣味だと思うが、やはり吸血鬼。真っ当な感性の持ち主ではなさそうね。あの門番は人畜無害であったが、やはり主にそれを期待はしない方が良いだろう。まっ、最初からそんなつもりは毛頭ないけどね。
「それにしても広過ぎじゃないかしら?」
そんな感想を抱きつつも私は取りあえず中に踏み入る。こんな広いと掃除だけでも大変そうだ。だが、思いのほか綺麗、というか、埃一つ落ちていない。てっきり吸血鬼の住まいなどカビと埃だらけだろうと思っていたんだけど。まぁ、だからどうしたという話だけど。
エントランスホールの中央まで来た私は、改めて周囲を見渡し、行き先を考える。
さて、この階段を登るか、この階を散策するか。主の間というと、なんとなく高いとこにありそうな気はするけど… 何処かに案内図でも張ってあれば良いんだけど、そう都合の良い展開なんてあるわけ…
「…あった!」
普通に、階段の横辺りにそれらしきものがあるじゃん! というか、よく見たら所々に館内の見取り図が張ってあるし!
なんだろう。まさか私を案内する為、な訳ないわよね。まぁ、これだけ広いとこの館の住人も迷ってしまうからということなのだろう。
私は案内図に近寄って覗き見る。
当主の間、当主の間はっと。
あった。
主張するかの様にご丁寧なコウモリマークが付いてて、分かりやすい。流石に怪しくもあるが、まぁ、今更よね。
えっと、五階か。場所は、このままこの階段を登り続けた先がそうか。これなら迷わなさそうね。そうと分かれば迷わずに、っと。
「ん?」
とりあえず大階段を登って二階を目指そうと思った私だが、ふと違和感を覚えた。近くで、不自然な魔力の痕跡を覚えたのだ。
途中振り返って階段を下り、その裏へと回り込む。
一見して何も無い。普通に馬鹿でかい大階段の裏が見えるだけ。だが、不自然な魔力の残滓を感じるのは確かにここら辺だ。
「…ふむ」
私は腰を落とし膝を付け、床に触れる。魔力を感じるのはここからか。怪しいわね。これはもしかして…
札を手に取り、魔力を感じる場所に突き付ける。
破魔の力を秘められた護符で、主に退魔に使用するが、結界を打ち破る力もあるものだ。
護符が光り、それに呼応するかのように床もまた鈍い光りを放つ。すると、光が収まると共に床が無くなり、地下へと続く大きな空間がぽっかり顔を覗かせていた。床が消えたのではない。この空間は元からここにあったのだ。
「幻術魔法、か」
現れるは薄暗い地下へと続く不気味な階段。さっき見つけた見取り図には地下なんてなかったはずだが…
「はてさて」
このまま見なかったことにして、真っ直ぐ主の間を目指す方がいいか。だが、夜までまだ少しは時間ありそうだし、ちょっとだけなら。あの門番を疑う訳ではないが、吸血鬼が主の間にいる保証はない。それに、さっきの見取り図が罠って可能性もある。
それに、見取り図にない、わざわざ魔法まで使って隠されていた地下室なんて明らかに怪しいしね。なにか、吸血鬼に関する重大な秘密が隠されてるかもしれないし…
「…よし」
薄暗い地下室に危険な香りを感じつつも好奇心の方が勝り、私は先ずはこの地下へと向かう事にした。
階段を降りると、長い廊下に出た。真っ直ぐ進むと左右への分かれ道だった。どちらに進むか迷ったが、左側から光りが見えているので、先ずはそちらに向かう事にする。
「なに、ここ」
光差し込む先にあったのは、開けっ放しの鉄扉。そこを潜った先には、あまりに巨大な大図書館が広がっていた。天井は見上げると首が疲れる程に高い。下層部や上層部もある。そして、脚立やなんかではとても上まで届かないような巨大な本棚が所狭しと陳列されている。その一台一台は家屋に相当する程馬鹿でかい。私はその圧巻な光景に暫し固まっていたが、やがて我に返る。
「…凄いわね。一体どれだけの本が置かれてるのかしら。一生読書に時間費やしても読みきれなさそう。しかし、ここの天井、明らかに下った階段の分よりも高いと思うのだけど…」
感じた疑問を独り言として呟きつつ、図書館の中に足を踏み入れる。
まるで不思議の国にでも迷い込んだ気分ね。しかし、一体どんな本が置かれているのかしら。
私は並べられた本の一冊に不用心にも手を伸ばす。途端、周囲に魔力の反応が現れた。
「なに?」
周囲に無数の魔法陣が浮び上がって私を取り囲んだかと思えば、こちらが身構える間も無く無数の弾幕が放たれた。私は宙を飛んでそれを避けながら観察する。
誰かが操っているといった様子は感じられないわね。自動式の魔術トラップか。なら、これでどうだ!
魔方陣に向かって先程結界を破壊した霊符を投げる。直撃するやいなや、魔方陣は爆ぜて消える。これなら容易い。続けて霊符を放ち、全ての魔方陣を壊す。
「ふぅ。全く、触ろうとしただけで攻撃とか、どんな物騒な図書館だっつー… おいおい」
言い掛けた言葉を引っ込める。一難去ってまた一難ってやつだ。今度は周囲の棚から複数の本がバラバラと飛び出し、私を囲んできた。ポルターガイスト現象かっての。まぁ実際は、怨霊とかでなく先程と同じ自動式の防衛魔術のようだけど、さっきの魔方陣より厄介そうだ。おおよそ、先程のトラップが通じなかった相手に作動する第二弾、と言った所だろう。
やがて、それらの本はバラバラと捲れると、自立して魔法陣を生み出し始めた。そこから火や水といった無数の属性魔法が放たれる。恐らくは、本の中に書かれた魔術の式を自動的に唱えているのだ。これだけの数の魔道書を、独立して動く魔本に改造するとは。この館の主の吸血鬼か、それに従う何者かの力かは分からないが、魔道に精通していなければ出来ない芸当だ。紅魔館、やはり、厄介な奴らのようね。
「鬱陶しいわね!」
飛んでくる魔法を横に避けつつ、一冊の魔本に霊符を放つ。直撃。だが、本は体制を崩すも再び宙に浮いたまま追撃の魔法を放ってくる。単なる魔法陣よりは硬いのか、一撃では落とせない。恐らくは破魔に対する防壁でも張ってあるのだろう。ならば直接叩くまで。
私は幣(お祓い棒)を構えると、迫る弾幕を掻い潜って飛翔する。
魔本は自己防衛本能まで備えているのか、ばらばらに飛んで逃げようとするが、動きは遅い。
先ず一つ。私の振るった一振りで、魔本は呆気なく千切れ飛ぶ。
残った数冊の抵抗も、私にはなんの障害にもなりはしない。
私は二冊、三冊と次々に打ち落としていく。そんな時だ。
「動くな!」
威嚇の声と同時に、本棚の影から複数体の人影がわらわらわいて出てきた。全員性別は女性で、外見の年齢は私より下から大人っぽいやつまで様々だ。背には白い布のような薄い膜状の羽。妖精だ。何者かが隠れている気配には気付いてたけど、まさか吸血鬼の癖に妖精を使役しているとはね。しかも、霧の湖にも巣食っていたものと同族のようだけど、なんでこいつらメイドの服なんて着てるのかしら。
で、その中心には、明らかに妖精とは異なる奴が一人。声の主はこいつか。黒いスーツのような服に身を包んだ赤髪の少女で、背には黒いコウモリの羽。そして、明らかに魔の者の気配。この妖精達を束ねているようにも見える。まさこいつが吸血鬼? …ではなさそうね。
「明らかに弱っちそうだし…」
「こら! 聞こえてる!」
私の独り言が聞こえたらしく、コウモリ羽の少女は憤慨する。ただまぁ事実だと思うので、謝罪や訂正はしないけど。周りの妖精と比べれば強そうだが、あの門番には到底及ばないだろう。魔の者特有の気配は持ってるが、せいぜい…
「小悪魔、といったところね」
「だから聞こえてる! 確かにパチュリー様にもそう呼ばれてるけど!」
「パチュリー ? ここの主の名前って確かレミリアじゃなかったかしら?」
「レミリア様はパチュリー様の親友よ! 私はパチュリー様に仕える身であり、この大図書館の司書を任されるもの。勝手な立ち入りは許されない。早々にこの図書館から立ち去りなさい!」
「ふーん、じゃ、図書館以外は好き勝手うろついていいってことね?」
「え。あ、はい。あ、いや、ダメとは思ういますが、私には別に止める資格はないっていうか… 図書館以外は担当しないでいいって、むしろ勝手な行動するなって、パチュリー様からはいつも言われてまして」
「…そうなんだ」
思わずご丁寧な説明どうもと返したくなる。私としては挑発のつもりで、そこまで詳しく聞きたかった訳じゃないんだけど。悪魔のくせして気が弱そうというか、真面目というか。さっきの門番といい、調子狂うわね。ただ、なんとなくこの小悪魔の館での立ち位置は分かったわ。こいつはそのパチュリーとやらの専属従者であるけど、そいつにも信頼されるだけの能力は認められていないって感じね。立場も周りの妖精より少し上といった所か。
しかし、人畜無害そうな点ではあの門番と一緒か。私がこのままこの図書館から素直に立ち去ったら、きっとさっきの言葉通り見逃してくれるだろう。あるいは悪魔らしく油断させ、背後から襲い掛かってくるという可能性も考えられなくもないが、どちらにしても…
「悪いけど、せっかくだしもう少し家捜しを続けさせてもらうわよ」
この図書館、明らかに面白そう、もとい怪しそうだからね。妖精や魔術、トラップまで使って警備しているからには、なにかあるんでしょう。
小悪魔は私の動きを注意深く観察しつつ、妖精達に指示を飛ばす。頭上は魔本に、周囲は妖精達に囲まれるが。
「忠告しとくけど、大人しく引いた方が身の為、よ!」
言うや否や、宙を疾走。私は一体の妖精に突っ込む。妖精は慌てて身構えるが、反応が遅い。これで私を包囲したつもりというなら、博麗の巫女の力を甘く見過ぎね。
相手の妖精が反応する間も与えず、飛び込み様に蹴りをくらわす。吹き飛ぶ妖精を尻目に、蹴った反動を利用し別の妖精へ跳躍。幣で一撃を喰らわせる。
ようやく他の妖精も動き出す。小悪魔も指示を出しつつ、魔のものらしい闇の魔法を放ってくるが、
「やっぱ小悪魔ね!」
同じ闇であったら、道中出会った能天気な闇の妖怪の方がまだ強かった。統率力が高い訳でもなし。この程度であれば私もこれ以上の手を晒す必要もない。温存しつつも十分対応出来る。
小悪魔や妖精、魔本がそれぞれ魔法を放ってくるが、少しは計算して攻撃しないと。出鱈目に撃ってるだけじゃ数の利は活かせないわ。それじゃぁ私には届かないばかりか、ほら、大事なお仲間も巻き込んじゃうわよ?
撹乱を狙って飛び回る私を狙った魔法は、読み通り仲間の妖精達にも被害を及ぼしそうになる。直撃こそしていないようだが、指揮はもう滅茶苦茶だ。実戦経験は乏しいのかしら? 容易いわね!
「う、撃つの止め! 妖精達は近距離戦で捕縛に…」
「遅い!」
小悪魔に飛翔しながら横回転。遠心力を利用し、そのまま脇腹を幣で振り抜く。腹部をぶっ叩かれた小悪魔はかはっ、と詰まったような息を出す。その隙に背後に回り、後ろ首に逆肘。もだえる暇なく床に叩き落とす。
後は容易い。適当に霊符とお祓い棒を振るって暴れるだけで、敵は瞬く間に戦力を失っていく。これなら目を瞑っていても勝てそうね。
「くっ、これ以上、この図書館で好き勝手は!」
小悪魔は立ち上がり、苦し紛れの弾幕を放つ。紫色の魔法弾。心なしか、先程より威力や速さが上がっている。
少し強めにやったつもりだけど、まだ意識を失っていないとは。何だかんだ悪魔なだけあり身体が頑丈というのもあるだろう。けど、それだけじゃなく、中々どうして意思が強い。これではなんだか私が悪者なようで心が痛い気もしなくはないが、仕方ない。悪いが先に異変を起こしたのはここの主よ。その片棒を担いでいると思わしき奴らであれば、容赦はしないわ。
私は今度こそちょっとやそっとでは立ち上がってこれないだろう攻撃を仕掛ける。博麗の巫女が最も得意とする能力。結界の操作。
私は四角い障壁のような結界を生み出す。展開した結界は、飛んできた小悪魔の魔法弾を簡単に搔き消す。そして、この魔を寄せ付けない結界は、同時に魔を撃ち払う弾丸にもなる。私は、それを、小悪魔に向かって解き放とうとした。
「アグニシャイン」
突如、何処かから呪文の詠唱と共に膨大な魔力の放出を感じ、私の身体は栗立つ。直感的に危険を感じ、生み出した結界を急いで再び防御へ。全身を覆うように展開する。
同時、巨大な炎の渦が眼前に生まれ、熱風が容赦なく叩き付けられた。
「ぐ、うっ!」
結界越しにも伝わる凄まじい熱風だ。普通の人間であればあっという間に丸焦げになるだろう。咄嗟に結界を防衛に回していなければ私も危うかったかもしれない。やがて炎が収まる。
「そこの紅白! 私の書斎で! …暴れない」
「書斎?」
それはまた、随分と馬鹿でかい書斎ね。
現れたのは、薄紫の紫陽花のような艶やかな長髪の女だ。見た目の年齢は私よりやや上。ゆったりというよりむしろダボダボしてる服に隠れ体型は見えないが、なんとなく細そうだ。眠そうな目元にはクマがあり、どことなく不健康そうにも見える。声もさっきのたった一言二言で覇気がなくなっていったし、身体は弱いのかもしれない。
だが、それでも溢れ出る魔力は尋常ではない。それを今の今まで私に感じさせもしなかったことといい、先程のような強力な魔術を苦もなく行使したことといい、こいつが只者でないことは間違いない。恐らくは、あの門番と同格の化け者だ。
私の書斎ということは、こいつがこの図書館の主、という意味に取れるが。
「この大図書館は私の住まいにして、憩いの場。好き勝手暴れるようであれば容赦しないわ。これらの本はあなたの神社の五年分の賽銭程度の価値はある」
五年分って、うちの神社を舐め過ぎじゃないかしら?
「うちは年中無休で参拝客がいないわよ」
しかも、私が博麗を引き継いでからはなお減った。ゼロって訳じゃないが、指で数えられる程度のものだ。その中で賽銭を入れてくれる人なんてなお珍しい。従って、現状では五年分の賽銭を集めた所で、茶屋でまともなご飯を一食食えるかどうかってとこだろう。
女は少し悲しい目を向け、「…まぁ、その程度の価値しか無いんだよ」と言ってきた。それは光栄なのだが、そんな訳はない。一体何万冊と並んでいるのか。この図書館の情報量と価値は私では検討も付かないが、滅茶苦茶凄いという事だけは分かる。気を使われているのかしら? 案外いい奴かも…
っと、いけないいけない。またこいつらのペースに巻き込まれる所だった。
「す、すみません。パチュリー 様」
小悪魔は女を見上げ、頭を下げると、パチュリーと呼ばれたこの女は危機感もなく私から目を離してきた。
「謝る必要はない。元々、貴方の主な仕事はこの図書館の司書。幾ら相手がまだ幼いといえ、それでも相手は博麗の巫女。それを相手に防衛できるとは元々思ってないわ。だから、反省するとしたらそこかしら。次からは相手の実力を見極めて立ち回ることね」
「す、すみませ〜ん」
「良いから、妖精連れてとっとと退避。あっ、でも魔本の防衛装置は止めておいて。せっかく改造したサンプルをこれ以上壊されてしまうのは勿体ない」
小悪魔はこの女の命令を受け「かしこまりました!」と離脱する。やはり、こいつがあの本を作った奴か。
「あんた、吸血鬼には見えないけど、何者? 吸血鬼のお仲間?」
「私はその吸血鬼の、単なる友人よ」
吸血鬼の友人を語るだけあり、底知れない魔力を感じる。こいつ、一体何者だ?
「それで、うちのお嬢様になんの用?」
「分かってるでしょ? 霧の出しすぎで、困るのよ」
「そうね。まぁ、分かっていたけど。ただ、だったらそれはお嬢様に直接言いなさい。私はここで丸一日読書に耽っていられればそれでいい。面倒ごとは真っ平だし、ここでうるさくされたら困るのよ。あんたが探しているうちのお嬢様は当主の間。普通に真っ直ぐ上がって行けば辿り着く。だから、この地下室から早々に出て行ってくれないかしら」
「嫌よ」
「どうして? ここで私とやり合って時間と体力を浪費するなど、愚の骨頂よ」
「だってここ、見る限り怪しいじゃない?」
「何もないわ。ただ、溺れる程の本があるだけ。読書が好きなら最高の空間なんだけど。なんなら一緒に読書をしていく? 教養を深める事も大切よ。静かに使用してくれるのなら、それはそれで構わないわ」
「そうね。それはまた次の機会で」
「あっ、機会あるんだ」
「私が怪しいと言ったのは、この図書館に限ったことではないわ。この地下室そのものが怪しいと言ったのよ」
「…悪いけど、この地下室には、この大図書館があるだけよ」
「だったらあなた、何でさっき、この図書館から、ではなく、この地下室から出て行ってって言ったのかしら?」
「まったく、何を言うかと思えば。探偵への転職をご希望かしら。私にとって、この地下室はこの大図書館と同義、それだけよ」
「ふ〜ん」
だとして、それでもこいつはこの図書館を気に入っているようだし、自らのものと公言している。この図書館から出て行って欲しいだけなら、あえてこの地下室から、という言葉が出るのは不自然だ。
それに、こいつが地下室、という言葉を使ったのも、今の会話を除けば、出て行ってと言った、あの時くらい。
こいつには、この図書館だけでなく、この地下室から出て行って欲しい理由があるとみた。
まっ、確かに時間も時間。だからこれ以上の探りを入れるつもりはないけどれど。
「まぁ、なんでも良いわ。私はもう少し家捜しをさせてもらうから。もちろんあなたを倒してから、ゆっくりね」
「探偵の真似事の次は強盗か。まったく、博麗の巫女も堕ちたものね。いいわ。こっちは親切でレミィのいる場所を教えてあげたのだけど、それを解さぬ無礼者にはこちらも容赦などせず当たらせてもらう。選択を誤ったわね。残念だけど、あなたはもうお嬢様に会うことは出来ないわ」
「さぁ、それはどうかしら?」
「自信家ね。それとも、そうでなくては博麗は務まらないということかしら。聞けばあなた、異変の解決は初めてとのこと。本当は不安を感じているのではなくて? 本当に私は、二年前、異変を起こしたあの吸血鬼を倒す事が出来るのか、って」
こいつ、ふざけたことを。心を読んだつもりか、あるいは挑発のつもりか。けど、その手には乗らないわ。こいつはあの門番とは違い、知略にも長けていると見た。感情を表に出し戦闘に挑むような馬鹿な真似は、危険な行為だ。こいつの毒舌はムカつくけれど、ここは心を静めよう。
「…以外、冷静ね。けれど、先に言った通り、あなたの冒険はここで終わりよ。記念すべき第一回目の異変調査に、苦い思い出を刻んであげる。私は七曜を司る魔女、パチュリー ・ノーレッジ。如何に博麗の巫女といえ、私の操る属性全てを受け切れるとは思わないことね」
言うや否や、再びこの女は魔力を高める。またあの炎の魔法か? あの魔法の特徴は掴んだ。範囲は広いが、私の結界であれば充分受け切れる。次に見せたら、術の終わりに反撃を…
「プリンセスウンディネ」
女の詠唱と共に、周囲に膨大な量の水が溢れ出た。
「火の次は水か!」
まるで巨大な池の水をそのまま持ってきたような、恐ろしい質量の水が宙を踊る。こんな大技を易々と続けて? こいつ、一体どれだけの魔力を貯蔵している? だが、本体さえ叩いてしまえば!
私は本体の魔女に向かって大量の霊符を放つが、膨大な水が盾となり、その全てを洗い流す。霊符との相性は最悪か。そのまま大量の水塊から水柱が発生し、蛇のようにうねりを挙げて私を取り巻く。膨大な量の水滴が降り注ぐ中、虎視眈々と狙うかのごとく水柱は複雑な軌道を描き旋回する。
質量だけでなく、細かな操作もお手の物か。だが、炎に比べれば、向こうの攻撃も大したことないはないはず。結界で凌ぎきれば…
「さて、それはどうかしら」
魔女がいつの間にやら私の側面に現れる。うねる水柱も、発生させた膨大な水も目くらましか!
刹那、その魔女の周囲に踊る水塊は鋭い針のように細くなり、私に向かって疾走した。まるでレーザービームのように噴射された水は私の結界を易々貫く。
あ、危なっ! 水も鋭く打ち出せばこんな危険な凶器になるのか。咄嗟に横っ飛びで躱さなかったら、胴に風穴が空いていたわね。
続け様に、次から次へと水のレーザーが飛んでくる。加えて、水柱がいく先々に回り込み、私の飛行を妨害してくる。それらを潜り、時には結界で破壊し、水圧の針をかわしつつ。私は魔女へと迫る。
こいつの魔術量は底知れない。魔力切れは期待出来ない。であれば、早々に潰すが得策だ!
全ての攻撃を避け切り、ついに魔女を眼前に捉える。魔女の周囲を守る水壁に結界をぶつけ弾き飛ばし、がら空きとなった隙をついて幣を振るうが、
「メタルファーグ」
「な!?」
ガキン、と鈍い音と共にお祓い棒が弾かれる。私の霊力が宿った幣をいとも容易く弾いて見せたのは、金色の球体だ。水ではない、金属? こいつ、錬金術まで使えるか!
こちらが驚く間にそれらが魔女の周りに複数出現、無造作に解き放たれる。私は直感的に近間は危険と判断し、慌てて魔女から距離を離した。
「これもかわすか。この金属には面白い仕掛けがあったのだけど、こうも距離を離されると使えない。勘がいいのか、なら」
魔女は呆気なく追撃を止め、水も金属も拘りなく搔き消した。
「まだ何かしてくるって訳?」
「言ったはずよ。私は七曜を司ると。今あなたに見せた属性はまだ三つ。果たしてあなたは全て見ることが出来るかしら? シルフィホルン」
魔方陣から木の枝が生えたかと思えばそれらは激しく枝を揺らし、辺りに大量の木の葉を舞い散らせた。一見ただ緑の葉が舞っているだけだが、たかが木の葉と油断は出来ない。この魔女のことだ。何か策があるに違いない。
「フォレストブレイズ」
途端、木の葉が発火した。木と火の混合魔法? そんなことも出来るのか! しかも、特殊な葉なのか、一枚一枚から尋常ではない量の炎が吹き上がっており、一向に焼け散る気配を見せない。優雅な緑の木の葉の舞いは、途端に山火事のような災害へと様変わりした。
「あっちっち! あぁもう!」
こいつは流石に避けようがないわ。とはいえ火力はないので結界を使えば防ぎ来れはするだろう。
ただ、亀になるのは不味い。何しろこいつの攻撃パターンは未知数だ。固まった隙にまたさっきのような貫通力のある攻撃で突破される可能性もある。七曜を司るということは最低まだ見せていない属性が三つは控えているということ。しかもそれらを組み合わせた混合魔法まで使えるというのなら、パターンは膨大だ。それに、こいつ、どうも私の動きを観察しているように感じる。あまり簡単に手の内を晒すと一気に持っていかれる予感がする。
だから手の内を晒すなら慎重に、そして隙をついて一気に仕掛けたい。
だが、この状況、一体どうする。
この山火事の対処法は、この舞いながら燃え盛る木の葉の群れをまとめて吹き飛ばすというのが手っとり早い。だが、私はどちらかというと、そういうパワースタイルよりも、相手の動きを読んで隙を伺い、そこを叩くやり方を得意としている。しかし、こんな逃げ場のない膨大な火力の前に、とても相手の隙を伺う余裕などない。私も全力を出せばこれ位なら吹き飛ばせるが、ここで体力を大幅に失う訳にもいかないし。あぁーくそっ! こんな時、あいつがいたら!
「――苦戦してるようだな、霊夢!」
この状況に不釣り合いな楽観的で耳障りな、けど、悔しいがこの状況では心強い声と共に、赤い一筋の光のー線が空気を割いてすーっと走った。次の瞬間、それは何倍にも巨大に膨れ上がる。そのあまりに巨大な光の光線は見た目通りの凄まじいエネルギーを放った。膨大な熱量が荒れ狂い、燃える木の葉を根こそぎ吹き飛ばしていく。先程の山火事ですら比較にならない規格外のパワー。私はこの攻撃をよく知っている。
「まったく、私を置いて異変解決とか、水臭いぜ」
そう言って、ほうきに跨った長い金髪の少女が私の隣に飛んでくる。霧雨 魔理沙。私と同年代で、何かと私に付き纏う、自称私の友達の、自称魔法使い。黒い服にスカート、白のエプロン、そして黒いとんがり帽子は、彼女曰く格好から魔法使いを意識しているとのことで、成る程確かに、見比べてみると今対峙している紫の魔女よりも、格好でいえばそれっぽい。
それにしても、まったく、狙ったかのようなタイミングだ。
「悪かったわね。声掛けようとも考えたんだけど」
「そうなのか?」
「足手纏いになるかと思って、声掛けるのをやめたのよ」
「はいはい、その足手纏いに助けられてれば世話ないぜ」
「まったくもってその通りね。ありがとう。助かったわ」
「およ」
魔理沙は私の反応が意外だったのか、きょとんとした目を向ける。
「なによ。私だって、事実はちゃんと認めるし、助けられたら感謝くらいするわ」
「そうかそうか。霊夢もちゃんと感謝を口に出せる子に成長してるって知って、私も嬉しいぜ。これも、普段の私の教育のおかげだな。もっと感謝して良いぜ」
「ごめん。私の感謝の気持ち、返してもらっていいかしら」
「それはできない相談だな。もらったものは死ぬまで返さないのが私のポリシーだ。で、霊夢をここまで苦戦させるあいつは一体何者だ? 例の吸血鬼か?」
「いえ、自称、吸血鬼の友達、らしいわ。んでもって、本物の魔女よ」
「なんだそれ、私を偽物みたいに」
私達は軽口を叩き合うが、実際、魔理沙とこいつとでは、魔法使いとしての年季が違うだろう。見た目は魔理沙の方が魔女っぽいが、こいつは間違いなく魔導に精通している超一級の魔法使い。こんなにも容易く、それもまるでただ呼吸しているかの如く次から次へとあれだけの魔術を展開するなど、普通ではない。
あの門番といい、この魔女といい、私は改めてこの紅魔館いという館が化物の巣窟であるということを思い知らされる。だが、先程で、魔理沙の火力はこいつの魔法にも十二分に通用すると分かった。私の術と合わされば、この魔法使いとも対等以上に戦えるだろう。
しかし、どうする。この館に入ってどれ位経った。流石にこれ以上ここで足止めを食らうわけにはいかない気もする。とはいえこの地下室は確かに気になるが。
「で、コントは終わったみたいにだけど、そこの偽物さん」
「だから私は偽物じゃないって! 」
「貴方達の目的は幻想郷を覆った紅霧を止める事でしょ?」
「ん、そうだな。それもある」
それも、に引っかかったのか魔女は首を傾げるが、
「言っとくけど、急いだ方が良いわよ。夜は吸血鬼の枷が外れる時間。もうあと小一時間で日は沈む。私に苦戦するようでは、とてもでないけど夜のあの子には太刀打ち出来ない。ここで時間や体力を消耗している暇はないはずよ」
悔しいが、この女の言う通りだ。この女が私達を見逃してまで何を隠したいのかは分からない。いや、それだって本当に私の読みが正しいかは断言出来ない。そんな中、こいつにこれ以上付き合っている余裕はない。見逃してくれるというのなら、悔しいが、それに従った方がいいかもしれない。
だが、魔理沙は指をちっちと横に振る。
「魔理沙さんにとって、もはや異変解決は二の次、いや、三の次になったぜ」
「は?」
「第二の目的は、お前に勝って、私こそが真の魔法使いだと証明することだ!」
「…聞きたくないけど、一応聞くわね。第一の目的は?」
「そりゃぁ、ここの本を物色して、色々借りてくことだな! 凄いなここは! さっき霊夢がお前とやり合ってる間にちょこっと物色させてもらったけど、宝の山とはこのことだぜ!」
魔理沙は懐から一冊の魔術書を取り出した。どうやらここの図書館の本らしい。私は思わず、「おい!」と突っ込む。
こいつ、私とあの魔女があれだけやり合ってる最中に、呑気に借りパクする本を選んでたのか!
「呆れた。そこの巫女以上に滅茶苦茶な奴ね」
「お褒めに預かって光栄だぜ」
「褒めてないけど」
「褒められてないわよ」
不本意にも私と魔女の言葉が仲良く被ったが、魔理沙は全く動じない。
「心配せずとも、借りたものは死んだ後に返すぜ」
「本当、こんな人間もいるのね。博麗はともかく、こんなバカまで通すなんて、大迷惑。まったく、うちの門番はなにやってたのかしら」
「ん? 門番って、あの緑色の変わった服のお姉さんか? それならむしろここの図書館を案内してくれたぜ。地下にある図書館は魔法使いにとってはお宝の山ですよーって」
「はぁ!? あ、あのやろっ… げ、げふん!」
魔女は先程までのクールな印象を一変させるように派手に叫び、そして、むせた。その後も何度かゲフゲフ咳き込む。えっと、もしかして、今の隙に攻撃した方が良いたかしら。
「げふ、げふ、げっ、ごっ、ごほっ。あ、あのバカ、何を考えてるのかしら」
それにはまったく同意だ。あの門番の言動は謎過ぎる。どうやらこの魔女からして、あの門番は掴み所がなく手を焼くようだ。
「むせてる所悪いが、そんな訳で容赦はしないぜ。やるぞ、霊夢!」
私も入っているのか。まったく、相変わらず勝手な奴だ。私は魔理沙を巻き込まないようにと思ったんだけど、むしろ魔理沙の方が勝手に私を巻き込んでくるとは。けど、まぁ良いわ。付き合ってあげようじゃない。
「はいはい。私も、やられっぱなしや、借りの作りっぱなしは癪だからね」
「それでこそだぜ」
魔理沙は右手に握っている、六角形の黒い筒のようなものを魔女に向ける。それを見た魔女は何度か咳払いをして喉を落ち着かせると身構える。流石のあいつでもこいつを突き付けられたら慎重にならざるを得ないか。
こいつは魔理沙がある人からプレゼントされたミニ八卦炉という名の魔法具で、魔理沙の愛用品だ。中央には陰陽太極図が描かれており、私の陰陽玉との関係も感じさせられる。
八卦炉とは神話にてかの有名な斉天大聖さえ焼き殺す火力を持つと伝わる巨大な焼却炉のことだ。実際それとの関連性は明らかでないが、これは魔力を注ぐ事で、まさに神話の八卦炉を彷彿とさせるような凄まじい火力の熱光線を発生させる、可愛い外見に似合わない性能を秘めた恐るべき魔導兵器だ。
先程あの燃える木の葉を根こそぎ吹っ飛ばした光線も、このミニ八炉から放出されたもの。魔理沙が魔力を最大限注ぎ込んだ際に発揮される大技で、彼女はマスタースパークと読んでいる。ただ馬鹿げた威力はあるものの、弱点として溜めが大きく、そして直線起動にしか放てないので、躱されやすい。その上消耗も激しいので、滅多やたらに乱用は出来ない。だが、私の持つ結界や霊符の操作、そして、まだ晒していない秘術と連携すれば、いかにあの魔女とて対応できまい。
さぁ、どうでる?
「レイジトリリトン」
魔女はまた別の魔法を唱える。
黄土色をした、個体と液体の中間のような物体が宙に生まれる。あれは、土の塊、か? さっきの金属もだが、一級の魔法使いともなると、土など何処にも見当たらないこんな図書館の中でも生み出せるものなのか。
「なんだなんだ! しょぼそうな魔術だな!」
魔理沙はミニ八卦炉に魔力を込める。温存か、先程の大技、マスタースパークではない。魔理沙お得意の鮮やかな星型の弾幕が無数に放たれる。それにしても一体どうやったらエネルギーの塊がこんな形になるのかしら。
「…ふざけた弾幕だけど、火力は高そうね」
「あぁ、勿論だ! 弾幕は、パワーだぜ!」
魔理沙の弾幕は魔女の土塊を易々破壊するが、
「魔理沙! 油断しないで!」
こいつの厄介な所は、単なる火力の高さではない。相手の状況によって、多種の魔術を行使し、かつその一つ一つを変幻自在に操る事だ。
「ボルボロポタモス」
魔理沙の弾幕によって壊れた土は融解を始め、液状になる。さしづめ泥の川、さっきの水の魔法の、岩石も混じった泥バージョン、といった所か。あれに呑まれたらただでは済むまい。
「魔理沙! 弾幕で相殺しても意味ないわ!」
「みたいだな!」
「本体を叩くわよ!」
「アイアイサーだ!」
私達は二手に分かれ、飛翔する。
蠢く泥が私達に牙を向く。
だが、厄介ではあるが、一人でやり合ってた時と比べれば避けるのは容易い。私達二人同時を相手にしているからか、相手の操作に先程までより乱れが出ている。
それもそうだ。最小限の動きで見切り、弾幕の隙間を狙って攻撃を繰り出す私と、大雑把ではあるが、飛行のスピードと火力では私を遥かに上回り、多少強引でも無理矢理攻撃を通してくる魔理沙。タイプの違う私達二人に、流石の魔女も防戦になる。
「ちっ、やはり二人は厄介ね」
私達の弾幕は何度か泥の隙間を掻い潜り、魔女に迫る。魔術の防壁によって防がれてはいるが、あの顔は嫌がっている証拠だ。
「それなら、潰しやすそうな方から」
「おわっ、あ、危なっ、こいつ!」
二人が厄介なら先ずは早々に一人をという判断だろう。先程まで二手に分かれていた泥川の群れが、魔理沙に向かって集中する。確かに、速度での撹乱を得意とする魔理沙ではあるが、先を読み、相手によって対応を変えることを得意とするあの魔女相手では相性が悪い。実際、蠢く濁流は意地悪く魔理沙の先へ先へと回り込み、徐々に徐々に追い詰められていく。このままでは魔理沙が落とされるのも時間の問題。
相手の攻撃の手を緩めようにも、私の霊符は泥に飲まれ、本体の魔女にまで届かない。結界であればあの泥も突破出来るかもしれないが、魔女に近付く時間がない。
「先ずは一機」
「や、やばっ!」
やがて、ついに泥の柱が魔理沙を直撃した。
「さぁ、これで残すは貴方一人ね。安心して。命までは取らないであげる」
「余裕たっぷりね」
魔理沙がやられたら、確かに私達一人ではこのまま押し切られてしまうだろう。
「けど、油断が過ぎるわ」
「なに?」
魔女は眉間に皺を寄せる。そに瞬間、極大の熱戦が魔女目掛けて駆け抜けた。
「くっ!」
避ける余裕がないと判断したのか、魔女は慌てて全ての泥水を防御に回す。衝突。瞬く間に、泥水が押し飛ばされていく。
魔女から、なぜ、という顔色を伺える。魔理沙は逃げるのにいっぱいで魔力を溜める余裕はなかったはずだし、そもそも自身の魔術は確かに魔理沙を捉えた筈だ。そんな疑問があるのだろう。だが、答えは簡単。相手の攻撃がいずれ魔理沙に向かうと予期していた私は、何かあったら魔理沙に結界を張って守れる用意をしていたのだ。そして予め魔理沙と目配りをし、知らせていた。案の定魔女は先ず魔理沙をターゲットにした。そして、魔理沙は結界の中やられたふりをしつつ、大技を放つ準備をした。ただそれだけだ。
魔理沙のマスタースパーク。単調で相手が一級ともなると躱されやすいこの攻撃も、油断している相手には効果は抜群だ。
魔女は更なる泥水を生み出しなんとか押し留めている。魔理沙のマスタースパークを押し留めるとは流石に驚愕せずにいられないが、このまま固まってはいられない。流石の魔女も防御に専念せざるを得ないようだ。ここが好機! 畳み掛けるなら今しかない!
私は懐から丸い球体を取り出し握り締める。白い勾玉と黒い勾玉が重なり合った形状は、魔理沙のミニ八卦炉に描かれている、陰陽太極図そのもの。博麗神社に伝わる最大の秘宝、陰陽玉。魔理沙の八卦炉と同じ、私の愛武器。普通の人妖がこれを用いてもなにも起きないが、私のような博麗を受け継ぐ者が用いれば、使用者に様々な力をもたらす。
私はそこに霊力を宿す。私の霊力に反応し、陰陽玉が光り輝く。それは同じ陰陽玉の形をした、青く光る巨大な塊。博麗の巫女に伝わる、陰陽玉に秘められし力を解放させる秘術、陰陽鬼神玉。私はそれを魔女に向かって解き放つ。
今の私が持ち得る最大火力。闇雲に放っても対処されると踏んで使用を控えていたが、動きが制限されている今ならば確実に当てられる!
「くらえー!」
巨大なエネルギーの塊が、魔女を押し潰すように疾走する。
「しまった!」
魔女は焦りの表情を見せるが、既に脱出は不可能だ!
これで終わりだ!
「な、舐めるな! フォトシンセシス!」
魔女は足元に緑色の光を生み出す魔方陣を出現させた。感じる気配は、豊かな緑と、暖かな日の光?
魔方陣から溢れ出る光を受け、魔女の魔術の放出量が高まる。あれは魔力の自動補給を受けての、回復とブースト? そんなことまで出来るのか! 本当に手札が多い。厄介極まりない。加えて、私達二人の同時攻撃をここまで押しとどめられるとは、本当にこいつはとんでもない魔術師だ。
だが、一手遅かったわね! これだけの手札があるのなら、余裕ぶらず、最初から相手に様子を伺う隙など与えなければ良かったのだ。
魔女は強化した泥の波を私の鬼神玉と魔理沙のマスタースパークにぶつけ最後の抵抗を試みるが、私達二人の最大火力、いかにこの魔女といえ押しとどめられる筈がない。
「これで!」
「終わりだ!」
私と魔理沙は最後の力を振り絞る。私の放った陰陽鬼神玉と、魔理沙の放ったマスタースパークは、魔女の生み出す泥塊を消しとばし、魔女の身体を飲み込んだ。
「五属性だけで事足りると思ったが、そう甘くはなかったか」
私達の攻撃に飲まれる瞬間、魔女の悔しそうな、そして諦めたような声が聞こえてきた。