6(ポラリスに行く)
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コンペは落選した。佐伯さんには悪いことをしたと思う。期待に応えられなくて申し訳なかった。なのに佐伯さんは、「近いうちにご飯、食べよ」奢ってあげる、経費だけど。何がいい? って。
「天ぷら」即答した。「でっかいエビ、食べたいですにゃー」
「いいですにゃー」佐伯さんが乗っかった。「また連絡するにゃん」
「よろしくにゃん」
通話を切って、しばらくぼうっとしていたけれども、腕に違和感を憶え、見たら鳥肌ってた。慣れないことはしないことだな。
ごめんね、佐伯さん。あたしは良いものを作りたかっただけなんだ。でもダメだった。奇跡を望むには力不足だったよ。
あたしは誰も知らない、全く新しいモノに挑まなかった。自分が理解できないモノを、どうして理解して貰えると言うのか。あたしは、あたしが知る最も馴染みある音を作った。驚くほど無難で、欠伸が出るほどお行儀良い。
凡庸なあたしは、真っ向から真剣に、大真面目に凡庸を貫いた。
オーケー。認めよう。それは賭けだった。そして負けた。小手先の器用さでどうにかなるものじゃぁない。奇跡とは、努力だけでは到達できない、別の次元の何かなのだ。
受話器を戻して、ふらふらと幽霊みたいな気分で冷蔵庫から麦茶を出して、グラスに注いで、きゅーっと一気に飲み干した。
へっへっへ。天ぷら、楽しみだなぁ。
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依然、月と地球の間には円盤が居座っている。夜空を見上げて、最近、あたしが思うことは、これはこれで良いんじゃないかってこと。あれがたまたま人工物っぽいモノだから、みんな「何とかしなくちゃ」って気分になったんだと思う。もちろん好奇心はある。面白いと思う。何だか素敵な予感がする。
きっと楽しいことだと思う。
星の海を渡ってきた船がそこにいるんだよ、すごいじゃん。地球すごいじゃん。その地球に住んでるあたしたち、すごいじゃん。
「やっほー」
お姉ちゃんから連絡があった。
「やっほー」とあたしも返す。
「コンペ、残念だったね」
「まぁね」なんで知ってるんだろ。
「まぁ、次があるよ」
「そうかな」あるといいな。そうだといいな。
「だいじょうぶだいじょうぶ」
お姉ちゃんは軽く言う。何でもできるお姉ちゃんにしてみれば、こんなの些細なことなんだろうな。
「わたしね、今度──」
「ごめん、なんだって?」
「ポラリスに行くって言ったの」
*
「青くなったぞ!!」
「マジか」
甥っ子は目玉をぐるりとし、「知らないのかよ」見たことないのかよ、と謎の上から目線。
「モノホンは初めてだわ」まじまじ見つめて、「くっさ」ザリガニくっさ。
「触ってみ?」
「遠慮しとく」
あたしは一歩と言わず、できる限りプラスチックの水槽から離れた。
「あの子、ひとりでいっぱい調べたのよ」とミーちゃん。「ありがとね」
「ホントに青くなるんだな。感心したわ」
「でまかせだったの?」
「いや」あれは突然変異だ。「いますぐ農業試験場に連絡だ!」
「もうっ」
あたしの冗談に、ミーちゃんは肘で小突いてきた。「あははは」思わず笑ってしまった。「青ザリガニも茹でると赤くなるのかな?」
「もうっ」ミーちゃんの肘がごつごつと脇腹に入った。「なんでそんなこと言うの!」
「ちょっとした知的好奇心ってヤツですよ」
「もうっ」ぷんすかとミーちゃん。
今年も夏が終わろうとしていた。お姉ちゃんから連絡があってすぐに円盤はいなくなった。タツ兄ぃは元の部署に戻った。
あたしは少しがっかりして、でもお姉ちゃんの話はひとり胸の内に仕舞っている。だって地上どころか海底でもない、時間と空間の彼方なのだから。
ポラリス。こぐま座。凡そ四百三十四光年。
きっとあの円盤は星の海へと帰って行った。何故にここへ現れたのか、何を求めてここに来たのか。分からず終いでも、ひとつ、はっきりしてることがある。それはつまり、並べて世は事も無し。
なーんてな。
ホントはすごく寂しい。
ほんの一年足らずの事だったけれども、あたしは気に入っていたのだ。あの円盤。月と地上の間に浮かぶ影。あれがお姉ちゃんを連れてった。いや──お姉ちゃんが何かこう……いつもの調子でどうにかしちゃった可能性が高い。それもあたしが黙っている理由のひとつだ。そもそも、あれを呼び寄せたのがお姉ちゃんなのかもしれない疑惑。
地上に飽きたついでに、ひとりでどうにかしちゃったお姉ちゃん。とても自慢のお姉ちゃん。ウソかホントかなんて関係ない。お姉ちゃんならやりかねないし、そう信じるに足る人柄で、だからあたしはお姉ちゃんが大好きだ。
いつか帰ってくるよね。きっと帰ってきてくれるよね。あたしのギターでお迎えするよ。お姉ちゃんのために歌うよ。
だってあたしはお姉ちゃんの妹だもん。
背中にぺちっと冷たいものが当てられた。「ぎゃッ」
リョータがご丁寧にもシャツを捲って濡れた手を突っ込んだのだ。
「ザリガニ、触った手だな!」
「やーいっ」
甥っ子はぴょんと飛んで逃げた。
「こンのガキぃい!」
「うっわ」リョータの目がまんまるになる。「オニババだ!」
「ンだとゴルァ!」あたしは甥の首根っこを引っ掴み、手加減無しにブッ叩いた。
─了─
附録
コンペティション落選作(抜粋)
・第九計画「Eからでたサビ(或いは、我々はなぜ自ら放出したガスのにおいを嗅いでしまうのか)」
とっても自慢のお姉ちゃん。
「初級異界遊山紀行 ~多元宇宙あたし練り歩き~」
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