5(信じてないくせに)
*
「肉体言語ってどうだろ?」
あたしの言葉に、兄は信じられないとばかりにのけ反った。「脳ミソ筋肉マンかっ」
失礼な。「どーせ運痴ですよーだ」
「本当にお前は……」
「あっ、タツ兄ぃ。今、シモいこと考えたでしょ。ウンコで喜ぶのは子供だけだゾ」
兄はテーブルに肘を突き、両手で顔を覆った。「……アホだ」
失敬な。「円盤で来たってことは、何かしら物質的な存在だと思うんですけど?」
「で?」
「力って分かり易いよね」シュッシュッ。「我々は! 温和で! 心優しい種族でぇすっ!!」シュッシュッ。「自由! 博愛! 平等対等喧嘩上等!」
シャドウ・ボクシングの真似事をする妹に、タツ兄ぃはそれはそれは長いため息をお吐きになりました。
「殴り合えと言うのか……」
「簡単でしょ?」シュッシュ。「両陣営から代表出してタイマンとか」ほら、そこはかとなく文化的。
「……決闘罪になる」
えっ、何それ。「法律の外でしょ」殴り合いなんて。
「決闘はな」と、タツ兄ぃはやんわりと諭すように続けた。「事前準備が大変なんだ。何でもアリじゃない。決着の付け方は勿論、場所、時間、足場の具合に光の加減、立会人」
うっわ。「面倒くさっ」
「言い出したのはお前だぞ!?」
「……拳はさぁ、文化文明に依存しない地上唯一の共通語なのにさぁ」なにも手間暇かけるこたぁないのになぁ。
「……相手が外骨格だったらどうするんだ」と、兄。
「あっ、そうか」と、あたし。「まずは泥抜き?」
「喰うつもりか!?」兄はぞっとしないとばかりに目を見開いた。
「ジョーダンだって」怖いじゃん?「毒を持ってるかなんて分からないし」
「分かったら喰うつもりだろ!?」
「椅子とテーブル以外は何でも美味しくいただきます」合掌。
「やっぱ食べちゃうんじゃないか……」兄は再び両手で顔を覆った。それからチラッと指の隙間から実妹をのぞき見て、「……いったい知的要素はどこへいった?」
「人類的には普通じゃん?」誰のことを思い浮かべての発言か、少し話をしようじゃないか。
しかし兄は、その手に乗らぬと言わんばかりに、「そもそも人類は暴力を否定している」
「またまたぁ」あたしは笑った。「信じてないくせに」
「信じてるさ!?」
「語るに落ちたね、お兄ちゃん」
あたしの言葉に、タツ兄ぃは不思議そうな顔をした。やさしい妹は解説してやる。「信じる信じないという議論になった時点で、それは道徳や規範とは全く違った別次元のモノになるんだ。なんとなくみんなが思ってることから、理屈ありきになるんだよ」
「……つまり?」
「文化って、先天的でなく、後天的なんだよ。〝カノン〟のコード進行はどんな地域、民族、人種の誰にとっても心地好いの?」
「心地好いだろう?」
「今の世界がだいたい平均化してるからそう思うだけで、違うべ?」
そうかなぁ、とタツ兄ぃは腑に落ちないと言った風情。まぁ、あたしもきっぱり言い切れる程に自信はないけれども、足りない頭なりに考えたんだよ。秩序って、衣食住を担保にして、節度と礼節が不可欠だって。
ねぇ、タツ兄ぃ。世界はね、シンプルなんだ。複雑にしているのは文化文明だとか言う名前のついた、面倒な尺度の所為なんだよ。
一民族、一言語、一国家。
たぶんね、宇宙もそんな感じ。
価値観なんて違って当り前。平等だってファンタジー。だから上手いとこやっていこうってみんな考えるんだ。知恵を絞って公平になるようにって。泥仕合にならないようにって。誰かを喰らったり、喰らわれたりするようなコトが起きないようにって。
それを何かと言うのなら、たぶん愛なんじゃないかな。心を受けて、受け渡す。
へっへっへ。あたしも随分青いよなぁ。サバ缶、御馳走だもんなぁ。高校からこっち、ずっと書き溜めてる作詞メモネタノートには、そんなフレーズばっかだよ。
*
「そろそろ出して欲しいのだけれども」佐伯さんは、いつになくげっそりした声だった。「完成版とは言わないから。さわりだけでもいいから」
さすがのあたしも胸が痛んだ。「人工知能にやらせたがいいんじゃないかなって思うのだけれども」
「そんなの! 既に! やってるわ!」
知ってますって。「深層学習に人間さまが勝てる要素がないですよ」
「最終判断は人間でしょ!」
むぅ。それすらも人工知能が担えるんだよなぁ。「佐伯さん、あたしのこと買いかぶり過ぎてない?」
受話器の向うで小さなため息。「人工知能は確かにすごい。きっと妥当でしょうね。最良な結果を出す可能性は高い。でもね、成功したからって、それは……人類史なの? 人類が初めて地球外生命体と出会うのよ。わたしはね──笑わないでよ? 人間の可能性に希望を持っている」
そこまで言われて引き下がるんだったら、もう人間であることを辞めたが良いと思った。
「分かった」決然とあたしは言った。「その大きな愛に応えるよ」
出来もしない約束だって分かっていても、口にして、言葉にすれば、奇跡に少しは近づくってなもんだ。だってあたしは、あたしたちは──人類なのだから。