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第二十一話 推理小説なんてキライ

帰宅途中のバスの中で和代が見たものは……

 仕事を終えてバスに乗り、吊革つりかわに体重をあずけながら、和代はぼんやり外をながめていた。

 頭の中では、昔、父が酔っぱらうとよく歌っていた『今日の〜、仕事はつらかった〜』というフレーズがエンドレスで流れている。トートバッグからスマホを出して何という曲名だったか調べようかと思ったが、それも面倒なのでやめた。

 バスがれ、目の前のイスに座っている女性が本を読んでいる姿が目に入った。チラリと見えたページに「」に囲まれた文があったから、小説であろう。

(そういえば、随分長いこと小説なんて読んでないなあ。若いころは結構文学少女で、流行はやりの小説は一応購入していたのに。まあ、最初の2〜3ページで挫折ざせつすることも多かったけど)

 しばらくして、女性が一向にページをめくらないことに気付いた。よく見ると、頭が上下に揺れている。

(なんだ、寝てるんだ。眠くなるような小説なのかしら)

 好奇心にかられ、目立たぬよう横目でページをのぞいてみると、『刑事』という単語が見えた。和代の苦手な推理小説のようだ。

(どうしてみんな推理小説が好きなんだろう。殺人事件を、まるでゲームみたいにあつかうなんて、わたしには考えられないわ。誰も死なない推理小説があったら、読んでみてもいいけど。あら、何かしら)

 目の前の女性の本に、ポタリと赤い液体が落ちた。どう見ても血だ。

 和代の脳裏のうりに『殺人事件』という単語が明滅めいめつした。たちまち全身に鳥肌とりはだが立ち、絶叫ぜっきょう喉元のどもとまでせり上がって来た。

 その時。

「やだー、鼻血出ちゃったー」

(もう、悲鳴を上げるとこだったじゃない! 居眠りして鼻血出すなんて、どんな夢見たのよ!)

 勝手に恐怖を感じた和代は、勝手に腹を立てた。

 もちろん、鼻血の女性には何の罪もない。


 バスを降り、自宅のマンションに向かって歩きながら、和代はまだ釈然しゃくぜんとしなかった。

(きっと、猟奇りょうき殺人とかよ。それで興奮したまま寝ちゃったから、あんなことになったんだわ)

 和代は、ふと、自分の足音に少し遅れて、別の足音が聞こえることに気付いた。

 後ろの方からだ。

(やだわ。誰かついて来てるみたい。いいえ、きっと気のせいよ)

 和代はイヤなことを思い出した。ここからマンションまで行く途中、暗く細い道を通らねばならない。

(どうしよう。遠回りになるけど、大通りに戻って反対側から帰った方がいいかしら。ううん、ダメよ。それじゃ、後ろからついて来てる誰かと鉢合はちあわせちゃう。しょうがないわ。とにかく急いで通り過ぎよう)

 和代は細い道を、かなりの速足はやあしで歩いた。ところが、後ろの足音も同じようにペースを上げている。

(何よ、これ。やめてよ)

 いざとなったら大声を出そうと思ったが、恐怖のためかのどがカラカラに干上ひあがって、普通の声すら出そうにない。

勘違かんちがいなら恥をかくけど、もう、110番するしかないわ)

 和代がスマホを出そうとトートバッグに手を入れた時、声が聞こえてきた。

「ちょっと、待ちなさい!」

 なかば走りながら和代が振り返ると、追いかけて来ているのは、あの鼻血の女性だった。

「待ってって、言ってるでしょ! あなた、バスの中でスマホを落としたわよ!」

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