婚約破棄された僕
めっちゃテンプレの男女逆転物語。頭を休めたいあなたに。
「ローレン・アルシード公爵令息! そなたとの婚約は破棄させて頂きますわ!」
彼女の甲高い声は、ダンスホールの隅にまで響き渡った。彼女……幼い頃からの婚約者、クリスアン第一王女。国王陛下の正妃さまには彼女しか子が授からず、他に男子もいない為、彼女は我が国の次期女王の地位にある。
そんな彼女を王配として支えるべく、幼い頃から勉学に剣術にと、女王の夫として恥じぬように鍛錬を続けてきた、彼女の従兄でもある僕。その僕に、いきなり、大勢の人々の前で婚約破棄宣言? 確かに最近は、学院の卒業が近くてお互い何かと忙しく、以前ほど一緒に過ごしてはいなかったけれど……そして、今思い返せば、半年ほど前から、なんとなく彼女の様子がよそよそしいものになってきていたのは感じていたけれども。
「クリスアン王女殿下。いったいどういった理由を以って、そのような事を仰せでしょうか。このわたしは、何か殿下のご不興をかうような真似を致しましたか?」
人々のざわめきをよそに、僕は背筋を正し、礼儀を守りながらもきっぱりとした口調で問い返す。だって僕は何一つおかしなことをした覚えがない。彼女が何か誤解をしているのならば、男としてきちんとそれを解かねばならない。
だが……。
「んまあ、身に覚えがないと言い張るつもりなの! 心の底から見損なったわ、ローレン!」
「そう仰られましても……」
困惑。
すると、彼女は後ろにいた男を隣へ引き出した。ああ……なんか学院でやたらモテるらしいと噂の、たしか、ライオス……ジタン男爵家の次男だった筈だ。筋肉質で大柄でやたら暑苦しい男だ。クリスアンと親しい、周囲の令嬢たちも、ライオスを憧れの目で見ている様子。世の女性はあんな男が好みなのだろうか? まあ僕には関係ないけど。僕のクリスアン王女は、あんな、品性を感じさせない男など歯牙にもかけないだろうし、なんて思っていたんだけど、何故クリスアンの隣にあの男がいるの? 彼女は次期女王、ライオスは男爵家の次男、本来並んで立つなんて許されない筈なんだが、彼女は何故あんな事を許しているのだろう?
この疑問を口にすると、クリスアンは、
「あなたの悪事、しっかりとこの耳に届いているのよ! あなたが地位を笠に着てこのライオスを苛めていたと!」
と誇らしげに宣言する。
「あなたは、わたくしがこのライオスの武芸の腕を見込んでわたくしの近衛騎士になって欲しいと頼んだのを曲解し、わたくしとライオスの仲を疑って、彼を階段から突き飛ばしたり、彼の服を破いたり、彼の悪評を撒いたりしたと、ちゃんとわたくしは知っているのよ!」
「ローレンさま……クリスアン殿下に、隠さず話すようにと温かい言葉を頂き、ローレンさまには秘密にしておくならこれ以上の事は許してやるとお慈悲を頂きましたが、王女殿下には逆らえず、ついお話ししてしまいました。どうか僕をお許し下さい」
ライオスから放たれたのは、野太く、そして白々しい懺悔の声。
……は?
何故に僕がこの筋肉ダルマを階段から突き落とすなんて面倒くさい事しなきゃならないの。近衛騎士の話も今初めて聞いたし。あと、男の服を破くようなおかしな趣味もないんだけど。
きょとんとしている僕に向かってクリスアンは、
「このライオスは、わたくしに懸想し、その想いを打ち明けてくれたのです。その時、正直に、そなたの苛めも告白したのですよ。わたくしは、その真摯な気持ちに打たれました……」
色んな意味で意味がわからん。
「いや、でも殿下はわたしと婚約している身ではないですか。そんな殿下に言い寄るなんて方がおかしいでしょう……。要するに、殿下はその男に騙されて、訳のわからん訴えを鵜呑みにされているんでしょう? わたしにはそんな下らない事をする理由も、した記憶も一切ありません。どうか冷静になって下さい」
僕はむしろ彼女の評判が地に落ちやしないかと心配してそう諫言してみたのだけど、どうも火に油を注ぐ結果になったようだった。彼女は鬼のような形相で、
「だから、あなたとの婚約は破棄だと言っているのです! 聞こえなかったのですか!」
「聞こえましたけど、そんな事、いくら殿下でも独断で決めていい事ではないでしょう。それとも、陛下もそれでよいと仰ったんですか?」
「よいと仰るに決まっているわ。だって先日晩餐の時に、わたくしの夫は国一番の勇者だ、と仰っていましたもの」
「はあ、それはわたしも居合わせていましたので、聞いていましたが」
「まあ、聞いていたのに、婚約を辞退しようとも思わなかったの? そこまで図々しいとは思っていなかったから、てっきり聞こえていなかったのかと思っていたわ」
……は?
「わたくしの夫には、ライオスのような男らしく強い男が相応しい、と言っているのです。勉学ばかりの骨男では駄目です、ローレン」
「……まさかと思いますが、わたしのことですか」
「そうよ。あなたでは、わたくしが階段から落ちたって、護る事も出来ないでしょ? わたくしはこれからお父さまにお願いしにゆくの。ライオスと婚約したいと。その前に、あなたに知らせておいたのは慈悲よ。だって、いきなり陛下から言われるよりかいいでしょう」
……いや、こんな人前で言われるより、陛下の執務室に呼びつけられた方がましと思うけど、嫌がらせしてる自覚もないのかな。
クリスアン、昔は可愛く聡明だったのに、そんな筋肉ダルマに騙されてしまうような恋愛脳だったとは残念だ。僕は婚約者として、贈り物も欠かさず、社交パーティのエスコートも怠った事はなかったけれど、それでもきみの心を繋ぎ止めておけなかったのは、僕にも少しは非があるのだろう。
だが。
僕に非があるとしても、それは僕とクリスアンの個人的な問題のみであって、将来の女王となる彼女がこんな浅薄でかつ恐ろしい考えの持ち主である方が余程、我が国にとって由々しき事である。軽々しく筋肉に惚れて、一方的な告発を鵜呑みにするような人間を王として崇める事は出来ない。僕と結婚するのが嫌になったのならそれは仕方ないけど、そんな思考をする人間を王位につける訳にはいかない。元婚約者として、僕は性根を叩きなおしてあげよう。
僕はつかつかとライオスに歩み寄って、手袋を投げつけた。
「……なんのつもり、ローレン?」
「見てのとおり、決闘を申し込んだんだよ、クリスアン。覚えなき罪を着せられようとしているんだ。立派な理由になるだろう? それにしても、そんな言葉が通ると思われる程見くびられたきみにも問題があると思うよ」
「まああ!! それが次期女王に対する言葉なの! もうあなたはわたくしの婚約者ではないのよ! 分を弁えなさい!」
「陛下が認められるまではまだ婚約者だよ。いいから下がってなさい、怪我してはいけない」
「なによ、偉そうに!」
「あの」
僕とクリスアンの会話に筋肉ダルマが口を挟んでくる。正々堂々と僕を負かす機会だと喜んでいるようだ。
「クリスアン殿下、これはローレンさまから言い出された事ですから、少しお怪我をさせても罪にはなりませんよね。ローレンさまは衝撃で少し動転なさっているようです。こんな痩せたお身体で僕に勝てると思ってらっしゃるようで」
「ああそうね、ライオス。でも、一応わたくしの幼馴染なのよ。可哀相だから命まではとらないで?」
「勿論ちゃんと手加減致しますよ」
分厚い唇の口角が上がると、白い歯がきらりと光る。何がいいのだか、周囲の令嬢たちが、キャー、ライオスさま! なんて言っている。一方で、男性陣は僕を応援してくれている。僕の言い分が正しいと理解しての事だろうから嬉しくはあるが、なんだか複雑でもある。
僕だって別に醜男という訳ではなく、どちらかというと整っていると自分では思っているのだが、何しろ将来の女王の夫、という事で、側妃など持てる訳がないので、必然、言い寄ってくる女性がいない、というだけの話だ。
僕とライオスはダンスホールから中庭に場所を移した。
「代理人を立てても構いませんよ、ローレンさま」
「? 必要ないね」
本当は面倒ではあるのだが、ここで代理人を立てて勝ったって、クリスアンの目は覚めないだろう。
「では参りますよ。出来ればお怪我をさせたくないので、うまく避けて下さいね」
「それ、僕の台詞だよ」
ライオスは自信満々、剣を振り上げて突撃してくる。クリスアンを先頭に人々はベランダに出て来て、成り行きを見守っている。
僕はゆっくりと剣を抜いて構え、一撃、二撃と受け止める。慌てて避けるとでも思っていたらしいライオスは少し驚いているようだ。馬鹿力なので受け止めるにはやや腕が痛むけどしかたがない。やはり、力任せで技などろくに磨いていないようだ。
三撃目、僕は身を低くしてそれを流し、一気に相手の懐に入り込む。相手には僕の動きもろくに見えていなかったようで、気づいた時には剣の束でしたたかに顎を打たれ、昏倒して喉元に切っ先を突き付けられていたという状況を飲み込むのに、数瞬を要したようだった。
「まだ続ける?」
「……いえ、参りました」
わぁっと歓声が沸き起こる中、屈辱と怒りに顔を赤く染めながら、ライオスは敗北宣言するしかない。
「ちょっと、どういうことなの! ローレン、どんな卑怯な手を使ったのよ!」
「正々堂々の勝負に、卑怯とは言いがかりも甚だしいな」
「だって勉強ばっかりしているあなたが、屈強なライオスに勝てる訳ないわ!」
怒り狂ってやって来るクリスアン。僕には、彼女の背後で人波がざわめいて左右に割れ、人影が近づいてくるのが判ったけれど、彼女は気づかない。
「こんなの不当だわ! お父さまに申し上げてやり直しを……」
「その必要はないよ、クリスアン。わたしも見ていたからね」
その声に、僕は剣を納め、膝を突く。慌ててライオスも飛び起きてそれに倣う。
「おっ……お父さま! どうしてこちらに?!」
「卒業パーティでおまえが馬鹿な事を仕出かしそうだという情報を入手したから慌てて駆けつけたのだが、もう手遅れだったようだな……」
国王陛下はその優し気なお顔を曇らせて、愚かな娘を見つめられる。
「クリスアンよ、おまえは自分の婚約者が我が国一の剣士だという事も知らなかったのかね」
「えっ? そんな馬鹿な。こんなもやしが……」
酷い言われようだ。そこまでではないと僕は思う。少々着やせするというだけだ。
「陛下、仕方がありません。わたしが最近御前試合や馬上大会をさぼっていたのがいけないのですから」
「きみは王配となる身だから、無闇に臣下と技を競うより上から見ていた方がいいだろう、と言ったのは余だ。だが、そのせいで、皆にきみを侮らせる事になってしまったようで、詫びを言いたい」
「とんでもありません。わたしはただ、クリスアン殿下に目を覚まして頂ければそれで良かったのです。わたしと結婚したくないと仰せなら、破棄されても仕方ありません」
「……何を言う」
嘆息し、陛下はクリスアンと皆に向き直られ、
「ローレンは、勉学だけでは女王を護れぬと考え、剣の鍛錬に励んでおった。本人が、別に名誉など要らないから手柄は騎士たちに、と言うのでそのように計らったが、二年前に起こった余への暗殺未遂、警護の騎士の誰よりも早く動いて余を救ったのが、このローレンなのだ。だから、先日もクリスアンには、そなたの夫は国一番の勇者だと言ったのだ。当然クリスアンもその事を知っていると思っておったからな。だが、娘は、見掛け倒しの男に気をとられ、婚約者の剣術の成績も知らぬ愚か者であったようだ」
「そんな、お父さま! いえ、成績がいいのは知ってましたけど、皆が遠慮しているだけかと……」
「何が、そんな、だ。そなたのような浅慮な者に玉座は渡せぬ。そなたの王位継承権は剥奪し、そなたは隣国の王に嫁がせる事とする!」
クリスアンはぽかんと口を開け、次には泣きそうな顔になる。
「嫌ですわ! そんな、隣国の王と言えば不細工で有名でしかも女好きで側妃の子が十人以上いるというではありませんか!」
「しかし君主としては慕われていると聞く。女性にも優しいというぞ。そなたは彼に尽くし、我が国との友好の懸け橋になってもらおう」
「なんで……たったこんな事で。あの、婚約破棄したいと言ったのは取り消しますわ。ローレンと結婚しますから!」
「公衆の面前で愚かしい振る舞いをし、ローレンの名誉を汚した事を、たったこんな事、と申すか。……まだ、身内の間での話であったなら考えようもあったものを、そなたは己で己を追い落としてしまったのだ……」
二言目は、クリスアンと僕にしか聞こえないような小声だった。陛下にだって、親としての情はある。若気の過ちなのだから、というお気持ちもあるのだろう。だけど、皆の前で愚かな事を仕出かした娘に国を譲るのはけじめが付かぬとお考えのようだ。
泣き崩れているクリスアンは可哀相ではあるけれど、元々彼女から一方的に婚約破棄宣言され、骨だのもやしだの言われた僕には何もしてあげられない。
「ライオスと申したか。元はクリスアンから声をかけた事であるようだが、それを利用し、でっち上げでローレンの名誉を害し、故にこのような結末となった。その罪は重いぞ」
ライオスは真っ青になって跪いている。極刑でも下るかと恐怖で一杯なのだろう。
「そなたの巨躯と力、無駄にするのも惜しい。そなたは騎士ではなく、歩兵として励むのだ。心を入れ替え、国の為に尽くせば、その折にまた処遇を考えよう」
「……! ありがとうございます! 慈悲深き陛下のお心、生涯忘れませぬ!」
「ふん、その頃には余はもう国王ではあるまいがな」
陛下のお言葉に、僕を含め、その場にいる者全てが驚いた。陛下はその様子を眺め、仰った。
「余は国の為に尽力を忘れぬ思いで玉座に座ってきたが、どうも親としては子の教育に失敗したようだ。故に、元々はクリスアンとローレンの婚儀を終えてから譲位するつもりであったが、予定を早める事としよう」
「誰に、誰に譲位なさるおつもりなの? まさか、五歳の異母妹のマリーアン……?」
とクリスアン。けれど陛下は首を横に振られ、僕を見ながら仰った。
「第二王位継承権者が誰であるのか、クリスアンが頑健な体質であったから、余ははっきりと口にはしてこなかった。何故なら、その者はどちらにせよ、高位に上る予定であったからな。余の弟夫妻が幼子を遺し、流行病で相次いで亡くなったのも、若い世代にはあまり知られておらぬ事かも知れぬな。だが、余は、遺された甥を、アルシード公爵夫妻に養子として託したのだ。人徳者として名高いが、子宝に恵まれぬ公夫妻なら、きっと甥に温かい家庭と良い教育を与えてくれると信じて。そして、公夫妻は立派に甥を育てあげてくれた」
「あの、陛下……? それって……」
「そなたの事だ、ローレン。そなたは余のたった一人の甥だろうが」
「それはまあ、両親から聞かされてはいましたが、まさか、わたしに……?」
「そうだ。王配となるべくそなたはきちんと帝王教育も受けているし、何も問題はなかろう。国一番の勇者にして知者よ」
そりゃまあ、学院の成績が常に一番だった事はみんな知っているだろうけど、本当に僕でいいの?
なんて思っていたら……。
「ローレンさま!」
「ローレンさま!」
貴公子も令嬢もわっと押し寄せて来て。
「ずっと尊敬してました!」
「ずっとお慕いしてました!」
……嘘つけ、クリスアンのおまけとしか思ってなかった癖に、と思ったけど、口に出す程僕も馬鹿ではない。
こうして、婚約破棄された僕は、王様になりました。
お読み頂きありがとうございました!