Page.37「揺れ動く“モノ”」
やっ、やってしまった───!
ノア君の腕を掴んだ直後、脳内を過ぎった考えはそんなことだった。
なぜなら、ノア君を引き留めたのはいいものの、一体何をどう伝えればいいのか、全く考えていなかったから。
焦らないわけがないのである。
……あぁもう、どうにでもなれ────!
半ばヤケになりながら私は、脳裏に思い浮かべている考えをそのまま伝えることにした。
「べっ、別に体調が優れないとか……そういうものでは、ないんです……」
きちんと「そうではない」ということを示す仕草を交えながら意思表示をし、私は本題に移ることにした。
「えっと…………モヤモヤの原因が、やっと分かった気がするんです……それを、報告というか……お伝えしたくて……」
「そう、なのか……?」
コクっと頷きで返して言葉を続ける。
そしてギュッと、ノア君の腕を掴む手にさらに力が入る。
「だっ、だからその……まだ、行ってしまわないでください……」
普段通りの、相手に伝わってるかどうか怪しいと思ってしまうほどの消え入りそうな声をどうにか絞り出して必死に引き留めようと試みる。
……ご覧の通り、この時点でもう最初にあった勢いは、跡形もなくどこかへ消え去ってしまったわけだけども。
……きっと、困っているんだろうなぁ……。
困らせているのは、いつものことなのかもしれないけれど。
私が色々と考え事をしていると不意に、ストンと軽い揺れを感じた。
いつの間にか俯いていた顔を上げると、私が居るベッドの縁に腰掛けるノア君の姿があった。
「フゥ達なら少しくらい遅くなったとしても、笑って許してくれそうな雰囲気あるよなぁ……」
「え……あ、えぇと……確かに、“悪魔”さんの性格なら笑ってくれそうな気はしますね……あ、クレアは基本、何でも許しちゃいますよ」
一瞬、理解が追いつかなかったがだがそれでも何となく、ノア君の言いたいことは分かった……ような気がする。
私の話を聴いてくれる、ということなのだろう。
ならばと、私もノア君の隣に移動させてもらうことにした。
「ん、そのままでも良かったのに」
「いえ……今はその、そうしたい気分だったので……」
「……そっか。ならいいんだけど……」
ノア君はそう言うといつもの優しい笑顔を見せる。
その表情にまた、私の心臓は大きく跳ねるのだった。
あぁやっぱり、私は───
自分の中で揺れ動く“感情”を再認識した私は、それと向き合うことを選んだ。
「えぇと……それで、モヤモヤしてた理由なんですが……」
一呼吸空けてから私は、私自身が辿り着いた答えを提示する。
「……多分、“嫉妬”だったのではないかなと、思いまして……」
「“嫉妬”?」
ノア君は『何に対してなのか』と訊きたそうな顔をする。
私はその疑問に答えるためにも、言葉を続けた。
「“迷いの森”でフィリアさんに出会ってからずっと、『羨ましい』と、そう感じていたんです。私と違って自由に過ごせて、明るくて、すぐに人と打ち解けられて……すごく、羨ましかったんです」
自分にはないモノを、あの人は沢山持っていた。
それが私には眩しく見えて仕方がなかったのだ。
そんな私の思いが積もるに積もった結果として、私の中に黒いモヤモヤとしたモノが宿った、というわけだ。
あ……もう一つ、肝心なことを言い忘れていた。
「……あと、ノア君と普通に言葉を交わしていたのも、私が羨ましいと思ったことの一つ、ですね」
何よりもそのことが、一番羨ましいと思えたのだ。
「……今はそうじゃないのか?」
「今はというか……最初にノア君と出会ったあのときからずっと、変わってませんよ」
……そう、何も変わっていない。
「いざ話そうと思うと、身体が熱くなって、鼓動も速くなって……上手く、言葉が出てこなくなるんですよ……い、今だってそうです……頑張ってるんですよ、こう見えても……」
今も、強引に気持ちを奮い立たせているだけにしか過ぎない。
そんな私の言葉に、ノア君は驚いた様子で私の顔を見つめている。
「……ノア君達が居ない間、モヤモヤの理由と同じように考えてたんですよ。『どうしてなんだろう』って……」
あんまり見つめられるとまたドギマギしてしまうので、ほんの少しだけ目線をずらして言葉を紡いでいく。
「───私……ノア君のことが好きなんだと、思うんです……その、こんな気持ち……初めて感じたので……多分、なんですけど」
曖昧な“答え”に戸惑ったのか、ノア君は何も言わず、代わりにどこか困った表情を浮かべる。
かと思うと、ゆっくりと口を開いた。
「───シエラは、どうしたい?」
「……え?」
突然の問い掛けに対して私は戸惑い、答えに詰まってしまった。
訊き返すも、ノア君はそれ以上のことは何も言おうとする素振りもない。
「えと……どう、と言われましても……んん……」
“どうしたい”か…………一つ、答えるとしたら……
「───“一緒に居たい”、ですね……どうしたいかと訊かれれば……」
私は「あと、これは“どうしたい”というよりも、“お願い”になってしまうんですが……」と顔を上げ、さらに言葉を付け加える。
ノア君は首を傾げて不思議そうな表情を浮かべていた。
その綺麗な赤い瞳に心を奪われそうになりながらも、私の中に芽生えた“願い”を口にする。
「───私に、もっと色んな世界を見せて欲しい、です……」
弱々しくも、どうにか心の奥底にある“想い”を形にする。
「……知っての通り私は、他の人と違って、まだ知らないことが沢山あります……街の事情も、美味しい食べ物の存在も、他にどんなところがあるのかも、何も知……───っ!!」
───ハッと、息を呑む。
言い終わることがなかったのは、突然の出来事への理解ができなかったから。
───首筋に、全身に熱を感じる。
……いや、正確には“熱に包まれている”という表現の方が的を射ているのかもしれない。
ようやく理解が追いついたとき、私は未だにノア君に抱きしめられたままだった。
少しして、首筋から熱が離れる。
そして───
「……知らないことが多いのは、俺も同じだ。だから一緒に見に行こうか、この世界を」
───優しい声で囁かれた。
「……はい」
私はただ、そう答えるので一杯一杯で。
……ゆっくりと、身体を包んでいた熱が離れていく。
「……なっ……ご、ごめん……嫌だったよな……?」
私を見たノア君がギョッとした顔で慌てふためきながら言う。
その理由はおそらく、私の頬を伝うモノを見たから。
「い、いやそうではなくて……っ!!その……嬉しかったんです……抱きしめられたの、初めてだったし……それに、好きな人に、されたから……!」
どうにか弁明しながら思考を巡らせる。
……多分だけど、さっきノア君のとった行動は、ただ単に『抱きしめる』だけでは、なかったような気がする。
他にも、何か───
「えっ、と……一応、“恋仲”ってヤツになったってことで、解釈していいのかな?」
恐る恐る、何故か少し不安そうな表情をしたノア君は私に問いかけてくる。
「あ、えぇと……そう、ですねそういうことに、なりますね……!!」
考え事をしていた私は、慌ててそう答えた。
……間違いでは、ないんだ。
改めてこうして言葉にして突きつけられると、どうもこそばゆく思える。
こういうときは、どうすればいいのだろう……?
「ん〜、だったらさ……喋り方、変えてみないか?」
「……喋り方、ですか?」
訊き返すと、ノア君は軽く頷きで返す。
「いつまでも堅い喋り方だとしんどいかなって思ったりしてるんだけど……まぁ、無理強いはしないし……」
確かに、ずっと堅いままなのも良くない気がする。
んん〜……堅くない喋り方……
「……じ、じゃあ、“クロエ”君は……この喋り方の方が……話しやすい、のかな……?」
身近な人の喋り方を思い浮かべながら、尋ねてみる。
「ん……普通の女の子って感じだな」
慣れない喋り方でどこかぎこちない私の姿にクスッと、クロエ君は笑って言った。
「さて……フゥ達を待たせてるんだったな……」
「お、怒られないかな……」
クロエ君は「怒られそうなら俺が何とかするから安心しな」と笑いかける。
そしてクロエ君は勢いよく立ち上がったかと思うと、私の方に手を伸ばした。
「───行こうか、一緒に」
───あの“約束の日”と、同じように。
だけど“あの日”と違うことが一つある。
それは私がその手を取ることを一切、躊躇わなかったことだ。
───クロエ君の熱がじわりじわりと、私の手に伝わってくる。
離れてしまわないように、ほんの少し強めに握りしめる。
この温もりを、手離したくはない。
なんてことを考えているとふと、先ほど抱いていた“疑問”に対する答えが降って湧いてきた。
もう少しだけ勇気に頼っても……いいよね?
「……ねぇ、クロエ君」
私は咄嗟に、ドアノブに手をかけていたクロエ君に声を掛ける。
「ん?」
呼び掛けに反応したクロエ君が振り向く。
それとほぼ同時に、私は一歩前に足を進めて一気に距離を詰める。
そのままクロエ君の頬に片手を添え、そして───
────────────────
部屋をあとにして、俺達は足早にフゥ達の下へと急いだ。
少し、待たせすぎたか……?
……怒ってないと、いいんだけど。
俺が急ぐ理由は、それだけではない。
『火照った身体をどうにか冷ましたい』という思いも、心のどこかにある。
……訂正だ、今の俺の心の大半はそんな考えに占められている。
でもどれだけ冷まそうと行動しても、繋いだままのこの手の温もりは冷めることはなかった。
はは……まさか、告白されるとはなぁ……。
……一体、俺みたいな存在のどこがいいのやら。
ん〜、いいところとか、何もなかったと思うんだけどなぁ……。
などと自己分析をしているとふと視界に、人混みが映り思わず立ち止まる。
「ひ、人が増えてるような気が……」
「気がするんじゃなくて確実に増えてるなこれ……こんなに人が居るのによく二部屋も取れたなぁって改めて思うよ」
うっかりシエラの手を離してしまわないように強く握り直して、人混みの中を突き進んでいく。
これを抜ければ食堂に辿り着くはずだ。
……まぁ辿り着いたとしても、フゥ達がちゃんと席を確保できているのかが分からないからもし仮に確保できてなければ、それこそ骨折り損になるんだけど。
「───お、やっと来たか。遅かったなー?」
「───良かった、元気になったんだ」
人混みから抜け出した先から、聞き慣れた声が二つ、飛んでくる。
あぁ、やっぱりフゥだな……怒ってないみたいだ。
てか凄いな、席をちゃんと確保できたとは……。
「いやぁ悪いな、シエラと話してたら遅くなった」
そう言いつつ二人分の空いた席につく。
「わ、私が一方的にクロエ君に話しかけてたからであって……クロエ君は何も悪くないよ……?!」
席についた直後、シエラはすぐさま俺のフォローに入った。
あー……『笑って許してくれそう』とか言ってたこと、完全に忘れてるなこれ。
まぁでも、事情説明の必要は……ないんだろうなぁ……。
俺がシエラのところに向かう直前にフゥが投げかけてきた問いが全てを、物語っている。
……シエラがそういう“想い”を抱いているってこと、気付いてたんだな……。
俺が鈍感すぎるのか、それともフゥが鋭すぎるのかどっちが原因なんだ……。
……どっちも、か。
そんなくだらない思考を掻き乱したのは、フゥの笑い声の影響だろう。
「ははっそうかそうか、なら仕方ないな!」
「……シエラが怒られるようなことがあったら、俺がなんとかするつもりだったけど大丈夫そうだな」
俺の言葉にクレアは「フゥ君は案外このくらいじゃ怒らないよ?」と柔らかな笑みを浮かべて言葉を返す。
「そ、そうなんだ……」
「あぁ、そうだぞ〜……俺、よほどのことがない限りは怒らないんだぞ〜……ただし怒らせた場合は死を覚悟してもらうがな〜」
急にダラダラしながらとんでもないことを言い出した直後、そんな“悪魔”の腹の虫が盛大に鳴いた。
「あ〜…………くっっっそお腹空いた」
「いやごめんて……何食べるよ?」
「ニンジンとピーマンが入ってなければなんでもいい」
「……ピーマンもまだ克服できてなかったんだ」
「ま、まだって……」
突然明かされたフゥの新たな弱点にシエラは驚きを隠せないでいる。
「……もしも、頼んだ料理の中にニンジンもしくはピーマンが入ってたら……そのときはシエラ、任せた」
「えぇぇ、私がっ!?」
爽やかな笑顔で俺の彼女に何を頼んでるんだおい。
「逆に増し増しにするという手も───」
「───それだけはご勘弁を!」
俺の悪巧みにフゥはすかさず止めに入る。
相変わらず素早い。
「あはは……とりあえず、メニューを見て決めよっか」
クレアの言う通りだ。
そんなやり取りをしている今この瞬間にも、刻一刻と空腹感は迫ってきているのだ。
クレアの意見を聞き入れ、すぐさま俺達はあれやこれやと互いに食べたい料理を提案し合う。
───その間にも少しずつ、周囲の“賑やかさ”は“喧騒”へと姿を変えていくのであった。




