Page.30「特異な存在」
“悪魔”さんの視線の先、そこに立っていたのはどう見てもノア君だった。
───だが、何か様子がおかしい。
“悪魔”さんの口振りからして、私の知るノア君では、ない……?
だとすれば一体、この目の前に居るノア君の姿をしているのは……?
「ん、何か混乱してるみたいだから自己紹介でもしておこうかな。んじゃまぁ……初めまして。俺はこの器の主こと、クロエ・ノアールの“能力”の影響で出来上がっている“人格”みたいなもので、名前は……仕方ない、そこの“悪魔”が前にテキトーに名付けたヤツを借りるか。“クロー”って言うんだ、よろしくな」
「テキトーっていうかお前、自分で『クロエから欠けた存在』って言ってたじゃねぇか。だからそう名付けたんだよ……あとよろしくしない方がいいぞ、“悪魔のなり損ない”のコイツにはな」
今、何やら物騒な言葉が交ざっていた気がするんだけど……あぁなるほど、ノア君の名前の“クロエ”から“エ”を欠けさせて、そこから取ったのかな……なんとまぁ安直な……。
「そっちの呼び方をするなよなぁ……?まだ“副産物”の方が数倍マシだ」
“悪魔”さんの言葉にノア君もとい、“裏ノア”君は不機嫌そうな表情を見せる。
「えっと……ノア君、は……?」
「ノア君……?あぁ、“宿主”のことか。クロエなら寝てるよ、今俺がこうして出てこられるのはそれが理由だ。あ、心配しなくともちゃんと返しはするからな?」
返すというと……ノア君の人格を、ということだろうか。
「……そういや、お前が原因か?」
「あぁ?何が───」
“悪魔”さんが裏ノア君に唐突に何の脈略もなしに問い掛けた。
「クロエの“悪夢”の原因だよ。お前昨日……あーいや日付変わってるから正確には一昨日、か……クロエが妙なこと言っててなー?自分の意思で行った記憶はないが朝、目が覚めたら自分の部屋に居たって、ついでに言うなら自分がいつ寝たのかすら憶えてなかったらしいが……」
「あー……その原因は確実に俺だわマジですまん……」
淡々と事実を述べていく“悪魔”さんに対し、心の底から反省している様子の裏ノア君が謝罪の言葉を口にする。
「いやまぁなんていうか……少し、興味が湧いてな?」
「興味……?」
なんとなく私がそう尋ね返すと、裏ノア君は「そ、興味」と短く答えた。
「コイツが誰かを助けたいなんて考えることが意外だったんでな?一体全体、どんなヤツに興味を持ったのかが気になったんで見てみたくなったってわけだ」
裏ノア君は胸に手を当て、どこか楽しそうな表情で言葉を紡ぎ出す。
───だが徐々に、表情を曇らせていく。
「……俺が初めて見たとき、コイツは他人と関わること自体を拒んでたみたいだし……それに……」
突然、裏ノア君が言葉に詰まる。
「……それに……?」
「あー…………いや、なんでもない……ことはないけど……これは……その、安易に俺の口から言っていいモノではない……と思うから言わないでおく」
長い間があったが、結局答えてはくれなかった。
……いつか、話してくれるときが来るのだろうか。
「あの、話を戻すようですが……“能力の副産物”ということは、貴方は『不幸の塊』、ということですか?」
考えを巡らせていると不意に、キッチンで静かに話を聞いていたらしいフィリアさんが声を掛けてきた。
「まぁそういうことになるな……とはいえ俺が居るから周りに不幸が撒き散らされる、なんてことは起こらないから、それは安心してくれていい」
「一種の“匣”の役割を果たしてるってわけか」
「そ。例えるなら『パンドラの匣』ってところだな……あ違うわ思い切り不幸を撒き散らすじゃねぇかアレ……」
後半早口になりながら、裏ノア君は自分の言ったことに自分で何やら反論している……思っているほど、悪い存在ではない……?
「ただの例えなんだから別に気にしなくていいだろうが。完全な“ソレ”には成り得ないんだし」
「ま、それもそうだな」
“悪魔”さんからの鋭い返答に、裏ノア君は『確かに』と言わんばかりに頷いてみせる。
「な、なんというか……面白い人、ですね……」
「そう、ですね……」
少し困惑している様子のフィリアさんに、私は自然と同意の言葉を零していた。
「面白がられてもなぁ……生憎と今の俺はこういう性格なんでな……そういやぁ……さっきから気になってたんだがなんか、ほんのり甘い匂いがしてるような……?」
───そう言うと裏ノア君は、ずいっと私の方に顔を近づけてきた。
ち、近いっ……!!
かぁっと、みるみるうちに身体が熱くなっていくのを感じる。
「こっ……ココアを飲んでたのでっ……た、たた、多分それが理由かとっ……!!」
焦りすぎて声が変に上擦ってしまった。
「あぁなるほど……てかなんでそんな慌ててんの……」
目を細め、不思議そうな表情で質問はさらに続く。
なんでと言われてもこの状況で慌てるなという方が私には無理ですよっ……!?
「……お前、シエラの性格を分かっててやってんのかそれ」
「ん、というと?」
きょとんとした表情で裏ノア君は“悪魔”さんの方に視線を向ける。
裏ノア君の視線が外れたことにより、一気に肩の力が抜けていった。
「あー……いや、分からないからやったんだろうなー……シエラはな、極度の『人見知り』なんだよ。だからまぁその……あんまり無闇に近づいたりしてやるな。……クロエはまた例外なんだろうが」
「……今の俺は、クロエの姿なんだがなぁ?」
腑に落ちない、とでも言いたそうな裏ノア君に対して“悪魔”さんは「『中身』が違うから無意味だろ」と返した。
「そういうもんなのか……?まぁ……とりあえず、悪かったな。急に近づいたりして」
私の方に向き直り、裏ノア君は謝罪の言葉を口にする。
そしてすっ───と私の頭に手を伸ばし、くしゃっと撫でてきた。
あ……ノア君みたいに、少し加減したような撫で方では、ない……。
なんというか少し、雑……。
「……だ、大丈夫です……」
そう言いながら私は、できるだけ自然な動きで頭に乗せられた手を払い除けた。
そんな私の行動に、裏ノア君は一瞬目を見開くもすぐにふっと薄ら笑みを浮かべていたらしいが、残念ながら私がそれに気付くことはなかった。
……全然大丈夫なんかじゃない。
吐いてしまった小さな嘘に、どうしてか、焦りに似たものを覚えていたから。
先ほどの私は……大袈裟だと笑われるかもしれないけど、心臓が張り裂けるんじゃないかとそう思えるくらいには緊張していた。
初めて出会ったあのときも───
「……ふぁ……そろそろ寝に戻るとするかな。あまりに長居してるとクロエにまた影響が出かねないし」
欠伸を一つ漏らしつつ裏ノア君がそう言ったのが聞こえてきたために、私は考えることを途中で止めた。
「おや……ココア、要りませんでしたか……?」
フィリアさんは立ち去ろうとする裏ノア君を見て少し寂しそうな声を出した。
まぁ……せっかく作ったにも関わらず、それを無駄にしそうになっているのだから。
「……あー……悪い、俺は貰わないでおく。てか、自分で飲んだらどうだ?作るって言っておいて、結局作ってないんだろ、自分の分は」
裏ノア君はフィリアさんにそう指摘した。
あ……そういえばそうだ……フィリアさんがココアを作りに席を立ったあとに、“悪魔”さんが来たから……先ほど「ついでに」と言ったのは口実でしかなかったのか……。
先ほどの会話を、“悪魔”さん同様、裏ノア君は見ていたのだろうか。
「なんか……申し訳ない」
「いえいえ、喜んでもらえたなら私はそれで充分ですので!」
謝る“悪魔”さんに対し、フィリアさんは笑顔で返した。
「……んじゃ、寝るとするわ。……お前達も早めに寝ろよな?夜更かしは、身体に毒なんだから」
───と、二人のやり取りを見届けた裏ノア君はそれだけ言うと席を立つとそのまま部屋をあとにしたのだった。
その様子を、軽く目を細めながら“悪魔”さんはじっと、裏ノア君が出ていった部屋の扉の方に視線を向けていた。
「……根の部分で性格の良さが出てる気がしますね……」
「少しばかり特殊だからなー……」
どこか呆れたような表情で“悪魔”さんは言葉を続ける。
「んでアイツ、結局のところ何が目的だったんだっけ?」
「えぇと……ノア君が興味を持ったのがどんな人なのかを見に来た、だったかと……」
色々と話が脱線しすぎて何があったのかいまいち思い出せないが確か、そういった理由だったはず。
ん……あれ、それは一昨日のことを言っていたのであって……今回は何が目的だったのだろう?
「何か、ありましたか?」
「……いや、なんでもない」
何やら意味ありげな気がするけど……話す必要がない、といったところなのかな……。
「さてと……俺も寝に行くとするかな……おかわりを頼んでおいて悪いけどもシエラ、代わりに飲んでおいてくれ。アイツも言ってたことだけど、夜更かしは身体に悪いから気を付けろよ?んじゃなー」
そう言うと“悪魔”さんも、先ほどの裏ノア君と同様に席を立ち、部屋をあとにしたのだった。
えぇー……私もうお腹が満たされてしまっているんですが……。
───けれどもまぁなんだかんだ言って“悪魔”さんも、裏ノア君のことをどうこう言えないくらいには、お人好しじゃないですかね?
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「……性格の良さ、ねぇ……んなもん、いくらでも偽れるってのに、やっぱ人間ってバカだよなぁ?」
そんなことを呟きながら薄暗い廊下を進んでいく。
今回は単に顔を見たくなったから実際に見に行ったわけだがアイツら、絶対夜更かしするんだろうなぁ……。
「……なんて、半端な“悪魔”の俺がとやかく言えたもんじゃないか」
人の敵とも味方ともいえない、“悪魔のなり損ない”───それが俺だ。
“魔生種”───人間どもが“悪魔”と一括りで呼ぶその種族には二種類の存在に分けられる。
一つは至って簡単。
───人の敵になる存在。
もう一つは意外と思われるかもしれないが───
───人を守護る存在。
現状の俺は、そのどちらでもないに等しいのだ。
「……やっぱあのとき、お前の“望み”を叶えておくべきだったか?」
───と、なんとなく器に声を掛けてみる。
返事はもちろんあるわけがない。
当然だ、寝ているのだから。
「まぁでも、あのときお前の“望み”を叶えていたら……あの“聖女”とやらの“未来”は閉じてたんだろうが……」
……改めて思い返すとあの“聖女”、近づいただけであんなに顔を真っ赤にするとは……よほど、人と接することに慣れてないんだな……“聖女”なのに。
───そんなことを考えていると不意に、昔の記憶が脳裏に蘇ってきた。
“お前がもし、“悪魔”だと言うのなら───”
あぁ、あのときの“宿主”の目は……本気の目をしていたなぁ……。
“───俺を、殺してくれ”
人間にしてはらしからぬ“望み”を叶えてもらおうと……。
先ほど俺は、うっかりそのことをあの“聖女”に話しそうになったわけだが……さすがに俺から話すわけにゃいかないだろうと思ったために、止めたのだった。
「ま、結局俺はそれを拒んだがその代わりに、お前の“能力”をどうにか上手く利用してるわけだけどなぁ……人の不幸を主食としている“悪魔”にとっては都合のいい“能力”なわけだしな?……ただ、一つ思うことがあるとすりゃあ、 人間が持つ“能力”にしては荷が重すぎるんだよこんなの……普通に使い続ければ確実に心が壊れてるわ」
今は奪った“不幸”を俺に流れ込むようにしてるわけだが……まぁ、んなことはお前にとってはどうだっていいんだろうな。
「……あ、面白いこと思いついた」
───突然頭の中でパッと、“あること”を閃いた。
「なぁクロエ、いきなりだが一つ賭けをしようぜ。内容はそうだなぁ……『俺がどちらの存在に転がるか』、でどうだ?お前がどちらに賭けるかは知らないが、もし勝てば今のお前の“望み”を聞いてやってもいい。叶えるのは内容を聞いてからだ、お前は何言い出すか分からんし何ならまた『殺してくれ』とか言われてもそれはそれで困るし」
……本当は、答えはとっくに出ているのかもしれない。
だがそれでも、俺の中にある小さな“迷い”を失くすためには、こういうことをするしかないのだ。
───だからこそ、俺はお前達を利用させてもらう。
この程度にしか、“悪魔”らしさを出すことができないんだよなぁ不思議なもんで。
「───さぁて、俺とお前のどっちが勝つのかねぇ?」
───そう言いながら俺は、“悪魔”らしく最っ高に悪そうな笑みを浮かべつつ、元居た部屋に戻っていったのだった。




