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オニノコデイズ3

「ここで終わるのか、この物語」

「いや――――まだオチがあるんじゃが今話してしまってはこの後のネタバレになってしまうからの」

「どういうことだよ……」

「それでは始めるか! 鬼の娘よ、今からお前は自分と戦ってもらうぞ」


 ようこさんは『夢現』を赤城に手渡す。 

夢現という大そうな名前だが見た目は年季の入ったアンティークの手鏡であり、特に変わった様子はない。


「あの、なぜ私は自分と戦わなければならないのでしょうか?」

「吸血鬼である自分を受け入れるためじゃな。おぬしの中の吸血鬼を自分の一部だと認めなければ、やがて吸血鬼のおぬしと人間のおぬしは別々の存在になってしまうのじゃ」 

「僕の時はそんなことしなかったよな」

「おぬしは封印の呪いじゃからそんな必要はなかった。だが吸血鬼というのは生きている怪異じゃ。自我を持ってしまえば鬼の娘はあっという間に喰われてしまう」

「でも、戦うってどうすればいいのでしょうか」

「肉弾戦でも論戦でも自由じゃ。とにかく自分を理解し、受け入れることが大事じゃからのう。おぬしは今日、自分が吸血鬼であることに気づいた。気づくということは第一段階で、気づくことができれば受け入れることもさほど難しくはないのだ」

「わかりました」

「だが舐めてかかるでないぞ? 相手は吸血鬼を含めたおぬしの裏の顔、裏の性格、嫌な部分、自分で抑えている面も出てくるのだからな。吸血鬼という種は意外と戦闘力は高いから気をつけるのじゃな」

「はい」


 赤城は『夢現』を覗き込む。

 そこには赤城の姿が相変わらず映っているのだが、まるで水面を覗いているようにゆらゆら揺れているように見える。


「さぁ来るぞ」


 ざぁっと風が吹く。すでにとっぷりとした闇が訪れていて、気が付くといぶき苑も消えていた。

 山頂には僕と赤城とようこさんの三人しかいない。

 皆の姿がぼんやり見えるのはようこさんの力なのだろう。狐火というやつか。

 すると赤城の手にある夢うつつから光が漏れ始め、閃光のように一瞬強く光り、目を奪われた。


「あはははははは! やあ私、やあ赤城しらす!」


 鏡から赤城しらすが飛び出してきた。

 正確には性格はまるっきり違う赤城しらすだった。

 鏡から出てくるというのは実に妙で、まるでドラえもんが机の引き出しから出てくるときのようにするりと出てきたのだ。

 その第一声が笑い声とは全くもって赤城ではない。

 口調も、仕草も、なんだか大雑把でボーイッシュというよりはおっさんに近い感じだ。


「私の裏はこんな感じだったのね」


 本人が一番驚いていた。

 いや、驚いてもいるがそれより納得しているというか、やっぱりかという様子だ。 

 赤城は偽赤城の体やら顔やらを触って確かめていた。

 中でも一番確かめていたのは胸と胴回りで、自分の身体に自分なりの評価をつけているらしい。

 そして一通り満足したのか、出した総合評価は文句なしの一級品だそうだ。

 

「ふむ、こりゃあ見物(みもの)じゃのう。ちょっと離れて見ておるぞ」


 そう言ってようこさんは山のさらに奥へと消えてしまった。なんとも無責任な狐である。いつかこいつに化かされそうで怖い。確か四国には狐がほとんどいないみたいだから四国に逃げればようこさんからも逃げられるのかもしれない。一応最終手段として考えておこう。

 そして現状、今目の前にいる偽赤城は一応吸血鬼なんだし、そんなやつと戦うというのだから人間の僕たち二人では太刀打ちできないだろう。今の赤城は吸血鬼の部分が抜け出しているから、純粋な吸血鬼、純粋な人外ということになる。

 

「表の私、どうだ、これが裏の赤城しらすなんだぞ?」

「ええ、すごく綺麗よ」


 おい、それはどうなんだ。

 自分のことを綺麗と言ってるのと同じですよ、赤城さん。

 というか赤城は吸血鬼を目の前にしても全く物怖じしていない。

 自分自身だからなのか?


「いやいやお前も可愛いぞ? それなのに何でそんなに控えめなのか、私はずーっと気になっていたんだ」

「私はこういう人間だからよ。あなたも私なのだからよく知っているでしょう? きっと私より私のことを知っているのでしょう?」

 

 それはようこさんの話に出てきた鏡の中の自分と同じなのだろう。

 自分をずっと見てきた自分なら自分よりもよく自分のことを知っている。ええいややこしい。

 でももしそうなら赤城も自分の闇の部分は理解しているということか。

 

「うん! お前の事はお前より知ってる。だからお前はもう要らないな! これからは私が全部上手くやってやるから」


 偽赤城は笑顔でそう言った。

 赤城が滅多に見せない――――いや、まだ僕は見たこともない笑顔で。

 いつかドッペルゲンガーという話を聞いたことがある。別の自分に会うと死んでしまうという話らしいが、今のこの状況もそれに近いのかもしれない。死んでしまうというのは二つに分かれた自分のどちらかで、一人の人間の中で入れ替わるということなのか。

 ようこさんに教えてもらったのだが、都市伝説や噂というのは同じ怪異が様々な場所で様々な形で語り継がれているものも多いらしい。それなら鏡の話とドッペルゲンガーの元の話は案外近かったりするのだろうか。


「ごめんなさいね、私はまだあなたと代わるつもりはないわよ、どこかの不幸な女性とは違ってね」

「じゃあお前は私を受け入れられるのか? 吸血鬼の自分を。」

「受け入れられるわ」

「あはっ! あはははは!」

「そんな風に笑うのね。私は」

「笑い方なんてどうでもいいんだ。お前は吸血鬼の自分を散々否定してきただろうがよ。私は知ってるんだぜ? お前のことならなぁっ!」


 偽赤城はまるで元が赤城とは思えないような声量で高らかに笑う。

 そしてひとしきり笑い終わるとぎらりと赤城を睨むのだった。


「今日私のことを知ったばかりの癖に――――知ったような口を聞くんじゃねーよ。お前は頭がいい。吸血鬼伝承のことだって知っていた。今日も調べていた。だけど吸血鬼の特徴に当てはまるたびに違う、違うって否定してきたじゃねぇか」


 人間離れした速さで距離を詰めると、赤城の胸ぐらを掴み、そのまま右手の腕力だけで持ち上げる。

 ケンカで胸ぐらを掴むことはよくあるのだが、あれは予想以上に首が絞まる。持ち上げられたりしたら首吊りとほぼ変わらない状態になってしまうのだ。

 偽赤城も躊躇いがないのは同じだった。

 このままだと赤城が窒息して死んでしまう。


「赤城ッ!」


 僕は迷わず助けに向かった。

 『迷わず』や『助けに向かった』などと言う言葉とは少し違うかもしれない。

 ほぼ反射で動いていた。

 目の前で『化け物』に襲われているクラスメイトを助けるために。

 僕が人間であればこんな決断はできなかった。

 僕は自分が不死だということを嫌というほど知っているから死をも恐れずに動けた。

 いや、死は怖い。

 死の痛みなんて人生で一度味わうくらいでちょうどいい。

 二度も三度も味わうものじゃあない。


「赤城を離せっ!」

「なんだよ、邪魔な奴だなぁ」


 速すぎて見えなかった。

 多分だけど、偽赤城の左拳が恐らく顔面にでもヒットしたんだろう。

 僕は赤城にも、偽赤城にも触ることすら叶わず、吹っ飛んだ。

 地面を何度転がったかもわからず、たまたまそこに突き出ていた岩に背中から衝突し、やっと僕の体は止まった。

 とてつもなく痛いし、恐らく僕の顔の形変わってしまったんじゃないだろうか。

 元々変な形をしているから、まあいいか、なんて冗談を言っている余裕もない。

 視界は狭いし、呼吸はしにくい。耳は風の音のようなものしか聞こえないし、口の中は血の味しかしない。


「桐名くん、心配はいらないわ――――だってこの子は私なんだから。それより顔が大変よ」

「何を言っているのかねー、表の私。今からお前は死ぬんだぜ?」

「いいえ、私は死なないわ」


 赤城は自分を掴んでいる偽赤城の手首を右手で上から、左手で下から掴んで外側に捻る。

 捻られた偽赤城の右手はゆるみ、赤城を離した。

 これはれっきとした合気道の技だ――――赤城は空手と剣道だけじゃなかったのか。


「あなたが吸血鬼であるように私も吸血鬼なのよ、力も同じなら負けないわ」

「お、吸血鬼であることを受け入れるのか? そして力で私を屈服させるのか? 私たちの父と同じになってしまうぜ、お前を、私を殴り続けたあの父親と同じにな」

「……」

「あれが嫌で空手も、剣道も始めたんだろう? もうされたくなかったもんなぁ。痛かったよなぁ。誰も助けてくれなかったよなぁ」

「……」

「もう疲れただろ。忘れようとしても忘れようとしても忘れられないんだろう? 私と代われ。私があいつを殺す」

「……それは駄目よ、あの男のことはもう忘れることにしたんだから」

「そうだな、私に全部押し付けたよな。じゃあその私がどうしたいかは――――わかるよな?」

「わかるわ。殺したいくらい憎い。許せない。もう見たくもない。あなたに押し付けてしまったのかもしれない。でも、それでも私は悪いとは思っていないわ」

「ふふん、面白い、なぜだ? 悪いと思えよ、他人に嫌なこと、忘れたいことを全部押し付けておいて罪悪感はないのかよ」

「ない。だってあなたは私だもの。私はあなたを『他人』だなんて思ったことはないのよ。あなたのその性格も私の中にあるもの、私の心にまだその憎しみがあるっていうことは私の中にあなたがいるということでもあるのよ」

「ふん、じゃあお前はこのままでいいのかよ? 自分の中で二つに人格が割れてるんだ、嫌だろ?」

「もし嫌ならどうしろというのよ」

「今ここで殺しあう。それだけさ」

「やっぱりそうなるのね。でもその前に一つだけ。私の父親に対する憎しみも確かにまだ完全に消えてはいない、見つけたら必ず殴る。でもね、それを抑えてるのはこの『私』なのよ。『(あなた)』を『(わたし)』に出さないようにしてるのも私。今こうやって話していることも本当は全部独り言なのよ。吸血鬼のことだって、抑える方法を見つけたの。今まであなたを抑えてきた私があなたを抑えられないはずはないのよ」

「ははっ! 言うねぇ! じゃあやってみろよ――――全力だ」


 偽赤城はその腕力に身を任せ――――いや、腕力を乗せた華麗な突きを赤城に放つ。

 僕の顔面が一瞬でぐちゃぐちゃになるような打撃を赤城は受け止められるのか?

 赤城はまず、体を反らしながら一歩踏み込んで突きを交わした。

 そして突きが最大まで伸びて減速した瞬間を狙って腕を取る。

 踏み込みと腰を使い体重を移動をさせながら――――体を捻り腕を締め上げる。


「ぐあっ!」

「ねぇ『裏』の私、『表』の私はあなたのことが好きよ」

「だからなんだってんだよ」

「私はあなたを受け入れる」

「できるものならやってみろよ――――んっ!」


 赤城は偽赤城を締め上げている腕を解き、顔を近づけて――――そっとキスをした。

 キッスである。

 それも女と女。

 しかも赤城と赤城、同一人物だ。

 鏡にキスをしているような――――そんなイメージだと思ってくれればいい。

 実際表情は全く違っていて、赤城は平然、偽赤城は驚きで体が波打っている。 

 唇を離した赤城は、ぺたんと腰が抜けた偽赤城を抱きしめた。


「私はあなたが大好きなのよ。自分自身が好きと言っても過言ではないわ。あんな嫌な記憶を抑えられている自分を誇らしいと思う。吸血鬼のことなんてあの時に比べたら大したことなんてないの――――あなたにはわかってたのよね」

「くっ、くははははっ! ああそうだよ、吸血鬼なんてちっぽけなものだったさ。そんなものより父親に殴られているときの、あの時のお前を私は見ていられなかった。その時から実は決めていたんだ」


 偽赤城は赤城の手を握る。

 もう偽赤城は『偽』ではなかった。

 赤城が受け入れ、偽赤城は赤城の中の一部になり、赤城の闇の部分を背負ってはいるけれど、それもまた赤城だっだ。 


「お前の裏は任せろ。お前の受けた心の痛みを私が代わることはできなかった。(わたし)(わたし)の記憶から父親のことを薄れさせることしかできなかったけれど、そんなものでいいなら裏は表をこれからも支えていくから」


 偽赤城は微笑んだ。

 なんだ一緒じゃないか。

 高笑いなんてしていたけれど、素の笑顔は赤城と同じ、儚くて見蕩れてしまう微かな笑顔だった。


「あの――――ありがとう……。その、ご、ごめんなさい」


 赤城は躊躇った。

 感謝と、謝罪に。

 思えば赤城は感謝の言葉や謝罪の言葉、普通の人ならちょっとしたことでも言うその言葉をあまり言わない。僕に言ってくれたのもここに着いた時だけだった。

 それも『感謝するわ』という堅苦しい言葉だった。 

 赤城はもしかしてここしばらくそんな言葉を発してなかったんじゃないだろうか。

 言う場所も、言うべき人も、言うべき時も、なかったんじゃないだろうか。


「よく言えたな。頑張ったな。お疲れ様」  

「う……ううっ……」


 赤城は(うめ)き声にも似た、堪えきれなかった嗚咽を漏らす。

 赤城は、偽赤城と呼んでいいのか、裏赤城の胸で赤城は肩を震わせ、涙を(こぼ)した。

 僕に見せるつもりはなかっただろう。

 きっと誰にも見せるつもりはなかっただろう。

 だが一度壊れた堤防はもはや感情の流れを止めることなんてできなかった。  

 暗い夜の山の頂上に、赤城の声がこだまする。

 僕は裏赤城によって行動不能にされた状態、岩にもたれかかったままだった。

 何もできやしなかった。

 赤城は自分の力で、僕に頼ることもなく、自分の中のエラーを解消したのだ。 


「そこの男」


 裏赤城は無様に転がっている僕を見た。

 この場に男は僕しかいない。

 男イコール僕だった。


「なんだ……?」


 まだ口は完全に開かない。

 相当ぶっ飛ばされたから今の声で聞こえたかどうかも分からない。

 だけど裏赤城にとってきっとその時の僕の返答は関係なかった。


「赤城しらすという少女には過去がある」


 過去は誰にだってあるさ。

 裏赤城が言いたいのはさっきから話に出ていた、赤城の父親に関する赤城が最も封印したかった、忘れたかった過去のことなんだろう。


「赤城しらすは中学三年まで実の父親に虐待を受けていた」


 声は深く、静かで、重かった。

 赤城の闇を担う裏赤城は赤城の過去について、その時の状況、赤城が思っていたこと、感じた痛み、すべてを知っているのだろう。

 肩を震わせる赤城に代わって喋っているのだろうか。

 いや、赤城が僕にそんなことを言うのだろうか。


「赤城しらすはこの過去をずっと抱えて生きてきた」


 一言一言、区切るようにゆっくりと語る。

 僕にわかりやすいように、僕の記憶に残るように。


「だけど、今日、初めて人を心から頼り――――信じた」


 僕のこと……か。

 

「私はお前に話すべきだと思った」


 赤城には了承を得ていないというわけか。


「赤城しらすの父親は、酒に溺れ、博打に溺れ、借金に溺れ――――気が狂っていた」

「そうか……」


 ゆっくり喋ってくれているおかげでだいぶ声が出るようになった。


「母親は彼女を助けようとしたが、その度に母親は大きな怪我を負った」

「赤城は、どうなったんだ」

「娘への暴力は大怪我までは至らないものばかりだった」

「それで――――まだ、続くんだろ」

「中学生になり、赤城しらすは母親に告げず、一人で父親の暴力を抱え込むようになった」

「なんでそんな――――」

「その頃から、赤城しらすの体はだんだんと女性としても成長し始めていた」

「まさか」

「遂に父親は娘の体に手を――――つけた」

「そんな――――」

「逃げ場所はなかった。どこにも」

「…………」

「そして中学三年生の夏休み、大災害が起きた」

「それで――――吸血鬼に」

「赤城しらすの体は昼間は見えない。それを利用して――――逃げた」

「良かったじゃないか……」

「それからしばらくして父が死んだという情報が入った。やっと平和な日常が戻ってきたと思った」

「思っ『た』?」

「すると今度は学校生活が送れなくなった」

「そっか……、認知されないんだもんな」

「しらすは自分のことを調べるために図書館に通い、調べた。それで今日、お前が見つけた」

「……そうだったのか」


 赤城しらすの過去だった。

 それは僕なんか到底敵わないくらい辛く悲しく、どうしようもない過去だった。

 小さな子供にはどうすることもできないこと。

 子を守らなければならないはずの親が子にした許されないこと。

 赤城はそれでも親のことを心配して一人で抱え込んだのだ。

 自分を犠牲に、親を守ったのだ。

 父が死に、やっと日常に戻れるかと思えば大災害で吸血鬼になってしまった。赤城の人生とはどれほどのものなのだろう。

 平穏な家庭で育ってきた僕には理解できない、理解しようとしてはいけないことだった。


「だから――――これからお前が、赤城しらすを守ってやってはもらえないだろうか」


 そんな赤城の見つけた拠り所――――それが僕らしい。

 僕で――――いいのだろうか。

 僕なんかで赤城の過去を和らげることができるのだろうか。


「僕でよければ」


 なんて気の利かない返事しかできなかった。

 告白されてこんな返事を返すような情けない男にはなりたくなかったけれど、よく考えて考えて考えて考えて、この言葉しかなかったのだ。

 赤城に釣り合うなんて思っていないけれど、少しでも何かできるのなら。

 僕でよければ――――力になりたかった。


「じゃ、私の役目は終わりだろう」


 裏赤城は赤城を自分の胸から離す。

 赤城はまだ目を伏せていた。 


「帰るぜ、お前の中に」

「私は、私はいつか――――思い切り笑いたい」


 赤城はそう言った。

 裏赤城に言ったのか、僕に言ったのか、誰に言ったのかはわからない。

 だけど僕はその言葉を忘れない。


「口の端をにっと上げれば笑えるさ。じゃーな。んで、ただいま」

「さよなら。そして、おかえりなさい」


 偽赤城は鏡の中ではなく、赤城と同化するように赤城の中へと帰っていった。

 一件落着――――なのだろうか。

 なんというか、受け入れるための戦いというよりは仲直りする戦いのようだった気がする。

 それを塗り替えるくらいいろいろなことを僕は知ってしまったのだけど。

 とりあえず、当初の目的は解決したみたいだ。



「桐名くん、大丈夫?」

「うん、大丈夫だ。それよりどうなってる――――僕の顔」

「いつも通りよ。汚く治ってるわ」

「僕の顔って汚いのか……」

「嘘よ。格好いいわよ」


 相変わらず躊躇わないな、こいつ。

 僕が赤面するのを楽しんでやがる。

 そんな僕は赤城の膝の上で、手渡してくれた曰くつきの鏡、『夢現』を覗きこむ。

 いつも通りの僕だ。裏も表もない僕がそこには映っている。

 自分自身との戦いなんて言うけど、本当は戦うんじゃなくて『向き合う』ことが大事なんだと思う。

 自分自身は敵なんかじゃなくて、自分を一番知っている理解者なんだ。

 まあ難しいことを考えるのは得意じゃないから今は赤城の膝枕を楽しんでいよう。


「そろそろ退いてくれないかしら」

「えっ!? お、おう」

「何よ、もっと楽しんでいたかったって?」

「いや、全然そんなことはない」


 ゴツンッ。

 痛い。

 躊躇いが無い。


「おう、終わったようじゃのう、おぬしら!」


 そこに悠々とやってきたのは今まで姿を消していた妖怪、ようこさんだ。

 酒瓶片手な所を見ると赤城同士の戦いを肴に一杯やってやがったな、こいつ。

 やけに陽気なところが空気を読めていない。


「まあ、受け入れるとは少し違ったようにも思えるがこれで大丈夫じゃろう。鬼の娘の中のものはひとつにまとまった」


 そしてようこさんは爪の尖った手を頬杖にして少し考えるように唸った。

 何かを思い出そうとしているけど思い出せないような、もどかしそうな顔をしている。


「あ! そうじゃそうじゃ、あの昔話のオチだがな。鏡の中から出てきた女は体の不自由な女に生き方を示して見せたのじゃ。鏡の中から、もう一人の自分だったからこそ見えるものも思うこともあったのじゃろうな。不憫で仕方なかったのじゃろうな。

「鏡から出てきたもう一人の女は不自由な体でも出来ることを散々鏡の中に閉じ込めた女に見せた後、また鏡の中へと戻っていったのじゃよ。そして女は再び鏡の外へと出た。それからは鏡を見つめることも夢の世界に逃げることもなかったという。これでめでたしめでたし――――じゃな」


 僕はあの裏赤城も、実はそんなことを考えていたのではないかと思った。

 結局最後はは仲のいい姉妹のケンカみたいだったし。

 裏赤城は赤城に溜め込んでいたものを吐き出させたんじゃないかと思ったりもする。


「なんか……前半と変わっていい話だったな」

「だから言わん方がいいと言ったであろう?」

「ようこさん、ありがとうございました。おかげで更に自分が好きになれました」

「良かったのう」


 赤城は手鏡を覗く。

 そこにはいつもと変わらない赤城の顔が映る何の変哲もないただの鏡だった。

 赤城は満足そうな顔で鏡を見つめている。


「これで本当に今まで赤城のしてきたことが反映されるのか?」

「まあ思い出すじゃろうな、鬼の娘のことを。いつもいたのになんかド忘れしてたよー、みたいな感じでの」

「出席簿とかはどうなるんだ?」

「テストについてはさすがに受けておらんのでどうにもならんが、出席簿は変わるだろう。『世界』にはそういうズレを修正する力もあるからのう」


 そう言いながら残りの酒をくいっと飲み干した。

 ちょっと待て。

 待て待て待て。


「ちょっと待て。それ赤城が戦うことに意味あったのか?」

「あるある大アリじゃ。鬼の娘が吸血鬼の自分と和解しておらねば『世界』の修正力は働かんかったじゃろう」

「桐名くん。私自身の事は吸血鬼になっていなくてもいずれどうにかしないといけないことだったのよ、私は色々認めたくないことが多かったから」

「それなら――――いいんだけど」


 心なしか赤城の顔から詰まったような、張りつめたようなものが消えている気がした。

 僕はこれが素の赤城だとすぐにわかった。

 こっちのほうが全然いい。


「では、鬼の娘よ。不死の血を飲め。ちなみに吸血鬼に血を飲まれるとゾンビ化も止まるぞ」

「そうなのか? 初耳だぞ」

「まぁ今初めて言ったからのう。吸血鬼の吸血は対象を眷族化させることもできる。眷族化する時、対象の本来の力を引き出させるからお前のゾンビ化とかいうマイナス能力は消されるのじゃ」

「なるほど、じゃあイイコト尽くしじゃねーか!」

「まぁそうなるのう」

「待って、桐名くん」


 赤城が挙手で発言権を求めた。

 なかなかに面白いやつだな。赤城も。自分自身と仲直りして毒気が抜けたような感じだ。


「それじゃまるで私とあなたがずっと一緒にいなくちゃいけないみたいね」

「そうなるのか?」

「いいではないか! 一つ屋根の下で何が起こるかわからんがのう、きゃははは」


 楽しむな、ようこさん。

 子供っぽい笑い方はなんというか――――似合っていない。

 それに一つ屋根の下なんていくらなんでも無理だろう。

 赤城にはお母さんが待っているだろうし、僕だって姉と妹がいる。


「冗談じゃ。そんなすぐに効果が切れるものでもないから四六時中一緒に居る必要はないぞ」  

「ほらな? とりあえず血、飲んでくれ」

「さっきも言ったけれど初めてだから結構緊張するのよ。躊躇いはないけれどね」


 かぷ。

 血を吸われる感覚としては献血に近い。だけど痛くはない。

 というより僕と赤城の姿勢がアウトだろう。

 あぐらをかいた僕の膝の中に赤城が座り僕の首と肩をきゅっと握りしめている。

 力の加減が時々変わり、血を吸うのが初めてで馴れていないからかうめき声が漏れている。

 思春期男子には刺激が強すぎる。

 

「んっ……こくん……こくっこくっ……」


 だめだ、ぼーっとする。

 もしかしたら血を吸われすぎたんじゃないか?

 やばい、落ちる。落ちる。


「吸いすぎじゃ、鬼の娘ッ!」

「え?」

「見ろ! こやつの意識が飛んでおるぞ!」

「えと、どうしたらいいのでしょうか」

「仕方あるまい。不死じゃからすぐに血もつくられて復活するじゃろう。それまで休ませよう」

「その必要はない。九尾の妖狐」


 あれ、僕の体が勝手に動く。

 まるで後ろから誰かに操られているみたいな――――そんな感じだった。


「誰じゃ、おぬし――――南木ではないな。鬼の娘よ、下がっておれ」

「何もしないさ。なんせその娘は我の命を繋いでくれているのだからな」

「問いに答えよ、誰だと聞いておる!」


 おいおい、ようこさん、そんなに怒るなよ。なんかオーラみたいなの出てるぜ。


「久しぶりだな、時雨。いや――――がじゅまる・みなみせ? 違うな、あ、そうだそうだ『ようこさん』だったな」

「……儂を知っておるのか」

「よく知っている。とてもな。お前も我の事はよく知っているはずだがな」

「知らぬな。おぬしなど。お前は桐名南木のはずじゃ」

「間違ってはいない、だけれど『今は』違う。我は『最初の死者』だ」

「なっ……!」

「知っているんですか? ようこさん」

「ああ、よく知っておる。こやつはこの世界で、歴史の上で、最初に死んだ者だ」


 何言ってんだよ二人とも。僕の名前は桐名南木だぜ。


「今日はここまでだ。また主が危なくなったら出てくるけどできるだけ遭わせないでいただきたい」


 ふっと僕の体を操っていた何かが消えた。

 僕の体が僕のものになる。

 ん? 

 よくわかんない表現だったな、今のは。


「ごめん、ようこさん、赤城。気を失ってたみたいだ」

「やっと目が覚めたか。今日はもう遅い、鬼の娘を送ってやれ、また今度じゃ」

「そうだな。じゃあ赤城、帰るか」

「ええ」



 赤城を自転車の荷台に乗せて僕たちは山を下りる。

 行きは帰りより楽だけれど春先だからまだ肌寒い。何時間山の中にいたんだろうか。時間がわからないし、家にも連絡をいれていない。明日からは携帯を持ち歩くことにしよう。


「ねぇ、桐名くん」

「なんだ?」

「今日は本当に――――本当にありがとう」


 おそらくその言葉には赤城のありったけの気持ちがこもっていた。

 なぜなら躊躇わない赤城が一瞬、躊躇ったから。 荷台で背中合わせでもわかる。


「こちらこそ、だな。僕もお前のおかげでゾンビ化が防げたし」 

「聞きたいことが一つあるのだけれど、いいかしら?」

「いいよ」

「何であなたは今日の放課後、私を見つけることが出来たの? いつも見えていなかったのでしょう?」

「今日は『お前を』探してたからだよ。普段は意識してなかったから気づかなかったけど、意識して探していると怪異は怪異を見つけられるんだ」

「そうなのね。やっと喉にひっかかっていたものが取れたわ」

「それはよかった」


 僕らは雲一つない満天の星空の下を走る。山の(ふもと)の農道には空を遮る背の高い建造物はないので見渡す限り星空が広がっている。


「星が――――綺麗ね」

「そうだな」

「私は天文学について詳しくはないのだけれど、あそこで一番輝いているのが北極星と言うそうよ」


 それくらいは僕でも知っている。


「昔は様々な場所で様々な呼び方がされていたそうよ」


 それも――――知ってる。


「私は北極星なんて堅苦しい名前は好きじゃないのよ」

「そうなのか」

「ええ、そうなの」


 赤城に気づかれないように後ろを覗いてみる。

 足を投げ出してゆらゆらさせながら空を見上げている。

 上機嫌みたいだ。 


「何かいい名前はないかしら」

「僕が考えるのか?」

「いい案があったら採用してあげるわ」


 僕に拒否権はなさそうだ。

 いつものことか。

 いつもと言っても今日初めて話したんだけどな。本当に今日一日長かった気がするぜ。


「そうだな、難しいなー」

「なんでもいいのよ、わかりやすければ」

「あ! いいの思いついたぞ」

「言ってごらんなさいな」

「しらす星ってのはどうだ?」

「ふふっ、馬鹿にしてるのかしら、桐名くん」

「してないしてない!」

「じゃあ決定。あれは私の星よ」

「えっ!」

「これからもよろしくね」

「こちらこそ」


 まだ偽赤城のようには笑わない。

 だから僕は決めた。今決めた。

 いつか赤城を思い切り笑わせてやろう、と。

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