オニノコデイズ2
「さて、着いたぞ」
「ここに私を助けてくれるという人がいるの?」
「多分だけどな」
音卯山の頂上、がらんと何も無い開けた空間。
ぽっかりと境界線でも引かれているかのように木々が生えていない空間が円形状に広がっていて、四百メートルトラックが引けそうなくらいに広く、まるで何かがあるような不思議な雰囲気を感じる。
そしてその奥の奥に山神様を祀っているという小さな社だけがある。
「どこかしら。少し探してみるわ」
赤城はそう言って、一人で山頂を探索し始めた。
まるでかくれんぼの鬼のように木の裏や茂みの中を探している。赤城の幼い行動に、僕は思わず可愛いと口に出してしまいそうになるが、ぐっと飲み込んだ。可愛いなんて言葉を赤城に言ってしまうと確実にぶん殴られる。赤城の性格からはきっとそうなると予想する。
なので僕は、彼女が諦めて戻ってくるまで探索風景を堪能していた。
この広い頂上をくまなく探したのだから多少は疲れると思う。頑張ったねと言ってあげたいがそれもまたぶん殴られそうなのでやめておく。
「どこにもいなかったのだけど」
ちょっと不機嫌そうな顔で頬を膨らませる赤城。そのほっぺたをつつきたい衝動に駆られるが結果が見えているのでやらない。
「そりゃあいないよ。まだ呼んでないからな」
「でもここにいるんでしょう? 私はくまなく探したつもりよ」
「正確に言えば『今は』いない。呼ばない限り来ないから」
「意味が分からないわ」
意味が分からないのはよくわかる。僕もそうだったからな。
でも間違ったことも言ってないし、これ以上わかりやすく言え、と言われても僕には難しい。
意味が分からなくて正解だ。逆にこの言葉だけで意味がわかってしまうようなやつがいたら僕はアニメの見過ぎか中学二年生頃に罹る病気かを疑う。
だってそれは『ここ』にあって『この世』にない、とても現実的ではないものだからだ。
「呼ぶってどうやって呼べばいいのよ?」
「んー、感じ的には『出でよ、神龍』かな」
「そんな大そうな人なの? まぁ私を助けてくれるのだからわたしにとっては神龍のような人だものね。あながち間違ってはないわ」
赤城は納得すると本当に天に向かって呟いた。
「出でよ、神龍……」
「ぷっ! ふは、あははは!」
僕は思わず吹いてしまった、まさかそれを言うとは思わなかった。
「私は躊躇わないし、こんな時だから恥じらいとか気にしないけれど、それでも笑われると恥ずかしいのよ」
赤城は恥ずかしさで顔を赤く染めている。
こんな顔もするんだ……。
他愛のないやり取りをまだやっていたいけれど、太陽はもう沈んでしまっていて太陽の残り香のような光のお陰で常闇にはなっていないが、暗い。
この山について知っている僕ならまだしも赤城は相当不安なはず。ましてや夜の山に男女が一緒にいるというだけで何か危ない感じがする。
「悪かったな。ここでは、こう言うんだ」
僕は大きく息を吸い込む。山全体に響き渡るくらいの気持ちで。
「『ただいまー!』」
僕の声でそれは現れる。繋がる。
うっすらと、そこに最初からずっと佇んでいたかのように。
「ここが、お前を助けてくれる場所だ」
山頂に現れた一軒家の和風旅館のような建物。
現れるとほぼ同時に日常で僕らが耳にする着火音の百倍以上の音とともに庭の行燈、玄関に掛けられた提灯を始めとする建物中の明かりが一斉に灯った。
山の頂上を、電気ではなく温かな火が照らし出す。
僕も初めてこれを見たときはその神々しさにあっけにとられたものだ。
どうやら赤城も同じようで、目の前にそびえる木造の豪邸を見上げている。
「助けてくれるというのは本当そうね。正直あなたを少しだけ――――いえ、半分ほど疑っていたわ、ごめんなさい。本当に感謝しているわ」
「まだ解決はしてないんだから、その言葉はまだとっておこうぜ」
「……そうね。まだ解決はしてないものね。じゃあ今のは話し相手になってくれたお礼ということにしておいてちょうだい」
「わかったよ」
言葉を詰まらせた赤城も初めてだな――――なんて思いつつ僕は手入れが行き届いた庭を抜け、玄関の横にある場違いなインターホンを押す。
赤城は緊張しているのか黙り込んでいる。
それもそうだ。突然現れた豪邸に入る勇気なんて中々すぐに用意できるものではないだろう。
いくら躊躇わない赤城でもさすがに緊張くらいはして普通だ。
「こんばんはー、桐名ですがー」
「そんなことはわかっておる」
インターホンからの返事ではなく、直接、引き戸ががらっと開いての返事だった。
その面倒くさそうな声と古臭い喋り方をする人物のことを僕は知っている。人とはあまりにかけ離れた彼女のことを。
僕を地獄の淵――――死ねないから生き地獄の淵から救ってくれた命の恩人だ。
「久しぶりじゃのう南木よ。そしてそっちの鬼の子は……誰じゃ?」
「初めまして。赤城しらすと申します」
藍色の着流しに身を包み、いろんなところを見せようとしている豊満ボディの僕の恩人。きつね色の髪にきつね色の瞳を持つ『ようこさん』である。
しかも今ようこさんは自宅にいるのと同じである。伝説の象徴である九つの尾もさらけ出していて、玄関の奥でそれぞれが独立しているかの如く動いている。あとその、ぴん、と頭から生えているとしか思えない二つの獣耳も。初対面の人間が来たというのに隠そうという気すらないみたいだ。
驚くべきはそれを全て見たうえで、冷静にかしこまった挨拶ができる赤城である。
「おお、中々にちゃんとした挨拶が出来ておるではないか――――誰かさんとは違うのう」
「確かに僕は腰が抜けて挨拶どころじゃなかったよ!」
「それで――――なんの用なのだ?」
「それなんだけど、この赤城についてなんだ」
「あなたには言ってないこともあるからそれも含めて話すわ」
「そうだったのか」
「言ったでしょう。私は本当にあなたが助けてくれるとは思っていなかったの。一応警戒はしていたのよ」
「なるほど」
「ふむ。本来なら――――まあ上がってゆっくり話そうではないか、と気を利かせて言うのじゃが得体の知れぬ怪異は入れられん。儂はここ『いぶき苑』の主である狐じゃ。『ようこさん』と呼んでもよいぞ」
それから赤城はいぶき苑の玄関で、僕に聞かせてくれたことと、喉の渇きが抑えられなくなってきていることを話した。
その喉の渇きというのが僕には言っていなかったことなんだろうけど、それがどうかしたんだろうか。
僕は赤城の事情を頭の中で再確認し、ようこさんの顔をうかがってみるけど真剣に聞いているみたいで少し安心した。
「なるほどのう……。それはそこにおる不死と同じ症状じゃ。詳しくはわからんが、今おぬしは吸血鬼になりかけておる」
「吸血鬼――――ですか」
赤城は信じたくなかったことを無理矢理納得するように呟いた。
それは至極当たり前なことで、乗り越えなければ、受け入れるしかない事でもある。
僕はその時ほとんどゾンビになりかけていたから悩む暇も驚く暇もなかったっけ。もう三年も前のことだ。
「今、おぬしに現れておる喉の渇きは吸血衝動じゃ。喉が渇いたなぁ、でも水じゃ嫌だなぁ、と思うときがあるのじゃろう」
「はい、最近は特に。夜が多いです」
「そのような時、どうしておる?」
「水をたくさん飲んで寝るようにしています」
「うむ、中々に賢明な判断じゃ。衝動に負けておらんということは今すぐには吸血鬼にはならんであろう」
「本当ですか?」
「保証する。大妖怪の保証じゃ、信じておけ」
問題はそこじゃないだろ。聞きたいのはどうやったら人間に戻れるか、だ。
昼間存在が認識されない赤城は人間としての日常生活に支障が出ている、出まくりだ。
このままだと赤城は人間としての生活がボロボロになってしまう。
卒業できなくなれば、すなわち浪人になるというわけで、就職や進学すらできなくなる。
「ようこさん、聞きたいのは――――」
「あーあーわかっておるわかっておる。どうやったら人間に戻れるか――――であろう?」
僕の言葉を遮ってようこさんは続ける。
この人(?)は相変わらず人をからかうのが好きなようで、僕の言葉には積極的に割って入ってくる。
「まず、おぬしらのような者が現れ始めたのは三年前からじゃ。そのためには『大災害』について語らねばならん。『大災害』とはな、儂ら怪異の災害なのじゃ。おぬしらはおそらく運悪くそれに巻き込まれたのじゃな」
「人間にまで被害が及ぶものなのか?」
僕も大災害について聞いたことはなかった。
なんせ前に出会ったとき僕は三分の二以上ゾンビだったのだからこんな話されても理解できなかったと思う。
「その辺はよくわからんが、とある神が消滅したのじゃ。まさに消え、滅した。姿は大分前から見えなくなっていたのじゃよ、行方不明と言うやつじゃな。そしてとうとう大災害の日に滅したのじゃろう。この町の神が消えたのじゃからこの町のバランスが一気に崩れる。その衝撃が『大災害』じゃ」
「それで僕たちは化け物になってしまったのか」
「おそらくな。儂はそれの調査に来た。そこでおぬしに出会ったのじゃ」
「なるほど」
「これが『大災害』の真実じゃ」
赤城は初めて聞いた言葉の数々を理解しようと真剣に聞きこんでいた。
それはあまりに非日常で、受け入れがたいもののはずだった。
それを受け入れていくということは非日常を日常にしていくということで、もしかすると非日常に触れてしまった時点で――――言うなれば大災害に巻き込まれた時点で、もう僕たちは普通の人には戻れないのかもしれない。
「さて、本題じゃ。鬼の娘よ――――あ、儂は今日出会った者を名前で呼ぶような気安さは持っておらん。そこは勘弁してくれ、ポリシーなのだ」
「わかりました」
妖怪にポリシーってあるのか?
真面目に頷いている赤城はきっと僕が思っているよりずっと純粋なんだろうなぁ。
この数時間で赤城の純粋さはなんとなくわかってきていた。
最初厳しくて冷たくて人当たりが悪いだけで、知れば知るほど純粋で優しいところが見えてくる。
するめみたいだ。
噛めば噛むほど美味しい――――みたいな?
これも赤城に怒られそうだな。
「正直なところおぬしの吸血鬼化もそこにおる不死と同じ『呪い』じゃ――――であればやはり呪いをかけた本人に会わねばなるまい」
「どこにいるんですか?」
「――――わからん」
「ではどうすればいいのでしょうか」
「とりあえずそこにおる不死の血を吸え」
「えっ!」
「はっ!?」
僕と赤城は息ぴったりに声が合った。
『僕の血を吸え』とはどういうことだ――――というかそれこそ吸血鬼じゃないか!
僕の血を吸ってどうにかなるわけでもないだろうに何故ようこさんはそんなことを要求するのだろう。
「この不死はの、封印の呪いを受けておるのじゃ。『死』を『封印』しておるのじゃな。だから吸血鬼のおぬしがその血を吸えば、一時的にじゃが吸血鬼の力を封じることが出来、人間に戻れるじゃろう」
なるほど、それならいけそうだ――――っていうことは僕はやっぱり赤城に血を吸われなきゃならないのか。
どんな感じだろうか。
献血くらい?
蚊くらい? あ、でも唾液を入れられるのは嫌だな。唾液って蚊ならいいけど人になるとちょっとエロいな。
「なるほど、桐名くん。血を貰ってもいいかしら?」
「ちょ、ちょっと待とうか赤城さん――――心の準備がまだ……」
「私だってこうみえても緊張しているのよ、男の子の首に噛みつくなんて初めてだし。というより男の子に唇を当てるのさえ初めてよ」
表現がいやらしいことに気づくんだ赤城さん!
なんだかファーストキスを奪われるような感覚でどきどきするし、目の前にいる赤城さんがなんだか綺麗に見えてくるし、うわああああ。
「そりゃあ吸血鬼の特性で獲物を誘惑するからのう」
え、そうなのか?
なら今無性に赤城が美人で魅力的な女性に見えるのもすべて吸血鬼のせいなのか。
「でも怪異のおぬしには効かぬよ」
嵌められたっ、妖怪に嵌められたっ!
僕は一歩ずつ迫る赤城の両肩を掴む。
「よし来いっ!」
「ええ」
「――――あ、待て待て。まだじゃまだじゃ」
赤城は僕の首に噛みつこうとしていたところをようこさんに引きはがされる。
驚いて一瞬身体を強張らせた赤城は摘み上げられた小動物のような体勢になっている。
「すまんのう、お楽しみのところ。じゃがな、その前にせねばならんことがある。鬼の娘にとっては大切なことじゃ」
「なんですか?」
赤城は振り向いて少し見上げるようにようこさんに聞く。背丈はようこさんのほうがちょっと高いようだ。
ようこさんは僕が立つのを待って、赤城にとって大切なことというのを話し始める。
「おぬしが存在感を失くしていた間の活動を世に反映させねばならんだろう。でなければおぬしが吸血鬼になっておる間にやってきたことが無駄になってしまうからの」
「それは僕が赤城に血を吸わせることで解決するんじゃないのか?」
「馬鹿か、そこはかとなく馬鹿か。馬鹿馬鹿しすぎて呆れるわ」
「ようこさん、なんか今日僕への当たり強くないか?」
「そんなことはないぞ――――この馬鹿に説明する時間をくれるか、鬼の娘よ? 」
「はい。桐名くんが馬鹿だということはわかっていますから」
「ひどいな赤城!」
僕は女性の怖さと強さを身に染みていたはずだったが、この二人(?)がタッグを組んだときの攻撃力を知らなかった。
ようこさんは妖怪だからか、元々遠慮のないど真ん中ストレートな言葉を発する。そして赤城は僕を罵倒して楽しむところがある。もちろん二人とも優しいところはあるんだけれども。
「いいや、ひどいのはおぬしの方じゃぞ、南木。鬼の娘が今人間に戻ったところでそれは不登校ではなくなった、というだけじゃ。娘が半年間毎日学校に来ていたことや自分なりにしていた様々なことは人間の赤城しらすの行動ではなく、吸血鬼の赤城しらすであり、それをどうにかせんことにはどうにもならんのじゃ」
「そ、そうなのか――――ごめん赤城」
「構わないわ。どうせそこまで頭が回っていないとは思ってたのよ」
「では、おぬしがやってきたことを現実に反映させようぞ。『夢現』!」
「合点承知ッ!」
建物の奥から両手に抱えるほどの鏡を持った一匹の小さな狐が飛び出してきた。
それはぬいぐるみのような、少女マンガや絵本に出てくるそれはそれはキュートな狐だった。赤城が目を輝かせているのも無理はない。
女の子は大抵こういうのに弱いのだ。僕の姉も、妹も、入江だってこういうのには弱いんだから。
いくら可愛いからと言って女の子の胸に飛び込む権利はないぞ?
飛び込もうとしたら僕が叩き落としてやるからな。
でも赤城の胸に飛び込むのはやめておけ。赤城に殺されるぞ。
◇
「さて鬼の娘よ。まずは狐の持っている鏡の話をしよう。この鏡の名は『夢現』という。
「昔々……、病によって体が不自由になった女がいた。女は毎晩夢の中で、自由に動き、様々な事を経験したのじゃが、それは所詮夢でしかなかった。
「目を覚ませば朝が来る――――不自由な朝が。女は毎日夢の中を楽しむために生きた。
「女にとってどちらが夢でどちらが現実かわからぬほどにな。
「そのうち女は起きている間、鏡を見つめるようになった。鏡の中の自分は体の不自由さなんて感じないほど笑顔だった。
「鏡の前では誰だって格好つけるじゃろう? その女もそうじゃった。鏡の中の自分なら夢の中のように自由に動き回れるのではないか、とな。
「そんなことあるはずがないのじゃが、人間と言う生き物は思い込みで真実が嘘に、嘘を真実に変えられるのじゃ。
「もちろん自分の中でだけじゃがな。
「おぬしらも経験したと思うのじゃが孤独は人間を狂気に誘う――――いや、こればかりは人間だけじゃなかったのう。化け物も人間も孤独になれば狂気へと誘われてしまうのじゃ、その女もまた狂気の沙汰だったのじゃな。
「今でいう現実逃避だがその女の現実はその辺の人間よりは重く苦しいものであったのだからそれも致し方ないのかもしれんな。動きたくても動けぬのは思考力が低下するよりも辛いものであっただろう。思考力が低下しても本人はあまり気づかぬからな。
「まあ――――その女の怨念やら執念にも似た狂気の現実逃避の念が鏡に力を与えたのじゃ。くるっと鏡の中と現実を入れ替えたのじゃ。女の願い通りにな。
「冷静に考えると鏡の中の自分も結局は自分なのだから体は不自由なままじゃったし、入れ替わるということはその女は鏡の中に閉じ込められてしまったのじゃ。一方で現実に出ていった鏡の中の自分は体が不自由なことから逃げるのではなく、そらに前向きに立ち向かった。
「そう――――女とは別の方法をとったのじゃ。ずっと鏡の中から見ておったのだから当然よの」
そこまで話してようこさんは口を閉じた。
まだ言い残していることがあるかのような不完全さと不自然さを残して。




