オニノコデイズ1
ということで今回は僕と赤城しらすの出会いについて語ろうと思う。
僕を語る上で赤城のことは語らないといけないし、赤城を語る上でもまて、僕のことを語らなければいけないと思う。
それは高校三年生になったばかりの春、四月六日のことだった。
◇
始業式も終わり、本格的に一年が始まろうとする日の放課後である。
僕は生徒会室にある職員室からのお下がりであろう傷だらけの事務机とパイプ椅子に腰掛け、顔も名前も知らない生徒会役員の同級生と下級生に自己紹介のようなものをしていた。
「よろしくね! 南木くん!」
「よろしく」
きゅんきゅんするエンジェルボイスが僕へと飛んでくる。もちろん躱さず受け止める。
この女神様の名前は入江くじら。今期の生徒会長だ。
成績優秀。
容姿端麗。
可愛さカンスト。
肩までにかかる程度の長さに前髪ぱっつんの、マンガの中だけにしかいないと思わせておいて実際探せばいるようなふわふわ少女である。意外と完璧なやつなんて学校に一人くらい居るものだ。ただ完璧とはいってもその定義も曖昧で、人によって差があるのだけれど。
完璧にして僕の直属の上司。
そう、僕はひょんなことから今期の生徒会副会長に立候補し、見事当選、今こうして女神様の隣にいるのである。
自己紹介が始まって今までの数分間を見た限り、この入江くじらという人間にはおおよそ短所というところが存在しない。
成績優秀者という話は、定期テストの度に張り出される見せしめのような数字の書かれた紙の上の方に位置しているのを毎度目にするので僕でも聞き及んでいるところだ。
だけどそんなやつの大半が持つような、どこか傲慢なところが無く、容姿端麗な者が少なからず抱く過剰な自意識も今のところ無さそうだ。
迷惑メールとさほど変わらないメールマガジンのように僕に女子の情報を教えてくるクラスメイトによると、『つけいる隙が無く、彼女に手を出す男子生徒もいない――――というか手を出せない』そうだ。
短所というか、これはただ僕らが勝手に思っている被害妄想のようなものだと思うけれど、あえて言うのならとっつきにくいというイメージはある。
入江くじら自身は、これ以上ないくらい友好的で、あまり周りに関心がない僕にも話しかけてはくれるのだが、何か薄い壁のようなものを感じてしまう。
「んーと、赤城しらす……だっけ?」
「うん、同じクラスでしょ? お願いできないかな」
「いいよ。じゃ、行ってくる」
「いってらっしゃい」
僕の生徒会副会長としての初仕事は不登校生徒の呼び出しだ。
呼び出しても来ないから不登校生徒なのだろうと思うけどそこは気にしない。なぜなら『呼び出す』ことが入江から頼まれた任務だからだ。言ってしまえば僕が呼んだ結果、来ようが来なかろうが僕には関係ないのだ。
それで、その不登校生徒の名前は『赤城しらす』。
『赤城しらす』と言えば名前だけは聞いたことがあるような気がする。
何かの大会で記録を残していたような残していないような……。
だけど気のせいだろう。
そんなアクティブなやつが学校に来なくなる理由がわからないからだ。
僕は、女神の加護を受け、生徒会室を退出する。
もしも我が道を阻む者が居るのなら軟禁あるいは監禁し、失禁して十八禁の状態になるまでこてんぱんにしてやろうと決めた。今決めた。
ちょっと待て……。
僕はこれから一体どこに行けばいいんだ?
入江が僕を向かわせるのだから赤城の家に電話を一本も入れてない事はおそらくありえない。
なら家にいるのだろうか?
女子の家なんて知らない、ましてや不登校女子の家なんて。
僕は踵を返して生徒会室のドアを半分開き、顔をのぞかせる。
「なぁ入江、その赤城ってやつはどこにいるんだ?」
「ごめんごめん、いい忘れてたね。お昼休みに赤城さんの家に電話かけたら『学校に行ってるはずです』って言われたの。でも出席にはなっていないから、もしかしたら離れの図書館にいるのかも。赤城さん本好きだったと思うし」
前年度生徒会が置いていったガラクタとしか言いようがない品々を片付けていた入江。
僕が顔を覗かせると小さな体で抱えていた段ボール箱を少し幅の広い木机の上に置き、人差し指を頬にぴとっと当て、首を傾げる。この仕草を入江以外の女子がやっていたら間違いなくいい気分はしない、というより顔を背けるだろう。いや、僕が阻止する。こんな可愛らしい仕草は入江以外には似合わないからだ。
「わかった。 行ってくる!」
「うん、いってらっしゃい!」
僕の胸を天使の言葉が貫いた。
もうだめだ、これが萌え死ぬというやつか。
果たして僕はこれから一年間で何度萌え死ぬんだろうか。
素の笑顔で『いってらっしゃい』が言える女性が今の日本にどれくらいいるのか。
世の中の妹は入江を見習うべきだし、その辺の栄養ドリンクよりは入江の笑顔のほうが効果があると僕は思う。入江の声にはプラシーボ効果がきっとある。
「あ、そうそう入江。一年間付き合っていくのにあたり、聞いておかなければいけない事があるんだけど」
「なーに?」
「お前って、Bだよな――――――――おぶっ!」
「Dよ!」
かかったな、入江。
僕は胸のサイズを聞いたんじゃない、血液型を聞いたんだ。赤面しながら近くにあった広辞苑を投げるのはいいが僕のことを変態だと思うのは筋違いだぞ。
「もうっ、さっさと行ってきて!」
◇
入江の言う図書館は学校に併設されている。
だけど見た目はどちらがどちらに併設されているのかわからない。
その一つ目の理由が、僕らの通う天舞市立天舞高校は名前の通り市立であるのに対し、併設されている天舞図書館は県立なのである。だから立場としては、仕方ないから市立高校に併設されてやってるぜ、という感じだ。
そして二つ目の理由が、図書館の規模が皆様のスケールを遥かに超えており、こんなサイズの図書館なんてマンガやアニメでしか見たことねーぜ、と言わせるくらいの大きさである。
僕もあまり行ったことはないのだが、確か八階建てで一、二、三階が児童書エリア。四、五、六階が文学書・雑学書・歴史書エリア。七と八階がその他の本のエリアだった気がする。
最近はライトノベルも図書館に置いてあり、深夜枠で見たことのあるタイトルが児童書エリアにあったりその他エリアにあったりする。なぜ児童書エリアにあるのだろうか。僕は誰かの策略じゃないかと踏んでいる。
更に屋上には小さな公園まであり休日は親子連れで大変賑わう。果たしてこの町は一体何を目指しているのだろうか。図書館を小さなテーマパークの様にしてしまうとは……。
閑話休題。
さてさて僕の目的は女神兼生徒会長の入江くじらから頼まれた不登校生徒赤城しらすの呼び出しだ。
今その大きな六角柱の図書館を見上げているのだけれど呼び出しなんていうと、ちょっとツラかせやオラァ、というのが頭をよぎるのはお年頃の男子高校生だから仕方ない、うん。
今更ながら思ったことなのだが赤城しらすは本当に図書館にいるのだろうか?
いくら本が好きだからといって図書館にいるというのはいささか安直すぎないか?
もしいなかったら適当なところで切り上げて明日入江に報告しよう。
それでも一応目的の赤城しらすのいる階に目星はつけている。
いるのならおそらく文学エリアのどこかのはずだ。
僕は自動ドアがマイペースに開くのを待って中へと入る。
ひんやりとした静寂が僕を包む。
図書館という場所に限らずだが、場所には場所の守らなければならないルールや気を付けるべきマナーがある。図書館を例を挙げると静かにしなければならない、走ってはいけない、などだ。
もちろん僕は知っている。いくら僕でもそれくらいの常識は踏まえている。
だけどそんなこと知るもんか。
この広さの図書館の中をゆっくり歩いて探していたら見つかるものも見つからない。恨むならこの広さの図書館を建てた県を恨め!
僕は赤城しらすに会うため、螺旋階段を駆け上がることに決めた。
侵してはいけない聖域を汚す侵入者のように声をあげながら俺は階段を上る。
「赤城ぃぃぃ! どこだぁぁぁぁぁ!」
一段一段、恥を捨てるように駆け上がっていく。
図書館の階段というのは体力的に中々に辛い。なぜこの図書館には階段しかないのか僕にはその理由がわからない。エスカレーターでもエレベーターでも設置してくれればいいものを。
「ちょっと、何をしているのよ」
無機質で淡々とした口調。
声は冷たくよく通り透明感がある。
そして一度だけ聴いたことのある声だ。いつだっただろう。
僕は三階へと続く階段の前で足を止め、記憶をたどる。
「聞こえてるの? ねぇ」
あぁそうだ。
僕たちの代の入学式で新入生代表の挨拶をした人。
確か……、
「赤城しらす……か?」
僕は一段目に足をかけたまま声のした後ろへ振り向く。
そこには天舞高校のセーラー服を着た少女が一人立っていた。
真っ直ぐで背中まである黒い髪、前髪は邪魔にならなよう黒いヘアピンで留めてある。
入江とは正反対の優等生という印象だ。
入江を可愛いとするなら赤城は綺麗で、クールビューティと呼ぶにふさわしい態度と風格だ。
だけどその姿を見て僕は、なんとなくその場に馴染んでいないようなおかしな感覚を覚えた。
「何よ。私はあなたのことなんて知らないのだけど」
赤城しらすは顔を少し傾けて、上目遣いでそう言った。
四月の風が吹き抜け、赤城の黒より黒いまっすぐな髪が背中のあたりで静かに揺れる。
初対面で冷たく言い放たれたその言葉は、精神面の弱い人ならそれ以上話しかけたくなくなると思う。
「僕は桐名南木。何で登校しないんだ?」
僕がそう聞くと、赤城は睨むように眉間にしわを寄せてこう言った。
「行きたくないからよ」
「でもこのままだと卒業できないらしいぞ」
『このままだと赤城さん、卒業できないかもしれないのよ』
そう僕に告げた入江を思い出した。
一緒のクラスでもないのに赤城の出席日数まで把握していることに驚いたが、生徒会長ということで先生にでも聞いたのだろうか。
「別に構わないわ」
そう言って顔を横に背けた赤城になんとも奇妙な感覚を覚えた。
まるで何かを抱えているような――――そんな雰囲気を赤城は纏っている。
だがそれは僕も同じだ。
こういう人に会うことは度々ある。
それがどこであれ、僕はこんな時、とあることを聞くように決めている。
「三年前の夏に起きた大災害って覚えているか?」
「覚えてない」
即答。
だけど僕は赤城の表情を見逃さなかった。
僕が何度、どれくらいの人にこの質問を投げかけてきたか。
三年間で僕がどんな大事件に巻き込まれてきたか。
赤城は僕の三年間の経験で培った観察眼がわかっていないな。
彼女の顔には驚きとそれを隠そうとする平静が現れている。
「なぁ赤城」
「そんな軽々しく呼ばれるほど時間も経ってないし、親しくなったつもりもないのだけれど一応聞いてあげましょう。なに?」
「僕はあの大災害で不死人になったんだぜ」
そう、僕は不死人になった。
あの時のことは詳しく思い出せないのだが、僕は真神と呼ばれる今は失われた狼信仰にて崇められていた狼の神様に出会ったらしい。
そいつによって不死の体になった、と僕はとある妖怪に聞いている。
「ふふっ、突然何を言うのかしら」
笑うんだ……じゃなかった。
思いのほか微笑んだ顔が可愛いなぁと思ったことは今関係ない。
だが赤城をここで微笑ますことが出来なかったらどうなっていただろうと未来の僕は思うはずだ。
彼女の口の端からちらりと見えた犬歯、異様に尖ったその歯はおそらく彼女にとってみられると不味かったものに違いない。
「赤城、その牙はなんだ……?」
『牙』という表現が正しかったかどうかはわからない。だけど確かに僕にはそう見えた。
その瞬間彼女の顔が変わった。
ぎっと歯を噛みしめた赤城に僕は学ランの襟を掴まれ、図書館の石の壁へと押し付けられた。
目の前には赤城の顔がある。
その距離五センチといったところだろうか。
僕は赤城の左腕で更に壁へと押される。
胸を押さえられ、彼女が右手に持ったシャーペンの先が喉元にある。
「お前って吸血鬼か何かなのか――――」
「何を言っているのかしらね、桐名くん。女の子の犬歯が少し尖っているからといって吸血鬼なんて言うのは少々デリカシーが足りないとか中二病臭いとか思わないのかしらね。そんなこと言っていると女の子に嫌われるわよ。あら、ごめんなさい。嫌われているかどうかなんて不登校の私にはさっぱりわからないのだけれど、もしあなたがちょっと特徴のある子に会えばこんなことばかり言っているのかと思うとやっぱり嫌われると思うわ。だって私が今あなたのこと嫌いになりかけているもの」
一見無口そうな赤城しらすがここまで焦りというか早口になるということは何かあるということでおおよそ外れてはいないのだろうか。
だがそれでもまだ決めつけるには早い。
「外に行こう」
僕は、頭に疑問符が浮かんでいるであろう赤城の腕を押しのけ、手を握り階段を駆け下りた。もしも吸血鬼なら太陽光には弱いはずだ。
その行動は、もし赤城が吸血鬼であれば殺してしまうような大胆で危険な行動だったが、昼間に図書館にいるのだから平気だろうと僕は思っていた。
傘を差してここまで来たとか、そういうことは一切考えていなかった。
「ちょっと! なにするのよ!?」
僕は自動ドアがマイペースに開くのを待てず半分ほど開いたところで無理矢理通った。僕より細い赤城が通れないはずもなく、二人は外へと出た。
結論から言うと、赤城は太陽光を浴びても特に変化はなかった。
「桐名くんは知らないかもしれないけれど春の紫外線は中々に強いのよ。夕方といっても太陽光は女の子の敵なの」
「えと……、特に何もないか?」
「『何も』ってなんのこと? 私の肌なら今とても大変な状態にあると思うけれど、さっきから吸血鬼がどうとか言っていることについてなのなら、あなたこそ太陽に頭をやられてしまったんじゃないかしら」
ここで僕はやっと気づく。
彼女が『普通』なのだとしたら僕は相当おかしなことをやっていたのかもしれない。
僕は『一般人』の赤城を吸血鬼だの怪異だのと決めつけ振り回したのである。
僕たちの存在を知らない一般人から見るとこんなことを説明しても頭がおかしいとしか思われないだろう。今まで一度もそれらしき人物に会っていなかったからか、少し尖った犬歯だけで決めつけてしまっていた。
後悔。
余りの恥ずかしさに赤面。
赤城に背を向け、僕は自動ドアのクリアガラスに自分の頭をごりごりと大根おろしをつくるかのごとく擦りつけた。
「ちょっと何をしているのよ、やめなさいな。あなたの言っていることはよくわからなかったけれど、そんなことしてると髪がなくなるわよ? ただでさえ薄くなってきてるのに」
本当か!?
僕はクリアガラスで自分の生え際を確かめる。
大丈夫じゃないか。
「あれ、赤城?」
自動ドアのクリアガラスには当然僕の姿が映っている。
だけどその後ろには誰もいなかった。
映っているはずの――――そこにいるはずの赤城の姿はどこにもなく、その向こうの駐輪場に僕の自転車がぽつんと停めてあるだけだった。
「どうしたの?」
振り向くと、きょとんとした顔で、先ほどと全く変わらない様子で赤城はそこに立っていた。
「え?」
もう一度クリアガラスを見る。
やっぱり赤城の姿は映っていない。
赤城は僕の後ろにちゃんと立っている。
「あら、気づいたのね。そうよ、私は鏡に映らないの」
鏡に映っていないことを知った僕に気づき、淡々と語る赤城が不思議だった。
僕は自分が不死だと気づいたとき、発狂しかけたからだ。
僕が不死になったことに気づいたのは、大災害で全身を火に飲み込まれたからだった。
火に飲まれ、炎が僕の体を巡って自然消火するまで僕は焼けつく痛みを味わった。だけどそれでも死ぬことはなかった。
自分が死なない事を確かめるため色々なことをしたけど結局残ったのは死の痛みだけ。
不死だとわかったとき、僕は世の中から浮いた存在になり、あの時ようこさんと出会わなかったら一ヶ月も持たずゾンビになっていたと思う。
それほどまで精神的に追い詰められた。
誰一人仲間がいない感覚だ。
「あなたの言った通り私は中学三年生の時に起きた大災害で家ごと水に飲まれた――――その時からかしらね、私の犬歯が少しずつ尖っていって少しずつ鏡に映らなくなっていったのよ。昼間は誰も私に気づかないしね」
赤城はそう言いながら自分の頬をつねった。
自分がどういう状態なのかわかっていない彼女にとって、夢じゃないかと疑うこともあったはずだ。でも毎日夜は明け、朝が来て目は覚める。
毎日毎日彼女は家族が目覚める前に家を出て陽が沈むまで町を歩いているんだ。
誰か気づいてくれる人がいないか探して。
僕と赤城の違いはようこさんに出会ったか出会わなかったか、ただそれだけだった。
「もしかして毎日学校に来てたり――――するのか?」
僕は推測で言葉にした。
否定してくれることを願って。
「知ってたの? 一応毎日学校には行ってるのよ、お母さんにそう書き残して家を出てるから。それでもね、気づかれないというのは思っていたより寂しいものだったわ」
そう言って赤城は笑った。
作り物の笑顔だった。
体は小刻みに震え、今にもその笑顔は壊れそうだ。
僕は気づかなかったのだ。いつも教室の中にいた赤城に。
不死になってからというもの学校生活に興味を失くしていたのも事実だが、怪異の僕ならば、もしかすると赤城の姿が見えたかもしれない。
今こうやって話せているのだから僕が少しでも赤城に関心を持っていたら気づけていて、もっと早く解決できていたかもしれなかった。
「今日は新学期でしょう、だから学校を回っていたの。そしたらあなたと入江さんの話を聞いたのよ」
思い出した。
なんでもっと早く思い出さなかったのか。
いや、そもそも忘れること自体許されない事だ。
赤城と僕は一年の頃から同じクラスだったじゃないか。
何で今頃思い出したんだよ。
部活の剣道と習っている空手でそれぞれ県トップクラスの成績を残していた赤城のことを。
僕は以前物置と化していた赤城の机を見たことがある。
いくら不登校でもさすがにやりすぎだろうと思ったことを覚えている。
彼女は、赤城は物置と化している自分の机で毎日先生の話を聞いていたのだ。
先生も、僕たちも――――誰も気づかなかった。 自分の席に座っているのに、先生は毎日赤城の欠席に印を押していた。
赤城はどんな気持ちだったんだろう。
どんな風にそれを見ていたんだろう。
どんなに奇跡が起こるのを待っていたんだろう。
「赤城、行こう。お前を助けることができるかもしれない」
僕は彼女の目を見つめ――――そう言った。
僕だけは彼女から目をそらしてはいけない。
たとえすべての人が彼女のことを忘れていても僕だけは忘れない、もう二度と。
右手を彼女に差し出す。
「……仕方ないわね。ついていってあげる」
赤城しらすは僕の手を取った。彼女は躊躇うことなく僕の手を取った。
女の子と手を繋ぐなんて中学生以来だ。
赤城の手は冷たかった。
冷水に手を浸けた時みたいに。
「私は躊躇わないの。時間がもったいないから。あなたの手を握るのは嫌だけれど」
「一言多いよっ!」
僕は駐輪場に停めてあった自転車の後ろに赤城を載せ、思いっきりペダルを踏む。
赤城の存在は今幽霊みたいなものだから法律にはひっかからないはずだ。
そんな赤城は僕に背中を預け、足を投げ出している。
全く。お前はまだ幽霊じゃないんだから落ちたらどうするんだ。
「大丈夫よ」
「いや、お前僕の心を読んだのかよ」
「あなたの思っていることくらい読めるわ、なにもかも……ね」
「怖っ!」
「嘘よ。面白い反応をするのね、桐名くん」
「こういうキャラなのか、お前は」
「いいじゃない。私にとっては久しぶりの話し相手なのよ。少しは面白いこともしたいのよ」
それなら大歓迎だ、いくらでも相手になってやる。
僕の背中に触れている赤城の背中がゆらゆらと揺れているのだからきっと気分がいいんだろう。
自転車は、まだ帰宅していない生徒で賑わう図書館を含む学校の敷地を抜け、太い道路の交差する一般道へ出る。
「ところでどこへ向かっているの?」
「んー、『山』だ」
「やまだ? 山田さんじゃないけれど?」
くっ。
上機嫌の赤城は面倒くさいことが分かった。
「桐名くん、今私のことめんどくさい女だと思った?」
ぎくっ。
「思ったのね、背中が当たってるからわかるのよ」
「ごめん」
「いいわ。私は面倒な女よ、本当に」
「そんなこと言うなよ」
「本当だもの」
赤城の声のトーンが下がる。
高校に入って友達もろくにいない僕にはこういう時どういう反応をすればいいのかわからなかった。
「そっか」
「そうよ」
情けない。
仲間を探して、助けることができればと思って探し回っていたのに、見つけたあとどんな対応をしていいのかまったくわからなかった。
でもここで黙ると多分着くまで無言になってしまう。
僕はなんとか話しかけようと話題を探す。
「ねぇ」
「うおっ! な、なんだ?」
「何? 何でそんなに驚かれなくちゃいけないのよ」
「いや、ごめん」
「構わないわ。あなたは今までずっと私のような人を探していたの?」
「そうだけど」
「桐名くんに友達がいないのはその所為なの?」
「うっ……、まあその通りだよ」
「頑張ったのね、お疲れ様」
なぜだろう。
誰にも言われるはずのなかった言葉を聞いて僕はなぜか涙がこぼれそうになった。
「ありがとう」
「お礼をしたいのは私のほうよ、それより事故はしないでちょうだいね」
「そ、そうだな」
「それで話は戻るのだけれど今私たちはどこへ向かっているの?」
そういや言い忘れてた。
うるっと来ているのを見られないように頑張って平静を装った。
「別に格好つけなくていいのよ。泣いている姿を格好悪いとは思わないから」
「つけてない」
「そう、それならいいの。それで、どこに向かっているのかしら」
「町の東にある山だ、お前も聞いたことあるだろ――――」
「この町の東に山田さんって方がいるの? 私は聞いたことないけれ――――」
「もうそのくだりはいいよっ!」
「ちっ」
「なんで舌打ち!?」
「つまらないわね。確か音卯山だったかしら。へんてこな名前の山よね」
「あぁ、西の丘阿山とで夫婦山って呼ばれてるくらいだからな」
「で、そこに行って何をするの?」
「そこに僕を助けてくれた人が住んでいるんだ」
「ふぅん。そこに行けば私のことも何かわかるって訳ね」
「多分、だけど」
「そう。期待しておくわ」
僕は意外と赤城と話し合えていることに驚いていた。
赤城のようなタイプの女性と僕は絶対合わないと思い込んでいたからだ。
赤城の第一印象は近寄りがたい優等生だったけど、話して見れば冗談交じりで人をからかってくる普通に面白いやつだった。しかも優しいと来ている。
人は見かけによらなかった。
「見た目で決めつけるなんて酷いわ桐名くんっ!」
「いや、そんな棒読みで言われても……って何でお前は僕の心を読んでるんだ!?」
「わかりやすいからよ」
聞いたことあるぞ。心が読める妖怪――――『悟り』だっけ。バトル物のマンガで攻撃を全て避けるやつ。
何で心が読めるんだって今お前は思っている、とか言ってくるやつだよな。
もしかして赤城は吸血鬼じゃなくて悟りなのかもしれない。
「ところで桐名くん。私がさっき言ったこと――――覚えてるかしら?」
「えーと……どれだ」
「お母さんに書置きを残したって話よ」
「あぁ、覚えているけど。どうしたんだ?」
「毎晩寝る前に『行ってきます』と書き残して寝てるのよ」
「大変だったんだな」
「寝る前に『行ってきます』だなんてまるで夢の世界にでも行くのか、ということよ」
「あ、そういうことか。気づかなかった」
「折角女の子から笑いを振ってあげたのにスルーするなんてわざとなの? 殴ってほしいのかしら? 私は躊躇わないわよ」
赤城は僕の顔を覗き込んでふふっと笑った。
可愛かった。
一瞬言葉に詰まった。
左右対称整った綺麗な顔で微笑まれると見蕩れそうになるが、いかんせん口の端から尖った牙が見えちゃってるから恐怖しか感じない。
それよりも一体どういう体勢で覗き込んでいるのか気になる。赤城の背中はまだ当たっているし、僕の脇から覗き込んでいるのだから体を捻りに捻っているのだとは思うけど、身がねじ切れてしまわないだろうか。
「ちょっと帰るの遅くなっても大丈夫か?」
僕は自転車をこぐ速度を上げながら聞く。
今携帯を取り出せる状態じゃないので正確な時間はわからないが、それでも陽が沈みかけているということはそろそろ暗くなるということで、暗くなっても年頃の女の子が帰ってこないことは親にとって心配なはずである。僕の二人の姉妹、姉は成人しているから別として妹は中学三年生だがちゃんと暗くなる前に帰ってくる。
「大丈夫ではないわ。お母さんは何も言わないで待ってるような人だから。それもちゃんと心配してくれてね。それはそうよね、娘と会話できる時が夜しかないのだもの。だからあまり心配はかけたくないわね」
なんて当たり前の事を聞いてしまったんだろうと少し後悔した。
夜しか姿を見ることが出来ない娘の帰りを待たない親がいるはずはない。
そんな親がいるのならそれは放任主義の度を超えている。
「ごめんな。急ぐから俺の背中につかまっててくれないか?」
「えー」
「嫌なのはわかるけれども!」
「仕方ないわね――――こう、でいいかしら」
「ああ、落ちるなよ」
胸が当たらないよう、そんなサービスは与えないよう僕の腰に手をまわした赤城。
どうやら座り方も変えたようだ。
男として少しは期待もしたが、あっけなく崩れた。いや、赤城という人間はそういう期待を崩しに来るんだった。
「胸が当たっていなくてがっかりしているようね。だけど残念ながら私の体はそんなに安くないのよ。事故もうっかりも死に値するわ」
「ちなみにどんな死が待っているのでしょう、赤城さん」
「とりあえず今私が持っているシャーペンの芯をそばかすのようにあなたの顔に埋め込んで、錆びたカッターで手首を切り落とす」
「冗談に聞こえねーよ!」
「冗談じゃないわ、嘘よ。笑い飛ばせるほど軽い話じゃないの。ねぇ、わかってる?」
「わ、わかってますとも」
「ならいいわ。くれぐれも軽い男にならないようにね」
「それはわかってるよ」
「そう」
なだらかな山道をたちこぎで上っていく。次第に木々が増えて険しくなっていくが僕からしてみれば見慣れた道なのでそれほど怖くもなければ迷うこともない。
赤城の体重がどれくらいなのかわからないけど、重さというほど重さを感じないから見た目通り軽いのだろう。今は特にそれがとてもありがたかった。
「辛いようなら降りましょうか? 足に自信はないけれど負担は減ると思うわよ」
「いや、いいよ。女の子一人くらいで変わらないから」
「あら、そう。ならお言葉に甘えて」
荷台で赤城がもぞもぞと動く。
もしかしたら負担を減らせるよう何か乗り方を工夫しているのかもしれない。
だけど僕は忘れていた――――
「よし、これでいいわ」
ずしっと荷台の重さが二倍になる。
自分がさっき言ったことすら忘れていた。
僕は忘れていた――――こいつは期待を崩しに来るんだった……。
「赤城、何をしたら――――って、ええっ!?」
赤城は荷台の前方に手をかけ、後方に足をかけて『くの字』に体を折っている。坂道でこれをやられると後ろに重心がかかってろくに進まず、上れなくなる。
「早くこぎなさいな。そうしないと私が落ちてしまうわよ」
「えー……と、何やってんだ?」
頑張ってペダルを踏むでもなく、赤城を自転車から降ろすでもなく、僕が自転車から降りた。
彼女が落ちないように細心の注意を払って。
すると赤城もぴょんと飛んで自転車から降りた。
「何で降りるのよ。まぁいいわ、少しお尻が痛くなってきた頃だったから」
なるほど、そういうことだったのか。
なら言えばよかったのに――――なんてデリカシーのないことを僕は言わない。
ちょうど坂道もきつくなってきたし、目的地まであと少しだったので僕もゆっくり歩くことにした。




