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殺意ってこんな味



「ふざけんな」


千明に蹴り飛ばされた甲冑男の第一声はそれだった。


あの重い鎧を着込んだ男をよくも蹴り飛ばせたと自分に感心したが、ほぼ男がバランスを崩して脚をもつれさせたて自爆したようなものだ。


仮にも皇子であるセイトラムに、女性に股間を蹴られるという経験はない。

千明の咄嗟の攻撃に、予想以上に驚いたことも一因だった。

ただ転んだだけなら自業自得で済んだのだが、男が倒れこんだ先は、巨大ミミズの腸の中だった。どろどろのぐちゃぐちゃ、湯気を立てる内臓に埋もれた銀色の鎧が輝きをなくす。


「……臭い」


千明は正直に感想を口にした。

男だけじゃない。ミミズの体液なら自分も浴びている。耐え難い臭気だった。

男は悪態をつきつつも、千明と同意見らしい。臭いものは臭いのだから、同意見もくそもないが。


「とりあえず、お前がどうやって俺を召喚したかはあとで調べてやる。今はとりあえず近場のオアシスを目指す。……さすがに俺も、人間二人を安全に洗える水魔法は使えねえ」


男はぶつぶつ呟くと、さっさと立ち上がった。

オアシス――男の言葉に、若干引っかかりは覚えるものの、嬉しさに胸が震えるのを千明は止められなかった。

命を焼く尽くす過酷な砂漠での、唯一の水場――オアシス。この汗とミミズの体液、自分の血液にまみれた体を洗えるかもしれない。それを思うだけで、この口の悪い甲冑の男についていく抵抗感が和らいだ。


「とりあえず、ここから降りる」


男はそう言うと、地面から半身を出した状態で死んでいる巨大ミミズの巨体を器用に伝って数メートル下の地面へと降り立ってしまった。

千明は口を開けてそれを見ていた。見ているだけしかできなかった。自分もそれに倣おうとは逆さになっても思えなかった。

死んだばかりの巨大ミミズの体皮には、未だに乾いていないぬるぬるの粘液がまとわりついている。恐らくは熱された砂から肉体を守るためのものだろうが、千明にとっても無用でしかない。この粘液をものともせず、まるで雪上でのスキーのように滑り降りていった男の芸当など、千明にできるわけもなかった。


「なにしてんだ、早く降りてこい」


男が呆れたように千明を仰ぎ見る。

思わず、これるかぁ!と叫んでやりたかったが、言っても無駄だと我慢した。


「……どうやって降りたらいいですか」


我慢ついでに、素直に聞いてみた。もしかしたら助けてくれるかもしれない。


「俺がやったようにやれ」

「無理です」

「やる前から無理っつってどーすんだ。やれ」


やらねーよ。


千明は半眼になって真下の男を睨みつけた。

いつの間にか太陽の角度が変わったのか、男が立つ位置は千明のいる洞穴岩の陰が落ちて翳っている。


「私は、貴方みたいに運動神経もよくないし、魔法も使えません。貴方の真似をしても、途中で宙に放り出されて岩に頭を打ち付けて終わりです」


着地点が翳っている今がチャンスなのだと、千明にもわかる。だからといって、男の真似事はどうあってもできそうにない。

千明は男に必死で訴えた。男の青い瞳も、千明をじっと見つめている。

男は暫し思案したあと、口を開いた。


「……じゃあ、飛び降りろ」


はい?




「……無理です」

「無理じゃねえって言ってんだろうが。安心しろ、俺が受け止めてやる」


その鎧で受け止められたら、全身打撲間違いない。


「……」


「迷うな。ワームから助けてやっただろ。俺を信じろ」


男がじっと千明を見上げた。


「……絶対?」


千明の声は震えていた。


「なに?」

「……絶対、受け止めてくれる?」


震える喉を叱咤して声を張り上げると、男は兜の下でにかっと笑った。ような気がした。


「任せろ」


迷いない言葉――見知らぬ世界、謎の生き物、初めて触れた魔法、名も知らない甲冑の男。


信じるしかなかった。


千明は、そろそろと脚を動かした。絶壁ぎりぎりで立ち、男の位置を確認する。

男は両手を広げて、千明を受け止めるように構えていた。



「……絶対、受け止めてね」

「しつこい。いいから、こい」


こいといわれても、着地点までビル四階建てほどの高さがある。

ただえさえ風が吹いている。今より少し強めの風が吹いて軌道から逸れたら、そこかしこに点在する岩の群生に直撃してしまうのではないか。そもそも、あの硬そうな甲冑の腕に抱きとめられること自体が無謀じゃないか?

考えれば考えるだけ、うまくいかない気がしてきた。


ぶるぶると脚が震える。

息がうまくできない。


「……で、でも、やっぱりここ、高すぎない、かな」

「ぐだぐだ言うんじゃねーよ。お前、名は?」


なにを突然、と千明は思ったが、高さに震えて反抗する気力も残っていなかった。


「ち、千明」

「ちゃき?」

「……ち、あ、き」


千明がなんとか大声で伝えると、男はうん、と頷く。この距離では見えるわけもないのに、男の青い眼が煌いたような気がした。


ひゅ、と風がやむ。




「――チアキ、こい!」


男に名前を呼ばれた瞬間、なにかに背中を押されたような、そんな感覚があった。それでも唐突に押されたわけではなく、千明は男の言葉に答えるように、自らの足で地面を蹴り、男を目指して跳ぶ――。


一瞬の浮遊感のあと、ひゅ、と呼吸を奪われるようなものすごいスピードで真下に落ちていく。千明は震えそうになる奥歯をぐっと噛み締めて、ばくばくと激しく鼓動する心臓と、自分が落下する風の音だけを聞いていた。




ドズン……ッ。


果たして千明は、男の腕に受け止められることもなく、ものすごい勢いで地面に埋もれた。

地中から頭ひとつ出して呆然とする千明を横目に、男の遠慮のない笑い声が弾ける。


「ぶっは、しんっじらんねえ!マジで飛びやがったこいつ!ばっかでー!」


爆笑である。爆笑しすぎて腹を抱えて倒れこむほどの大爆笑である。

千明は生まれて初めて、殺意を抱いた。




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