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砂漠でチンアナゴを見た


世界には魔法と知恵と科学が溢れていた。


人々は全ての恩恵を平等に分け与えられ、時たま古代遺産であるゴーレムなどが現れるほかは平和な世といえた。魔法と科学による召喚術式が開発されてからは、非力な一般市民が名だたる冒険者、騎士を召喚することでそのゴーレムの被害も最小限に減ったという。


その召喚術式は簡潔に召喚カードと呼ばれ、そのカードに記載された絵姿と名が現す人物と血と魔の契約を交わし、必要と思われるときに召喚するというものだ。

はじめこそ、実力を伴う高名な人物を召喚するにはそれ相応、それ以上の魔力を必要としたが、いまやそれを生業にする冒険者、用心棒が溢れてからは、少量の魔力の持ち主でも簡単に召喚カードと契約できるようになった。


契約条件、契約内容は人それぞれ、カードそれぞれで、そのつど、自分達に見合った契約書を作成し、契約することになる。対価は食事だったり、金品だったり、魔力だったりと様々だ。

とはいえ未だに、徳の高い、能力の高い、俗に言うモンスター級のカードとは一枚につき一人の契約が基本で、それらと契約するには契約側もモンスター級の人物でなければならなかったが、全ての人間が差はあれど魔力持ちであるこの世界では、全員が全員、必要ならば召喚カードと契約することができるわけで、なんの問題もなかった。


この世界に、魔力を一切持たない無力な少女が落ちてくるまでは――。





「……あつい」


がら、と音がしそうな声で、千明は小さく呟いた。


目の前にはどこまでも広がる砂漠の地平線、そこに乱雑に崩れ落ちている古代ギリシャの遺跡のような物体、オーストラリアのエアーズロックもかくやというような巨大な岩、風で舞う砂埃のち砂嵐、そして地中からいきなり飛び出す謎の巨大ミミズ。


赤い大地と相反するような空は恐ろしいほど青々と輝き、雲ひとつ見当たらない。ぎらぎらと容赦なく照りつける太陽が暴君さながら、すべての雲をなぎ払ってしまったかのようだった。


千明は洞穴の中にいた。

おそらくここも巨大な岩の一部であり、そこにできた自然の空洞だろう。

せり出した天井の岩が辛うじて影を作り、千明はその影にひっそりと身を潜めていた。

それでも夏服のセーラーから覗く手足をじりじりと焼く熱風と熱気は避けようもなく、体育座りの膝に顔を埋めてそれらから避難した。ついでにこの灼熱の現実からも避難したかったが、それは叶わない。


千明がこの場所で目覚めてから、既に夜と朝が三回きた。

ここに来る前は、高校三年の夏を勉強に費やす、ただの千明だった。夏期講習を終えて、コンビニに寄ってガリガリくんを買った帰り、歩道を歩いていたら唐突に落ちた。

何故落ちたのか、考えても悩んでも未だに答えは出ない。夜とは言え辺りは人通りの多い明るい歩道だったし、人一人が落ちるような穴が道の真ん中に空いていた記憶もない。


ただ漠然と、歩いていたら落ちたのだ。

そうして落ちた、と思った次の瞬間には、この洞穴の中にいた。


恐ろしかった。

目の前にはテレビや本でしか見たことのない赤い砂漠が広がっていて、その熱気と熱風といえば、数分曝されているだけで火傷しそうなほど熱かった。そして見たこともない遺跡、砂嵐。なにより千明を絶望させたのは、砂柱を上げて地中から飛び出す謎の巨大ミミズである。赤黒い体皮はぬめぬめと謎の粘液で光っており、時たま頭上を飛行している鳥と思わしきものを大きな口を開けて真下から飲み込む。開けた口に歯はなく、ただ分厚い肉塊のような舌が蠢いていた。そして獲物を飲み込むと、再び地響きを立てて地中に潜る――地獄絵図だった。


幸いなことに千明がいる岩の近くに出没したことはないが、それらが地響きを上げて初めて地中から飛び出してきたときは失禁するかと思った。正直ちょっと漏らした。

そして見知らぬ世界の怒涛の洗礼を受けた千明は、ただ混乱と怯えと恐怖で泣いてばかりいた。しかしやがて喉が猛烈な乾きを訴えると、涙も止まった。声も出なくなった。

そこではじめて、命の危険にかかわる状態にあるのだと、恐ろしい現実を漠然と理解した。理解した途端逃げたくなって、出ない涙の代わりに嗚咽を漏らして気絶するように眠ると、妙な夢を見た。

まるで雲の中にいるような真っ白な空間の中で、千明はひとりの少年と対峙していた。

青い瞳をした少年は言った。


ごめん、やっちゃった、と。


千明がなにも言えずに立ちすくんでいると、少年は自分は神様だと名乗った。

なに言ってんだこいつ、と思ったが、言葉にはならなかった。喋ろうと思うのに、喋れない。目の前の神様とやらの仕業に違いなかった。


少年は黙らせたままの千明を前にして、話を続ける。

日本やアメリカなどが存在する千明の世界から、全く違う世界へと穴を開けてしまい、運悪く千明はその穴に落ちてしまったのだと。


ごめんね、と少年はもう一度言った。

そんなつもりはなかった、ただちょっと日本のバクダンオニギリとかいう食べ物が気になって買いに出たんだけど、途中で見かけた東京タワーの構造が見事で夢中になってボルトの数を数えているうちに穴を塞ぎ忘れて、その間に千明がその穴に落ちてしまった、ということだった。


いや待てよ、と千明は突っ込んだ。声はやはり出なかった。


さながら君がいた地球とこの世界は存在する宇宙自体が違う。その間を人が五体満足で行き来したことなどかつてない。正直僕もどうしたらいいのかわからない。でも折角命あって違う世界に落ちてきたのだから、どうせなら生き延びて人生を謳歌してほしい。そのお手伝いとお詫びに君にこの世界の最強ツールをあげるね、と少年は笑った。

少年とは違い、千明は笑えなかった。


そして少年は一枚のカードを何もないところから取り出した。

手品か、と千明は思ったが、飛び出してきたのはトランプではなくタロットカードのような細長いカードである。

そこには美しい曲線を描く蔓薔薇で長方形の枠が書かれており、しかし中央は白紙のままだった。その下に文字を書くような小さな枠もあったが、そこにもなにも書かれていない。


ふざけてんの、と千明は少年を睨みつけたが、少年はにこにこと笑顔を浮かべて話を続けた。


この世界の召喚カードの中でもレア中のレア。というかこの一枚しか存在しないから気をつけてね。その時々で、君がもっとも必要とする〝誰か〟が助けてくれる最強アイテムだよ、と少年は得意げである。

正直意味がわからなかった。カードゲームなんかしたことないし、召喚カードってなに、誰かって誰なの?と疑問渦巻く千明に少年はまだ続ける。

この世界では魔力を持たない君は異端だけれど、そのカードがあれば君はこの世界でもやっていける。大丈夫、この世界にも優しくて頼もしい人はたくさんいるからね。


それはつまり、地球と同じくらい悪い人もいるということではないのか、と千明は思ったが、やはり声は出なかった。


とりあえず、今のところ消耗した体力と空腹はなんとかしてあげるね。その召喚カード、うまく使えば世界征服も夢じゃないよ。

そう笑顔で言った少年を最後に、千明は夢から覚めた。

手元には夢の中で受け取った白紙の〝召喚カード〟とやらと、眠りに落ちる前よりだいぶ楽になった体が残されていたというわけだ。



そしてその夢から一日半。

未だにこのカードの使い方がわからない。


(なにが世界征服も夢じゃないよ、だ?それよりもっと肝心な話があるでしょ)


千明は苛々とする心中をそのままに、眉間に皺を寄せた。目覚めたときは感じなくなっていた空腹も疲労も喉の渇きも、一日半経った今では当初この砂漠に落ちてきたときと変わらずある。つらい。救いのない現実を無駄に生かされたような気がして、少年に感謝の念すら抱けない状態である。


「あつい……」


なにを言ったところで、手の中の召喚カードとやらはうんともすんとも言わない。夢から覚めてすぐに、何度も試した。

いでよ魔人、とか、いでよ神、とか、お願いします助けてくださいなんでもしますから、とカードに向かって土下座までしたのに、レア中のレアらしいカード様は、うんともすんとも言わなかった。

そしていまや、千明は諦めの境地にすら入っている。

そのうちあの巨大ミミズに居場所を突き止められて食われるか、この岩の洞で熱されて死ぬか、餓死するかのどれかだな、とぼんやりと考えてばかりいる。


変化があったのは、空腹と喉の渇きがあまりにもひどくて、自殺を考えたときだった。

この高い位置にある洞穴から地面に飛び降りれば、死ねるかもしれない。下にはごつごつとした赤い岩が突出しているし、あれに景気よく頭をごちんとすれば即死できないだろうか。

洞穴から落ちるぎりぎりのラインで立ち尽くして、千明はぼんやりと目の前の景色を眺めて考えていた。

赤い地平線、抜けるような青空、強すぎる太陽――影から抜け出た千明の肌を、じりじりと容赦なく照り付けている陽射しが、千明から思考力も生きる気力も奪っていく。

セーラー服の胸元に突っ込んでいた召喚カードも、じりじりと焼けているような気配がする。


そうしてぼんやりと、ほぼ茫然自失の状態で目の前の異界の光景を眺めていると、足元が揺れた。

がくん、と膝が崩れた次には後ろに尻餅をつき、ついた尻と腕から、岩が揺れているのがわかる。

ごごごご、とここ何日かで聞きなれた地響きがしたと思ったら、千明の頭上に影が差す。

圧倒的にエネルギーが足りてない今、ぼんやりと霞がかっていた思考でもってしても、それは誤魔化しようもなかった。


千明は最悪なシナリオを想像し、そしてそれは現実になろうとしている。


目の前に、あの巨大ミミズが立ちふさがっていた。





――チンアナゴだ。


千明は思った。

なにかに似てるな、とずっと考えていた。

姿形はミミズだが、あの長い胴体が地面から飛び出す様が、なにかに似ているとぼんやりと思っていたのだ。

そしてこの至近距離で見て初めて、それがなにか思い出した。

水族館で見た、あの白黒の斑点模様をした可愛らしいアナゴ。あれは可愛かった。正直うちで飼ってみたいと思った。父に言ったら、海水はくさいからだめだと言われ、泣く泣く諦めたのを覚えている。


そして千明はいま、そのチンアナゴに似た巨大なミミズに喰われようとしていた。


近くで見ると、おぞましさに拍車がかかる。

遠い距離で誤魔化されていたうすぼんやりとした輪郭はいまやはっきりと千明の目に映し出されていた。

陽光に照らされきらきらと滑っていた赤黒い体皮はとんでもなく生臭いということ、肉厚の舌の表面に小さな棘のような突起物が無数についていること、ないと思っていた眼は確かになかったが、つるりとないわけではなく、そこだけ赤い肉が盛り上がり、退化した名残があることを千明に教える。

なにからなにまでグロテスクだった。


「……せめてもうちょっと可愛げがあれば」


絶望を目の前にこぼれた千明の呟きは、チンアナゴならぬ巨大ミミズの咆哮を前に跡形もなく消え去った。


ドッ――、と脇腹に衝撃が走る。次の瞬間には浮遊感を感じ、背中から岩に突き飛ばされたことを知る。感覚が鈍っているからか、痛みはあまり感じなかった。よく見れば、頭から血が滴っている。それも相当な量だった。

まあ、頭は小さな傷でも血がたくさん出るというしな。

ぼんやりとした千明の耳に、ぞろぞろと砂を這う音が届く。見れば、倒れこんだ千明を喰らわんと洞穴にその巨大な頭をねじ込んでいるミミズが見えた。

大きく開けた口からは、体皮とは比べ物にならないほどの腐臭がしている。

その臭いの一部になってしまうのかと考えて、初めて千明は恐怖を覚えた。

あの大きな口に飲み込まれ、あの無数の棘が生えた舌で嬲られ、皮膚をこそぎ落とされて、丸呑みされる――。


そんなイメージが一気に駆け上がって、千明はぶるぶると震えた。

そんな千明を嗤うように、けたけたと奇妙な咆哮をミミズが上げた。

馬鹿にされている――千明は恐怖の裏側で、己が苛立つのを感じた。

ぼんやりとしていた頭が、流血する血に反してはっきりとしていくようだった。

一度苛立つと、何もかもに腹が立ってきて、胸元から滑り落ちて血濡れになっていた召喚カードを無意識に握りつぶした。

あの人の話を全く聞く気のなかった傲慢な少年も、レア中のレアだというのに役に立たないカード様にも、目の前のクソミミズにも、腹が立って腹が立って仕方なかった。


なんで私がこんな目に遭っている、どうして誰も助けがこない、どうしてこんな場所にいるの。


「……こい、」


涸れた喉は言葉もろくに出さなかった。

それでも千明は、体の奥から吹き上がるような怒りに任せて、大声で叫んだ。


「――出てこい!」






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