本能のままに
部屋の中央で静かに鉈を振る青年。
彼は不機嫌を隠す事なく空き地の男性を模倣する。
結局、昨日も昭人は獲物を穫れなかった。
いや魔獣の姿を見ることすら出来なかった。
その結果が真一文字に結ばれた口に見て取れる。
昭人は2日続けて収入がまったく無かった影響か、昨晩は悪夢に襲われた。
登場人物は金貸し兼奴隷商のアマリリスだ。
「ふぅ。今日も異世界生活気張って始めますか」
埒のあかない思考を放棄して向かった先は昨日と同じ池。
水石があるのでわざわざ汲みはしないが、魚がときたま飛び跳ねているので魔獣が水飲み場にしているのは間違いないはず。と昭人が確信しているポイントだ。
傍らの藪に入り、池の全域を確認出来る位置でひたすら待つ。
池からの微かな冷気を浴びながら、同じ姿勢だと血が回らなくなるので時折動きながら、どれ程待っていただろうか。ようやく対岸の茂みが揺れた。
(向こうかよっ。気付かないでくれよ)
茂みから現れたのは尾を含めて1メートル前後の綺麗な模様の山猫。昭人の乏しい知識ではどの部位が残るのか判断がつかない。しかし、大きさが強さに直結しやすい魔獣であれば、初日のネズミ以上の価値にはなるだろう。
肉食であろうそのフォルムは恐怖を誘うものではあったが、現実に成りつつある悪夢を観たばかりの昭人であれば打ち勝てる程度の恐怖でしかなかった。
昭人は対岸に向かってソロソロと進む。水を飲みだした山猫の姿を見失わないように。足下の小枝を踏み抜かないように。
山猫は彼に気付く様子もなく乾いた喉を潤す。
幸運にも、逃げられる前に昭人が足を止めたのは山猫の真後ろの藪に中腰でタイミングを見計っていた。これ以上ない距離まで近づく事ができた。山猫は未だ異常に気づくことなく、喉を潤した舌で毛並みを整えている。
(心臓がウルサい。呼吸も静まれ。落ち着いてられば大丈夫)
1匹の山猫であれば、不意打ちで武器の一撃さえ当たれば、無傷の勝利は決してあり得ない事ではなかった。
1匹であれば。だが。
昭人が神経を山猫の動作に集中したその瞬間を狙ったかの様に、昭人の後ろから低音の風切り音が襲う。
赤毛の猿。昭人の胸程の身長で完全に2足歩行をし、立ち上がっても地面に着くほど長い手は、2の腕の表面は岩石で形作られ鈍色に光っている。
長く堅いその腕で後ろから打ちつけられた昭人の左腕が外側に折れてしまっている。
「~~~~~~~~~~!! 」
言葉にならない悲鳴が昭人から漏れ、異常に気付いた山猫は走り去る。
激痛に耐えられず、木の幹に背中を預ける。正面には赤猿。
腕の状態を確認出来ぬまま、赤猿の眼を睨みつける。赤猿は昭人が一瞬でも眼を反らしたら即座に襲うだろう。
猿が吼える。痛みと怒りを篭めて昭人も叫び返す。
叫びに驚いたのか、距離をとる猿。
「クソ猿が!! ぜってぇ殺す! 」
昭人はさらに声を張り上げる。相手に通じないその言葉には意味が無いが、気合いを相手にぶつける。
たやすく補食できるはずの餌が攻撃の意志を見せた事で、距離を保ったまま左右に動いていた猿だったが、餌を前に本能のままに一足飛びに距離を詰める。
昭人はどう動くのが正解かわからぬまま鉈を振るう。
フェイントもタイミングも無い。座ったままの無様な一撃ではあったが、鉈の分厚い刃は幸運にも赤猿の側頭部に吸い込まれた。
昭人がもたれていた木の幹は、赤猿の攻撃で大きく抉れていた。
頭に傷を負って尚、痛みに地面を転がる生命力を見せる赤猿。
「黙れ」
昭人は激痛を越えて熱を持った左腕を庇うように体重を幹に掛け、倒れ込むように猿との距離を詰めると、鉈で首を落とす。
サラサラと大部分が溶け、一握りの鉱石のみが残った。
借金 226万3000円
支出 8000円
収入 0円
残り 227万1000円
返済日まで 37日