第九話 終焉の案内人
ウォーキングを初めて使った夜から、数日が経った。
遼太郎は、その力について考え続けていた。死者の魂を、次の世界へ送る力。それは、彼がこれまで知っていた「ウォーキング」とは、全く異なるものだった。
「終焉の案内人」
ゴブ爺は、その力を持つ者をそう呼んでいた。
終わりを迎える者を、次の始まりへと導く者。死を、新たな旅立ちへと変える者。
「重い責任だな」
遼太郎は、窓から星空を見上げながら呟いた。
その夜。
遼太郎は、地下の聖室を訪れていた。
星核が、台座の上で淡い光を放っている。以前よりも、わずかに明るくなっているように見えた。
「結界強度、25%まで回復しました」
彼は、視界に浮かぶ数字を確認した。
客が増えたおかげで、星核へのエネルギー供給は順調だ。しかし、まだ安全とは言えない。100%に戻すためには、さらに多くの客を、さらに満足させなければならない。
「リョウ様」
声がして、遼太郎は振り返った。
ゴブ爺が、聖室の入り口に立っていた。
「お話が、ございます」
「何ですか」
「ウォーキングについて。昨夜、お話しきれなかったことを」
遼太郎は頷いた。
ゴブ爺は、遼太郎の隣に歩み寄り、星核を見つめた。
「この星核は、千年前に落ちた星から生まれたものでございます。しかし、それ以前から、この地には宿がございました」
「以前から……」
「はい。『創世の宿屋』の分家として、この地には古くから宿があったのです。星核は、その宿をさらに強力にするために、神々が与えた贈り物でございました」
ゴブ爺の目が、遠くを見つめていた。
「星核には、特別な力が宿っております。それは、魂を浄化し、次の世界へと送り届ける力」
「魂を浄化……」
「はい。ウォーキングの力は、星核と深く関係しております。星核の力を借りることで、ウォーキングの効果は何倍にも高まるのです」
遼太郎は、星核を見つめた。
淡い光が、ゆっくりと脈動している。まるで、生きているかのように。
「魔王様は、この星核を使って、世界を救いました」
ゴブ爺が言った。
「虚無の波が世界を飲み込もうとした時、魔王様はこの聖室で、最大級のウォーキングを発動しました」
「最大級の……」
「はい。世界そのものを、『次の世界』へと送り届けたのです」
遼太郎は目を見開いた。
「世界を、送った?」
「正確には、『滅びようとしていた世界を、新生させた』と言うべきでしょうか」
ゴブ爺の声が、低くなった。
「ウォーキングの本質は、『終わりを始まりに変える』こと。死にゆく魂を次の生へ送るのと同じように、滅びゆく世界を新生の世界へと転換させたのです」
遼太郎は言葉を失った。
世界を救う。そんな大それたことが、このスキルで可能なのか。
「しかし、その代償は大きかった」
ゴブ爺の声が、悲しみを帯びた。
「魔王様は、その力を使い果たし、消滅しました。文字通り、自らの存在を世界に捧げたのです」
「消滅……」
「はい。だからこそ、魔王様は英雄として語り継がれているのでございます」
遼太郎は黙った。
自らを犠牲にして、世界を救った魔王。その力を、今、自分が持っている。
「私に、そんなことができるのでしょうか」
彼は、正直な気持ちを口にした。
「私は、ただのナイトオーディターです。数字を合わせることしかできない、平凡な人間です」
「平凡かどうかは、私には分かりません」
ゴブ爺が言った。
「しかし、一つだけ確かなことがあります」
「何ですか」
「リョウ様は、ウォーキングの力を持っている。そして、その力で、既に一人の魂を救った」
アルバート卿のことだ。
「それは、誰にでもできることではありません。リョウ様にしかできないことでございます」
遼太郎は、星核を見つめた。
「力があるから、使わなければならないということではないと思います」
彼は言った。
「でも、力があるなら、できることはある。それを、精一杯やるだけです」
ゴブ爺は微笑んだ。
「魔王様も、同じことを仰っておりました」
「魔王様が?」
「はい。『俺は英雄じゃない。ただ、目の前にいる人を助けたいだけだ』と」
遼太郎は、少し驚いた。
「魔王様は、英雄と呼ばれることを好まなかったのでございます。彼にとって、世界を救うことは、ただの結果でしかなかった。本当にやりたかったのは、目の前の困っている人を助けることだったのです」
「目の前の人を……」
「はい。宿屋を営み、旅人を迎え、疲れた者に安らぎを与える。それが、魔王様の本当の望みでございました」
遼太郎は、自分の手を見つめた。
目の前の人を助ける。
それは、ナイトオーディターとして、彼がずっとやってきたことだった。深夜のクレーム対応、突発的なトラブルの解決、困っている客への対応。派手な仕事ではない。誰にも褒められない、地味な仕事。
でも、その仕事を通じて、彼は多くの人を助けてきた。
「私にできることは、それだけです」
遼太郎は言った。
「目の前の客を、一人一人、丁寧に迎える。彼らが満足して、笑顔で帰っていく。それが、私の仕事です」
「はい」
「ウォーキングの力も、その延長線上にあると思います。生きている客も、死んでいく客も、同じように迎え、同じように送り出す」
「同じように……」
「はい。それが、宿屋の仕事だと思います」
ゴブ爺の目に、涙が浮かんでいた。
「リョウ様……」
「どうしました」
「いえ、何でもございません。ただ……魔王様を思い出しただけでございます」
ゴブ爺は涙を拭い、微笑んだ。
「あなたは、魔王様に似ておられます。外見ではなく、心が」
「光栄です」
「これからも、よろしくお願いいたします。リョウ様」
ゴブ爺は深く頭を下げた。
遼太郎も、頭を下げた。
三十度。敬礼。
二人の間に、静かな絆が生まれた。
聖室を出ると、セレスティアが待っていた。
「話、聞いてたわ」
彼女は言った。
「盗み聞きは良くないですよ」
「盗み聞きじゃないわ。入り口に立ってただけよ」
セレスティアは肩をすくめた。
「ウォーキングの話。私も、もっと詳しく聞きたいの」
「いいですよ。何を知りたいですか」
「あなたがその力を持っていること。それが、この宿にとって、どういう意味を持つのか」
遼太郎は考え込んだ。
「正直、まだ分かりません。ただ、結界の回復には役立つと思います」
「どうやって」
「ウォーキングで魂を送ると、その感謝が星核に還元されます。普通の客を満足させるよりも、大きなエネルギーが得られる」
「つまり、死にそうな人を集めればいいってこと?」
「それは……」
遼太郎は眉をひそめた。
「違います。死を求めているわけではありません」
「じゃあ、何なの」
「宿は、全ての客を迎える場所です。生きている者も、死にゆく者も。誰もが安らぎを得られる場所」
遼太郎は言った。
「ウォーキングの力は、その一部に過ぎません。大切なのは、目の前の客に全力でサービスを提供すること。それが、結果的に、宿の力を高めることに繋がるんです」
セレスティアは黙って聞いていた。
「あなた、本当に変わってるわね」
彼女は言った。
「よく言われます」
「でも、嫌いじゃない」
セレスティアは微かに笑った。
「父も、そういう人だった」
「お父様が?」
「ええ。この宿を守るために、全力を尽くした人。客のことを、本当に大切にしていた」
セレスティアの目が、遠くを見つめていた。
「父が死んでから、私はずっと、この宿を守ろうとしてきた。でも、何をすればいいのか分からなかった」
「セレスさん……」
「あなたが来てから、少しずつ、分かってきた気がする。宿を守るって、どういうことなのか」
セレスティアは遼太郎を見つめた。
「ありがとう、リョウ。あなたがいてくれて、良かった」
「私は、何も特別なことはしていません」
「してるわ。あなたは、この宿に希望を与えてくれた」
遼太郎は、少し照れくさそうに頭を掻いた。
「大げさですよ」
「大げさじゃないわ」
セレスティアは真剣な顔で言った。
「だから、もう一つ、話があるの」
「何ですか」
「私の正体について」
遼太郎は黙った。
セレスティアが王女であることは、既に知っている。しかし、それ以上の詳しい事情は、まだ聞いていなかった。
「聞かせてください」
彼は言った。
セレスティアは深呼吸して、話し始めた。




