第五話 ナイトオーディットの習慣
村から戻った夜。
遼太郎は、食堂のテーブルに向かっていた。
ランプの光の下、彼は紙に文字を書き込んでいく。帳簿ではない。計画書だ。
「何をしているの」
セレスティアが、階段を降りてきた。
「旅人を呼ぶための計画を立てています」
「計画……?」
「はい。やみくもに動いても、効果は薄い。まず、現状を分析し、目標を設定し、手段を検討する。そのプロセスが必要です」
セレスティアは、遼太郎の横に座った。
「見せて」
「はい」
遼太郎は紙を見せた。
【星降り亭・再生計画】
■ 現状分析
・資金:ほぼゼロ
・客:ゼロ
・結界強度:3%
・スタッフ:3名(リョウ、セレスティア、ゴブ爺)
■ 目標(1週間以内)
・客を1名以上呼ぶ
・結界強度を10%以上に引き上げる
・村との協力関係を構築する
■ 手段
・宿の清掃と整備(完了)
・村への営業活動(進行中)
・旅人の誘致(方法検討中)
「シンプルすぎない?」
セレスティアが言った。
「シンプルが一番です」と遼太郎は答えた。「複雑な計画は、実行できません。まず、できることから始める。それが基本です」
「でも、『方法検討中』って……」
「そこが、一番難しいところです」
遼太郎は頭を掻いた。
「旅人を呼ぶには、まず旅人がいる場所に行かなければなりません。しかし、最寄りの街は馬で半日の距離。そこまで行って宣伝するには、時間も資金も足りません」
「じゃあ、どうするの」
「だから、考えているんです」
遼太郎は窓の外を見た。夜空に、無数の星が輝いている。
「この宿の強みは何か。他の宿にはない価値は何か。それを見つければ、方法も見えてきます」
「強み……」
「星降りの絶景。千年の歴史。聖域としての伝説。どれも、他にはない価値です」
「でも、それを知っている人がいないわ」
「だから、知らせる必要があります」
「どうやって」
遼太郎は黙った。
どうやって。
それが、最大の問題だった。
情報を広める手段がない。インターネットもテレビもない。行商人も来ない。孤立した辺境の宿から、どうやって外の世界に声を届ければいいのか。
「……待てよ」
遼太郎は何かを思いついた。
「セレスさん。この世界に、『冒険者ギルド』はありますか」
「冒険者ギルド? ええ、あるわ」
「最寄りのギルドは、どこにありますか」
「半日の距離にある街に、支部があるはずよ」
「そこに行けば、冒険者に会えますか」
「たぶん……でも、なんで?」
「冒険者は、旅人です」と遼太郎は言った。「彼らは各地を巡り、情報を集め、噂を広める。もし、彼らに『星降り亭』の存在を知ってもらえれば……」
「彼らが、他の人にも伝えてくれるかもしれない」
「そうです」
セレスティアの目が、わずかに輝いた。
「でも、どうやって冒険者に会いに行くの。馬で半日でしょう。往復で一日以上かかるわ」
「だから、来てもらいます」
「来てもらう?」
「ここに、冒険者を呼ぶんです」
セレスティアは首を傾げた。
「どうやって?」
「依頼を出します」
遼太郎は立ち上がった。
「冒険者ギルドは、依頼を仲介する組織ですよね。依頼があれば、冒険者は来る」
「でも、依頼を出すには、ギルドに行かないと……」
「村の人に頼みます」
「村の人?」
「明日、もう一度村に行きます。村の誰かに、街まで行ってもらう。そして、依頼を掲示板に貼ってきてもらう」
セレスティアは驚いた顔をした。
「村の人が、協力してくれると思う?」
「してくれます。彼らも、現状を変えたいと思っているはずです」
遼太郎の声には、確信があった。
村長との会話で、彼は感じていた。村人たちは、諦めているわけではない。ただ、どうすればいいか分からないだけだ。
きっかけさえあれば、動いてくれる。
「……あなた、変わった人ね」
セレスティアが言った。
「よく言われます」
「褒めてないわよ」
「分かっています」
遼太郎は笑った。
セレスティアも、つられて笑った。
「でも……嫌いじゃないわ。そういう図々しさ」
「ありがとうございます」
遼太郎は頭を下げた。
「さて、計画の続きを立てなければ」
「私も手伝うわ」
「本当ですか?」
「当然でしょ。私の宿なんだから」
セレスティアはテーブルに向き合った。
二人は、深夜まで計画を練り続けた。
翌朝。
遼太郎は夜明け前に起き、宿の点検を始めた。
壁の傷み、床の軋み、窓の立て付け。一つ一つを確認し、修繕が必要な箇所をリストアップしていく。
「お早うございます、リョウ様」
ゴブ爺が、静かに近づいてきた。
「お早うございます。すみません、もう起きていたんですか」
「私は、あまり眠りません。年寄りの特権でございます」
ゴブ爺は微笑んだ。
「点検でございますか」
「はい。客を迎える前に、建物の状態を把握しておきたくて」
「お手伝いいたしましょう」
「ありがとうございます」
二人は宿の隅々を歩き回った。
一階のロビー、食堂、厨房。二階の客室。裏庭の厩舎、倉庫。そして、地下の聖室。
「思ったより、傷みが激しいですね」
遼太郎は、壁に走った亀裂を見ながら言った。
「千年以上の建物でございますから」とゴブ爺は答えた。「定期的な修繕は行っておりますが、最近は資金がなく……」
「分かります。でも、このままでは客を迎えられません」
遼太郎は考え込んだ。
修繕には資金が必要だ。しかし、資金を得るには客が必要だ。また、「鶏と卵」の問題に戻ってしまう。
「……ゴブ爺さん」
「はい」
「この世界に、『大工』や『職人』はいますか」
「もちろんでございます」
「村にも、いますか」
「はい。数名おります」
「彼らに、修繕を手伝ってもらえないでしょうか」
「報酬は……」
「後払いで」
ゴブ爺は目を丸くした。
「後払い、でございますか」
「はい。今は資金がありません。でも、客が来れば、収入が得られます。その収入から、報酬を支払う」
「しかし、そのような条件で、引き受けてくれるかどうか……」
「だから、交渉です」
遼太郎は言った。
「ビジネスの基本は、Win-Winの関係を作ることです。村の職人にとって、今は仕事がない。仕事があれば、収入が得られる。宿が繁盛すれば、村全体も潤う。そのことを、しっかり説明します」
ゴブ爺は感心したように頷いた。
「リョウ様は、本当に商売の才がおありですな」
「才能ではありません。経験です」
遼太郎は苦笑した。
「三年間、毎日数字と向き合ってきました。帳簿をつけ、収支を計算し、経費を管理する。その経験が、今になって役に立っているだけです」
「しかし、その経験を、このような状況で活かせるとは……」
「ナイトオーディターは、何でも屋なんです」
遼太郎は言った。
「夜勤の間、宿のことは全て任されます。フロント対応、クレーム処理、設備の緊急修繕、そして経理。何でも一人でやらなければならない」
「大変なお仕事でございますな」
「大変でした。でも、その経験があったから、今、ここで何をすべきかが分かる」
遼太郎は窓の外を見た。
朝日が、草原を黄金色に染めている。
「数字は嘘をつきません。現状を正確に把握し、目標を設定し、手段を検討する。そのプロセスは、どんな世界でも同じです」
「なるほど……」
「さあ、村に行きましょう。交渉の時間です」
遼太郎は歩き出した。
ゴブ爺も、その後に続いた。
村での交渉は、予想以上にスムーズに進んだ。
遼太郎の提案を聞いた村長は、最初は渋い顔をしていた。しかし、「村全体が潤う」という言葉に、態度を軟化させた。
「……確かに、仕事がないのは事実だ。若い者は腐りかけてる」
「だから、仕事を作ります。宿の修繕、食料の供給、情報の伝達。やることは山ほどあります」
「でも、報酬が後払いってのは……」
「信用していただくしかありません。私は、必ず約束を守ります」
遼太郎は村長を真っ直ぐに見つめた。
「私は、逃げません。この宿を、必ず立て直します」
村長は長い沈黙の後、ため息をついた。
「……分かった。信じてやる」
「ありがとうございます」
遼太郎は深く頭を下げた。
四十五度。最敬礼。心からの感謝を込めて。
その日のうちに、村の職人二人が宿に派遣された。若い男性で、名前はトマスとルーク。二人とも、仕事がなくて暇を持て余していたという。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
彼らは早速、壁の修繕に取りかかった。遼太郎は彼らに作業を任せ、自分は別の仕事に取りかかった。
冒険者ギルドへの依頼書の作成だ。
「何を書いているの?」
セレスティアが、後ろから覗き込んだ。
「依頼書です。街のギルドに掲示してもらうための」
「どんな依頼を出すの?」
「護衛依頼です」
セレスティアは首を傾げた。
「護衛? 誰の?」
「この宿の、です」
遼太郎は説明した。
「この辺りには、魔物が出ます。旅人が来ない最大の理由は、安全が確保されていないからです。だから、冒険者に護衛を依頼する」
「でも、護衛を雇う資金なんて……」
「だから、報酬は『宿泊券』にします」
「宿泊券?」
「はい。依頼を受けた冒険者は、報酬として『星降り亭の無料宿泊券』を受け取る。彼らは宿泊券を使って、この宿に泊まりに来る」
セレスティアは目を丸くした。
「それって、タダで泊まらせるってこと?」
「そうです」
「意味ないじゃない。収入にならないわ」
「直接の収入にはなりません。でも、別の価値が生まれます」
「別の価値?」
「口コミです」
遼太郎は言った。
「冒険者は、各地を旅します。彼らがこの宿に泊まり、満足すれば、その噂は広がります。『辺境に、いい宿がある』と」
「噂を広めるために、タダで泊まらせる……」
「マーケティングの基本です。最初の顧客には、投資が必要です。でも、その投資は、将来の収益となって返ってきます」
セレスティアは半信半疑の顔をしていた。しかし、反論はしなかった。
「……分かったわ。あなたを信じる」
「ありがとうございます」
遼太郎は依頼書を書き上げた。
【冒険者ギルド掲示依頼】
■ 依頼内容:辺境街道の護衛
■ 場所:王都~辺境間の街道
■ 期間:随時
■ 報酬:星降り亭・無料宿泊券(1泊2食付き)
※ 星降り亭は、辺境最古の宿屋です。千年以上の歴史を持ち、「星降りの絶景」が見られることで知られています。ぜひ一度、お立ち寄りください。
「これを、村の誰かに街まで届けてもらいます」
「届けてくれる人、いるかしら」
「います。さっき、村長さんに頼んできました。明日の朝、若者を一人派遣してくれるそうです」
セレスティアは驚いた顔をした。
「もう頼んできたの?」
「善は急げ、と言いますから」
遼太郎は微笑んだ。
「さて、次は食事の準備です。冒険者が来たら、美味しい料理を出さなければなりません」
「料理……? 私、料理は苦手なんだけど」
「大丈夫です。ゴブ爺さんに教わります」
「ゴブ爺が料理を?」
「はい。昨日聞いたら、かつては魔王様の食事を作っていたそうです。相当な腕前らしいですよ」
セレスティアは呆れたような顔をした。
「あなた、いつの間にそんなこと調べたの」
「昨夜、少し話を聞きました。ナイトオーディターは、夜中に時間がありますから」
「夜中に仕事してたの?」
「習慣です。夜は、頭が冴えるんです」
遼太郎は立ち上がった。
「さあ、仕事を続けましょう。やることは、まだまだ山ほどあります」
セレスティアは遼太郎の背中を見つめた。
この男は、いったい何者なのか。
どこから来て、なぜこんなにも必死に働くのか。
分からないことだらけだった。
しかし、一つだけ確かなことがある。
この男がいれば、何かが変わるかもしれない。
そう思えることが、セレスティアにとっては、久しぶりの希望だった。




