第四十話 ようこそ、新世界へ
エピローグ
あれから、十年の月日が流れた。
星降り亭は、大きく成長していた。
本館は増築を重ね、客室は三十室に増えた。テント泊エリアも拡張され、同時に百人以上の客を受け入れられるようになっている。
そして、支店も増えた。
王都の「星月夜」を皮切りに、帝都の「暁の宿」、港町の「潮騒亭」、山岳地帯の「峰の隠れ家」……。世界各地に、星降り亭の系列店が広がっていた。
「チェーン展開、順調ですね」
セレスティアが、帳簿を見ながら言った。
「はい。おかげさまで」
遼太郎は、窓の外を見た。
草原には、朝霧が立ち込めている。その向こうには、賑やかな村が見える。かつては数百人だった人口も、今は数千人に増えていた。
「世界も、変わりました」
「ええ。戦争はなくなったし、人々は笑顔を取り戻した」
「希望度も、上がっています」
遼太郎は、視界に浮かぶ数字を確認した。
【世界の希望度:95%】
「あと5%」
「もう少しね」
「はい。でも、急ぐ必要はありません」
遼太郎は微笑んだ。
「希望は、自然と育っていくものです。無理に増やそうとしても、上手くいきません」
「あなたらしい考えね」
「学んだことですから」
二人は、並んで窓の外を見た。
「ねえ、リョウ」
「はい」
「私たち、結婚して十年になるわね」
「そうですね。あっという間でした」
「子供たちも、大きくなった」
「はい。上の子は、もう宿の手伝いを始めています」
セレスティアは、遼太郎の手を握った。
「幸せね」
「はい。幸せです」
扉が開き、一人の少年が入ってきた。
「父さん、母さん。お客様が到着しました」
「ありがとう、ケン」
遼太郎は、息子に微笑みかけた。
息子の名前は、ケン。魔王の本名「健一」から取った名前だ。
「どんなお客様?」
「旅の商人みたいです。遠くから来たって」
「分かった。すぐに行く」
遼太郎は立ち上がった。
「セレス、一緒に行こう」
「ええ」
二人は、ロビーに向かった。
ロビーには、一人の男が立っていた。
旅装束を身につけた、中年の男性。しかし、その目には、どこか見覚えがあった。
「いらっしゃいませ」
遼太郎は、笑顔で迎えた。
「星降り亭へようこそ」
「久しぶりだな、佐伯」
男が言った。
「黒須さん……」
クロノス——かつての黒須剛志が、そこにいた。
「十年ぶりか。元気そうだな」
「あなたも。旅をしていると聞いていましたが」
「ああ。世界中を回っている。宿屋の視察、という名目でな」
クロノスは、ロビーを見回した。
「相変わらず、いい宿だ」
「ありがとうございます」
「スタッフの笑顔が、いい。心がこもっている」
「みんな、頑張っていますから」
クロノスは、遼太郎を見つめた。
「お前のやり方が、正しかったな」
「私のやり方……」
「恐怖ではなく、愛で人を動かす。俺には、できなかった」
「黒須さんにも、できますよ。今なら」
「そうか……」
クロノスは、微かに笑った。
「今回の旅で、最後にここに来たかったんだ」
「最後……?」
「俺も、宿を始めようと思っている」
「本当ですか」
「ああ。お前を見て、学んだからな。俺も、人を幸せにする仕事がしたい」
遼太郎の目に、涙が浮かんだ。
「……嬉しいです」
「泣くなよ」
「すみません。でも、本当に嬉しくて」
クロノスは、照れくさそうに頭を掻いた。
「お前の弟子にしてくれるか」
「弟子なんて、とんでもない。でも、仲間にはなれます」
「仲間、か」
「はい。一緒に、世界を変えていきましょう」
遼太郎は、手を差し伸べた。
「ようこそ、星降り亭へ。黒須さん」
クロノスは、その手を握った。
「ありがとう。佐伯」
二人は、固く手を握り合った。
その夜。
星降り亭の屋上から、無数の星が見えた。
「綺麗だな」
クロノスが呟いた。
「はい。何度見ても、飽きません」
遼太郎は、隣に立っていた。
「この星空を見るたびに、思い出すんです」
「何を」
「この世界に来た日のことを。星に包まれて、目が覚めたあの日のことを」
「俺もだ。あの時は、何もかもが嫌になっていた」
「でも、今は違う」
「ああ。今は、生きていて良かったと思える」
二人は、星空を見上げた。
「佐伯」
「はい」
「ありがとう」
「何がですか」
「俺を、救ってくれて」
「……いえ、私は……」
「お前がいなければ、俺は虚無に飲み込まれていた。世界も、滅んでいた」
クロノスの声が、真剣だった。
「お前は、俺と世界を救った。それは、事実だ」
「……」
「だから、ありがとう」
遼太郎は、少し間を置いて答えた。
「私は、ただ……自分の仕事をしただけです」
「仕事……」
「お客様を幸せにする。それが、宿屋の仕事ですから」
クロノスは、フッと笑った。
「お前は、本当に変わらないな」
「よく言われます」
「でも、それがお前のいいところだ」
二人は、肩を並べて星を見上げた。
「これからも、よろしく頼む」
「こちらこそ」
星が、静かに瞬いていた。
その光は、遠い未来まで、二人を照らし続けるだろう。
数年後。
【世界の希望度:100%】
その数字を見た時、遼太郎は静かに微笑んだ。
「ついに……」
彼は、星核に手を触れた。
しかし、世界をウォーキングさせる必要は、もうなかった。
世界は、自らの力で再生していた。
人々が希望を持ち、笑顔で生きていく。その積み重ねが、世界を変えた。
一人の英雄が世界を救うのではない。みんなの希望が、世界を救った。
「魔王様」
遼太郎は、心の中で呼びかけた。
「あなたの遺志を、私は引き継ぎました。でも、私一人ではなく、みんなの力で」
返事は、もちろん聞こえなかった。
しかし、どこかで魔王が微笑んでいるような気がした。
遼太郎は、聖室を出た。
食堂には、スタッフと客が集まっている。笑い声が、あちこちで聞こえる。
「いらっしゃいませ」
「ありがとうございます」
「またのお越しをお待ちしております」
それは、いつもと変わらない、星降り亭の一日だった。
しかし、その一日一日が、世界を作っている。
遼太郎は、受付カウンターに立った。
扉が開き、新しい客が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
彼は、心を込めて言った。
「星降り亭へようこそ」
その言葉は、これからも何度も繰り返されるだろう。
いつまでも、いつまでも。
世界が続く限り。
『ようこそ、終焉の宿へ ~ブラック企業のナイトオーディターは異世界で"ウォーキング"を極める~』
完




