第四話 ゴブリンの執事
星核に触れた翌日。
遼太郎は、ゴブ爺を連れて宿の周辺を歩いていた。
「この辺りには、村があるんですよね」
「はい。徒歩で半刻ほどの場所に、辺境の村がございます」
「人口は?」
「百人ほどでしょうか。農業と畜産を営む、小さな集落です」
「商人は来ますか」
「稀に。月に一度、行商人が訪れます」
遼太郎は頷いた。
情報を集めなければならない。この土地の人々が、何を求めているのか。何に困っているのか。それを知らなければ、客を呼ぶ戦略は立てられない。
「村に行ってみたいのですが、案内していただけますか」
「もちろんでございます」
二人は草原を横切り、細い道を歩いた。
歩きながら、遼太郎はゴブ爺に質問を続けた。
「ゴブ爺さんは、いつからこの宿で働いているのですか」
「二百年ほど前からでございます」
「二百年……?」
遼太郎は目を丸くした。
「ゴブリンは長命でございます」とゴブ爺は笑った。「私は、もう三百歳を超えておりますが」
「三百歳……」
「もっとも、ゴブリンの中では若輩でございます。長老の中には、千歳を超える者もおります」
遼太郎は絶句した。三百歳で若輩とは、この世界のスケールは想像を超えている。
「最初から、この宿で働いていたのですか」
「いいえ」とゴブ爺は首を振った。「最初は、別の場所におりました」
「別の場所?」
「かつて、私は魔王様にお仕えしておりました」
その言葉に、遼太郎は足を止めた。
「魔王……?」
「はい。千年前、この世界を救った偉大なる魔王様でございます」
「魔王が、世界を救った?」
「左様でございます」
ゴブ爺の目が、遠くを見つめていた。
「多くの者は、魔王を悪の象徴だと思っております。しかし、真実は異なります。かつての魔王様は、この世界を滅びから救った英雄でございました」
「どういうことですか」
「千年前、この世界には『虚無の波』と呼ばれる災厄が訪れました。世界を飲み込み、全てを消滅させる力。それに立ち向かったのが、魔王様でございました」
ゴブ爺は歩きながら、語り続けた。
「魔王様は、外の世界から来た方でした。この世界のことを何も知らず、ただ迷い込んだだけの存在。しかし、彼は世界を救うことを選びました」
「なぜ?」
「分かりません。ただ、彼は言いました。『この世界には、守るべきものがある』と」
遼太郎は黙って聞いていた。
「魔王様は、ある力を持っていました。『ウォーキング』と呼ばれる力でございます」
その言葉に、遼太郎の心臓が跳ねた。
「ウォーキング……?」
「はい。魔王様は、その力で虚無の波を退けました。滅びゆく世界を、『次の世界』へと送り届けることで」
「次の世界へ……」
「私も、詳しいことは分かりません。ただ、魔王様は言いました。『ウォーキングとは、終わりを始まりに変える力だ』と」
遼太郎は、自分のステータスを確認した。
【ウォーキング Lv.1】
詳細は未解放。しかし、その力の一端を、今、垣間見た気がした。
「魔王様は、戦いの後、姿を消しました」とゴブ爺は続けた。「しかし、彼が残したものは、今も世界中に散らばっております。宿屋という形で」
「宿屋……」
「魔王様は、『創世の宿屋』の意志を継ぐ者でした。彼は世界中に宿を建て、旅人を迎え、平和の礎を築きました。この『星降り亭』も、その一つでございます」
遼太郎は歩きながら、考えた。
かつての魔王も、外の世界から来た者だった。そして、【ウォーキング】の力を持っていた。
自分と、同じように。
「私が魔王様の執事となったのは、その頃でございます」とゴブ爺は言った。「私は若輩のゴブリンでしたが、魔王様は私を対等に扱ってくださいました。『種族など関係ない。大切なのは、心だ』と」
「心……」
「はい。魔王様は、全ての者を客として迎えました。人間も、エルフも、ドワーフも、そしてゴブリンも。誰もが、魔王様の宿で安らぎを得ることができました」
ゴブ爺の声が、わずかに震えていた。
「魔王様が去った後、私はこの『星降り亭』に残りました。魔王様の意志を継ぎ、旅人を迎え続けるために」
「二百年間、ずっと……」
「はい。時に辛いこともございました。しかし、私はここを離れるつもりはありません。この宿が、私の全てでございますから」
遼太郎は、老ゴブリンの横顔を見つめた。
二百年間、一つの場所を守り続けてきた。その覚悟の深さは、遼太郎の想像を超えていた。
「佐伯様」
「はい」
「あなたがこの宿に来たのは、偶然ではないと思います」
「偶然では……」
「魔王様と同じ力を持ち、魔王様と同じように外から来た。それは、きっと何かの導きでございます」
ゴブ爺は立ち止まり、遼太郎を真っ直ぐに見つめた。
「あなたには、この宿を救う力があると、私は信じております」
遼太郎は言葉を失った。
魔王と同じ力。世界を救った英雄と、同じ。
そんな大それたことを、自分ができるのだろうか。
「……私は、ただのナイトオーディターです」
遼太郎は、正直に言った。
「帳簿をつけて、数字を合わせることしかできません。世界を救うような力は……」
「それで十分でございます」
ゴブ爺は静かに言った。
「数字を合わせる力。それは、混乱を秩序に変える力です。魔王様もまた、そのような力を持っておりました」
「魔王様が、帳簿を……?」
「はい」とゴブ爺は微笑んだ。「魔王様は、とても几帳面な方でした。宿の収支を一円の誤差もなく管理し、在庫を完璧に把握し、客の好みを全て記憶しておられました」
「それは……」
「魔王様は言いました。『サービスの基本は、相手を知ることだ。数字は、そのための道具だ』と」
遼太郎の胸に、何かが響いた。
数字は嘘をつかない。それが、彼がナイトオーディターとして学んだことだった。
「私は、魔王様のような英雄ではないかもしれません」
遼太郎は言った。
「でも、数字を使って、この宿を救うことならできるかもしれない。少なくとも、試してみる価値はあります」
ゴブ爺は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、佐伯様。あなたの言葉を聞いて、私は希望を感じております」
「希望……」
「はい。二百年間、私はこの宿を守り続けてきました。しかし、一人では限界がございます。あなたのような方が来てくださったことは、神々の導きに違いありません」
遼太郎は照れくさそうに頭を掻いた。
「神々とか、導きとか、大げさですよ」
「いいえ、大げさではございません」
ゴブ爺は真剣な顔で言った。
「あなたは、この宿の新しい『宿主』です。私は、あなたにお仕えいたします」
「お仕え……?」
「はい。私は執事でございます。主人に仕え、主人を支えるのが、私の役目でございます」
ゴブ爺は再び深々と頭を下げた。
「どうか、私をお使いください。佐伯様」
遼太郎は困惑した。
「いや、私は別に、主人とかではなくて……」
「ご謙遜なさらず」
ゴブ爺は顔を上げ、微笑んだ。
「魔王様も、最初はそう仰いました。しかし、最後には私の主人として、私を導いてくださいました」
遼太郎は黙った。
主人と執事。そんな関係は、彼には馴染みがない。しかし、ゴブ爺の目には、確かな信頼と期待が宿っていた。
「……分かりました」
遼太郎は深呼吸して言った。
「私は、まだ何もできない未熟者です。でも、ゴブ爺さんの力を借りながら、精一杯やってみます」
「ありがとうございます」
ゴブ爺の目に、うっすらと涙が浮かんでいた。
「佐伯様。いえ、リョウ様」
「リョウ……?」
「失礼いたしました。お名前が長いので、愛称をお許しいただければと」
「ああ、構いませんよ。リョウで」
「では、リョウ様。これから、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
二人は握手を交わした。
ゴブリンの手は、意外と温かかった。
村に到着したのは、正午過ぎだった。
小さな集落だった。石造りの家が二十軒ほど、中央の広場を囲むように建っている。広場には井戸があり、数人の村人が水を汲んでいた。
「よそ者だ」
遼太郎たちの姿を見て、村人たちがざわめいた。
「ゴブリンがいるぞ」
「星降り亭の爺さんか?」
「誰だ、あの男は」
視線が集中する。遼太郎は気後れしそうになったが、背筋を伸ばして歩いた。
「お客様に不安を与えないためには、常に堂々としていなければならない」
それが、新人時代に叩き込まれた教えだった。
「村長さんにお会いしたいのですが」
遼太郎は、最も年配そうな男性に声をかけた。
「村長? 俺のことか」
男性は警戒した目で遼太郎を見つめた。
「何の用だ」
「『星降り亭』から参りました。村の皆様に、ご挨拶をと思いまして」
「星降り亭……あの潰れかけの宿か」
「はい。私は、あの宿で働くことになりました。よろしくお願いいたします」
遼太郎は頭を下げた。三十度。敬礼。
村長は困惑した顔をした。
「働くって……お前、何者だ」
「佐伯遼太郎と申します。遠くから来ました」
「遠くって、どこからだ」
「とても遠くです。説明するのが難しいくらい」
村長は眉をひそめた。しかし、それ以上は追及しなかった。
「まあいい。立ち話もなんだ。家に来い」
村長の家は、広場に面した一番大きな建物だった。石造りの壁に、藁葺きの屋根。中に入ると、木製のテーブルと椅子があり、暖炉には火が燃えていた。
「座れ」
言われるままに、遼太郎とゴブ爺は椅子に腰を下ろした。
村長は向かいに座り、遼太郎を睨むように見つめた。
「正直に言う。俺は、あの宿が好きじゃない」
「好きじゃない……?」
「ああ。昔はいい宿だった。旅人で賑わっていたし、俺たちも仕事をもらえた。だが、今はどうだ。客はいない、金もない、結界は弱まって魔物は出る」
村長の声に、怒りが混じっていた。
「あの宿のせいで、俺たちは迷惑してるんだ。魔物が出るから、遠くの街に行けない。行商人も来なくなった。作物を売ることもできない」
「それは……」
「宿がしっかりしてれば、こんなことにはならなかった。あのお嬢様が来てから、全部おかしくなった」
「お嬢様……セレスさんのことですか」
「ああ。元王女とかいう、お高くとまった女だ。宿を継いだはいいが、何もできやしない。結界は弱まるばかりで、俺たちはどんどん孤立していく」
村長の言葉は、厳しかった。しかし、その裏には、切実な不安が滲んでいた。
「すみません」
遼太郎は頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしていることは、承知しております」
「謝って済むなら、警察はいらない」
「おっしゃる通りです」
遼太郎は顔を上げ、村長を真っ直ぐに見つめた。
「私がこの宿に来たのは、状況を変えるためです。結界を強化し、魔物を退け、旅人を呼び戻す。そのために、村の皆様のご協力をいただきたいのです」
「協力?」
「はい。まず、村の状況を教えてください。何に困っているのか、何が必要なのか。それを知らなければ、私たちにできることも分かりません」
村長は黙った。
長い沈黙の後、彼はため息をついた。
「……正直、困っていることだらけだ」
「聞かせてください」
「まず、食料だ。去年の収穫が悪くて、蓄えが少ない。このままじゃ、冬を越せるかどうか分からない」
「食料……」
「次に、薬だ。医者がいないから、病気になっても治せない。去年、子供が二人死んだ」
遼太郎は息を呑んだ。
「それから、情報だ。行商人が来なくなってから、外の世界のことが分からない。戦争がどうなってるのか、王都は無事なのか。何も分からない」
村長の声が、小さくなった。
「俺たちは、見捨てられたんだ。王国にも、世界にも」
遼太郎は黙って聞いていた。
この村が抱える問題は、深刻だった。食料、医療、情報。どれも、命に関わる問題だ。
しかし、同時に、遼太郎の頭の中では、別の計算が走っていた。
食料が足りない。薬がない。情報が入らない。
それは、「需要」があるということだ。
需要があれば、ビジネスが成り立つ。
「村長さん」
遼太郎は言った。
「一つ、提案があります」
「提案?」
「この村と、星降り亭を結ぶ『流通網』を作りませんか」
「流通網……?」
「はい。村で作った農作物や畜産物を、宿で買い取ります。宿は、それを旅人に提供する。旅人は、外の世界の情報や物資を持ってくる。そうすれば、村も宿も、お互いに利益を得られます」
村長は眉をひそめた。
「待て。旅人なんて、来ないじゃないか」
「今は来ません。でも、来るようにします」
「どうやって」
「それを、これから考えます」
村長は呆れたような顔をした。
「考えるって……お前、何を言ってるんだ」
「具体的な計画は、まだありません。でも、方向性は見えてきました」
遼太郎は立ち上がった。
「村長さん。一週間だけ、時間をください。一週間で、必ず旅人を呼んでみせます」
「一週間……?」
「はい。それで何も変わらなければ、私はここを去ります。でも、もし変わったら……その時は、私を信じてください」
村長は長い沈黙の後、ため息をついた。
「……分かった。一週間だ」
「ありがとうございます」
遼太郎は深く頭を下げた。
三十度。敬礼。感謝の気持ちを込めて。




