第三十九話 世界のチェックアウト
虚無が消えてから、一週間が経った。
帝国は、大きな変化を迎えていた。
クロノスは、皇帝の座を退くことを宣言した。代わりに、民意を反映した政治体制を作ることを約束した。
「俺一人で支配する時代は、終わりだ」
クロノスは、民衆の前で演説した。
「これからは、みんなで力を合わせて、この国を作っていく」
民衆は、最初は戸惑っていた。しかし、クロノスの言葉が本心だと分かると、少しずつ歓声が上がり始めた。
エルディア王国との和平も、進められた。
アレクサンダー王子とクロノスが、直接会談し、停戦と友好条約を結んだ。
「長い争いは、終わりだ」
アレクサンダーが言った。
「これからは、両国が協力して、平和を築いていく」
世界は、確実に変わり始めていた。
しかし、問題は残っていた。
虚無は、確かに退けた。しかし、完全に消滅したわけではない。世界に絶望がある限り、虚無は何度でも現れる。
「根本的な解決には、なっていないのよね」
セレスティアが、遼太郎に言った。
「はい。虚無を永遠に封じ込めるには、世界そのものを変える必要があります」
「世界そのものを……」
「魔王様は、それを『ウォーキング』で行いました」
遼太郎は、魔王の手記を開いた。
『世界をウォーキングさせる。
それは、滅びゆく世界を、新しい世界として再生させることだ。
具体的には、世界の「絶望の記憶」を浄化し、「希望の記憶」で満たす。
そうすれば、世界は自ら滅びようとはしなくなる。虚無の波は、二度と現れない。
しかし、これには膨大な力が必要だ。そして、その力を発動させるためには、「世界中の希望」を集めなければならない。
俺は、それを達成した。宿屋を通じて、世界中の人々と繋がり、彼らの希望を集めた。
でも、代償として、俺は消滅した。
もし、この書を読んでいる者がいるなら、覚えておいてほしい。
この方法は、命を賭ける必要がある。
だから、軽々しく使ってはいけない。
本当に世界を救う必要がある時、最後の手段として使ってくれ。』
「命を賭ける……」
遼太郎は、その言葉を噛み締めた。
「リョウ」
セレスティアが、遼太郎の手を握った。
「あなた、まさか……」
「分かりません。でも、虚無が完全に消えていない以上、いつか必要になるかもしれません」
「そんな……」
「大丈夫です。すぐに使うつもりはありません。まずは、別の方法を探します」
遼太郎は微笑んだ。
「それに、一人で背負う必要はないと思うのです」
「一人で……?」
「魔王様は、一人で世界中の希望を集めました。でも、私には仲間がいます」
遼太郎は、窓の外を見た。
「スタッフ、客、村人、冒険者、そして黒須さん。みんなの力を合わせれば、一人で背負うよりも、もっと大きな希望を集められるはずです」
「みんなの力……」
「はい。だから、私は宿屋を続けます。世界中に、星降り亭のような宿を広げます。そうすれば、いつか……」
「いつか、世界を救える」
セレスティアが、遼太郎の言葉を引き継いだ。
「そうです。一人の英雄ではなく、みんなの力で」
「あなたらしいわね」
セレスティアは、微笑んだ。
「でも、それがあなたの良いところ」
数週間後。
星降り亭に、遼太郎は戻っていた。
「お帰りなさい、リョウ様!」
スタッフ全員が、玄関で出迎えてくれた。
「ただいま。留守中、ありがとうございました」
「リョウ様、お疲れ様でございます」
ゴブ爺が、深く頭を下げた。
「虚無を退けたこと、聞いております。お見事でございました」
「いえ、私一人の力ではありません。みんなの力です」
「ご謙遜を」
「本当ですよ」
遼太郎は、スタッフたちを見回した。
「私がここを離れている間も、この宿は動き続けていました。お客様を迎え、笑顔を生み出し、希望を広げていた」
「……」
「それが、虚無を退ける力の一部になったのです。皆さんのおかげで、世界は救われました」
スタッフたちの目に、涙が浮かんだ。
「リョウ様……」
「ありがとうございます……」
「さあ、泣いている場合ではありません」
遼太郎は、笑顔で言った。
「今日から、また新しい一日が始まります。やることは、山ほどあります」
「はい!」
スタッフたちが、声を揃えた。
「まずは、結界強度を確認しましょう」
遼太郎は、地下の聖室に向かった。
星核が、まばゆい光を放っていた。
【結界強度:100%】
「100%……」
遼太郎は、息を呑んだ。
「ついに、完全に回復しました」
ゴブ爺が、感動の声を上げた。
「九百年……九百年かかりましたが、ついに……」
「はい。これで、この宿は完全に安全になりました」
しかし、遼太郎の目は、別の数値を見ていた。
【世界の希望度:72%】
「世界の希望度……」
「それは、何でございますか」
「魔王様の手記に書いてありました。世界をウォーキングさせるために必要な、希望の総量」
「72%……あと28%足りない、ということでございますか」
「はい。でも、以前は50%以下だったはずです。虚無を退けたことで、大幅に上昇しました」
遼太郎は、星核を見つめた。
「このペースなら、いつか100%に届くかもしれません。そうすれば、世界を完全に救うことができる」
「リョウ様……」
「焦る必要はありません。一歩一歩、着実に進んでいきましょう」
遼太郎は振り返り、微笑んだ。
「私たちの仕事は、変わりません。お客様に最高のサービスを提供する。それだけです」
「はい!」
新しい朝が、星降り亭を照らしていた。




