第三十二話 予言の真実
魔王の手記を読み始めてから、三日が経った。
遼太郎は、寝る間も惜しんで書物を読み込んでいた。ウォーキングの技術、世界の構造、そして虚無の波についての記述。全てが、彼にとって新しい知識だった。
「なるほど……」
彼は、ある一節に目を止めた。
『虚無の波について。
これは、世界の「滅びへの意志」が形を取ったものだ。
この世界は、創造された時から、いつか滅びる運命にあった。全てのものは、生まれた瞬間から死に向かって歩んでいる。それは、世界そのものも同じだ。
しかし、ここで重要なのは、「滅び」は「終わり」ではないということだ。
滅びとは、「次の始まり」への準備に過ぎない。冬が来るから春が来る。死があるから生がある。同じように、世界の滅びは、新しい世界の誕生につながっている。
問題は、その「滅び」が暴走した時だ。
正常な滅びは、ゆっくりと進む。世界が疲弊し、やがて静かに眠りにつき、そして新しい世界として目覚める。そのサイクルは、数万年、数十万年をかけて行われる。
しかし、虚無の波は違う。それは、急激な滅びだ。世界が、自ら命を絶とうとしているようなものだ。
なぜ、そんなことが起きるのか。
俺の仮説では、「絶望」が原因だ。
世界に生きる者たちの絶望が、積み重なっていく。戦争、飢餓、疫病、差別、虐殺……。そういった負の感情が、世界そのものを蝕んでいく。
やがて、世界は「もう生きていたくない」と思うようになる。そして、虚無の波が生まれる。
つまり、虚無の波を止めるためには、世界に希望を与えなければならない。
人々が幸せになれば、世界も幸せになる。人々が希望を持てば、世界も生きようと思える。
それが、俺がたどり着いた結論だ。
だから俺は、宿屋を作った。旅人に安らぎを与え、笑顔を生み出す場所を。
小さなことかもしれない。でも、その積み重ねが、世界を救うと信じている。』
遼太郎は、書物を閉じた。
「世界に希望を与える……」
それは、彼がずっとやってきたことだった。
お客様に最高のサービスを提供し、笑顔で帰ってもらう。スタッフを育て、彼らが誇りを持って働ける環境を作る。避難民を受け入れ、安心できる場所を提供する。
小さなことの積み重ね。それが、世界を救うことにつながる。
「リョウ様」
声がして、遼太郎は顔を上げた。
ゴブ爺が、入り口に立っていた。
「王都から、使者が参りました」
「使者……?」
「アレクサンダー王子からの伝言だそうです。至急、お会いしたいと」
遼太郎は立ち上がった。
「分かりました。すぐに行きます」
使者は、若い兵士だった。
「リョウ殿。アレクサンダー王子からの伝言をお伝えします」
「何でしょうか」
「セレスティア様が、予言を受けられました」
遼太郎の心臓が、跳ねた。
「予言……」
「はい。王子殿下は、その内容をリョウ殿にお伝えしたいと。できれば、王都にお越しいただきたいとのことです」
「分かりました。すぐに出発します」
遼太郎は、宿の運営をゴブ爺とスタッフに任せ、王都へ向かった。
通常なら五日かかる道のりを、彼は三日で駆け抜けた。
王都に到着すると、すぐに王宮に通された。
「リョウ。よく来てくれた」
アレクサンダー王子が、謁見の間で待っていた。
「セレスティアの予言について、直接伝えたかったのだ」
「セレスさんは……」
「こちらにいる」
王子の後ろから、セレスティアが現れた。
「リョウ……」
「セレスさん!」
遼太郎は、駆け寄りたい衝動を抑えた。
「お元気そうで、何よりです」
「ええ、元気よ。あなたこそ、無理してない?」
「大丈夫です」
セレスティアの顔には、疲労の色が見えた。しかし、その目には、強い光が宿っていた。
「予言を見たの。滅びの予言の、続きを」
「続き……?」
「座ってくれ」
アレクサンダーが言った。
三人は、テーブルを囲んで座った。
「セレスティア。彼に、予言の内容を伝えてくれ」
「ええ」
セレスティアは深呼吸した。
「私が十歳の時に見た予言。『漆黒の王が現れ、世界を滅ぼす』という内容だった」
「はい」
「でも、それは予言の一部に過ぎなかったの。今回、続きが見えた」
セレスティアの声が、低くなった。
「『漆黒の王は、滅びの化身にあらず。彼は、滅びに支配された者なり』」
「滅びに支配された……?」
「つまり、クロノスは、虚無の波の原因ではない。彼自身も、虚無に支配されている被害者なの」
遼太郎は、言葉を失った。
「被害者……クロノスが……」
「予言は続くわ。『真の敵は、世界の絶望。それを打ち払う者こそ、光の宿主なり』」
「光の宿主……」
「そして、『光と闇が相まみえる時、世界は選択を迫られる。滅びか、再生か。その鍵は、サービスの心にあり』」
セレスティアは、遼太郎を見つめた。
「サービスの心。それは、あなたのことよ、リョウ」
遼太郎は、混乱していた。
クロノスが被害者? 虚無に支配されている?
「待ってください。クロノス……いえ、黒須は、私の元上司です。彼は、元の世界でもひどい人間でした。それが、虚無に支配されているから、というのですか」
「そう言っているわけではないわ」
セレスティアが言った。
「でも、考えてみて。彼は、なぜあんなに冷たい人間になったのか。なぜ、世界を滅ぼそうとしているのか」
「それは……」
「彼の中にも、何かがあったのかもしれない。絶望が、彼を支配したのかもしれない」
遼太郎は、黒須のことを思い出した。
冷たい目。感情のない声。人を道具としか見ない態度。
しかし、彼はいつからあんな人間だったのだろうか。
最初からそうだったのか。それとも、何かがあって、ああなったのか。
「分からない……」
遼太郎は、頭を抱えた。
「彼のことを、私は何も知らない。ただ、嫌な上司だと思っていただけで」
「リョウ」
セレスティアが、遼太郎の手を取った。
「予言が示しているのは、希望よ」
「希望……」
「クロノスを倒すのではなく、救う可能性があるということ。虚無から解放すれば、彼は変わるかもしれない」
「救う……」
「そして、それができるのは、あなたしかいない」
遼太郎は、セレスティアの目を見つめた。
「なぜ、私なのですか」
「あなたは、ウォーキングの力を持っている。魂を次の世界へ送る力。それは、人を救う力でもあるの」
「……」
「クロノスの魂から、虚無を取り除くことができれば、彼は救われる。そして、世界も救われる」
遼太郎は、長い間黙っていた。
黒須を救う。
それは、考えたこともない選択肢だった。
彼は、遼太郎を苦しめた張本人だ。毎日、毎日、否定され、罵倒され、追い詰められた。その記憶は、今も遼太郎の心に深く刻まれている。
「許せるのか……」
彼は、声に出して呟いた。
「あの男を、許せるのか。私は」
「許す必要はないと思うわ」
セレスティアが言った。
「許すことと、救うことは、別よ。あなたが彼を許さなくても、彼を救うことはできる」
「でも……」
「リョウ。あなたは、宿屋の主人よね」
「はい」
「宿は、全ての客を迎える場所。好きな客も、嫌いな客も。良い客も、悪い客も」
セレスティアの目が、真っ直ぐに遼太郎を見つめていた。
「クロノスも、客の一人よ。彼がどんな人間でも、あなたは宿主として、彼を迎え入れることができる」
遼太郎は、その言葉に打たれた。
「宿主として……」
「そう。それが、サービスの本質でしょ?」
魔王の手記の言葉が、頭の中で蘇った。
『サービスの本質を、忘れるな。俺たちの力は、人を幸せにするためにある』
「……分かりました」
遼太郎は、ゆっくりと頷いた。
「クロノスを、救います。いえ、救えるかどうか、試してみます」
「リョウ……」
「でも、一つだけ確認させてください」
「何?」
「もし、彼を救えなかったら……その時は、止めます。世界を守るために」
セレスティアは頷いた。
「もちろんよ。それが、最後の手段」
「分かりました」
遼太郎は立ち上がった。
「では、準備をします。クロノスと対峙するために」
「待て、リョウ」
アレクサンダーが口を開いた。
「一人で行くつもりか」
「いえ。できれば、仲間と一緒に」
「ならば、兵を出そう。お前を護衛するために」
「ありがとうございます。しかし、大軍で行けば、クロノスも警戒するでしょう。少数精鋭で、密かに近づく方がいいと思います」
「なるほど……確かにそうだな」
アレクサンダーは考え込んだ。
「ならば、最低限の護衛だけをつけよう。そして……」
彼は、セレスティアを見た。
「セレスティア。お前も行け」
「兄上……」
「お前の予言の力が、必要になるかもしれない。それに……」
アレクサンダーは、微かに笑った。
「お前は、あの男と離れたくないのだろう」
セレスティアの顔が、わずかに赤くなった。
「そ、そんなことは……」
「構わん。行ってこい。お前の居場所は、あの宿だ。俺も、それは分かっている」
「兄上……」
「ただし、無事に帰ってこい。それが条件だ」
「……はい。必ず」
セレスティアは、深く頭を下げた。
遼太郎は、アレクサンダーに礼を言った。
「ありがとうございます。必ず、セレスさんを守って帰ります」
「頼んだぞ」
アレクサンダーは、遼太郎の肩を叩いた。
「世界を、頼む」




