第二十六話 ノーショー
和平交渉決裂から、三日が経った。
王都は、戦争の準備に追われていた。兵士の招集、物資の調達、防壁の補強。街中が、慌ただしく動いている。
遼太郎は、そんな中でも宿の運営を続けていた。
「こんな時に、宿を続けるのですか……」
リリアが、不安そうに尋ねた。
「はい。むしろ、こんな時だからこそ、続けなければなりません」
「でも、戦争が始まれば……」
「戦争が始まっても、人は生きていきます。食べて、眠って、働いて。宿が必要な人は、必ずいます」
遼太郎は言った。
「それに、パニックになっている時こそ、落ち着いて行動することが大切です。私たちが普通に営業することで、人々に安心感を与えられるかもしれません」
「安心感……」
「はい。『普通の生活が続いている』という安心感です」
リリアは、遼太郎の言葉に頷いた。
「分かりました。私も、頑張ります」
「ありがとうございます」
その日の夕方。
セレスティアが、宿を訪れた。
「リョウ、話があるの」
「何でしょうか」
「クロノスについて」
遼太郎は、セレスティアを個室に案内した。
「彼の能力について、情報が入ったわ」
「能力……」
「『ノーショー』と呼ばれているそうよ」
遼太郎は、その言葉に反応した。
ノーショー。
ホテル業界では、予約したのに来ない客のことを、そう呼ぶ。
「どんな能力なのですか」
「魂を、消滅させる力」
「魂を……消滅」
「普通の死は、魂が肉体を離れて、次の世界に旅立つ。でも、ノーショーは違う。魂そのものを消し去って、転生すらさせない」
遼太郎の顔が、青ざめた。
「完全な消滅……」
「そうよ。ウォーキングの対極にある力」
ウォーキングは、魂を次の世界に送る力。
ノーショーは、魂を消滅させる力。
まさに、正反対の能力だ。
「クロノスは、この力で多くの人を殺してきたらしいわ。彼に殺された者は、二度と転生できない。完全に、この世から消えてしまう」
「恐ろしい力だ……」
「だから、彼を恐れる者が多い。逆らえば、存在そのものを消されてしまうから」
セレスティアの声には、震えが混じっていた。
「リョウ、あなたは大丈夫?」
「大丈夫……とは言えませんね」
遼太郎は、正直に答えた。
「怖いですよ、正直。でも、だからといって、逃げるわけにはいきません」
「なぜ……」
「逃げても、彼は追ってくるでしょう。この世界を滅ぼすまで、止まらない」
遼太郎は、窓の外を見た。
「だったら、立ち向かうしかありません。たとえ、勝てる見込みがなくても」
「リョウ……」
「セレスさん。私には、ウォーキングの力があります。まだ未熟ですが、この力をもっと高めれば、彼に対抗できるかもしれません」
「対抗……できるの?」
「分かりません。でも、試す価値はあります」
遼太郎は振り返った。
「私に、ウォーキングの力を教えてくれる人は、いませんか」
「教える人……」
「ゴブ爺さんは、かつての魔王に仕えていました。魔王もウォーキングの力を持っていた。彼なら、何か知っているかもしれません」
「そうね……星降り亭に戻って、聞いてみる?」
「いえ、今は王都を離れられません。でも、手紙を書きます。ゴブ爺さんに、詳しく聞きたいと」
「分かったわ。私が、使者を手配する」
「ありがとうございます」
その夜。
遼太郎は、手紙を書いていた。
ゴブ爺さんへ
お元気ですか。王都での仕事は、順調に進んでいます。
しかし、状況は厳しくなっています。虚無帝国との戦争が、避けられない情勢です。
そして、敵の皇帝クロノスと、対面しました。
彼は、私と同じ世界から来た者でした。私の元上司です。彼は、「ノーショー」という力を持っています。魂を消滅させる力です。
私は、彼に対抗するために、ウォーキングの力をもっと深く理解する必要があります。
ゴブ爺さんは、かつて魔王様に仕えていました。魔王様もウォーキングの力を持っていたと聞いています。
魔王様は、ウォーキングをどのように使っていたのですか。どうすれば、この力を高めることができるのですか。
お手数ですが、知っていることを教えてください。
リョウより
手紙を書き終えると、遼太郎は深いため息をついた。
「ノーショー……」
その能力は、想像を超えていた。
魂を消滅させる。存在そのものを、なかったことにする。
もし、自分がその力を受けたら、どうなるのか。
「怖いな……」
遼太郎は、正直にそう思った。
でも、怖いからといって、立ち止まるわけにはいかない。
「やるしかない」
彼は、自分に言い聞かせた。
「やるしかないんだ」
数日後。
ゴブ爺から、返事が届いた。
リョウ様へ
お手紙、拝読いたしました。
クロノスとの対面、さぞかし大変だったことと存じます。しかし、リョウ様が逃げずに立ち向かおうとしていること、私は誇りに思います。
さて、ウォーキングについてでございます。
魔王様は、かつてこう仰っていました。
「ウォーキングの本質は、『送る』ことではない。『繋ぐ』ことだ」と。
私には、その意味が完全には理解できておりませんでした。しかし、今、考えてみますと……
魔王様は、魂を「次の世界に送る」だけでなく、「この世界と次の世界を繋ぐ」ことをしていたのではないでしょうか。
ノーショーは、魂を消滅させる力。それは、「繋がりを断つ」力と言えます。
ウォーキングは、その逆。「繋がりを作る」力。
もし、この仮説が正しければ、ウォーキングの力を高めるには、「繋がり」を大切にすることが必要かもしれません。
人との繋がり。この世界との繋がり。そして、自分自身との繋がり。
具体的な方法は、私にも分かりません。しかし、リョウ様が日々行っていること——お客様に心を込めてサービスをすること——それ自体が、ウォーキングの力を高めているのかもしれません。
どうか、お体に気をつけて。私たちは、リョウ様のお帰りを、心よりお待ちしております。
ゴブ爺より
遼太郎は、手紙を読み終えると、しばらく考え込んだ。
「繋がりを作る力……」
確かに、自分がやってきたことは、人と人との繋がりを作ることだった。
スタッフとの繋がり。客との繋がり。村人との繋がり。
そして、セレスティアとの繋がり。
「繋がりが、ウォーキングの力を高める……」
それは、遼太郎にとって、腑に落ちる説明だった。
「よし」
彼は、立ち上がった。
「まずは、目の前のことを、しっかりやろう」
お客様に、心を込めたサービスを提供する。
スタッフとの信頼関係を深める。
セレスティアを支える。
それが、今の自分にできることだ。
そして、それがウォーキングの力を高めることにも繋がる。
「一石二鳥だな」
遼太郎は、微かに笑った。
恐怖は、まだ消えていない。
しかし、やるべきことは、見えてきた。




