第二十五話 再会
ヴィクターの訪問から、三日後。
王都は、突然の騒ぎに包まれた。
「虚無帝国から、和平交渉の使者が来る」
その知らせは、瞬く間に街中に広まった。
戦争の準備が進む中での、突然の和平提案。人々は、希望と不安が入り混じった目で、王宮の方を見つめていた。
「和平交渉……」
遼太郎は、宿の窓から街の様子を眺めながら呟いた。
「本当に和平が成立すれば、戦争は避けられる。でも……」
「でも……?」
隣に立つリリアが尋ねた。
「虚無帝国の皇帝が、本気で和平を望んでいるとは思えません」
遼太郎の声には、確信が込められていた。
「あの男……クロノスは、この世界を滅ぼそうとしている。和平は、おそらく時間稼ぎか、何かの罠でしょう」
「リョウ様は、皇帝のことをよくご存知なのですね……」
「ええ。残念ながら」
遼太郎は、苦い顔をした。
その日の午後。
王宮から、召集の知らせが届いた。
「セレスティア王女から、お呼びです」
使者が言った。
「和平交渉の席に、同席してほしいとのことです」
「私が……?」
「はい。王女様の指名です」
遼太郎は、少し驚いた。和平交渉という国家の重要な場に、一介の宿屋の主人が呼ばれるとは。
しかし、すぐに理由を理解した。
クロノスが来る可能性がある。
セレスティアは、遼太郎にクロノスと対面させようとしているのだ。
「……分かりました。参ります」
王宮の大広間は、緊張感に包まれていた。
長いテーブルを挟んで、エルディア王国側と虚無帝国側が向かい合っている。
王国側には、アレクサンダー王子を筆頭に、大臣や将軍たちが並んでいる。セレスティアも、その末席に座っていた。
遼太郎は、セレスティアの隣に通された。
「来てくれたのね」
セレスティアが小声で言った。
「……皇帝は」
「まだ来ていないわ。使節団は到着したけど、皇帝本人が来るかどうかは分からない」
その時。
大広間の扉が開いた。
「虚無帝国使節団、入場!」
衛兵の声とともに、黒い服を纏った一団が入ってきた。
先頭を歩くのは、高官らしき男たち。その後ろには、護衛の兵士。
そして、最後に。
一人の男が、ゆっくりと歩いてきた。
黒い髪。鋭い目。冷たい表情。
遼太郎は、その顔を見た瞬間、体が硬直した。
「……黒須」
間違いない。
あの顔は、三年間、毎日見続けた顔だ。
黒須剛志。遼太郎の元上司。パワハラの常習犯。そして、今は虚無帝国の皇帝、クロノス。
「皇帝陛下、ご臨席!」
使節団の一人が叫んだ。
クロノスは、悠然と広間を歩き、テーブルの向こう側に腰を下ろした。
「久しぶりだな、エルディア王国」
その声は、遼太郎の記憶にある声と同じだった。低く、冷たく、相手を見下すような声。
「和平を望んで来た。聞いてもらえるか」
アレクサンダー王子が、硬い表情で答えた。
「お話は伺います。しかし、貴国の行動を考えると、誠意を疑わざるを得ません」
「行動?」
「国境の砦への攻撃。あれは、明らかな侵略行為です」
「ああ、あれか。あれは、一部の過激派が勝手にやったことだ。私は関知していない」
「関知していない、と……」
「そうだ。私は、平和を望んでいる。だから、こうして和平を申し入れに来た」
クロノスの言葉は、滑らかだった。しかし、その目には、誠意の欠片も見えなかった。
遼太郎は、クロノスを見つめていた。
あの男は、嘘をついている。
平和を望んでなどいない。この和平交渉は、何かの罠だ。
その時。
クロノスの視線が、遼太郎を捉えた。
「……ほう」
クロノスの口元が、わずかに歪んだ。
「そこにいるのは、誰だ」
広間の空気が、凍りついた。
「私の隣の者ですか」
セレスティアが答えた。
「私のアドバイザーです」
「アドバイザー……」
クロノスは、遼太郎を見つめたまま、ゆっくりと立ち上がった。
「顔を見せてもらおうか」
遼太郎も、立ち上がった。
二人の視線が、交差した。
「……やはりな」
クロノスの声が、低く響いた。
「お前か、佐伯」
広間がざわめいた。皇帝が、一介のアドバイザーを名前で呼んだのだ。
「久しぶりだな、黒須」
遼太郎の声は、震えていなかった。
「元気そうで何よりだ」
「お前もな。相変わらず、卑屈な目をしている」
「卑屈……か。お前にそう見えるなら、そうなのかもしれないな」
二人の間に、重い沈黙が流れた。
アレクサンダー王子が、困惑した声で尋ねた。
「皇帝陛下、この者をご存知なのですか」
「ああ。昔の部下だ」
「部下……」
「無能な部下だった。何をやらせても、使えなかった」
クロノスの声には、侮蔑が滲んでいた。
「まさか、こんな場所で再会するとはな。世界は狭いものだ」
「世界は広い」
遼太郎が答えた。
「でも、逃げ場はないのかもしれないな」
「逃げ場? お前が逃げるとでも?」
「いいや。私は、もう逃げない」
遼太郎は、クロノスを真っ直ぐに見つめた。
「お前が何を企んでいるか知らないが、この世界を滅ぼさせはしない」
「……ほう」
クロノスの目が、細くなった。
「大きく出たな。お前に、何ができる」
「できることをやる。それだけだ」
「相変わらず、頭が悪いな。できることをやったところで、結果が出なければ意味がない」
「結果は、後からついてくる」
「ふん」
クロノスは、鼻で笑った。
「いいだろう。せいぜい足掻け。どうせ、お前には何もできない」
彼は、テーブルに戻り、腰を下ろした。
「さて、和平の話を続けよう。私の条件は、こうだ」
クロノスは、条件を述べ始めた。
しかし、遼太郎は、彼の言葉をほとんど聞いていなかった。
クロノスとの再会。
それは、遼太郎にとって、最悪の形での対面だった。
しかし、同時に、一つのことが分かった。
クロノスは、自分のことを恐れていない。
完全に、見下している。
それは、遼太郎にとって、むしろ好都合だった。
敵に侮られているうちに、力を蓄える。
そして、機会が来たら、一気に反撃する。
「……待っていろ、黒須」
遼太郎は、心の中で呟いた。
「必ず、お前を止めてみせる」
交渉の結果は、予想通りだった。
クロノスの条件は、あまりにも一方的で、受け入れられるものではなかった。領土の割譲、賠償金の支払い、軍の削減。事実上、エルディア王国の属国化を要求するものだった。
「これが和平の条件だと……」
アレクサンダー王子が、怒りを抑えながら言った。
「これは、降伏の要求だ」
「降伏ではない。共存だ」
クロノスは、涼しい顔で答えた。
「強い者と弱い者が、共存するには、弱い者が譲歩するしかない。それが、世の理だ」
「そのような条件は、受け入れられません」
「ならば、戦争だな」
クロノスは立ち上がった。
「選ぶのは、お前たちだ。降伏か、滅亡か」
「第三の選択肢はないのですか」
セレスティアが声を上げた。
「第三の選択肢?」
「共に栄える道。互いを尊重し、協力し合う道」
「くだらん」
クロノスは、冷たく言い放った。
「そんな甘い考えが、通用すると思っているのか。世界は、弱肉強食だ。強い者が勝ち、弱い者は滅びる。それが、唯一の真理だ」
「そうは思いません」
セレスティアは、引き下がらなかった。
「人は、助け合うことができます。協力することで、一人では成し遂げられないことも、可能になる」
「理想論だな」
「理想ではありません。私たちは、実際にそうやって生きてきました」
セレスティアは、遼太郎を見た。
「この人は、私たちの宿を立て直してくれました。一人ではなく、みんなで協力することで」
「宿?」
クロノスは、遼太郎を見た。
「お前、宿屋をやっているのか」
「ああ」
「相変わらず、底辺の仕事だな」
「底辺だと思うなら、そう思えばいい。私は、自分の仕事に誇りを持っている」
「誇り……ふん、笑わせる」
クロノスは、踵を返した。
「交渉は決裂だ。次に会う時は、戦場でだな」
彼は、大広間を出ていった。
使節団も、その後に続いた。
残されたのは、重い沈黙だけだった。
「戦争が、始まる……」
アレクサンダー王子が、低い声で言った。
「全軍に、臨戦態勢を敷け」
「はっ」
大臣や将軍たちが、慌ただしく動き始めた。
遼太郎は、クロノスが去った扉を見つめていた。
「……また、会おう。黒須」
その呟きは、誰にも聞こえなかった。




