第二十二話 ブランド戦略
改装工事が始まった翌日。
遼太郎は、王都の繁華街を歩いていた。
目的は、競合他社の視察だ。三大家が運営する宿屋を、実際に見て回る。彼らのサービス、価格設定、客層。それを把握することで、自分たちの戦略を練るためだ。
最初に訪れたのは、「金の獅子亭」だった。
ロスチャイルド家が運営する、王都最大の宿屋だ。五階建ての巨大な建物で、正面には金色のライオンの像が飾られている。
「いらっしゃいませ」
入口には、制服を着た従業員が立っていた。しかし、その表情は硬く、笑顔がない。
遼太郎は、一泊の予約を入れた。部屋を見たいと言うと、従業員は面倒くさそうに案内してくれた。
「こちらが、スタンダードルームです」
部屋は広かった。調度品も豪華だ。しかし、どこか冷たい印象を受けた。
「このホテル……いえ、この宿の特徴は何ですか」
「特徴? 王都最大の宿屋であることです。設備の充実度は、他の追随を許しません」
「なるほど……」
従業員は、それ以上の説明もなく、部屋を出ていった。
「ハード面は素晴らしいが、ソフト面が弱い……」
遼太郎は、メモを取った。
次に訪れたのは、「銀の月亭」だった。
アルドリッジ家が運営する、高級志向の宿屋だ。建物自体は「金の獅子亭」より小さいが、外観は洗練されている。
「いらっしゃいませ。ご予約はございますか」
対応した従業員は、「金の獅子亭」よりも丁寧だった。しかし、どこか形式的な印象を受けた。
「一泊お願いしたいのですが」
「かしこまりました。お部屋のご希望はございますか」
「普通の部屋で」
「では、スタンダードルームをご用意いたします。料金は、一泊銀貨五枚でございます」
「五枚……」
高い。星降り亭の三倍近い価格だ。
部屋を見ると、確かに豪華だった。シルクのシーツ、金の燭台、精緻な彫刻が施された家具。しかし、やはりどこか冷たい。
「お客様の快適さを、第一に考えております」
従業員は、マニュアル通りのセリフを述べた。
「ありがとうございます」
遼太郎は、再びメモを取った。
「高級路線だが、心がこもっていない……」
最後に訪れたのは、「青銅の盾亭」だった。
クレイトン家が運営する、中価格帯の宿屋だ。三大家の中では最も庶民的で、冒険者や商人に人気があるという。
「よう、いらっしゃい!」
入口に立っていたのは、がっしりとした体格の男だった。日に焼けた肌と、人懐っこい笑顔が印象的だ。
「泊まりか? それとも、飯だけか?」
「泊まりたいのですが」
「おう、任せろ! ついてこい」
男は、気さくに遼太郎を案内してくれた。部屋は質素だが、清潔だ。そして、何より温かみがある。
「うちは、豪華さでは他に負けるがな。でも、客との距離の近さでは負けねえ」
「距離の近さ……」
「そうだ。客は、家族みたいなもんだ。困ったことがあったら、何でも言ってくれ」
遼太郎は、この宿に好感を持った。
「素晴らしい考え方ですね」
「へへ、ありがとよ。あんた、何者だ? 普通の客じゃなさそうだが」
「……私は、宿屋を経営しています。王都で、新しく開業するつもりです」
男の表情が、一瞬だけ変わった。しかし、すぐに笑顔に戻った。
「へえ、そうか。頑張れよ。でもな、覚悟しとけ」
「覚悟……?」
「この街で宿屋をやるのは、楽じゃねえ。三大家が黙っちゃいないからな」
「……分かっています」
「分かってるならいい。俺は、競争は歓迎だ。いい宿が増えれば、客も増える。でも、他の二家は違う考えかもしれねえ」
男は、遼太郎の肩を叩いた。
「気をつけろよ、若いの」
視察を終えた遼太郎は、セレスティアに報告した。
「三大家の特徴が、分かりました」
「どうだった?」
「金の獅子亭は、規模とハードで勝負。銀の月亭は、高級感で勝負。青銅の盾亭は、親しみやすさで勝負。それぞれ、強みが違います」
「なるほど……」
「私たちが勝負するなら、どの土俵を選ぶかが重要です」
遼太郎は、紙に図を描いた。
「規模では、金の獅子亭に勝てません。高級感では、銀の月亭に勝てません。親しみやすさでは、青銅の盾亭と競合します」
「じゃあ、どうするの?」
「新しい土俵を作ります」
「新しい土俵……?」
「私たちの強みは、『サービスの質』です。単なる親しみやすさではなく、プロフェッショナルなサービス。心を込めた、一流のおもてなし」
遼太郎の目が、輝いていた。
「王都には、そういう宿がない。金も時間もあるが、本当に満足できる宿がないと感じている人がいるはずです。そういう人たちを、ターゲットにします」
「ターゲット……」
「具体的には、富裕層と、目の肥えた旅人。彼らは、高い料金を払ってでも、本物のサービスを求めています」
セレスティアは、遼太郎の話に聞き入っていた。
「でも、うちの宿は小さいわ。部屋は六室しかない」
「それが強みになります」
「強み?」
「大規模な宿では、一人一人の客に細かく対応することは難しい。でも、小規模なら可能です。『少数精鋭』『完全予約制』『一日六組限定』。それを、ブランドにするのです」
遼太郎は続けた。
「限定することで、価値が生まれます。『予約が取れない宿』『一度は泊まりたい宿』。そういうブランドイメージを作るのです」
「限定することが、価値になる……」
「はい。これを、『希少性のマーケティング』と呼びます。私がいた世界では、一般的な手法でした」
セレスティアは、しばらく考え込んでいた。そして、ゆっくりと頷いた。
「……面白いわね。やってみましょう」
「ありがとうございます」
「ブランド名は、どうするの?」
「考えています。『星降り亭』の名前は使いたい。でも、王都の支店として、独自のアイデンティティも必要です」
遼太郎は、窓の外を見た。
王都の夜空には、星が輝いている。しかし、星降り亭のある辺境ほどには、鮮明に見えない。
「『星降り亭・王都別邸』……いや、もっといい名前があるはずです」
「『星月夜』はどう?」
「星月夜……」
「星が降る夜、という意味よ。王都の夜空は、辺境ほど星が見えないけれど、それでも月と星は輝いている。その美しさを、名前に込めるの」
遼太郎の目が、輝いた。
「いい名前ですね。『星月夜』……星降り亭の精神を受け継ぎながら、王都ならではの優雅さも表現している」
「決まりね」
セレスティアが微笑んだ。
「『星月夜』。それが、王都支店の名前よ」
ブランド戦略が決まると、次は具体的なサービス設計に入った。
「星月夜のコンセプトは、『隠れ家的な贅沢』です」
遼太郎は、スタッフ採用のための要件を整理しながら言った。
「大規模な宿の喧騒から離れて、静かで落ち着いた空間で、最高のサービスを受ける。そういう体験を提供します」
「具体的には、どんなサービスを?」
「まず、完全予約制にします。飛び込みの客は、基本的に受け付けません」
「それで、客が減らない?」
「減るかもしれません。でも、予約制にすることで、事前に客の情報を把握できます。好みの料理、アレルギー、記念日の有無……そういった情報を基に、パーソナライズされたサービスを提供するのです」
「パーソナライズ……」
「一人一人の客に合わせた、オーダーメイドのサービスです。誕生日なら、部屋に花を飾る。商談で来たなら、静かな部屋を用意する。新婚旅行なら、特別な夕食を……」
「細かいわね」
「細部に、心が宿ります。大規模な宿では、こういった対応は難しい。でも、六室しかない私たちなら、可能です」
遼太郎は、紙に書き出していった。
【星月夜・サービス設計】
■ 予約制
・完全予約制(三日前までに予約必須)
・予約時に、利用目的・食事の好み・特別な要望をヒアリング
■ 客室サービス
・アメニティは、客の好みに合わせてカスタマイズ
・ターンダウンサービス(就寝前の部屋の準備)を実施
・朝は、希望の時間にモーニングコールと朝食を提供
■ 食事
・地元の高級食材を使用した、オリジナルコース料理
・アレルギー・宗教的制約に対応
・記念日には、特別メニューを用意
■ 接客
・星降り亭で培った、心を込めたサービスを徹底
・スタッフは、全員が遼太郎の研修を受ける
「これだけのサービスを提供するには、優秀なスタッフが必要ね」
「はい。採用は、慎重に行います。技術よりも、心構えを重視します」
「心構え……」
「サービスは、心です。技術は後から教えられますが、心は教えられません。だから、最初から心のある人を採用するのです」
セレスティアは、遼太郎の話を聞きながら、感心した様子だった。
「あなた、本当にすごいわね。こんなに細かく考えているなんて」
「すごくはありません。これが、私の仕事ですから」
「でも、普通の人には、ここまで考えられないわ」
セレスティアは、遼太郎の顔を見つめた。
「あなたと一緒にいると、いろいろなことを学べる。ありがとう」
「いえ、こちらこそ。セレスさんがいてくれるから、ここまで来られました」
二人は、微笑み合った。
その夜。
遼太郎は、一人で王都の街を歩いていた。
改装中の宿を見に行くためだ。工事は順調に進んでおり、一週間後には完成する予定だった。
「順調だな……」
彼は、建物の外観を眺めながら呟いた。
その時。
背後から、声がかかった。
「星降り亭の、リョウ殿ですな」
遼太郎は振り返った。
そこには、三人の男が立っていた。いずれも、立派な服装をしている。商人か、貴族か。
「どちら様でしょうか」
「私は、ロスチャイルド家の代理人です」
男の一人が、名乗りを上げた。
「金の獅子亭の、ですか」
「そうです。少し、お話がしたい」
男の目には、友好的な光はなかった。
「どのようなお話でしょうか」
「王都での開業を、断念していただきたい」
遼太郎の表情が、引き締まった。
「……理由を、伺ってもよろしいでしょうか」
「王都の宿泊業界は、三大家で均衡を保っている。新規参入者が現れると、そのバランスが崩れる」
「競争は、市場の活性化につながると思いますが」
「それは、あなたの考えだ。我々は、そう思わない」
男は、一歩近づいた。
「悪いことは言わない。おとなしく、辺境に戻りなさい。さもなければ……」
「さもなければ?」
「後悔することになる」
遼太郎は、男の目を真っ直ぐに見つめた。
「お断りします」
「なに……?」
「私は、この街で宿を開きます。それを変えるつもりはありません」
「……後悔するぞ」
「後悔するかどうかは、私が決めます」
男たちは、しばらく遼太郎を睨んでいた。そして、舌打ちをして去っていった。
遼太郎は、彼らの背中を見送りながら、深呼吸した。
「三大家の妨害が、始まったか……」
覚悟は、していた。しかし、実際に脅迫を受けると、やはり緊張する。
「でも、引き下がるわけにはいかない」
彼は、改装中の建物を見上げた。
「この宿を、必ず成功させる。何があっても」
夜空に、星が瞬いていた。
しかし、その輝きは、暗雲に遮られそうになっていた。




