第十五話 評判の宿
結界強度が50%を超えてから、さらに一ヶ月が経った。
宿の評判は、もはや辺境だけにとどまらなくなっていた。
「街道沿いに、いい宿がある」
「星降り亭っていうらしい」
「スタッフが丁寧で、料理も美味しい」
噂は、行商人や冒険者たちによって、各地に運ばれていた。遠方から、わざわざ宿を目指して来る客も増えていた。
「今日の予約は、十二組」
遼太郎は、朝の確認をしながら言った。
「十二組……過去最高ですね」
エミリアが、驚いた顔で言った。
「はい。テント泊を含めると、二十人を超えます」
「すごい……」
「でも、これで限界です。これ以上は、物理的に受け入れられません」
遼太郎は帳簿を閉じた。
「そろそろ、本格的な増築を考える時期ですね」
その日の午後。
予想外の来客があった。
「冒険者ギルドの者だ」
受付に現れたのは、厳つい顔をした中年の男だった。革鎧を身につけ、腰には剣を下げている。
「いらっしゃいませ。本日は、ご宿泊でしょうか」
対応したのは、エミリアだった。
「いや、宿泊じゃない。仕事で来た」
「仕事……でございますか」
「ああ。俺は、街のギルド支部長をやっている。名前はガルド」
ガルドと名乗った男は、食堂に入り、テーブルに腰を下ろした。
「この宿の支配人と話がしたい」
「かしこまりました。少々お待ちください」
エミリアは、遼太郎を呼びに行った。
数分後。
遼太郎が、食堂に現れた。
「お待たせいたしました。私がこの宿を管理しております、リョウと申します」
「リョウ……お前が噂の宿屋か」
ガルドは、遼太郎を値踏みするように見つめた。
「噂……でございますか」
「ああ。冒険者の間で、この宿の評判が広まってる。サービスがいい、料理が美味い、スタッフが丁寧だってな」
「ありがとうございます。光栄です」
遼太郎は、軽く頭を下げた。
「それで、本題だ」
ガルドは、腕を組んだ。
「ギルドとして、この宿と正式に提携したい」
「提携……でございますか」
「ああ。ギルドの指定宿に登録すれば、うちの冒険者を優先的に紹介できる。お前たちにとっても、安定した客が見込めるだろう」
遼太郎は考え込んだ。
ギルドとの提携。それは、確かに魅力的な提案だった。冒険者ギルドは、この地域で最大の組織の一つだ。その紹介を受けられれば、客の数は確実に増える。
しかし、条件を確認する必要があった。
「提携の条件を、教えていただけますか」
「条件か。まず、ギルド会員に対して、一割引きの料金を適用してもらう」
「一割引き……」
「次に、ギルドからの緊急依頼があった場合、優先的に部屋を確保してもらう」
「優先的に……」
「最後に、半年に一度、ギルドの査察を受け入れてもらう。品質を維持するためだ」
遼太郎は、条件を頭の中で整理した。
一割引きは、利益を圧迫する。しかし、客数の増加で相殺できるだろう。緊急依頼への対応は、オペレーションが複雑になるが、不可能ではない。査察は、むしろ歓迎だ。品質向上の機会になる。
「……承知いたしました」
遼太郎は答えた。
「その条件で、提携させていただきます」
「決断が早いな」
ガルドが、わずかに笑った。
「いや、悪い意味じゃない。むしろ、好感が持てる」
「ありがとうございます」
「では、正式な契約は、後日書類を持ってくる。今日は、顔合わせだ」
ガルドは立ち上がった。
「ところで、リョウ。お前、どこの出身だ?」
「遠くから来ました」
「遠く……か。まあ、詮索はしない。ただ、お前の評判は、俺の耳にも入ってきてる」
「評判……でございますか」
「ああ。『異世界から来た宿屋の主人が、革命的なサービスを提供している』ってな」
遼太郎の心臓が、跳ねた。
異世界から来た。その言葉が、彼の正体を言い当てていた。
「まあ、噂は噂だ」
ガルドは肩をすくめた。
「お前が何者であれ、いい仕事をしてるのは事実だ。それだけで、俺は十分だ」
「ありがとうございます」
遼太郎は、深く頭を下げた。
「では、また来る。契約書の準備ができたら、連絡する」
「お待ちしております」
ガルドは、宿を後にした。
ガルドが去った後、遼太郎はセレスティアとゴブ爺を集めた。
「冒険者ギルドとの提携が、正式に決まりそうです」
「本当!?」
セレスティアが、目を輝かせた。
「はい。条件は厳しいですが、メリットの方が大きいと判断しました」
「素晴らしいでございますな」
ゴブ爺も、嬉しそうに言った。
「これで、安定した客が見込めます。増築の資金も、早く貯まるでしょう」
「増築……」
「はい。そろそろ、本格的に計画を立てる時期です」
遼太郎は帳簿を開いた。
「現在の資金は、銀貨三百枚。増築に必要な費用は、約銀貨五百枚と見積もっています」
「あと二百枚か……」
「はい。ギルドとの提携がうまくいけば、一ヶ月で貯まるでしょう」
「一ヶ月……」
セレスティアは、感慨深げに言った。
「この宿に来た時、銀貨三枚しかなかったのに……」
「はい。皆さんの努力のおかげです」
遼太郎は微笑んだ。
「これからも、一歩一歩、前に進んでいきましょう」
ギルドとの提携が正式に発表されると、客の数はさらに増えた。
ギルドの掲示板に「星降り亭・指定宿」と掲載されたことで、多くの冒険者が訪れるようになった。中には、わざわざ遠方から来る者もいた。
「評判通りだな」
「ああ。サービスがいい」
「また来よう」
客の反応は、概ね好評だった。
結界強度も、順調に上昇していた。
「65%に到達しました」
ある朝、遼太郎は報告した。
「もう少しで、危険水域を脱出できます」
「危険水域……」
「結界強度が70%を超えれば、魔物の侵入を完全に防げるようになります。そうすれば、この宿は本当に安全な場所になります」
「あと5%……」
「一週間もあれば、達成できるでしょう」
遼太郎は、自信を持って言った。
その予想は、的中した。
一週間後、結界強度は72%に到達した。
「やったわ!」
セレスティアが、喜びの声を上げた。
「70%を超えたわ!」
「はい。これで、魔物の侵入を完全に防げます」
遼太郎も、安堵の表情を浮かべた。
「皆さんの努力の成果です」
スタッフたちは、互いに抱き合って喜んだ。
星降り亭は、ついに安全な宿として、本格的に生まれ変わったのだった。




