第十二話 スタッフ採用
エミリアとマルクスが働き始めてから、一週間が経っていた。
二人の成長は、目覚ましかった。最初はぎこちなかった動作も、日を追うごとにスムーズになっていく。特にエミリアは、細やかな気配りができるようになり、客からの評判も上々だった。
「エミリアさん、とても上手になりましたね」
朝の清掃を終えた後、遼太郎はエミリアに声をかけた。
「ほ、本当ですか……?」
エミリアの顔が、わずかに赤くなった。
「はい。シーツの敷き方も、テーブルの拭き方も、完璧です」
「リョウ様のおかげです。丁寧に教えていただいたから……」
「いいえ、エミリアさん自身の努力です。私は、きっかけを与えただけです」
遼太郎は微笑んだ。
エミリアは照れくさそうに頭を下げた。
「あ、ありがとうございます……」
「マルクスさんはどうですか。仕事には慣れましたか」
「はい。彼も、とても頑張っています」
マルクスは、主に力仕事を担当していた。薪割り、水汲み、荷物の運搬。彼の頑丈な体は、そういった作業に向いていた。
しかし、接客はまだ苦手なようだった。客を前にすると、言葉がつっかえてしまうことが多い。
「マルクスさんには、もう少し接客の練習が必要ですね」
「はい。でも、彼は真面目ですから、すぐに上達すると思います」
「そう願いたいですね」
その日の午後。
遼太郎は、新しい問題に直面していた。
客の数が、さらに増えていたのだ。
テント泊プランが好評で、連日満員の状態が続いている。しかし、テントは五張りしかない。それ以上の客を受け入れることは、物理的に不可能だった。
「また、断らなければならない客が出てしまいました」
遼太郎は帳簿を見ながら言った。
「何人ですか」
セレスティアが尋ねた。
「今日だけで、六人。全て、テント泊を希望していた冒険者です」
「六人……」
「このままでは、機会損失が大きくなります」
機会損失。それは、本来得られるはずだった利益を、取り逃がすことを意味する。
「テントを増やすしかないわね」
「はい。しかし、テントを増やすには、人手も増やさなければなりません」
「人手……」
「テントが増えれば、清掃の仕事も増えます。今のスタッフ数では、対応しきれません」
遼太郎は考え込んだ。
「もう二人、スタッフを雇う必要があります」
「二人も?」
「はい。一人は清掃担当、もう一人は厨房の補助。ゴブ爺さんの負担を減らすためにも、料理ができる人がほしい」
セレスティアは眉をひそめた。
「給料は、払えるの?」
「ギリギリですが、何とか」
遼太郎は帳簿を見せた。
「今月の収益は、銀貨八十枚。人件費を差し引いても、銀貨四十枚が残ります。二人を雇えば、残りは銀貨二十枚になりますが……」
「かなり厳しいわね」
「はい。でも、投資は必要です。今、人を雇わなければ、成長の機会を逃してしまいます」
セレスティアは腕を組んで考え込んだ。
「……分かったわ。あなたの判断を信じる」
「ありがとうございます」
翌日、遼太郎は再び村を訪れた。
今度は、村長を通さず、直接村人たちに声をかけることにした。村長の家に集まった人々の中から、適任者を探すのだ。
「宿で働いてくれる人を探しています」
遼太郎は、村の広場に集まった人々に向かって言った。
「清掃の仕事と、厨房の仕事。二人を募集します」
村人たちがざわめいた。
「また募集か」
「いい宿らしいな」
「給料はどれくらいだ?」
「銀貨十枚です。食事と宿泊は、宿で提供します」
「十枚か……悪くないな」
何人かの村人が、興味を示した様子だった。
「清掃の仕事をやりたい!」
一人の女性が、手を挙げた。三十代くらいだろうか。明るい笑顔が印象的だ。
「お名前は?」
「ソフィアです。農家の嫁ですが、最近は仕事がなくて……」
「清掃の経験は?」
「家の掃除なら、毎日やってます。人様の家を掃除するのは初めてですけど」
遼太郎はソフィアを観察した。手は働き者のそれで、目には誠実さがある。
「分かりました。明日から、宿に来てください」
「本当ですか! ありがとうございます!」
ソフィアの顔が、喜びに輝いた。
「厨房の仕事は、誰かいますか」
遼太郎は周囲を見回した。
しばらく沈黙が続いた。料理の仕事は、清掃より専門性が高い。簡単に手を挙げられる人は、少ないようだった。
「……俺がやる」
一人の声が上がった。
遼太郎は声のする方を見た。そこには、見覚えのある顔があった。
大工のトマスだった。
「トマスさん? 大工の仕事は……」
「最近は依頼がなくて、暇してる」
トマスは肩をすくめた。
「実は、料理は得意なんだ。独り暮らしが長かったから、自炊してた」
「料理が得意……」
遼太郎は意外そうな顔をした。がっしりとした体格のトマスと、料理という言葉が、なかなか結びつかなかった。
「腕前を見せてもらえますか」
「いいぜ。何を作ればいい?」
「簡単なものでいいです。卵料理か何か」
「了解」
トマスは、近くの家から卵を借りてきた。そして、村長の家の台所を借りて、料理を始めた。
数分後。
「できたぞ」
トマスが差し出したのは、ふわふわのオムレツだった。見た目は完璧で、香りも食欲をそそる。
遼太郎は一口食べた。
「……美味しい」
驚くほど美味しかった。卵の甘みが引き出されていて、塩加減も絶妙だ。
「どうだ?」
「採用です。明日から、宿に来てください」
「よし!」
トマスの顔が、嬉しそうに綻んだ。
「大工の仕事も、必要があれば呼んでくれ。両方やるから」
「ありがとうございます。助かります」
翌日から、ソフィアとトマスが宿で働き始めた。
スタッフは、これで五人になった。遼太郎、セレスティア、ゴブ爺、エミリア、マルクス、そしてソフィアとトマス。合計七人。
「人数が増えると、管理が大変になりますね」
遼太郎は、スタッフ全員を食堂に集めて言った。
「これからは、役割分担を明確にしましょう」
彼は紙を取り出し、組織図を描いた。
【星降り亭・組織図】
■ 総支配人
・リョウ(全体の管理、経営判断、接客教育)
■ 副支配人
・セレスティア(会計、対外交渉、VIP対応)
■ 宿泊部門
・ゴブ爺(フロント業務、夜間管理)
・エミリア(客室清掃、アメニティ補充)
・ソフィア(共用部清掃、リネン管理)
■ 料飲部門
・ゴブ爺(メニュー開発、品質管理)
・トマス(調理補助、食材管理)
■ 施設部門
・マルクス(設備管理、力仕事、荷物運搬)
「これが、基本的な役割分担です」
遼太郎は説明した。
「もちろん、状況に応じて、他の仕事を手伝うこともあります。しかし、メインの担当は、ここに書いてある通りです」
スタッフたちは、真剣な顔で聞いていた。
「分からないことがあれば、いつでも聞いてください。私は、皆さんの味方です」
「はい!」
スタッフたちが声を揃えた。
「では、今日も一日、頑張りましょう」
新しいスタッフが加わったことで、宿の運営はさらにスムーズになった。
エミリアとソフィアは、客室と共用部の清掃を分担した。二人とも真面目で、細かいところまで気を配ってくれる。
トマスは、ゴブ爺の厨房を手伝った。最初は遠慮がちだったが、料理の腕を認められると、どんどん積極的になっていった。
「トマスの作るスープは、評判がいいですね」
遼太郎が言うと、トマスは照れくさそうに頭を掻いた。
「まあ、昔から煮込み料理は得意だったからな」
「ゴブ爺さんも、助かっていると言っていました」
「そ、そうか……光栄だな」
マルクスは、相変わらず力仕事を担当していた。しかし、接客の練習も続けており、少しずつ上達していった。
「いらっしゃいませ……っと、いらっしゃいませ!」
「うん、良くなってきました」
遼太郎が褒めると、マルクスは嬉しそうに笑った。
「リョウ様のおかげだ。毎日、練習させてもらってるから」
「いえ、マルクスさん自身の努力です」
スタッフが増えたことで、遼太郎は次のステップに進むことができた。
「テントを増やしましょう」
彼は、村の職人に依頼して、新しいテントを五張り作らせた。資金は、この一週間の収益から捻出した。
「これで、テントは全部で十張りになりました」
「十張り……」
セレスティアが目を丸くした。
「これなら、今の需要には対応できます。そして、さらに客が増えた時のために、建物の増築も計画しましょう」
「増築……」
「はい。テント泊は、あくまで応急処置です。長期的には、客室を増やす必要があります」
遼太郎は帳簿を開いた。
「増築の資金を貯めるには、あと二ヶ月くらいかかると思います。それまでは、テントで凌ぎましょう」
「分かったわ」
セレスティアが頷いた。
「あなた、本当に計画的ね」
「計画がなければ、何も進みません。それが、ビジネスの基本です」
その夜。
遼太郎は、一人で星空を見上げていた。
テント泊エリアの近くに立ち、無数の星を眺めている。
「リョウ」
声がして、振り返った。
セレスティアが、近づいてきていた。
「どうしました」
「いや、あなたが一人でいるから、気になって」
セレスティアは、遼太郎の隣に立った。
「星、綺麗ね」
「はい。毎晩見ても、飽きません」
二人は、しばらく黙って星を見ていた。
「ねえ、リョウ」
「何ですか」
「あなたは、なぜこんなに頑張るの?」
セレスティアの声が、静かに響いた。
「この宿のために、毎日朝から晩まで働いて、スタッフを教育して、計画を立てて。そこまでする理由は、何?」
遼太郎は、少し考え込んだ。
「……分からないのかもしれません」
「分からない?」
「はい。ただ、目の前に仕事があるから、やっている。それだけかもしれません」
「それだけ……?」
「いえ、それだけではないかもしれません」
遼太郎は、星を見上げながら言った。
「私は、前の世界で、何も成し遂げられなかった。ただ、言われたことをやるだけの日々でした」
「……」
「でも、ここでは違う。自分の頭で考えて、自分の手で行動して、結果を出すことができる。それが、嬉しいんです」
「嬉しい……」
「はい。スタッフが成長するのを見るのも、客が満足するのを見るのも、全てが嬉しい。だから、頑張れるんです」
セレスティアは、遼太郎の横顔を見つめた。
「あなた、本当に変わってるわね」
「よく言われます」
「でも、嫌いじゃない」
セレスティアは、小さく笑った。
「むしろ、好きかも」
「え?」
「何でもないわ。独り言よ」
セレスティアは、さっさと宿に戻っていった。
遼太郎は、一人残されて、首を傾げた。
「何だったんだろう……」
星だけが、静かに瞬いていた。




