第十話 滅びの予言
セレスティアの話は、彼女の出生から始まった。
「私は、エルディア王国の第三王女として生まれたの」
彼女は、食堂のテーブルに座りながら語った。遼太郎とゴブ爺が、向かいに座っている。
「第三王女……つまり、王位継承権は低い方だったんですね」
「ええ。上に兄が二人いるから、私が王位を継ぐことはないと思われていた」
セレスティアの目が、遠くを見つめていた。
「でも、私には別の役割があった。『予言の巫女』としての役割が」
「予言の巫女……」
「エルディア王家には、代々、予言の力を持つ者が生まれるの。神々の啓示を受け、未来を見通す力」
「セレスさんが、その力を……」
「ええ。私は幼い頃から、夢の中で未来を見ることがあった。最初は、小さなことばかり。明日の天気とか、誰かが訪ねてくるとか」
セレスティアの声が、低くなった。
「でも、十歳の時、大きな予言を見たの」
「大きな予言……」
「『滅びの予言』と呼ばれるもの」
遼太郎は息を呑んだ。
「この世界は、やがて滅びる。漆黒の王が現れ、虚無の力で全てを消し去る。誰も逃れることはできない」
セレスティアの声が、震えていた。
「私が見た予言は、それだった。世界の終わり。全ての命の消滅」
「それを、十歳の時に……」
「ええ。恐ろしかった。毎晩、悪夢にうなされた。世界が崩壊していく様子を、何度も何度も見た」
セレスティアは目を閉じた。
「予言のことは、すぐに王宮に伝えられた。でも、誰も信じなかった。『子供の戯言だ』って」
「信じられなかったんでしょうね」
「そうかもしれない。でも、私には分かっていた。あれは、ただの夢じゃない。本当に起こることだって」
セレスティアは目を開けた。
「予言を信じてくれたのは、父だけだった」
「お父様が……」
「父は、この宿の守護者だった。『星降り亭』の正式な宿主として、結界を維持していた」
「お父様も、宿主だったんですね」
「ええ。父は、予言を聞いて、すぐに行動を起こした。『滅びを防ぐ方法を探す』って」
セレスティアの目に、涙が浮かんだ。
「父は、古い文献を調べ、各地を旅し、情報を集めた。そして、一つの結論に辿り着いた」
「結論……」
「『滅びの予言を覆すには、千年前の魔王と同じ力が必要だ』と」
遼太郎は黙った。
千年前の魔王。ウォーキングの力。世界を救った英雄。
「父は、その力を持つ者を探していた。でも、見つからなかった。千年もの間、ウォーキングの力を持つ者は現れなかったから」
「それで……」
「三年前、虚無帝国が侵攻してきた。父は、王国軍と共に戦った。この宿を、この地を守るために」
セレスティアの涙が、頬を伝った。
「父は、戦死した。結界を維持するために、最後まで戦って」
遼太郎は言葉を失った。
「父が死んでから、私はこの宿を継いだ。王位継承権を放棄して、辺境に来た」
「なぜ、ここに」
「父の遺志を継ぐため。そして……」
セレスティアは遼太郎を見つめた。
「ウォーキングの力を持つ者を、待つため」
遼太郎の心臓が、跳ねた。
「待っていた……私を?」
「分からない。でも、父は言っていたの。『いつか、必ず現れる。魔王と同じ力を持つ者が。その者こそが、世界を救う鍵だ』と」
セレスティアは立ち上がり、遼太郎の前に歩み寄った。
「リョウ。あなたは、ウォーキングの力を持っている。それは、父が待ち望んでいた者かもしれない」
「私が……世界を救う……」
「分からない。でも、可能性はある」
セレスティアの目が、真剣だった。
「お願いがあるの」
「何ですか」
「私を、助けて。この宿を守り、滅びの予言を覆す方法を、一緒に探して」
遼太郎は、セレスティアの目を見つめた。
空色の瞳。その奥に、強い意志と、微かな不安が見える。
「……セレスさん」
「何」
「正直に言います。私には、世界を救う自信がありません」
セレスティアの表情が、わずかに曇った。
「でも」
遼太郎は続けた。
「この宿を守ることなら、できます。目の前の客に、最高のサービスを提供することなら、できます」
「それは……」
「世界を救うとか、予言を覆すとか、そんな大きなことは分かりません。でも、小さなことを積み重ねることはできます」
遼太郎は立ち上がり、セレスティアに向き合った。
「一人一人の客を満足させ、一日一日を丁寧に過ごす。その積み重ねが、いつか大きな力になるかもしれない」
「小さなことの、積み重ね……」
「はい。それが、私にできる全てです」
セレスティアは黙った。
長い沈黙の後、彼女は微かに笑った。
「やっぱり、あなたは変わってる」
「よく言われます」
「でも、嫌いじゃない」
セレスティアは手を差し出した。
「よろしく、リョウ。これからも、一緒に頑張りましょう」
遼太郎は、その手を握った。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
二人の手が、固く握られた。
ゴブ爺が、静かに口を開いた。
「お嬢様。一つ、お伝えしなければならないことがございます」
「何、ゴブ爺」
「『漆黒の王』について、でございます」
遼太郎とセレスティアが、同時にゴブ爺を見た。
「予言に登場する『漆黒の王』。その正体について、私は一つの仮説を持っております」
「仮説……」
「はい。昨今、虚無帝国の皇帝として君臨している者がおります。『クロノス』と名乗る男でございます」
遼太郎の背筋に、冷たいものが走った。
クロノス。
その名前には、聞き覚えがあった。いや、聞き覚えどころではない。
「クロノス……」
彼は呟いた。
「その男は、数年前に突然現れました。出自は不明。しかし、圧倒的な力で虚無帝国の皇位を簒奪し、今では大陸最強の国の支配者となっております」
ゴブ爺の声が、低くなった。
「彼の能力は、『ノーショー』と呼ばれているそうでございます」
「ノーショー……」
遼太郎の顔から、血の気が引いた。
ノーショー。
ホテル業界では、予約したのに来ない客のことを、そう呼ぶ。
「魂を消滅させる力。転生すらさせず、完全に虚無に帰す力。それが、クロノスの能力だと言われております」
遼太郎は、自分の膝が震えていることに気づいた。
クロノス。ノーショー。虚無帝国の皇帝。
それは、もしかして……
「リョウ? どうしたの、顔色が……」
セレスティアが心配そうに尋ねた。
「……いえ、何でもありません」
遼太郎は首を振った。
しかし、彼の心は激しく動揺していた。
クロノス。
その名前を、日本語の音読みにすると……
「黒須」
彼は、声に出さずに呟いた。
黒須剛志。遼太郎の元上司。パワハラ・モラハラの常習犯で、遼太郎を精神的に追い詰めた張本人。
もし、彼も異世界に転生していたとしたら……
「リョウ様」
ゴブ爺が尋ねた。
「何か、お心当たりでも」
「……いえ」
遼太郎は嘘をついた。
「ただ、少し驚いただけです。ノーショーという能力が、私のウォーキングと対になっているように聞こえたので」
「対……」
「ウォーキングは、魂を次の世界へ送る力。ノーショーは、魂を消滅させる力。まるで、正反対のようです」
ゴブ爺は頷いた。
「おっしゃる通りでございます。リョウ様のウォーキングと、クロノスのノーショー。それは、光と闘のように、対極に位置する力でございます」
遼太郎は窓の外を見た。
夜空に、星が輝いている。しかし、その美しさは、今の彼には届かなかった。
黒須が、この世界にいる。
しかも、世界を滅ぼす「漆黒の王」として。
「……戦わなければならないのか」
彼は、心の中で呟いた。
あの男と、また向き合わなければならないのか。
答えは、出なかった。
しかし、一つだけ確かなことがある。
逃げることはできない。
この世界に来た以上、この世界で生きていくしかない。そして、この宿を守り、セレスティアを助け、客に最高のサービスを提供する。それが、今の自分にできる全てだ。
「リョウ」
セレスティアが声をかけた。
「大丈夫?」
「……はい、大丈夫です」
遼太郎は振り返り、笑顔を作った。
「少し疲れただけです。今日は、もう休みます」
「そう……おやすみなさい」
「おやすみなさい」
遼太郎は階段を上がり、自分の部屋へ向かった。
部屋に入り、扉を閉める。そして、ベッドに腰を下ろした。
「黒須……」
彼は、闘の中で呟いた。
「なぜ、お前もここにいるんだ」
答えは、返ってこなかった。
窓の外で、星が静かに瞬いていた。
第一部「星降り亭の夜明け」、完。
第二部 宿屋チェーン拡大編




