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第二話 大人女子、年下男子に心を乱される。




 それは三ヶ月半ぶり実に二度目の壁ドンだった。


「今晩、食事どうかな」

 

 これは前と同じ台詞だ。


 初めての壁ドンは去年の十月。

 まだ席にも着けていない私をまるで旧知の仲であるかのように給湯室に手招きしてきた。何だろうとノコノコついて行けば前触れなく唐突に壁ドン。


 えぇえ!?


 互いの鼻が触れそうな距離まで覆い被さってきた、企画開発部の天パ地味眼鏡。


 紺色のカーディガンを着た感じが真面目そうではあるが、モジャモジャ頭が特徴的で何とも独特な雰囲気のある猫背で陰気な男。


 内勤同士だがフロアは別で日常的に顔を合わせる機会はなく、鳥の巣のような頭は気になったがそれ以外の印象は薄く、名前も覚えていなかったぐらい私の中での存在感は皆無だった。

 その風圧に一瞬、私は息を吸うのを忘れた。


 ――ご、ごめんなさい、今日は。

 ――あ、そうなんだ。残念。


 彼はあっさり引いていった。しかも、これが私達二人が初めて交わした会話らしい会話だった。


 壁に張り付いたまま唖然とする私を置いて彼は給湯室を出ていった。


 嘘。嘘!? やるならもっとちゃんとしろっ。あと五分後に朝礼だとしても、その前に言うべき事があるだろうがっ。


 見合いのせいであらゆる種類の男に耐性があり過ぎる私であっても、このときばかりは心臓が壊れそうなぐらい早鐘を打った。




 そして、今回。

 給湯室の近くを歩いていた私の腕を掴み、奥の壁にあれよあれよという間に追いつめてきて、このまま襲われるのではないかと血の気が引くほどの圧をかけてきた。朝礼前の朝八時半。


 壁ドンしてきたのは、またしても企画開発部の天パ地味眼鏡こと、北川史靖(ふみやす)三十歳、来月で三十一歳、九州は博多出身。さすがにアップデートはしてある。


「き、今日は行けません」

 喉の奥から私らしからぬ唸るような声が出た。

「そっか、ダメかぁ。やっぱりね、残念」

 北川さんはモジャモジャした焦茶色の頭を縦に振り、その片腕を引く。そして困惑する私には目もくれず、その身をパッと翻して給湯室から出ていった。


 ……おい。おい、こら待て。またか。またなのか。ここまで私を意識させておいて、相変わらず引くのが早過ぎじゃないか!? 本気なのか? 冗談なのか? どっちなんだ!?

 私は年下を弄ぶ大人女子だぞ!?


 フラフラになって席に戻れば、

「田中さん、顔真っ赤ですけど、熱があるんじゃないですか?」

 隣席の村上君から指摘されて思わず顔を伏せる。ちなみに村上君は干支が同じの年下。よく気の付く子だ。村上君は年齢的に恋の相手としては難しいが北川さんは。

 

 朝からもやつく金曜日。


 この私が中身のわからない男にフラフラ寄っていくなど有り得ない!



 *



「田中さぁん、今日合コン行きませんかぁ? 女子の人数が足りてなくてぇ」


 経理部システム課のレイヤー強め女子、確か二十六歳。確か名前は西何とか。

 三十を過ぎてから気乗りしなくなった合コンはてんでご無沙汰。しかも当日ってどういうこと。元から戦わせる気ないだろ。この私を捨て駒にするつもりか。尚、今日の私は朝から北川さんに生気を奪われて戦闘能力ゼロ。


「ごめんなさい。行けないわ」

「えぇえ! メッチャ残念ですぅぅ。今日の相手、丸の内の商社にお勤めの方々なんですよぉぅ。若い方揃いでぇ」

 それで何故直前まで人員確保ができてないの。お前のその誘い方と誘う相手と、怪しい相手に問題があるんじゃないのか。

「私なんかより受付の佐藤さん辺りを誘ったらどうかしらね。きっとお相手の方も喜ばれると思うわ」

 それで彼女のスンとした顔を引き出せた。よし。

 社内一美人と呼び声高い受付嬢、佐藤エマを提案した私のこういうところが同性に顰蹙を買う所以だ。けれど言われっ放しは性に合わない。


「忙しいから。また今後」

「……そうですかぁ。また今度ぉ」

 別れ際のレイヤー強め女子の眉間には中々の皺が寄っていた。そう言えば彼女は佐藤エマより入社年度は下だが同世代だったな。ライバル意識も強めだったか。


 元々私は経理部から営業部のフロアに戻る途中だった。はっ。まさかあの女、あれだけを言いにこちらのフロアに来たのか! これから大嫌いな書類仕事が待っていると言うのに時間のロスだ!

 と私が憤慨しかかったところに、

「田中さん」

 呼ばれて声の方に顔を向けば、今朝私が北川さんに連れ込まれた給湯室の中から私がさっき切ったカード、佐藤エマが顔を出していた。


「私を巻き込まないでいただけませんか」

「むしろそこで聞いてたなら早く出て来なさいよ。針の筵にしてやったのに」

「行けば良いのに。合コン」

「佐藤さんこそ行ったら。折角名前出してあげたのに」

「ヤダ。私には列記とした恋人がいるんですよ? 言ってませんでしたか?」

「え? そうなんだ」

「田中さんは相変わらず三浦さんに付きまとってらっしゃるらしいじゃないですか」

「三浦君の相手がアレとか許せないからね。まあしばらくは程々に頑張るわ」

「それ、諦めてるじゃないですか。つまんね」

 佐藤エマは私とかなり年齢差があるのにも関わらず、初めて話した時から無礼極まりなかった。私は彼女がこういうキャラだと受け止めて早い段階で真っ当なコミュニケーションを諦めている。


「私のことなんかは良いのよ。大体こんなところで何してるの、あなた」

「休憩中なんですぅ。三浦さんいるかなと思って来たら、田中さんと西山さんが殺伐とした雰囲気醸し出してたので、何か始まりそうと思って、ここで隠れて見てました。女同士のマウント合戦て大好きです。見てるのが一番……、あ、いた。三浦さぁん」

 佐藤エマが私の肩越しを見て、パァッと顔を明るくした。


 振り返れば、出先から戻った三浦君がいた。


 三浦君は高身長にスマートカジュアルを着こなした見目麗しい営業部のホープだ。私とは同じ課で、私の失恋の相手でもある。


「逃げないで下さいよぉ」


 猫撫で声を飛ばした佐藤エマを無視した三浦君は、課長の本田さんに戻りましたと一言投げて自席に一直線。

 佐藤エマはめげずに追いつき、席に着いた三浦君の耳元で楽しげに何をか捲し立てている。三浦君はそれを黙って聞いていて、佐藤エマはますます調子づいている。


 近寄るな。


 私の願いが通じたのか、三浦君は唐突に佐藤エマの頭を鷲掴み、長い腕を伸ばし切って押し返しながら何をか言葉を返していた。

 社内のアイドル的女子を犬か何かのように扱うのは彼をおいて他にいない。

 初めてその暴挙を見た時は驚愕したが、以前からよくある光景らしい。三浦君の周囲はいつものことといった感じで二人の掛け合いに見向きもしない。

 佐藤エマは頭を鷲掴まれても動じず、三浦君の手を手を振り払ったのちにケラケラと笑っていた。サイコパスなのか、あの女は。


 自席に着いた私はパソコンを立ち上げながら二人を眺め見る。

 

 三浦君から少し離れた距離に立って、話し続ける佐藤エマ。彼女が三浦君の相手なら私もまだ納得がいった。


 彼女は肌が白く手足が長く、顔の作りもまるで西洋絵画のモデルのようなファム・ファタール、魅惑的で浮世離れしたとんでもない美人だ。何故この会社にいるのか全く理解出来ない。


 下世話な飲み会で同じく営業の高橋さんに問われた三浦君が佐藤エマとの関係をはっきりきっぱり否定しても、二人は隠れて付き合っているのだと私は信じて疑わなかった。三浦君の佐藤エマの扱いが雑そのものだったとしても、三浦君との距離を詰められる女は佐藤エマだけだった。


 だが実際の三浦君の相手は違った。しかも、恋人に対する三浦君の態度は直視できないぐらいだった。


 とにかく、女の敵は女。


 三浦君が誰と付き合おうが私の仮想敵は変わらない。佐藤エマの強引さは鼻につく。


 私の視線に勘づいたのか、突然二人同時に私に振り向いた。そしてまた元に戻って、今度は若干距離を縮めた上で何やらコソコソ話し始める。


 何だあれ。


「いやぁ、感じ悪いねぇ、あの二人」

 私の背後で私の気持ちを代弁するかのような事を言うのは。

「や。朝ぶりだね、田中さん」

 モジャモジャ頭の北川さんだった。




 続きます。

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