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第一章③

 空が白みはじめ、それまで、闇に包まれていた村の全貌が明らかになってくる。焼け焦げた建物、崩れ落ちた瓦礫、燻る黒煙。夜間、三人が眠っていた小屋以外のすべての建物は、焼け焦げた骨造りだけを残して、その機能を失ってしまったようだ。荒れ果てた光景の中に、黒い塊が横たわっている。人間だったものだ。


「……ああ……あああ……」


 村の現状を目の当たりにしたタスクから、力なき嘆きの嗚咽が漏れる。瞳が震え、頬が涙で揺れていく。俺が、俺が呑気に寝ているあいだに、みんなが……、師匠が……。


 デューザは言っていた。偉そうなババアが最後まで足掻いていたと。それはおそらく、コトのことだろう。つまりはもう、コトはこの世に生きていない。


 タスクは、重苦しい身体を、無理矢理に起こそうともがいた。肉体的にも、精神的にも、この現実に押し潰されそうだった。力の入らない腕を地面に突き立てるも、自分の体重を支えきれずに、すぐに上半身は地面に叩きつけられた。


 フィルトも同様だった。絶望を吐出する、獣のような咆哮が、彼の口から溢れ出る。己の無力さを呪い、そして今は身体を破壊され横たわっている、デューザへの怒りを爆発させた。


「なあ、デカブツ、そんなに叫んじゃあ、腹の傷が余計に裂けるぞ」


 リーレンだ。彼の言うとおり、フィルトの腹からの出血が、激しくなった。噴き出した鮮血は発達した筋肉の筋の溝を流れるように、彼の身体を赤く染め上げていく。フィルトは激痛と疲労で、痙攣しながらぜえぜえと喘いでいた。


「チッ」と、リーレンは大きな舌打ちをすると、しゃがみ込み、手のひらをフィルトの心臓の辺りに強く押し当てた。ぐちょりとえぐい音をたて、流血の中に手は沈み込む。フィルトが激痛のあまり、断末魔の叫びをあげると「うるせえ、黙ってろ!!」と怒鳴り、呪文を唱えた。


「ノウロウ!」


 リーレンの手のひらが、フィルトの上半身をゆっくり撫でていく。自らが手刀で切り裂いた傷口を、再び忠実になぞっているのだ。フィルトは最初はその行為がもたらす不快感に顔を歪めていたが、苦痛が取り除かれていくことに気づき、やがて和らいでいく痛みに驚き、目を見開いた。


「なに驚いてんだよ。おまえたちの師匠とやらは、ランロイの術については教えてくれなかったのか?」


 フィルトの傷口の末端まで撫で終えたリーレンは、仕方ないなあと呟き、話を続けた。


「おれがさっき唱えたのは、傷口を塞ぎ、おまえらの身体を治す呪文だ。擦り傷なら、手のひらで覆えばいいんだが、切り傷を治すときは、寸分の狂いもなく、傷口をなぞらなければならない。ちょっとでもずれたりして失敗したら、おまえも、おれも、お陀仏だ。まあ、失敗したことはねえけどな」


 仮に、リーレンが今、術を失敗していたとしたら、フィルトの裂傷は二度と治らず、同じだけのダメージが、リーレンにも降りかかることになる。代償は大きいが、成功すれば、負傷者が生きてさえいれば、症状は完治し、すぐにでも身体を動かすことができるようになる。危険と隣り合わせではあるが、焼暴士たちの命を救うことに最も長けた呪文だ。


「すまねえ、助かった」


 フィルトは上半身を起こし、リーレンに頭を下げた。真っ赤に染まる自分の身体を、恐る恐る手で撫でてみる。傷は綺麗に塞がっていて、痛みも嘘のように消え去っていた。


 リーレンは無言のままふっと笑うと、今度はうつ伏せのタスクを仰向けにひっくり返し、身体の状態観察を手早く行った。


「こいつは怪我をしているけど、重傷じゃあない。ただ、相当体力を削られている。たぶん、指先を動かすことすら辛いはずだ」


 リーレンは両手でタスクの心臓の辺りを触れた。べちゃりと音がする。汗だ。酸素を求めて喘ぐタスクの胸は、激しく運動を繰り返していた。


「ユミーク!」


 新たな呪文だ。リーレンは、かざした両手に全身で力を込めた。そうしないと、そこから吹き飛ばされてしまうのか、歯を食いしばり、タスクを押さえつけているようにもみえる。フィルトは息を呑んで、その様子をじっと見つめていた。リーレンの浅黒い身体が筋張り、相当な力を込めているのがわかる。三十秒ほどその状況は続き、突然、リーレンの腕が跳ね上がったかと思うと、身体が宙を浮き、数十センチほど吹き飛ばされた。


「大丈夫、か!?」


 後ろ手に受身をとったリーレンのそばに、フィルトが駆け寄る。リーレンは「ああ、どうってことない」と頷き、フィルトが差し出した手は借りず、自力で立ち上がった。


 タスクの呼吸は落ち着いたようだ。目を閉じた彼はスースーと穏やかな呼吸音をたてていて、まるで眠っているようだ。


「おまえらの尻拭いは完了だ。あとは村の後始末でもすることだな。犠牲になった人たちを、おまえらの手で弔ってやるんだ。おれは部外者だから、さっきの小屋で待つことにするよ。村を発つ準備ができたら、声をかけてくれ」


 リーレンはそう言うと、フィルトの返事も聞かずにさっさと小屋の方まで歩いていった。そして扉を開き、中に入る。フィルトにはその一連の所作が、随分と急いでいるようにしかみえなかったが、その想察は的中していた。リーレンには、急いで小屋に身を潜めなければならない理由があったのだ。


(くそっ……たったあれだけのことでへばるなんて)


 リーレンは、小屋の扉を閉めるなり、その場に四つん這いに平伏した。胃から酸っぱいものが込み上げてきたが、かろうじてそれを飲み下す。脂汗が止まらない。


(おれも、まだまだ修行が足りてねえ……)


 リーレンがタスクに施した術は、タスクの身体に蓄積されたダメージを吸い上げ、回復させる術だった。では、吸い上げたダメージはどこにいくのか。それは誰あろう、術を発したランロイ、つまりリーレンの身体に降りかかるのだ。リーレンが吹き飛ばされたのは、リーレンの身体に蓄積されたそれが、許容量を超えたからだ。つまり、タスクが受けたダメージは、完全に排除できなかった、ということである。


(あいつらには、気づかれちゃならねえ……)


 どんな戦況のもとに立たされようと、ランロイは焼暴士の前で倒れてはならぬ。


 それは、リーレンを育て上げた、今は亡き師の口癖であった。互いに手を組んだ焼暴士よりも先にランロイが倒れてしまえば、それは焼暴士の死をも意味する。例え焼暴士が地に伏しようとも、ランロイが生きていれば、その命は繋ぐことができる可能性がある。だが、ランロイが何よりも先に戦闘不能に陥れば、焼暴士の命をも脅かすことになりかねない。


(おれは、誰よりも強く、あらなくちゃならねえんだ……。師匠とおんなじ道を辿るわけにはいかねえ)


 リーレンの師は、弟子への教えを自らで守ることはできなかった。ラヨルとの戦闘中、隙を見破られ、ノーラの炎で焼き殺された。あっけない最期だ。二月ほど前のことだった。ラヨルの長、マユルに堕とされたと、リーレンは生き残ったランロイの同胞から聞いている。


 ぼたぼたと、身体中から溢れ出した脂汗が、小屋の無機質なコンクリートの床に落ち、黒い染みを作った。リーレンはフーフーと噛み締めた歯の隙間から息を吐き、全身を劈くような激痛に耐えていた。細胞の一つ一つを、鋭利な刃物で刺されているかのようだ。涙や鼻水が、否応無しに溢れてくる。身体が熱感を持っている。そこに、倦怠感がどんよりと襲ってくる。


(これよりもきついダメージを、あいつは耐えていたのかよ……)


 リーレンは、微力ながらも、自分の手で窮地を救った、一つ年下の焼暴士に、その思いを馳せた。タスクは、イョウラを体得したとはいえ、まだまだ駆け出しの焼暴士である。歳もおれと変わらないというのに、あいつはこれ以上のダメージを耐えてなお、その意識を手放さなかった。リーレンの全身を、戦慄がはしる。末恐ろしいやつだ、あいつは。これで経験を積み、もっと力をつければ、マユルを……、いや、ラヨルの民を滅ぼすことができるのではないか。ラヨルと闘う焼暴士にとって最も重要なものは、その生命力なのだから。


「くそっ……」


 リーレンは、弱々しい拳で、地面を殴りつける。


(おれがもっと的確に動けていれば、あいつらももっと楽に闘えたはずだ……。悔しい……悔しい悔しい悔しい!!! くそったれ! もっと、もっともっと強くなるんだ。焼暴士を、超えろ!)


「……うぅ……あぅう……くそおおおおおおお!!!!」


 何度も、何度も何度もリーレンは地面に拳を打ちつけた。彼から漏れる、嗚咽にも似た声があらわす感情は、もはや身体に襲い掛かるダメージの苦楚を被ったからではなく、未熟な自分への忸怩たる想いの表れだった。



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