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第二部 第一章②

 「おい、オマエたち、ここでなにをコソコソしている」

 背後から突如声をかけられて、リーレンとローニンはとびあがりそうなほどに驚いた。気配がまったく感じられなかった。だのに、そこにはたしかに人が立っていた。リーレンと歳の近そうな、一人の少年だった。

 「っ!!」

 リーレンとローニンは、さっと臨戦態勢にはいる。拳を構え、少年から距離をとった。ここに隠れて様子を見ていたことがヴェルチには知られてしまうだろうが、致し方ない。

 少し吊り目気味の少年の瞳は、三白眼のせいもあってか勝ち気そうな雰囲気を醸し出している。無造作に尖った短い黒髪の下に生えている、精悍な眉が凜々しい。

 少年は、焼暴士であるローニンと同じように、鍛え上げたその肉体をさらしていた。右脇腹から鳩尾にかけて、斜めにはしった錐のかたちの古傷が、激しい闘いをくぐり抜けてきた猛者のひとりであることを物語っている。

 拳から前腕にかけて、皮膚を保護するように包帯を巻いている。よく日焼けした褐色の体と包帯の少し薄汚れた白色の並置が、少年の勁烈な性格を表しているようにもみえた。

 少年がローニンと違うのは、焼暴士としての装いからは少々乖離した装束を身につけていることだった。上半身は裸だが、下半身には焼暴士のものよりもゆったりとした外衣を履いていた。胴囲にはベルトループの代わりに紐が結いこんである。少年はその紐を鼠蹊の中心部できゅっと結んでいる。そして口を真一文字に閉じ、ローニンとリーレンのことを訝しむように、睨めつけていた。

 「だれだおまえ」

 少年が今のところ戦意を抱いている様子は感じ取れなかった。リーレンたちも警戒を解き、代わりに腕を組んでみせる。少年に舐められるわけにはいかないと、無意識に虚勢を張っていた。

 「オレはファリアだ」

 少年はそう言って、直後にリーレンたちの背後にいるヴェルチの姿をその目でとらえた。

 「おい、ヴェルチ、マユル様が仰っていた焼暴士とは、コイツらのことか?」

 「なっ……」

 この短時間で何度驚いたことだろうか。リーレンは驚愕のあまり言葉に詰まった。頭の中を、一瞬にして様々な思考がよぎっていく。ファリアと名乗ったこいつはラヨルなのか? ならばなぜ焼暴士とおぼしき格好をしている。何のためにおれたちに接触してきた? やはりラヨルは敵だったのか。

 「リーレン様、ローニン様、どうしてここに?」

 ヴェルチは、ファリアの疑問に答えるよりも先に二人に問うてきた。

 「すまねえがヴェルチ、あんなことがあった直後だ。おまえに引っかき回されたせいで、おれたちはいろいろと疑心暗鬼になってんだよ」

 リーレンが投げやりに答える。いつでも錫杖をとって闘えるように、背中に手を伸ばす。

 「返す言葉もございません。……しかしリーレン様、少なくともいま、僕たちが争う必要はございません」

 「ヴェルチ、さっきからおれたちはおまえの様子を見ていたが、どうやらそこにへたり込んでいるガキを、連れ去ろうとしているようだな。なぜだ」

 「……彼女にとってそれが、最善の選択であるからです」

 ヴェルチが静かに答えたとき、ルコがよろよろと立ち上がり、しかし、立ち上がったあとはつんのめりそうになりながらも俊敏に、ヴェルチの元から離れて、ローニンの足にすがりつくように身を寄せてきた。

 「おまえよお、自分の立場ってもんがわかってんのか?」

 見知らぬ少女ではあるが、彼女はおそらく焼暴士に対してなにか特別な想いを抱いているようだ。ローニンは、少女がこの場にいる誰よりも差し置いて自分を頼ってきてくれたことに嬉しくなって、気が大きくなった。

 「いくら善人ぶっても、ラヨルである以上、おまえの言葉は誰にも届かねえ。おまえはバカじゃねえから、それぐらいわかるだろう」

 「ローニン様の仰ることはごもっともです。しかし、僕が皆様の思うようなラヨルの端くれであったのなら、今頃皆様は、二本の足で立ってはいないでしょうね」

 いつも沈着であるヴェルチだったが、感情に細波がたったように、皮肉めいた言葉を放った。自分の立場を疎んじる感情なのか、ローニンに煽られたことによる憤りなのかは、他者にはわからなかった。

 「なんだてめえ! ケンカ売ってんのか!?」

 ローニンがいきり立って凄んだところを、リーレンは腕を伸ばして制止した。やめろと視線だけで示すと、ローニンの怒りは風船が萎むようにしゅわしゅわとどこかへと消えていった。

 ヴェルチを自分たちの敵だと認識するならば、彼とファリア、前後に挟まれたことになる。だがそうでないとしたら、ファリアはなにか理由があってここに現れたのだ。

 「ヴェルチ、すまない。おれたちは混乱しているんだ。いまの状況を説明してくれないか」

 リーレンは苦笑を浮かべてそう言った。ヴェルチの表情も緩む。ジャリ、と、ファリアが履いている草履の底が鳴った。

 「ローニン様の足元にいるのは、ルコ様という名の少女です。彼女は元々ユニの出身ですが、身を追われてこのマリーフェイで暮らしています」

 ユニ。それは、バリウやタリーダとおなじく、焼暴士を育てるためにエマティノスが統治していた町の名だ。いまは先の二つの拠点とおなじく、ラヨルの手によって機能を失っている。

 「ユニで生まれた女性の多くは、長とその血縁にあるものや、立場のあるものを除き、焼暴士になれぬ半端者と称され、産まれてすぐに安い金額で叩き売られ、ヒノオの各地に引き取られていきます。安い金額で売られるということはつまり、彼女らの境遇もぞんざいに扱われてしまうもの。ルコ様もそのひとりです」

 神妙な面持ちでヴェルチは言った。ローニンは、自分の膝に手を回してしがみついてきている少女を見る。彼女はキッと表情を引き締め、精一杯の抵抗の意思をヴェルチにみせている。膝ごしに伝わってくるのは、少女の体の震えであった。

 「ルコ様は奴隷として、マリーフェイに来ることになりました。人間としての尊厳を無視した劣悪な環境で働かされていましたが、それでも今よりはましだといえます。そこでは、少なくとも衣食住は保証されていましたから。しかし、ルコ様の雇い主は彼女を捨てた。マリーフェイの街中に放り出された彼女は、その日暮らしをするのも精一杯の路上生活となりました」

 「あたしのことをダシにして、おまえたちはあたしの産まれた町を襲撃しただろう!」

 そのとき、ルコが叫んだ。感情のままにヴェルチに強い言葉を投げつける。それでヴェルチが動揺することなどないことは、この場にいる誰もが分かっていた。

 「マユル様は、ルコ様をはじめとするユニの住民の皆様の処遇に対して、大変な憤りをおぼえていらっしゃいました。これ以上、ルコ様のような方を輩出させるわけにはいかないと、その想いもあってユニへの襲撃を命じられたのです」

 「おまえたちが余計なことをしたせいで、あたしの……あたしの家族たちは!!」

 「しかし彼らは、ルコ様を捨てた。そのような方々が家族、といえるのでしょうか」

 ヴェルチの返しに、ルコはぐっと言葉に詰まった。家族……。いままでそう思ってきた。たしかに顔も姿も記憶からは薄れているけれど、あたしはユニで産まれたんだ。あたしにも父親や母親という存在がいて、それは家族というものなんじゃないのか。


 ——お兄ちゃん……。

 ルコはローニンの足と、抱きかかえていた焼暴士のぬいぐるみをぎゅっと握りしめる。ルコの兄は焼暴士として、すでにラヨルとの闘いに身を投じている戦士だった。いつか一緒に暮らそうと約束をした。ラヨルの長を討ち取り、必ずやこの闘いを終わらせてみせる。それまではどうか待っていてくれと。

 行方はしれない。音沙汰もない。生きて、いまも戦士として戦場に立っているのか、すでにこの世にはいないのかもわからない。それでもルコは信じている。いつかまた会うことが出来ると。

 そのためには生きねばならない。自分がどんなにつらくとも、互いに生きてさえいれば可能性をその手にたぐり寄せることができる。

 だが、ラヨルの手に墜ちるわけにはいかなかった。生き延びることに手段は厭わないとはいえ、甘い言葉で誘惑してくる敵の言葉に耳を貸したりするものか。


 「なあリーレン」

 ローニンは振り返って、背後に立っている仲間の姿を見た。

 「なんだ?」

 「この子、なんか食わせてやれないかな」

 「連れて行くってのか?」

 「少なくともここからは、な」

 ローニンはそう言って、少女の頭をそっと撫でる。なんだかしらねえが、ヴェルチに警戒心を隠そうともしなかったこいつが、なぜかおれにすがりついてきている。口にしなくとも助けを求めているのは明確だ。

 「こいつの分の飯がねえなら、おれの分をあげてもいい。なあ、リーレン! どうなんだ!」

 リーレンは言葉に詰まった。ローニンはこの場の感情でものを言っているのではないか。この少女を連れていくことによるリスク。はたしてそれを考えたうえでの主張をしているのだろうか。

 「なあ、ルコと言ったな」

 ローニンは、リーレンの返事を待たずに少女に話しかけた。少女は顔を上げる。ほんの少し、彼女の瞳が揺れた。

 「おまえ、おれといっしょだな」

 「え?」

 ルコの目が丸くなる。ローニンはフッと微笑んだ。しゃがみ込んで、ルコと視線の高さを合わせる。

 「おれもさ、タリーダって町に住んでたんだ」

 「最近ラヨルの襲撃に遭ったと聞いた……」

 ルコが言葉を落とした。

 「ああ、おれは、そのときの、たったひとりの生き残りさ」

 「焼暴士のお兄ちゃん……」

 「おれの名前はローニンだ。なあルコ、おれはおまえが、どんな事情を抱えて生きているのかはわからねえ。でもヴェルチがさっき言ったように、おまえがここで意地を張ってちゃ、自分で自分を追い詰めることになっちまわないか」

 ルコはローニンから目を逸らして、抱きしめていたぬいぐるみを見つめた。

 「おいローニン、おまえ……」

 リーレンは言葉を紡ごうとして、途中でやめた。ローニンがそっと、ルコのことを抱きしめたからだ。

 「リーレン、おまえの言いたいことは分かってる。タスクたちにも了承を得ないといけないことだし、この先危険が伴うってことも分かってる。でもこのあと、仮におれがこの子に、施しのように飯を与えてすぐに別れたとしても、それはたった一度の偽善となっちまって、この子の生活が変わるわけじゃねえよな。……でも嫌なんだよ、おれ。これ以上、おれの知ってる誰かが辛い思いをしたり、死んだりするのは!」

 「……ローニン」

 返すべき言葉が見つからなかった。ローニンは、郷里をラヨルの手によって奪われた者同士、ルコを見捨てて立ち去るわけにはいかないと思っているのだろう。ローニンの少女を思う優しさが痛いほどにわかるから、起こりうるかもしれない問題を軽視できない自分の思考との狭間で、心が揺れ動いていた。

 「頼むよ、俺がちゃんと面倒をみるからさ」

 そんな軽い、口約束でしかない言葉では駄目なのだとは言えなかった。一人の人間を、庇護し、共に行動をするというのは、実際には言葉以上の重みが生じる。動物を一匹率いることとは、わけが違うのだ。

 ヴェルチを信じることを前提とすればの話だが、彼のいざなうとおりに、安全な場所が存在するのだとしたら、ルコはそこにいったほうがいいだろう。ローニンと、ひいてはタスクたちと行動を共にするのなら、戦闘に巻き込まれる可能性の方が高い。そしてそうなったとき、ルコは足手纏いになる。

 ローニンはルコを守ろうとして、本来なら要らぬ気を遣いながら闘うことになるかもしれない。いや、ローニンだけではない。戦力にならない者をつれているだけで、それは全員が出せる戦力を削ぐ枷となり得るだろう。

 リーレンが口にしなくとも、ローニンも理解はしている。理解したうえで、ルコを連れていけないか打診しているのだ。

 ローニンが焼暴士という立場であるからだろうが、ルコはここにいる誰よりも優先して自分を頼ろうとしてくれた。自分が強い戦士であるとは思えないが、それがローニンにとっては嬉しかったこともあり、余計に頑張らねばならないと心を強く固めたのだった。


「話は終わったのか?」

 ローニンとリーレンの二人が互いに言葉を発さなくなったのをみて、ファリアがじりじりとこちらに歩み寄ってきた。

「いや。終わってねえが……どうした?」

「すまねえな、ランロイのにいちゃん。オレもヴェルチに確認したいことがあるんだが」

「ああ、先にやってくれ」

 おれがなぜランロイだとわかったんだ、こいつは。その言葉をぐっとのみ込んで、リーレンはにっこりと笑ってみせた。

「おい、ヴェルチ、オレの質問には答えてもらってねえよな」

 ファリアはリーレンの横をするりと通り抜け、ヴェルチの前に立った。そうするとリーレンはファリアの背後に立つことになるが、引き締まった彼の背中には、ラヨルの紋章は刻まれていなかった。

 ——あれ、こいつはラヨルじゃねえのか?

 同じことをローニンも思ったのか、彼も不思議そうな顔をしている。互いに顔を見合わせて、沈黙のまま、ファリアの動向を見守ることにした。

「ファリア様、ご無沙汰しております」

 なにを悠長に挨拶を唱えているのだと、この場の誰もが思っただろう。ヴェルチはぺこりと丁寧に会釈をして、ファリアと向かい合った。

「マユル様から、タスク様のことをお聞きなのでしょうか」

「ああ。マユル様はオマエがあのお方の意向を無視して、その『タスクサマ』たちに洗いざらいベラベラと喋っちまったことを気にされていたぞ」

「し、しかし、タスク様には、我々の会話をすべて聞かれてしまった後でございましたと、ただちに申し上げたはずです!」

 ファリアはフンと鼻で笑ってみせる。

「マユル様はこうも仰っていた。『我が兄の容態も確認せず、目の前で軽率に話を始めてしまった我にも非があるといえる。ヴェルチはあのとき、兄の意識があったことに薄々気付いていたであろうから、独断ではあるが、事態が円滑に進むように取り計らってくいれたのだろう』ってな」

 マユルの言動を真似て言うファリアの様子に、ヴェルチは頬が緩みそうになったが、平静を装った。あの場においては、マユルの意向を無視してでも話さざるを得なかった。下手に取り繕っていたとしたら、今頃、現状よりももっと、タスクたちからの反感をかっていただろう。

「で、『タスクサマ』は、コイツなのか?」

 ファリアは、ローニンを指差し、ヴェルチに尋ねた。手近にいる焼暴士が彼だけしかいないから短絡的にそう思ったのだろう。

「おれはローニンだ。さっき聞いてなかったのかよ」

 ヴェルチが口を開くよりも先に、ローニンが答えた。

「すまねえ! 聞いてなかった!」

 パチンと手のひらを鳴らして、ファリアはいたずらを咎められた子供のようにそう言った。

「タスク様は、マリーフェイの宿屋で療養されています。付き添いのネイヨムが手配した宿屋ですが、いまのところ身の安全は保証されていると思われますよ」

 ヴェルチが言った。ローニンは、ルコの頭に手を置いたまま、はあっとため息をついた。その様子をみて、ルコが不思議そうに彼の顔を見上げたので「大丈夫、なんでもねえよ」と、優しく言葉を投げかけた。

「マユル様はオレに、『兄であるタスクという焼暴士とその一行の旅に同行し、彼らを護衛するのだ』と申された。ヴェルチ、オマエが先走ってラヨルとエマティノスの確執の真実を話したことがイロクの野郎に露見すれば、エマティノスのヤツらがタスクの命を狙ってくるかもしれない。どうやらタスクたちは駆け出しの焼暴士だから、手練れの戦士たちが牙を剥けば、ひとたまりもないかもしれねえってよ」

 ファリアを寄越したのは、おそらく、マユルの心ばかりの援護なのだろう。タスクの身を、命をなんとしてでも守りたいが故の、彼なりに考えた最善の方法なのだろう。

 タスクたちがこれからもエマティノスの戦士として生きていくためには、あからさまにラヨルとのつながりがある者を新たに送り込むわけにはいかない。そこでマユルは、自分の兄と歳の近い、元焼暴士であるファリアに、タスクたちの護衛の役割が回ってきたのだ。

「とりあえずこんなところでくっちゃべってないで、場所を移さないか。おまえの警戒しているとおり、エマティノスの誰かに聞かれるかもしれねえだろ」

 不本意ではあったが、リーレンはそう言うほかなかった。ミュウキはイロクには報告していないと言っていたが、彼の立場上、それもどこまで信用できるかはわからない。

 ただでさえ、焼暴士やランロイの装いは目立つのだ。自分たちの様子を、すでに誰かが観察しているかもしれない。多数の目があるこの場より、宿屋に戻ってタスクたちと合流し、話をすすめることがいちばん得策なのではないかと考えたのだ。結果的には結論の出ぬままに、ルコを連れていくことになってしまうが、それを指摘している暇はなかった。


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