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恋人であるなら、唇にキスをするだろう。
家族であるなら、頬にキスをするだろう。
臣下であるなら、手の甲にキスをするだろう。
――でも私と彼は『王女と奴隷』だから。彼は私のつま先に口づけた。
私のお気に入りの奴隷である彼は、闘いが始まる前の余興としてつま先に口づけることが常態化している。最初に言い出したのはこのカサハイン国の王であるお父様だ。
見世物として、今日も闘技場で闘わせられる彼。そんな貴方に「ご武運を」と言う権利は私にはないから。
だからとびきり意地悪に笑って私は愛しい貴方に言うの。
「良い? 貴方は私のモノなの。その命に至るまで私のモノなの。だから、勝手に死ぬなんて許さないから」
死なないで。
たった数文字の為に、私はその倍の言葉を喋る。だってそうしなければ、観客席で私の隣に座るお父様にバレてしまうから。王女である私が、奴隷に恋情を持っていることに。
私のつま先に口づけた彼は、顔を上げて私の話を聞くと、いつも通り「貴女の御心のままに」と言った。
私の下から離れ、闘技場に立った彼の目の前にある塀の向こうから、魔物が出てくる。三メートル程の体を持つ真っ黒い塊は、雄叫びを上げ彼に襲いかかった。
私はこっそり祈った。
彼が、魔物と闘わなくて良くなる未来を。
そしてその願いは、きっとすぐ叶う。
◇◇◇
お父様は奴隷が好きだった。奴隷という、なにをしても許される存在が好きだった。
だから私にも、今から四年前である十五の誕生日の時に、奴隷が与えられた。
私の下に数々な奴隷を運んできた商人は、ニヤニヤ笑いながら、見世物として上半身裸の奴隷の一人を鞭打った。
瞬間、皮膚が裂け血が出るが、奴隷はなんの声も上げない。
他の奴隷もそうだ。瞳は、こんなに温かい日差しが降り注いでいるのに真っ黒で。
男も女もほぼ裸のような姿なのに、頬に朱を散らすこともなく。
十五歳の私は。甘やかされ育てられてきた私は。その凄惨さに息を呑んだ。
だから早口で「全員買いますっ」と気づけば言っていた。
夜、お父様に呼び出され、初めて叱責されると思ったが、お父様はニコニコと笑い私の頭を撫でた。
「さすが儂の子だ。奴隷を全員買うとは」
褒められ、世間の厳しさを知らぬ私は頰を染め喜んだ。
良いことをした、と漠然と思った。
その日の私は、柔らかい薄桃色の花弁をシャワーのように浴びる小説の花嫁のように幸せだった。
――次の日に、なるまでは。
「今日は、闘技場に連れて行ってあげよう」
そう言われ、『闘技場』が何か知らないままついていくと、そこには昨日買った奴隷の一人がいた。
彼は細い剣を一本持って、ブルブル震えながら魔物と対峙していた。
骨が浮き出る程細かった彼が、勝てる筈もなく。呆気なく魔物の爪に引き裂かれ、断末魔をあげながら食われていく。
血の気を引かせながら、人の命が喰われていく姿を見ている私に、お父様が笑いかけた。
「いいかい? これが正しい奴隷の遊び方だよ」
その笑顔の理由が、今ならわかる。釘を刺されたのだ。奴隷は私たちと同じではない。下等な生き物なのだから情を抱いてはいけないのだと。
そして、それからも私が買った奴隷たちは、一時の間しか咲くことを許されなかった花のように儚い命を散らしていった。