ハンバーグ
俺は寝不足の目を擦ってお昼ごはんの用意をする。
料理しなければ美味しい物は食べられないし、生きるとはつまり、食べることであるのだな。
ちなみに感染の後遺症として発祥した味覚障害も完治し、今のところは前の生活と何らかわりなく、甘いものが美味しいのが何よりの幸運だった。
昨日なんて羊羹を6本も食べて幸せだった。
身体に悪いと理解していても本能的に食べてしまう。砂糖に対する依存性は人間の遺伝子に組み込まれたものがあって抗いがたい。効能は多幸感、そして副作用に入眠がある。
今作っているのはハンバーガーである。肉のパテが我が家では重要であった。なにも考えずにガキィちゃんにステーキなど食べさせていたのだが、食べ方が汚く、口の横の方で食べるので、だんだん口角が切れてきていた。なぜかと観察すると前歯が無いのであった。
前歯は食べ物を噛みきるときに使う。だから彼女は食べ物を噛みきれないのだった。
本人は別に気にしていないのだったが、やっぱりお腹いっぱい食べてほしいし、安心して腹一杯食べさせるのが大人のつとめだと思うのだった。
で、なんでパテかというと、話は万博に遡る。第一回の万博でアメリカが展示したのがひき肉機であった。この未来のマシーンはアメリカの当時の状態を良く表していた。
アメリカは労働階級の人々が経済を回していて成り立っている。そして過酷な労働環境で生きる労働者たちはみんな歯がなかった。石炭の屑や、有機溶剤など、今ではマスクが必須の環境で貧弱な防具をつけて仕事をしていたためなのだろうが、歯がないと肉が食えないので、そういう人たちのためにハンバーグが生まれる。これは、ひき肉を主な材料としていて、歯がなくても歯茎で切れるほど柔らかかった。あと安価な固い屑肉も柔らかくできたので、大変に人気がでた。
今日の日本においても残っていることからもその人気がうかがえる。
普通の人は人を殺した後に肉を食べられないらしいが、俺達は普通じゃないので食卓に肉が並ぶのだった。
ソースは一番安いケチャップソースを垂れるほどかけて、スライスチーズと、米粉のバンズ、トマト、ピクルス変わりの福神漬けをトッピングして挟むと、バンズの間から肉汁が染み出してきて手をボタボタと濡らした。
それを早く寄越せと足を蹴ってくるガキィちゃんに持たせると、わーー!と叫びながら洗面所の方に走っていった。
「食卓でちゃんと食べなさい」
わーと良いながら帰ってきて、ちょこんと座る。
ちゃんと手を合わせていただきますをする。
トマトは救出して皿によせて。俺は野菜のことを皿の一部としか考えていない。できれば、生きるのに必要がなければ食べたくもない。そんな存在として認識しているのだが、ガキィちゃんにじーっと見られ、仕方なくバンズに戻しモクモクと食べる。
もう少し味が濃くてもよかったな。次はひき肉を混ぜる時にもっと塩をいれよう。
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