農家と言う男
玲子は息を飲んだ。
目の前の出来事に納得がいかず、何かの冗談か、又は、無知な自分をからかっているのだと思った。
空が青い。なぜ。なぜ。
農家と言う男は、自分の畑で収穫した野菜をぽいぽいと放って歩いた。
玲子は今日のお昼のポトフにすると聞いていたので、投げられた野菜を一つづつ拾って歩いていた。
「何してるんですか?」
「ん? 野菜拾ってる」
「ああ、それは廃棄なのでほっといていいです。あとでボッチに持ってきますんで」
廃棄? 手の中の野菜はどれも土がついているが少しはらえば美味しそうな見た目をしている。それに、今畑からとれたばかりの取れ立て新鮮野菜。うん? 廃棄?
廃棄には別の意味があるのだろう。それにボッチとは何なのか分からない。
玲子が不思議そうに首をかしげていると、食べる分の収穫が終わった農家は、畑の横の山になった箇所に廃棄の野菜を投げていった。
「え? 食べるんじゃ?」
「うん? だから廃棄です。割れてたりするんで食べません」
「ええ!?」
外。スーパーマーケットでは半ば腐った野菜をめぐって殴りあいが起きていた。その野菜が、ここでは抱えるほどに捨てられる。
「どゆこと?」
「野菜って育てても店頭には並ばないやつがあるんですよ。だから生産者が食べるんですけど、さすがに毎日そればっかりというわけにもいかない。知り合いにも配って、それでも余ったら捨てるんです」
ご飯を食べることになって玲子はまた驚いた。
米の量が半端ではないのである。炊飯器で炊かれた白米は2合ぶんあった。てっきり、一日で食べるご飯をまとめて炊いたのだろう、と思った。
だが違った。農家はそれを二等分するとどんぶりみたいな茶碗によそり、「はい」と差し出してくるではないか。
農家さんはまとめて炊くことはないという。味が落ちるから炊きたてでしか米を食べないと言うのだ。
なんと言う贅沢。
外では米が手に入らなくなって皆出し渋っていると言うのに、この男は平気で見えるところに米の袋を置いている。
ご飯は半分でもお腹いっぱいだった。でも食べる。旨いから。だってこんなに新鮮なこと無い。彼の家は徒歩一分で畑なのだ。ポトフには肉がごろごろしていた。
そんなに食べるから体は大きくて、胸が発達して男なのに胸があった。
変だろう。だって胸がパンパンに張っているのだ。
食後、米袋を二袋小脇に挟んで運ぶ姿を見て玲子は納得する。
あれ、筋肉なんだ。
「二人に増えたから二袋持ってきました!」
「……はぁ」
食後の運動だといって、腕立て伏せ100回を行い、飼い猫をカートにのせて庭を何周も回っている。
苦笑いである。しかも彼は食事のあとでアイスクリームまで持ってくると言う気の効きようである。農家の家では1日3回の食事の他に、10時と3時におやつの時間があった。
彼はそれが普通なのだ。
そりゃそうなるわ!彼は片手で工事番場で使うような鉄骨を担いで作業している。
午後のお茶になってポツリと呟いた。
「生きてる人間よりも死体の方が落ち着くんですけど、いまやっと理由が分かりました。俺は、いつか壊してしまうかもしれない人間が近くにいることが怖かったんです。だからもう死なない死体を見ると安心するんだ」
ぞわぞわーっと鳥肌がたった。彼はその言葉を本心であるかのように言って、子供のような屈託の無い笑顔を見せた。
「勿論、玲子さんは別ですが」
彼には、この世界で、ゾンビを倒すことになんの躊躇もない。本当にヒーローに思えた。
純粋で、私を暗い闇の中から掬い上げてくれたたった一人の男。
農家と言うのはそういう男だった。